01 息が、つまるほど



辛い恋、甘い恋、悲しい恋。

色々ある中で俺が選んだのは。


―――人魚姫のような、

窒息していく、息苦しい恋だった・・・。




‖人魚姫の恋‖



―――人魚。
半身半魚の空想上の生物。

―――人魚姫。
空想上の生物を主人公にした、悲恋の御伽噺。

―――人魚姫の恋。
総じて報われない恋の代名詞。

ふと目に入った辞書の単語に苦笑が零れた。まるで自分の事を言っているようだ、と。
指先で文面をなぞり、最後の句読点まで辿り着くと興味が失せたのか、その手はそっと辞書を閉じた。
机上の片隅へと押しやり、別の資料を広げる。必要な部分だけを紙に書き取って、また閉じ別の本を広げる動作を
繰り返していく。ある程度整理が済むと、カリカリと紙面にインクを滲ませていたペンが置かれた。

「・・・・さて、そろそろ時間かね」

呟いて緋眼の青年は革張りの椅子から立ち上がり、応接用のテーブルに来客へ出すための紅茶の用意を始める。
給湯室から湯を貰い、ポットに茶葉を入れ、湯を注いだ後、砂時計をセットして数分蒸らす。丁度砂が落ちきった頃、
ドアをノックする音が聞こえてきた。

「開いてるから勝手に入れ」

部屋主の青年が言葉の割りに、思いの外優しい口調で告げると遠慮がちにドアが開かれた。
徐々に出来る隙間から来客の姿が垣間見える。部屋主の青年と同じく紅い瞳が柔らかい親愛を滲ませて
見つめていた。その眼差しが、嬉しくも辛いと感じている人間がすぐ傍にいるとは気づきもせず。

「こんにちは、ギャリック大尉」
「・・・ああ、少し早かったんじゃねえか。まあ、座れ」
「はい、お邪魔します」

頭を下げて来客が入って来る間に部屋主―ギャリックはポットの中身をティーカップへと移し、自分の手前の席に
置いた。甘く香ばしい湯気が香る。このギャリックという青年は、口調こそ粗野だが、礼節を知らないわけじゃない。
どころか稀にはっとするほど優美な所作を取る事がある。それは育ちの良さを感じさせて、客たる青年ゼオンシルトは
少し緊張しながらカップの差し出された席に着いた。

「あ、紅茶有難うございます」
「・・・客に茶も出さない無礼者だと思われても困るからな」
「大尉は意外と礼儀正しい人だと思いますけどね、俺は」
「意外って何だよ。いいから冷めねえ内に飲め。味が落ちても知んねえぞ」

以前よりも落ち着いたトーンで憎まれ口を叩くギャリックにこっそりと口元を緩め、ゼオンシルトは勧められるままに
カップに口を付ける。外気に触れて多少冷めていたものの、十分に暖かく茶葉の持つ甘みを殺す事なく淹れられた
それは思った以上に繊細な味わいで美味しい。共に暮らしていた祖母にお茶を美味しく淹れられる人は、
礼節を知っている優しい人だと教えられていたのを思い出しゼオンシルトの口角は更に持ち上げられた。

「何をニヤけてやがる」
「いえ、美味しいなと思って」
「・・・そうかよ。で、何だ相談ってのは。またルーファスの事か?」

急に話題を変える辺り照れているのだろうと感じたものの、ゼオンシルトは別の事に興味を奪われた。
ルーファスという名。ギャリックの親友であり、ゼオンシルトの言うなれば恋人に当たる人物。
名前が出ただけでゼオンシルトは今まで目前の青年に見せていた笑みとは違う、朗らかな微笑を浮かべた。
真正面でそれを受けたギャリックは一度驚いたように口を開くものの次の瞬間には微妙な表情を乗せ、他所を向く。
照れたわけではない。頬は常のようには染まらず、むしろ自嘲げに歪んでさえいた。

ゼオンシルトは知らない。恋人の親友が自分をどういう目で見ているか。どんな気持ちで言葉を交わしているか。
痛いくらいの眼差しで、優しいとすら感じるほどに遠く見守られている事に。知らずにこれまで親友たる彼に
恋人の事に関する惚気やら相談をしていた。とてもとても残酷な。そんな仕打ちを受けながらもギャリックは、
いつもゼオンシルトの言葉に耳を傾けている。拒まずただ静かに彼が話し終えるまで話を聞いて、憎まれ口を叩いて。
彼が帰り、扉が閉まるとそっと吐息を吐く。目を閉じて力なく椅子にしなだれて。そんな時間を繰り返している。

人魚姫が声の代わりに足を得たように、ギャリックは恋人の親友という立場故に想い人に会えるという口実<足>を
得た代わりに、自身の本音<声>を伝える事が出来なくなっていた。どうする事も出来ずただ見守るだけ。
幸せそうな彼を、見ている、だけ。自分の声を伝える事もなく・・・。物言えぬ、息苦しいだけの、窒息するような恋を
ひっそりとしていた。言いたい事は何でも口にする性格が嘘のように。

「・・・大尉?」

自分とルーファスに対する態度の違いをむざむざと見せ付けられ、少しだけ感傷に浸っていたギャリックを
ゼオンシルトの声が呼び戻す。俯きかけていた顔を上げてギャリックは首を振った。この感情を気づかれては
ならないと言い聞かせて。笑いはしないものの、聞く態勢を見せてやればゼオンシルトは対照的ににっこり笑った。

「えへ、ばれちゃってるみたいですね大尉には全部」
「別に見透かしてるわけじゃねえよ。お前がしてくる話なんて大体アイツの事だろ」
「そ、そうでしたっけ?」
「・・・そうだよ。それで、何を相談したいんだよ」

憮然と足を組み、問う。僅かでも苛立ちを見せないように気を配り出された声音。しかし何も知らないゼオンシルトは
ほっと息を吐き相談したい内容とやらを口に出す。相変わらず、嬉しそうに。

「はい、実はルーファスからこの間プレゼントをもらって・・・お礼に何か上げたいんですけど何がいいかなって」
「言っとくが俺は別にアイツの親じゃねえんだから、趣味嗜好まで知ってるわけじゃねえぞ」
「ええー、そんな困りますよ」
「だったらアイツに直接聞けばいいだろうよ。俺なんかに聞かずに」

軽い惚気から入った相談事にやや投げやりな回答をするギャリックだったがそれも仕方ない。好きな相手に
そんな事を相談されていい気分になれる者の方がどうかしている。けれど、あまりにゼオンシルトが困った表情を
見せてくるため、溜息一つ零してギャリックはまだ聞く態勢で向き合う。

「・・・分かったよ、当てになるならないは別にして相談には乗ってやる」
「本当ですか!やっぱり大尉は優しいですね」
「・・・・・何でそうなるんだよ」
「え、だって大尉はいつも何だかんだで話し聞いてくれるじゃないですか。何て言うか・・・誠実?ですよね」

何だかんだで話を聞いてしまうのは、お前が好きだからだ・・・とは言えずに賛辞の言葉を遣されたギャリックは
酷く複雑な気分になった。好きだから拒絶出来ない事が彼に掛かれば<いい人>に変換されてしまうらしい。
結果、何度も相談を受ける事になり、いつの間にかよく分からない信頼を得る事になってしまうわけだ。
それは想いを告げられない身からすれば首を絞められているようなもので。息苦しさが増す。
愛とは違う好意を向けられるのは、余計に惨めな気持ちにさせるものだ。悪気なんてものはないのは分かっている。
分かってはいるが、踏み躙られていく心。人魚姫もこんな気持ちだったのだろうかとギャリックは思う。

声を奪われて、本当の気持ちを告げられもせず、ただただ愛した者が別の者に心惹かれ結ばれていく様を
見つめている事しか出来ず、最後には愛する者を守るためにその身が朽ちる事を選んだ。随分と健気な事だ。
思ったのは一瞬、次に脳裏に浮かんだ言葉はなんて臆病な奴だろう、そんな侮蔑すら滲んだ言葉だった。
そう感じるのはギャリック自身が自分を臆病だと感じている故だろう。人魚姫は愛のために身を引いたのではなく、
壊す事が恐ろしくて泡になり消える事で逃げる道を選択したようにしか見えないからだ。自分自身のように。

ギャリックも、壊す事が恐ろしくて何も言えないでいる。それは友情だったり、今の立場だったり、もっと別の何か
かもしれない。とにかく今の状態がいいものだとは思えなくとも、変えたいとは思えなかった。もし思いのままに
行動して、今のように会う事さえままならぬ事になったら、と考えてしまうと出かけた手も足も言葉も消えてしまう。
結局人魚姫のように見つめるだけしか、出来ない・・・。

「・・・・馬鹿言ってねえで、ルーファスにプレゼントだったか・・・。
真面目な話、アイツはお前からもらえれば何でも喜ぶと思うぜ?」
「でも・・・それじゃあ・・・」
「・・・はあ。ったく、んな情けねえ面すんなよ。アイツは・・・そうだな強いて言うなら
手作りとか揃いのものとか・・・そういうベタなのが好きな奴なんだよ。俺には理解出来んがな」

話を、長引かせたくなかったのかそれとも自分の目の前で違う男の話をされるのが堪えてきたのか、ギャリックは
結論を急いだ。いつもの事ではあるが、慣れる事でもない。辛さと、息が詰まるような窒息感は常に胸にある。
突き放せれば、楽なのか。思ってもそれも出来ないで。秘めやかに傷ついてる人間に気づかないゼオンシルトは
ギャリックの言葉を反芻しながら首を傾げる。

「手作り?お揃い?」
「・・・よく女が手料理とか・・・手編みの何かとか作ってくんだろ。そういう奴だよ」
「ああ、なるほど。参考になりました。有難うございます、大尉」
「・・・別に。話が済んだのなら帰れ、俺はまだ仕事があるんでな」
「え、そうなんですか?!じゃあお邪魔でしたね、すみません・・・・・」

しゅんと俯く蜜色髪が妙に哀れで、よせばいいのにギャリックはポンと慰めるように下向きに流れる髪に手を乗せた。
軽く撫でて、紅い瞳が上向いて来るとすぐに手を離す。また余計な事をした、悔やんでも今更でしかない。
ゼオンシルトは無邪気に微笑んだ。憎らしいほど、無邪気に。

「ほら、やっぱり大尉優しいじゃないですか」
「まだ言ってんのか。暢気な奴だな・・・とっとと帰れよ」
「分かりましたよ・・・あ、でもその前に」
「あ?」

帰るような素振りを見せたものの振り返ったゼオンシルトの気配に執務用の椅子に戻ろうとしたギャリックも足を止める。
同じ色の瞳が互いのそれを映し合う。一方はにこやかに、もう一方はきょとんとした表情で。何なんだと銀髪が
首を傾ぐと対照的な蜜色髪は銀髪を追うように傾いで。

「俺、料理作ってみようかなって思うんです」
「・・・・・それが?」
「だから、今日のお礼に大尉にもあげますね」
「・・・・いらねえ」
「えー、何でですか!?」

同情とは別物だろうけれど。惨めな気持ちにさせる事には変わりない申し出にギャリックは首を振る。
そんな事をされても、辛いだけだ。けれどゼオンシルトは女性のような柔らかな相貌とは異なり中々頑固で。
首を振り返され、諦めた様子は見られない。

「大尉にもお礼したいです」
「・・・・だからいらねえって。失敗作の処理係は御免だ」
「あ、酷い。ちゃんと成功させたのにしますよ!貰ってくれないなら貰ってくれるまで付きまといますよ?」
「・・・・・・・・・あのな。・・・・ったく、好きにしろ」

付きまとわれてしまっては困ると、数秒悩んだもののギャリックは根負けしてしまった。好きな相手がいる、
好きな相手に付きまとわれる事ほど困る事もないだろう。報われないのに、優しくされても、胸の痛みが増すだけ。
だったら好きにさせた方がましだ。そう判断して。今度こそ用は済んだであろうゼオンシルトから視線を逸らし、
ギャリックは背を向けた。もう話す事はない、そう告げるように。

「・・・・ほら、もう用は済んだだろ。帰れ」
「はい、これ以上は本当にお邪魔みたいなんで・・・帰ります。
いつも話し聞いて下さって有難うございます、大尉。えと、大尉は俺が鬱陶しいかも
しれないんですけど・・・・俺は、大尉の事・・・優しくて大好きですよ」
「・・・・・そりゃどーも」

親愛の意味の、好きを受けて振り返らない白皙の相貌は、苦味を滲ませていた。ドアが閉まり、室内に静寂が
戻って来ると、長い長い溜息を吐き出す。今まで息をせき止められていたかのように。吐けるだけの息を吐いて。
ついでゆっくりと窓際の椅子にしな垂れていく身体。何とはなしに窓の外を見つめる。数分経てば、下の方を
想い人は通り掛るだろうから。目を眇めて、じっと下方を見下ろす。が、再びドアをノックする音が聞こえた。

「・・・誰だ?」
「私です」
「・・・勝手に入れ」

聞き覚えのありすぎる声が届いて、席を立つ事もなく迎え入れる。やはりというかなんというか、敷居の外に
立っていたのはギャリックの同僚であり、親友であり、恋敵でもあるルーファスで。彼は軽く室内を見渡して
首を傾いだ。何かと思ったものの思い至り、ギャリックは言う。

「アイツを探しに来たのか?会う約束してたんならさっき出てったとこだぜ」
「!ああ、そうですか。入れ違いだったようですね。それにしても彼はまた貴方に会いに来たんですね」
「・・・・お前に会いに来るついでだろう」
「かもしれませんが、貴方も好かれている事に変わりませんよ」
「・・・・あまり嬉しくはないがな」

書類を見ているふりをして、顔を上げないギャリック。未だ室内に踏み入らず入り口でそんな彼の様子を
見ているルーファス。お互いが、何かを探るように当たり障りのない話を交わすものの、ルーファスの方が動いた。

「・・・嬉しくない、ですか。それは何故でしょう?」
「お前に関係ねえだろ」
「いいえ、大ありですよ。だって貴方が嬉しくないのは・・・貴方も彼が好きだからでしょう?」
「・・・・すっ呆けても・・・見透かされてるんだろうな。お前には」

自分の隠しているはずの感情を言い当てられて、ギャリックは眉間に皺寄せて、けれど笑った。
諦めたように。肩の力を抜き、下を向いていた顔を上げ、部屋の入り口に向けて鋭い視線を向けた。

「多分、お前が考えてる通りだよ。だが、・・・俺は今までもこれからも何もしない」
「ずっと見ているだけ、ですか。貴方らしくもない」
「そうだ、見ているだけだ。俺はどうする事もない。だからお前も今まで通りでいろ」
「・・・・辛いだけですよ?」
「それこそお前に関係ないだろ。早く行ってやれよ。アイツ待ってるんじゃねえのか」

睨みつけたまま、声音を強めると、ルーファスの表情が僅かに気遣わしげになる。しかし、気の毒がられるのも
同情されるのも遠慮されるのも御免だとばかりにギャリックは強く机上を叩く。振動はルーファスまで届いた。

「・・・いいから行けよ!アイツが・・・・独りでいるのが嫌いなの知ってんだろ!」
「・・・・・貴方は・・・いえ分かりました。私は何も・・・知りません。それで、いいんですね」
「ああ、それでいい。何も変える必要はねえよ今まで通りで」
「・・・・貴方は・・・人魚姫のように消えてしまわないで下さいね?」

去り際、呟かれた声を聞き取って、閉まってしまったドアを見つめたがギャリックはやがて目を伏せた。
人魚姫と例えられて笑いたくなる。自分と同じ事をお前も思うのかと。しかし一つルーファスと意見が違うなと
ギャリックは思う。ルーファスは消えないでというが、ギャリックが思うのはむしろ逆で。

「泡になって消えられるだけ・・・人魚姫の方が幸せだろ」

御伽噺のように消える事も出来ず、これからもずっと見ている事しか出来ない自分を哀れに思いながら
けれどそれも自分の選んだ道だと一息吐いて、中断していた執務に取り掛かる。カリカリと紙面にペン先が
這う音だけが静かな静かな室内に響き続けていた。



辛い恋、甘い恋、悲しい恋。

色々ある中で俺が選んだのは。

人魚姫のような、窒息していく、息苦しい恋。

いっそ、そのまま窒息出来ればよかった、

そう思っても今はもう遅い。


―――ただただ息を潜めて、見つめている、だけ・・・。


それはきっと、死ぬまで。


fin




しまった、ルーゼオなのにこれではギャリ→ゼオですよ(刺)
しかし一番初めに息が詰まる→窒息→人魚姫と連想してしまったので
仕方ないのです(そんな事ないよね?!)一発目から暗くてすみません、
ちなみに脳内にはギャリック略奪愛Ver.も発生してます(カオスだな、おい)

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