左胸の声








「痛っ……。」

モンスターとの戦闘後、小さな声で痛みを訴え僅かに眉間に皺を寄せたのは他ならぬレンティスで。
モンスターにより指に刻まれてしまった小さな傷。赤い血が滲み出して地面へと滴り落ちる。
傷を確認し、些細なものであることを見て取ったレンティスはぺろりと傷に舌を這わせ血を舐め取って、
大仰に手当てすることもないと判断し其の侭放置することを決めた。
然し。

「怪我をしたのか。ちゃんと手当てをしておけ。」

傷のある手を掴んで傷を目にするなりそう言った青年の顔をレンティスは見上げる。
酷く整った、何処か冷たい印象の濃い顔立ち。紅い瞳に宿る射抜くような強い眼差しは反論することを許さないと暗に
言っているようで、レンティスは暫し口を噤んでいた。

「……このくらい…手当てするほどでもないさ。舐めておけばすぐ治る。」

其れでも反論し、掴まれていた手を引き戻したのは、傷の程度が軽かったからだ。この程度ならば子供でも舐めて治すと、
そう思うほどの些細な傷だった。

「駄目だ。ちゃんと手当てはするんだ。」

尚も食い下がる青年、元インペリア・ナイト筆頭、アーネスト・ライエルに、レンティスは疲れた様な溜め息を1つ零す。

「過保護だな……。」

やれやれとでも言いたげに肩を竦め、レンティスは仕方なく其の傷の手当てをすることにした。此の侭では
アーネストは手当てするまで引き下がらないと確信したからだ。
近場の手ごろな岩に腰を下ろし、携帯してある傷薬を取り出し手当てを始める。
そんな2人の遣り取りを何気なく眺めていたウェイン・クルーズは首を傾げずにはいられなかった。
先程の戦闘で怪我をしたのは何もレンティスだけではない。他の仲間たちも程度は違えど怪我をしている。
寧ろ無傷のまま戦闘を終えた者などいないと言っていいだろう。
レンティスの様に軽傷だからと手当てしていないで済ませている者もいるのだが、アーネストはレンティスにのみ
声を掛け、念押ししてまで手当てをさせた。当然、何故レンティスにだけ?と疑問に感じてしまう。

「……確かに、レンティスさんに対してやけに過保護ですね?」

素直なウェインならではの直球な問い掛けに、滅多に表情を変えないアーネストは眉を寄せ何処か気まずそうだ。

「…………今にも倒れそうな顔色をしていた…あの時のことが忘れられないせいなのだろうな。」

どれくらいの沈黙が2人の間にあっただろうか。不意に口を開いたアーネストは、遠くを見るような目をしてかつて
起こった出来事に思いを馳せる。まだ色褪せる筈も無い遠くない過去の思い出。
全てを捨てても守りたい人の為の戦いだった。でももう、その守りたかった人はこの世には居ない。目の前でヴェンツェルに
殺されてしまった。あまりにも苦く辛い出来事だった。
唯一の救いは守りたかったその人が、リシャールが、リシャールとして逝けたこと。
操られたままではなく、誇り高く誰よりも国民のことを思いやっていた、敬愛してやまなかったリシャールが自らを取り戻し
逝けたことだ。

其のきっかけをくれたのは他ならぬレンティスで、あの時彼が来なければ自分はリシャールのことを守りたいが
ために誤った道を其の侭進んでしまうところだっただろう。どれだけ感謝しても足りない。
心の底からそう思っているのに、当の本人は其れを負い目の様に感じているらしい。
何も出来ないままに死なせてしまったと、そう悔いて謝罪を口にしてきたレンティス。
何故彼が謝るのか、そんな必要は無いのだと、寧ろ感謝すらしているのだと言って、漸く彼も安心したように笑みを零した。
あの時、リシャールのことしか考えられず気にも留めなかったが、レンティスが酷く青ざめた顔色をしていたのが
記憶の中に残っている。

ゲヴェルに創り出された存在として、彼もまたリシャール同様に死を目前としていたのだ。
死への恐怖と戦いながら尚、他者を思いやる気持ちを失わず、大切な人々を守るために戦い続けた彼の強さ。
其の強さが自分にもあったならば、リシャールを死なせずに済んだかも知れないと、今となってはどうしようもないことを
幾度となく考えた。自責と戦い、漸く未来に向けて目が向き始めた時、再会したレンティス。
再会して早々に気付いた彼への思いはいまだ口には出来ず秘めたままだが、目が自然と彼を追いいつの間にか
彼の心配ばかりをしている。

死に瀕していたあの時の記憶が蘇り、不安で堪らなくなるせいだ。
彼もリシャールの様に目の前で消えてなくなってしまうのではないかと、そんな不安ばかりが脳裏を掠める。
自分は健康体だと、レンティス本人が言っていた通りに何の心配も無いのが真実だろう。だが其れでも、目の前でリシャールを失ってしまったときのあの恐怖と絶望が忘れられない。またあんな思いはしたくない、大切な人をもう失いたくないと、満たされない
渇いた心が叫ぶ。

「ああ、…其の話はレンティスさんから聞いています。自分は長く生きられない身体だったんだって。
でももう、今は健康体なのでしょう?心配は要りませんよ。」

ウェインは曇りの無い笑顔でそう言うとその場を離れて行った。
遠ざかるウェインの背中を見送り、アーネストは近くの岩に腰を下ろす。
一体どうすればこの不安は消えるのだろう。
そう悶々とした思いを抱えて深く溜息を漏らしていると、ぽんっと肩を叩かれ思わず目を見張る。
視線を上げると傍らにはレンティスの姿があった。
気配には敏感なはずなのに、レンティスが傍に来るまで気付かなかったのは不覚だ。
特に今はレンティスのことを考えていたのだから本人を目の前にして内心酷く動揺していたため、
それを気取られないよう極力平静を装う。

「何だ?」
「手当てしたから……。」

そう言いながら負傷した手の手当てした場所を見せる。

「ああ、それでいい。」

律儀にも手当てしたことを知らせにやってきたレンティスに頷いて、密かにほっと安堵の息を零した。
すると。

「今の俺はそう簡単に死んだりはしないよ。」

アーネストの不安を察してか、レンティスはふっと柔らかな笑みを浮かべてそう口にし、手を伸ばしアーネストの
右手を取ると自分の胸元へと押し付ける。

「………。」

不意の行動に其の意図を図りかねて、ただ無言で見つめ返すことしか出来ずにいると、くすりとレンティスが
笑い声を立てた。

「確りと力強く脈打ってるだろう?些細なことでは死んでしまいそうも無いくらいに力強く。だから…大丈夫だよ、俺は。」

トクトクと、服越しにもはっきりと伝わる鼓動。
それは確かに力強いもので、彼の生命力の強さすらもはっきりと感じ取れるようだった。





指先から伝わる生きている証。
此処に存在して居るのだという確かな感触と温もり。
彼はもう大丈夫。





「……ああ、もう大丈夫なのだな。良かった……。」

ふっと無意識にアーネストは口元に笑みを浮かべていた。
酷く穏やかで優しい笑みを。
すると。

「…あ、ああ、もう大丈夫だから。それじゃあ…そろそろ出発するみたいだし。」

急に慌てた様子でぱっとアーネストの手を離し、常に冷静なレンティスらしくもなく落ち着き無い態度であたふたと
踵を返すと、出発の準備を整えるためにウェインの元へと向かって行った。
やがてすぐにウェインの「出発しましょうか。」という声が全員の耳に届き、それぞれ荷を整えるとウェインを先頭に
歩き始める。





気のせいだろうか?
最後尾を歩きながらアーネストはぼんやりと考える。
レンティスの胸元に押し当てられていた自らの手に感じたレンティスの鼓動。彼が離れてしまう間際、その鼓動が
やけに大きく高鳴ったような気がするのは。
つい先刻までレンティスに触れていた自らの掌を見つめつつ、アーネストはそんな事を考えていた。

「……気のせいか。」

離れてしまう間際のことだったからはっきりと分からない。きっと気のせいだったのだ。アーネストはそう結論付けると
ただ黙々と歩を進め始めた。





「……おい、レンティス。」
「何だ?」
「お前顔が赤いけどさ…熱でもあるのか?」
「……いや、何でもない。ちょっと…暑いせいだろう。」
「そっか?今日は割りと涼しいと思うんだが……。」
「……暑いよ。」
アーネストが気のせいだと結論付けていたちょうど其の頃、少し先を歩くレンティスとゼノスがこんな会話をしていた
なんて、無論アーネストは知る由もなかった。










「……いきなりあんな笑顔を見せるなんて…卑怯な奴。」
ポツリと零した溜息混じりのレンティスの呟きを聞いた者は誰も居なかった。








fin




柚華館:橘柚里様より

念願叶って以前からファンだった橘様のサイトの
キリ番を頂きましてリクさせて貰った『1主君に優しいアーさん』な
ほんわか癒し系のSSです。

優しいを通り越して過保護なアーさんが素敵vvv
橘様、忙しいにも関わらず本当に有難うございました〜。