失って、初めて人はその価値を知る事が出来るという。



では、幸か不幸か、失う前に気付けた【価値あるもの】は、果たしていかほどの価値があるの
だろうか――。




騎士母神






王都内を巡回中、何とも嬉しい顔に合えた。
任務に用いる畏まった礼服でなく、いつも通りの見慣れたジャケット姿というのがより一層嬉しい。


久方ぶりにゆっくりと話してみたくて、人通りの少ない脇道に進む。
天気は至極良い。
しかし、昼時ともあって、人影は微塵も無い。
このままでも話すに申し分ないが、出切れば腰を落ち着けたい。


そんな事を考えていると、柔らかい風が香る。


「イイ匂い〜」
「少し休んでいくか?」
「ホント?!」


青年はパッと此方を見上げる。
行く行くと、とても嬉しそうに言われればもう行き先は決定する。


申し訳程度に小さな看板が掲げられた、小さくも小奇麗な喫茶店。



歓迎を表したプレートの掛かっている扉を潜れば、店主と思しき年配の男性が顔を出して来た。
如何せん、やる気のなさを感じるのは、相手の歳のせいだろうか…。



静かな席が良いと頼むと、示されたのは庭の片隅。
丁度、植え込みの影になっていて、店の外からも内からも死角に入る。


インペリアル・ナイツの来店ともなれば、良くも悪くも店側は構いに来る。
しかしここは、そういった浮ついた雰囲気は無い。
しかも他に客が居ない上、北を見上げれば壮大なる王城。
成程、これは良い穴場だ。


それにしても、本当に―全くと言って良いほど―、相手をする気配が無いようだ。
店の奥に声をかければ、店主がのそりと現れる。


本当にやる気がないな…。


とりあえず、エスプレッソを注文する。
正面を見れば、青年はまだメニューと睨み合っている。


「カーマインは?」
「う〜んと、ね…」
「……」
「う〜ん〜。じゃあ、ねぇ、ミルクティーの冷たいの」
「他に――」

聞いた途端に、きゅ〜とトーンの高い音が響く。

「あ…」
「……腹、か…?」
「う…、そう…みたい」


何だかとても微笑ましくて、思わず笑ってしまう。
顔を真っ赤にして俯いていたカーマインは、顔を上げるとお手拭を投げつけて来た。
勿論、難なくそれは受け止める。


「っ――!」
「いや…、正直なのは良い事だ…」
悪いとは思うが、喉はくつくつと鳴ったままだ。


「笑い過ぎ!」
「そう、むくれるな…」
「笑うほうが悪いんだよ!」


ライエルは咳一つでいつもの調子に戻す。
「判った、悪かった。元気なのも良い事だ」
「……」
「折角だ、飲み物の他にも何か頼めばどうだ?」
「…じゃあ、食べてやる!」


そう言ってまたメニューと睨み合う。
時間がかかるだろうと踏んで、とりあえず飲み物だけを先に頼む。



「…ライエルは何か食べないの?」
「…あまり、腹は減ってないな」
「ちょっとは空いてる?一人だけだと食べにくいから、何か食べない?」
「そう、か?」


うん、と頷く青年からメニューを受け取る。
先刻はメニューも見ずに注文をしたから、何があるのか知りもしなかったが、意外な程に豊富だ。
これでどうして客足が無いのか不思議だが、直ぐに理解出来た。


「どうぞ」
「……どうも」


店主は飲み物を置き、それだけ言うとまた奥に引っ込んでしまった。



本当に愛想の欠片もない。
個人的には寧ろ嬉しいが、一般客には敬遠されるだろうに。



ともかく、アイス・ミルクティーをカーマインに渡してやる。
「わ、ありがと」
先刻の剥れ顔はどこへやら。
ニコニコしてそれを受け取る。


「決まった?」
「そう…だな…」


といっても、正直、食べ切れるほど腹は減っていない。
だからといって否を示せば、カーマインは気を使って絶対に頼まないだろう。
それはそれで困る。


何か無いかと考えていると、カーマインは苦笑いして、
「睨みすぎ。ひょっとして、優柔不断な方?」
(それはどっちもお前だろうが…)


メニューをカーマインに戻す。
「いや、決まったな。お前は?」
「うん、決まってる」



では、と手を挙げて店主を呼ぶ。
様子は変わらないが、呼べば直ぐに来る。
やる気が無いわけではないのだろうか…。



カーマインは再びメニューを広げる。


「えーっと、俺はナポリタンで」
「…それだけか。野菜は?」
「うーん、じゃあ、コンビネーションサラダで」
「後は?スープは」
「…じゃあ、…ガスパチョ」
「デザートは?」
「……オレンジの…タルトレット」
「他には?」
「………や、もうイイよ…。ライエルは?」
「俺は…、マセドワーヌサラダを頼む」
「…それだけ?」
「ああ」
「…主食の炭水化物は?」
「…炭水…。いや、これだけで」


最後は店主に向かって。



「……俺には一杯勧めたくせに」
「お前はもっと、しっかりと食べたほうが良い」
「…俺は少食なの」



それから暫くすると、意外に早く、しかし店主はのっそりと料理を運んで来た。
一通り揃ったそれらを見て、カーマインは声を上げる。


「あ。」
「何だ?」
「…肉…」
「?コンビネーションだろう?」
「…普通、野菜と魚じゃない?」
「…魚…?」
「…ローランディアとバーンシュタインとじゃ違うって事?」
カルチャー・ショック宜しく、青年は眉を寄せた。


「…肉だろうと魚だろうと問題は無かろう」
「えー…」
「…何だ?まさか、『嫌い』とは――」
「…あたりー…」


苦く笑うカーマインを見て、ライエルは溜息を吐く。


「いい年をして…」
「年は関係ないと思うんだけど…。ジュリアだって甘いの嫌いだし…」
「甘い物より、肉が食えない方が問題だろうが」
「だって…」
「だってじゃあない。ちゃんと食え」
「…意地悪」
「…何とでも言え」
そう言うと、また青年はむくれる。


「まぁ、食えるだけ食って見ろ」
「はぁい…」


カーマインはしおしおと返事をすると、小さくいただきますする。
その姿はとても見るに忍びない。
本当に食べられないからこそ、そう言っているのだろう。


一口二口と料理を口に運ぶ。
それらをもごもごと食べている正面の青年を眺めていると、僅かながらの罪悪感に駆られる。
しかし、当の青年は項垂れていた頭を持ち上げ、


「美味しいー」
顔を綻ばす。



今の今までしょぼくれていたからこそ、余計に感じる。
パッと笑う姿は花みたいだと。



初夏の風が爽やかになびいて、青年の黒髪が弄ばれると、その印象も一層強くなる。



職務に忙殺される事の無い、ゆったりとした時間。
嫌に心地がいい。




取り留めのない話が、妙に価値のあるようモノに感じられ、その瞬間瞬間がひどく愛おしい。



「チーズは?」
「んー、もうちょっとかけようかな」


「野菜もしっかり食べてるか?」
「うん、好きだし」


「良く噛めよ」
「噛んでるよ」


「バランスよく食べろよ」
「…うん」


「旨いか?」
「…美味しいって」


「他にも何か頼むか?」
「いや、ホントもういいって…」


「食べたらしっかり歯を磨け」
「…普通じゃん…」


ふと目が合った。


「あのさ…」
「…どうした…?」
「うるさい」
「………。煩いとは何だ…」
「うるさいよ。口うるさい!」



カーマインは眉間に皺を寄せる。


「何、俺ってそんな子供っぽい?心配し過ぎ!ご飯くらい放っとかれても、ちゃんと食べられるってば」
「ああ…、いや、そういう訳では…」
「まだ成人じゃないけど、子供じゃないの!」


そんな事言う辺り子供なのだが、何時になく険しい顔をされると負けてしまう。
しかし、このまま押されてしまうと、機嫌を直す機もなくなってしまう気がする。




今は亡きリシャールが言っていたではないか。



攻撃は最大の防御也。



今使わずして、いつ使えようか。




「そんな事を言うなら、残さず食べろ」



指差した先にはサラダの入っていた皿。
その皿の傍らには、綺麗に除けられた肉。


「う…。それとこれとは別――」
「『大人』ならば、選り好みせずに食べる事だ」
「っ〜〜!」


普通なら火に油を注ぐような事だ。
が、相手を知らないわけではない。
人一倍の負けず嫌いともなれば、フォークを握ってこちらを睨む。


「判った。食べればいいんだろ!?」
言うが早いが、肉を口に入れる。


刹那、

「ゲフッ!」
カーマインは咽た。
「お、おい!?」


驚愕面のライエルを尻目にごっくんと、硬い音で以て飲み込んだ。


「うぇ…」
異色の双眸は揺れている。
そこまで嫌いなのか?



ミルクティーを少し飲むと、また肉をフォークに刺す。



「ま、待て!判った、判ったから!もう良いから、無理はするな!な?!」
「ほ、ホント…?」


有り得ない位げんなりした顔を、力なく上げた。
ヘタな戦闘後より憔悴しきっている。



「…良く頑張った…な…」
誉めるのもおかしな話だが、居た堪れなくなってしまった。
「うん…、ゴメン。ありがと」


カーマインは気持ち申し訳なさそうに、ミルクティーを飲み続ける。
寧ろ、こちらが申し訳ない気持ちで一杯だ。


「大丈夫か?」
「うん。大丈夫だけど…」


悲痛に似た目線の先には肉。



「残すのって…先方に申し訳なくって、嫌なんだけど…」


…死ぬ気か。



その考えを肯定するように、青年の手のフォークは忙しない。
ライエルは溜息を吐くと、テーブルに身を乗り出した。


「あ…?」
何をするのかと問う間もなく、皿の肉を摘むとそのまま口に入れた。
カーマインとは打って変わって、すんなりと飲み込む。


「これで良いのだろう?」
「え…、あ、うん。…ありがとう…?」
どういたしまして、と目を伏せ、椅子に座り直す。



暫く経って落ち着いたカーマインは、心なしか上目使いで呆れた様に微笑んだ。
「なんかさ…、ライエルって意外に甘いよね…」
「それはどうも…」
苦笑いで返してやると、カーマインは笑う。
それにしても、ここまで完璧に話が脱線するとは思わなかった。





カーマインが一頻り笑い、落ち着いたのを見てゆるりと切り出し、手袋をはめる。
「さて、そろそろ行くか?」
「うん、ごちそうさま」



最後まで丁寧に挨拶すると、席を立つ。
すると、ライエルが何かに気付いたように声を掛けてきた。


「おい」
「え?」
「ああ、動くな」


そういうと再び、左手袋の止め具を右手で外し、口でするりと取った。


「もうちょっと、こっちに来い」
「うん?」


そう言われ顔を前に出すと、ライエルの親指が口元に触れた。


「なに…?」
「汚れている」
苦笑いされて口元が拭われた。



ライエルの白い手が、僅かに赤く染まる。


「あ、ごめん。ありがとう」
「気にするな」


テーブルに備え付けられていた、紙製のナプキンを手渡す。


「でも、言ってくれば自分で拭いたのに」
「…それもそうだな」



また、子ども扱いをするな、と文句を言われるかと思ったが、カーマインはふわりと笑む。



「なんかさ、お母さんみたい」
「…俺が?」
「そう。あ、俺の母さんじゃないよ。『おかあさん』ね」


そう言って目を細める。


「いつも気にしてくれてるし、厳しいけど、優しいし。怒ったり、甘かったり…、後、他にも色々あるけど。
ね、『おかあさん』って感じ、しない?」



同意を求められてもな…。



「誉め言葉として受け取っておこう」
「うーん、誉め言葉ってよりは感謝かな?」
「感謝?」
「そ。ライエル…っていうか、皆が居てくれて、幸せだな〜って。」



正面に向き直って、


「本当に逢えて良かった、って思うんだ。ああ、どれだけ救われたんだろう、って。…ありがとう」


破顔するその顔。




――違う。




救われたのは―今も尚、救われているのは、寧ろこちらの方だ。



「そう…だな。…俺も感謝している」
「本当?」



心底嬉しそうに笑ってくれる。
それにどれだけ救われている事か…。



「…有難う」


その言葉にカーマインは驚いた様に眼を見開き、はにかみ笑む。



「うん、じゃあ、おあいこね」





緑風に佇む夢幻に似たそれ。




失いたくない。
護りたいと切に思う事は、果たして非望だろうか――。




−*−*−*−*−*−*−





「毎度」
「……」
「兄さん、上手くいったのかい?」
「…は?」
「いやに嬉しそうな顔してしてるからなぁ」
「……まさか…」
「まぁ、ちっとは気を使ったワシにも感謝しとくれよ」
「………それはどうも…」
「礼をすんなら、また来とくれ。そん時にも、ちゃあんと引っ込んでてやるよ」
「…考慮しておこう…」
「まぁ、大切にすることだな」
「…言われずとも」





【幸アレ】




深浅:まめ鯖様より

やばいっすよ、カー君可愛すぎですよ。そしておかんなアニーさんが愛おしいですねv
お店に斯様な美形が二人も来たら私仕事そっちのけでずっとそっち見てる(甘い)というか
覗いている(犯罪)というか見守っている(これだ!)と思います。
それにしても店主おいしいポジションです。綺月と変わりなさい←命令ですか