君と、踏み出す一歩。 「…ライエル。」 室内に、うんざりとした声が響いた。 ─ライエルの邸宅。 彼がインペリアルナイトに戻りしばらく。 旅の間に約束した、貴重な本を借りに訪ねたカーマイン。 探していた古書を嬉々として読んでいたが、いい加減鬱陶しくなってきた。 ─背後が。 「ライエル。」 答えが返らないのに苛立ち、やや強く呼びかければ漸く相手は本から顔を上げて。 「なんだ」 「なんだ、はこっちの台詞だ。いいかげんに離してくれ」 カーマインが怒るのも無理はなく。 今現在の位置はライエルの膝の上。片手はウエストで固定され、動こうにも動けない。 「もう読み終わったのか?」 「終わってない。けど、離せ。」 立ち上がる用が無いのならと、結局手は離されず。 力で敵わないのは分かっているからカーマインは苛立たしげに本を閉じた。 そうやって不機嫌さを態度で示してみても、白皙に惑いは見えず。 ちらりとだけ、紅瞳の視線をその本に寄越し。 「…聞けんな。約束だろう?見せる代わりに一つ言うことを聞くと。」 確かに。 その約束は本当だから、逆らわずじっとしていた。 ─が。 触れる手が、時折わざとか偶然か動くのでは、 「集中できないんだ。ライエル、いっそ借りていくぞ?」 「残念ながら貸し出しは禁止だ。」 「何故だ?」 「お前が長居しなくなるから、と言いたい所だが、古すぎて持ち運びに耐えられん物もあるからな」 滔々と、というか飄々と言ってのける無表情さに、限界がきた。 「─ならもういい。帰る。」 怒りをはっきり滲ませた声音で言い、だから離せと続ければ溜息が返る。 「何をそんなに怒っているんだお前は」 「…本気で言ってるのか、アーネスト。」 低い声で怒りを露わにしながら囁けば、返るのはまた溜息。 けれど今度のそれは安堵混じりで。 ライエルは肩を竦めて。 「やれやれ。やっと呼んだな。…偶に会えたんだ。少しくらい甘えてみせろ。」 大きな手でくしゃりと頭を撫でながら言われて、カーマインはきょとりと。 次いでその手をよけながら、 「子供扱いをするな、アーネスト。…というか。俺を甘やかしたがるその癖、何とかならないか」 「ならんな。…そんなに嫌なのか?」 「男に甘やかされて嬉しいものか」 「当たり前だ。俺以外の男に甘やかさせるものか」 「………、話がずれてるアーネスト。」 「む?」 はー、とカーマインは息を吐き、背後のライエルにもたれかかった。 ─わざとだな。 ライエルのはぐらかしを見抜き、仕方無くつき合ってやる事にする。 どちらが甘えているのやら。そう思ったけれど、最早馴れた背の熱さを心地良く感じだしたのは確か。 ─ゆっくりと、瞳を閉じた。 「…ん、こら。何してる…」 目を閉じてはいても、降ってくる気配に気づき手を伸ばして押さえた。 それを─口付けを、防がれれば不機嫌な顔。 それはいつもかと、身を起こして振り返る。 「…子供扱いが嫌なのだろう」 「拗ねるな。…だから、まだお前をそういうふうにはみれな…」 「冗談だ。」 「は?」 言葉を遮り、ひょいっとカーマインの脇に手を入れ膝から下ろす。 子供を扱う、そのものな仕草。 あまつさえ宥めるように頭をぽんぽんと叩いて見せて。 「子供に無理強いをする気はない。」 「国じゃ一応成人してる。」 むっとして言い返せばどこか困ったような気配。めったに表情が動かないこの男、 それでも近しい仲間は皆読み取れる。 「…ならば、返事をくれないか。」 言い難そうに、問われれば。 その意味に、やはりカーマインも困った顔に。 互いの想いを口に出し合った事は無かった。 それでも旅の間、態度で示されれば自然中身は伝わって。 何とはなく、そのままずるずると言うなれば『友人以上何とか未満』を続けていた。 「…アーネストを、好きだとは、思うさ。」 「ああ。」 考え考え、呟いていく。『考えなければならない』辺りでライエルは既にへこんでいるのだがカーマインは気づかない。 「…だけど、分からないんだ、まだ。情けないけど、俺は家族以上の大切を持った事がないから。」 自らを情けないと言い切るあたりは全然子供ではないけれど。 芽生えた想いの形や決め手に悩むあたりは年相応。寧ろ流されないよう理性的に考えるのはライエル好みな生き方。 だから、口の端で笑って見せた。 「ならば一つだけ問おう。カーマイン。俺は、お前の此処で、特別か?」 言いながらライエルはカーマインの胸にとん、と拳をあてた。 節くれだった手は静かに早い心音を得る。 カーマインはまたきょとりと。 ─けれど確かに肯いた。 「ああ。」 「─ならば、今は其れで充分だ。」 触れ、開かれた手は名残惜しげにゆっくりと離れて。 「お前を追いつめる気も焦らすつもりもない。…俺が待っている事だけ、心に留めおいてくれ。」 手のひらの向こう、そう言って微笑う彼は、優しいのに痛みを堪えるような、悲しみを封じたような、かおで。 カーマインの胸の奥深くが騒ぐ。 此処に宿るのは、そんな顔をさせたくないと叫ぶ想い。 ─違う。 答えなんか出ているんだ、とっくに。 ぐっと、胸のアミュレットを握った。 ─アーネストを『考えたい相手』って想うあたりで答えなんか出てる。 だけどいいのかと、もう1人の冷静な自分が警笛を鳴らす。 だから、『どちらにも』動けない。 「─アーネスト。」 「なんだ」 俯いた呼びかけに、その固い声に微妙に上擦った返事を。 呼びかけておいて、カーマインは顔を上げない。表情を隠したまま、唇はゆっくりと開かれる。 「─過去の、すべてを…お前は忘れられるのか。諍いも、奪われた事も、…失くした、想いも。」 自分との、過去のしがらみすべてを、無かった事にできるのかと。 感情を無理に殺した真面目な声音。 その問いかけの後の、短い気まずい沈黙。 ─けれどそう思っていたのは、カーマインだけだったようで。 ライエルは呆れ具合に長い長い溜息を。 その反応に、カーマインはびくりと小さく震えて上目遣いに彼を見た。 ライエルは、頭痛を堪えるよう眉間を揉みながら、ゆっくりと口を開く。 「…忘れる事などできんし、忘れるつもりもない。すべて…受け止めている。」 真っ直ぐな、誓いのような呟き。 彼の中でそれ<過去>は既に清算されているのだと伝わってくる。 捨てようにも捨てきれず、逃げるように世捨て人を道化ていた頃が嘘のように。 以前と変わらない─いや、以前に戻った強い瞳。その紅に、金銀異瞳を捉えて。 「─それをふまえて、今の俺はお前が欲しい。」 告げられたストレートな想いに、どくりと、身が騒いだ。 生真面目な顔で、格好つけてしかしその口から出るのは男で他国の要人で、元敵な自分を欲しい、と。 アーネストは微笑を浮かべて小首を傾いだ。 それは緊張も何もない、親しげな仕草。 ─恐らくは、かつて彼が親友達にだけ見せていたであろう気を許した態度。 それを嬉しいと、感じる自分。 「…と、いうか。そんな事を怖がっていたのか?」 「…こわ、がる…?」 彼の言葉を反芻して、そしてそれが真実抱いていた恐怖と気づく。 ─そうだ。 どんなに親しくなったとしても、本当は恨まれているんじゃないか。 悲しみを隠しているんじゃないか。 もしそうなら其れを埋める事なんて、拭う事なんて、癒やす事なんて。 自分には出来ないから。他ならぬ、彼に不幸を押しつけた、手を下した自分にだけは出来ない事と知っているから。 「カーマイン。」 そっと、温かい手が頬に添えられ、カーマインは自分が泣いているのに初めて気づく。 「…俺の、良いようにとるぞ…?」 囁き、まだ出来上がっていない華奢な躰をゆっくりと抱き締めた。 カーマインは抵抗しない。手を、伸ばしもしないけれど。 すっぽりと腕の中に収まる青年に、苦笑混じりに囁く。 「お前は優しいな、カーマイン。」 ─俺を責めれば楽だろうに。 耐える強さはそれを自分に許さないのか。 後ろ頭を撫でれば、軽くしゃくりあげるような反応が返る。 零れる、弱さではない涙に、ライエルは愛しさに押され口づけた。 「…お前の所為ではないんだ。お前が傷ついて泣く必要はない。」 その言葉にカーマインは緩く首を振る。 瞳を閉じた幼い顔は、悲しみに、自分の罪に歪んでいた。 「…それは、違う。俺は、お前の大切なものを…」 言葉途中、今度は涙伝う頬ではなく囁き洩れる唇を塞いだ。 「…アーネスト」 直ぐに離れた口づけは、宥める優しさだけが含まれていて。 それにつられるように、導かれるように瞳を開けば見えたのは苦笑。 「…俺はあの時、俺の想いから逃げた。迷った。終わったのだと俯いた。 …それを、胸を張るべきだと旅の途中ウェインに怒鳴られた。」 「…怒鳴った?あのウェインが、お前に?」 「ああ。」 涙も引っ込むほど驚いた。頭をフル回転させてみてもその場面がどうしても想像出来ない。 唇に手を当てて本気で考え込むカーマインの姿に、ライエルは同僚─ウェインに少し感謝した。 涙が止まった頬を拭ってやり。 「お前も俺も、最早後悔はすべきではない。あの時の俺達の行動は想いにつき動かされた最善だった。違うか?」 ─少なくとも、あの時の自分ができた選んだ最善だった。 『今』思えば他にも手はあったかもしれない。 けれど其れはもう終わった事だ。『今』言った所で栓のない、意味の無い事。 「…。」 カーマインはライエルにすがる形でその白皙を見上げる。 ─赦されて、いいのだろうか。 罪など得ていない筈の青年は、それでも責に躊躇して。 しかしそんなもの軽々乗り越えて、ライエルはカーマインに再び口づけた。 「ッ、おい、アーネスト…!」 「聞けんな。…一つ言うことを聞く、を放棄したのはお前の方だ。これはその代わりだ」 そんなふうに、冗談混じりに場を和らげる余裕。それを読み取ったカーマインは悔しそうに顔を歪めて紅を睨みつけた。 「…何で、今日はそんな余裕なんだアーネスト」 「これでもお前より四つ五つは年上なんでな。…お前一人の涙くらい、受け止められんでどうする」 カーマインは目を見開き、やがてずるずるともたれかかった。 力無く躰を預けるカーマインを支え、ライエルはそっと囁く。 「…頼りないか?」 そんな優しさに、いい加減意地を張るのも疲れてきて。 目を伏せたまま、ふう、と諦めの溜息をついた。 「…馬鹿だ。アーネストは」 「かもしれんな。」 「認めるのか」 「お前を手に入れられるのならば、何だろうが構わん。」 そう、言い切る彼は確かに格好良かった。 口に出した内容が何であれ、ここまで堂々と言い切られればそれは格好良いと表現してもいいか、と。 カーマインは苦笑して呟いた。 「アーネスト。」 「なんだ」 「耳。」 「…?」 不思議そうに瞬きながらも身を屈めてやる。 周りには誰もいないのに、カーマインはきょろ、と一度見渡してから。 そっと、ライエルの耳元に答えを囁いた。 疑問を浮かべていた彼の瞳は、一度大きく見開かれて。 やがて優しい光を宿し、ああ、と溜息のような返答。 そうしてカーマインがしたように、耳元に顔を寄せて。 ──同じ言葉を、囁いた。 fin ☆ましろなおはなし☆:ソラマシロ様より リンク記念にソラ様に無理言って書いて頂きました! しっとり甘い二人ッ我好きです!!この二人特有の静かな感じが 溜まりません。いいですよね、膝抱っこ!(そこに行くのか) 『お前が欲しい』はストレートで胸キュンですね!! 無理なお願いに応えて頂き有難うございましたソラ様!! |