「…浸透剄のジェム、か」
呟き、ゼオンシルトは手に持つジェムを陽に翳した。曇天の空は目を灼く程の光は集めず、只ビー玉のように輝いた。落とさないようにとルキアスが其れを加工して、仲間全員揃いの銀の鎖が付いている。 握り込めばしゃら、と綺麗な音。その手を耳に当ててみても、特別な音波は感じない。 ゼオンシルトは溜息をつき、ジェムをウエストポーチに戻した。 軽い、肩に触れる。
──コリンは研究所。
ファニルの傍と解っていても、最早癖。 不安を感じた時、迷いが生じた時。楽しい時、寂しい時、嬉しい時、悲しい時。 何かあれば、すべてを共にしていた彼女に触れたくなる。
「…どうしているかな…」 「ゼオンシルト?」
寂しさを、籠めた呟きに予期せぬいらえ。 けれど既に聞き慣れてきた声に、ゼオンシルトは特に構えず振り返った。
「──メークリッヒ」
金の青年の予測に反せず、その紅玉に映ったのはコートを纏う銀の青年、メークリッヒその人。 琥珀の瞳をぱちりと瞬けば、あどけないとも言える幼さが覗く。 薄い唇は、ゆっくりと開いた。
「あまり、身を乗り出すと危ないぞ?」
ゼオンシルトが座るのは海にはみ出したコンクリートブロック上。船が着く場所は反対側だから、恐らくは予備か監視の場。 腰掛けている為下に垂らす足元には当然何も無い。 時折、小さな波がかかる。
「ありがとう。大丈夫だよ」
ゼオンシルトがそうしてにこりと笑めば、大抵の人間は安心するかつられて笑う。けれどメークリッヒ、彼は表面には誤魔化されない質。
「…何か、あったのか?」
だから旅を始めた初期からこれ。 人と対面した時、メークリッヒは皮──顔では無くいきなり内面を見ようとする。旅の仲間は皆、其れに慣れるまで少しの間戸惑った。 敵味方を篩いにかける守護勇士の癖なのか。 人は他人と向き合う時、親しくも無いのに内面に踏み込まれ、切り込まれて嬉しい筈が無い。 故に、彼は一歩引かれ、よく解らない奴だと言われるのだろう。 今は皆慣れた。 ルキアスは職業病なら仕方無いかと呆れてみせる。 ゼオンシルトは──…。 金の青年の笑顔は苦笑へとすり替わる。
「何も無いよ。ただ、ジェムを見ていたんだ」 「ジェム…?」
再び取り出したジェム。メークリッヒには見慣れた其れ。どこかおかしいだろうかと小さく小首を傾いだ。
「前のオレと、同じ力を持っている筈なのに、ジェムには何も変わった所は無いなと思ってね」 「…ジェムの宿す能力は…付加効果、だから」 「ああ。ジェム自体が何かをする訳じゃ無いね」
だから見かけはただの宝石。売ればそれなりの額にはなる。
「…たらればは、嫌いなんだけどね」 「…たられ、ば?」
ジェムを見つめたまま洩らす呟き。小さな其れには自嘲のような響きがあった。
「…若しも、の事。…この、ジェムがオレの大陸に、あれば。」
メークリッヒはぱちりと瞬く。 風に舞う、金糸が綺麗。
「…スクリーパーの脅威は、少しは増しだったのかも、しれない。」
紅い瞳は遠くを見、隣の琥珀はその姿に確かな痛みを見出した。
「ランディの仲間は喰われなかったのかも、父さんは死ななかったのかも、刑務所の実験は無かったのかも、母さんは、あんな、目には──」
母さん。 ゼオンシルトの母親は。 スクリーパー化を良しとせず、自ら命を絶ち今尚──薬に満ちた碧いカプセルの、中で。 肉の一部は生きたまま、腐敗を知らない暗い昏い眠りの底にいる。
「──…遭わなかったのかも、しれない。」
言っても詮無きたらればは、それでも痛みを齎して。 震える手は、ジェムを強く握り込んだ。 塩を含んだ海風は、落ちた沈黙の中で時止める青年2人の髪を弄ぶ。 メークリッヒの唇は、緩く開いた。
「…そして、君は。母と同じ躯になる事も無く、否定を覚える事も無く、拒絶される事も無く、」
ゼオンシルトの手が伸びた。 殴りかかるのかと思うその手は然し、静かにコートの襟を掴んだ。 紅玉は色を失くし。其処にメークリッヒは宿らずただ景色のように映すのみ。 銀の青年もまた静かに、けれど確かに紅玉に琥珀を合わせて。
「俺と、出逢う事も、無かった。」
接がれた言葉にそれは──と。 ゼオンシルトは目を瞠り、次いで何度も瞬いた。 それは、『始め』を振り返らせた。 浸透剄のジェムがあり、両親が生きて、傍に居たら。居たとしたら?
──笑う。
今度は確かな可笑しさに、押されて。
「…ゼオンシルト?」 「はは、は…いいや。メークリッヒ。オレは必ず君と出逢うよ」
今度は琥珀がぱちぱちと瞬く。 大きく開かれる瞳は疑問を表し。 ゼオンシルトはむず痒く、面映ゆく唇を歪めた。
「…、どうせ、正義の血に押されて親子共々平和維持軍に居ただろうさ」
言ってからも、やはり照れが襲う。 コート、触れる手を外し、赤くなりかける自らの顔を覆った。メークリッヒは益々解らないと言いたげに瞬きを繰り返す。 手のひらの隙間、其れを認め、暫し深呼吸。 海風に乾く唇を舐めれば、塩辛さを感じる。 少しは滑らかに言えるだろうかと息を吸い。
「──君とは、どこかで必ず出逢っていたさ。メークリッヒ」
得る確信は揺れる心、空く穴に入り込み塞ぐ。 目を見開く銀の青年の姿が可笑しくて、温かい気持ちで笑えば。
──肩に、彼女に触れたいとは思わなかった。
end。
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