卑怯な手 「・・・・は?青田買いに行く?」 トントンと判を押し終えた書類の角を整えているカーマインに、彼の主君に当たる王子はそうだと頷く。 話を聞きながらもカーマインの手は止まらない。書類の束を提出期限ごとに分け、ファイリングしていた。 その様子を見るともなしに王子は更に言葉を継ぐ。 「毎年恒例のアレだ、まさか忘れているのか?」 「・・・毎年恒例・・・・・ああ。闘技大会の事ですか?」 「そうだ、正にそれだ」 ファイリングを終えたカーマインは改めて王子に向き直る。 「しかし・・・リシャール様はともかく、インペリアルナイトの私が列席など・・・宜しいのですか?」 「お前たちは本来私の身を守る為の騎士だ。私が行くところに馳せ参じるのは当然だろう」 「それはそうですが・・・・腕に自信のある兵が集うのですから、我々の存在は彼らを刺激してしまいませんか?」 仮にもインペリアルナイトは大陸最強の戦士、などと各国にまで雷名を轟かせているくらいなのだから 血気盛んな男たちが、その存在を無視するわけがない、とカーマインは言う。その発言に対し、王子はニヤリと性質悪く 笑むとポンとカーマインの細い肩に両手を乗せ。 「何だ?ナイツに名を連ねておきながら、まさか襲撃が怖いとでも言うのか、カーマイン?」 「・・・そうは言ってはないですが、下手に刺激するのは良くないと申しているんです」 「フン、素人同士を戦わせるよりお前たちが相手をしてやった方が、より優秀な人材を見抜けるのではないか?」 「我々が出てしまえば・・・・恐らく試合になりませんよ。知っているでしょう、ナイツマスター?」 呆れたように左右色違いの瞳を細め、カーマインは首を傾げた。しかし、カーマインは分かっている。 ここで幾ら言っても王子―リシャール―は自分の考えを決して曲げたりしないと。それ故にふっと苦く笑う。 それを了承の意と取ったのかリシャールは力を込めていた手を、離した。 「分かった、試合には出さない。が、ナイツは何処の国でも憧れの的。いてくれた方が華があって良い」 「はあ・・・・。ですが、私はナイツの中で一番色合い的に地味だと思うんですが・・・・」 「いや、顔が派手だし。お前は目立つだろう」 「・・・・?派手、ですか」 ぺたぺたと自分の顔を触りつつ、そんな事ないと思いますけど・・・とカーマインは首を捻る。どうにも自覚がなさ過ぎる様子に リシャールは苦く片頬を歪めた。大陸でも珍しい黒髪の時点で相当目立つ。それに加え、金銀妖瞳、極めて整った顔立ち。 肌は陶磁器のように白く、すらりとした肢体の取る所作はしなやかで且つ艶やかで。これが目立たなければ、目立つとは 一体何だと問いたくなるほどだ。うっすらと溜息を吐き、まあとにかく頼んだと告げてリシャールは踵を返そうとした。が。 「一体何のお話ですか、リシャール様」 「!!げっ、アーネスト!」 知らぬ間にカーマインの執務室の中にもう一人のインペリアルナイトが立っていた。手に持った書類の束からいって 仕事の話をしにきたのだろう。じっと主君たるリシャールを見つめつつ、手の中の書類の何枚かをカーマインに 手渡し、その間もやはり赤い視線は無言で問い続ける。 「・・・・・・・・・・・」 「・・・な、なんだその何か言いたげな目は」 「闘技大会がどうの・・・と聞こえましたが?」 「立ち聞きするとは随分無粋な真似をするじゃないか、アーネスト」 「聞かれて不味い事でも話していたのですか?」 紅の瞳を対の碧眼が睨み据える。まだ齢十三とは思えぬ迫力がそこにはあった。けれど、アーネストの瞳は より威圧的なもので、全く隙がない。暫し互いを睨み合った二人だったが、やがてリシャールの方が疲れたように肩を落とす。 口でなら負けない自信があるのにとぼやきつつも軽く手を振る。 「あー、止め止め。お前と睨み合いでは分が悪すぎる。 お前の言う通り、闘技大会の話をしていたんだ。毎年、私が賓客として呼ばれているだろう? 今年はナイツが一新した事もあり、カーマインも連れて行こうと思ったんだ」 「・・・・・何故、ですか?」 「だからナイツが一新したからと言ってるだろう」 「・・・・つまり見せびらかせに行く、と?」 こきりと音が鳴りそうなほど、普段はまっすぐな首を傾げてアーネストは言う。一心にリシャールを見つめていた眼差しは、 その背後で手持ち無沙汰にしているカーマインへと移される。そこには、ひどく戸惑った様子の相違の瞳の青年の姿があり、 アーネストも長い吐息を漏らした。確かに、こんなに綺麗で若い護衛がいるなら、見世物のようにひけらかしたくなる 気持ちも分からないではない。が、それだけの衆目の前に見栄と言う理由だけで彼を晒したくもない。 カーマインを見つめていた緋色の瞳はまた移り、自身と正反対の色の瞳をやや呆れ気味に捉えた。 「彼を見世物にするのは承知出来ません」 「見世物とは人聞きの悪い。王子が王家に仕える近衛騎士を連れて何が悪い?」 「・・・・・・随分頑なですね。さては、見せびらかすと言うのは口実で、本当は闘技大会後にカーマインを連れて 遊びに行こうとか考えているんではないでしょうね?」 びくり。 「ま、まさか。そんな不埒な事、この私が考えているとでも?」 アーネストの低音に怯えるようにリシャールは肩を弾ませた。それだけで充分だった、言葉などいらない。 コツリと靴音を響かせて、アーネストは一歩前に歩み出る。そしてガシリと力強く主君の肩を掴み。 「でしたらリシャール様、私もお連れ下さい」 「へ?」 「私も近衛騎士の端くれです。殿下の御身が心配ですから・・・構わないだろう、カーマイン?」 ぐぐっと握り締めた肩に力を込め、その肩越しに見つめるカーマインに対しては、優しく微笑みアーネストは言う。 半ばお願いどころか恐喝と言えるほど、アーネストの指先には渾身の力が込められていた。もし、ここで リシャールが断ろうものなら、肩の骨を砕く気なのではないかと思うほど。リシャールの常は飄々とした表情に だらだらと冷や汗が浮かぶ。そんなリシャールの事情など知らないカーマインはうーんと可愛らしく唸りながら。 「俺はアーネストが来てくれるのは嬉しいけど・・・」 「けど、何だ?」 「決めるのはリシャール様だから・・・・」 「ああ、そんな事か。リシャール様、構いませんよね?」 最早、疑問符など意味を成さないほど、水面下ではアーネストの力尽くの説得はエスカレートして行った。 冗談抜きでミシミシと骨の軋む音が聞こえる。仮にも王子殿下にここまで無体な真似が出来るのも、アーネストとあともう一人。 ここにはいないオスカーくらいだろう。ひきつった笑みで苦痛に耐えていたリシャールも、カーマインが絡むと オスカー以上に厄介なアーネストに白旗を揚げる他なく。 「あ、ああ・・・・」 力なく、そう呟いていた。せっかく闘技大会への遠出を利用してカーマインとプチ★デートなるものをしようと 思っていたリシャールの淡い夢は、夢らしく形になる事なく無惨に散ってしまったのだった。 ◆◇◇◆ 開会の挨拶が終わり、俄かに闘技場内が活気付く。毎年、賭け事も行われるこの闘技大会は、娯楽が少ない事もあって 各国を盛り上げている。おまけに今年はバーンシュタイン王子に加え、その両隣を見目麗しい漆黒と紅蓮の王国騎士が 固めていた。水面のように穏やかな相貌の小柄な騎士と氷花のように怜悧な相貌の長身の騎士。正反対なようで 何処か雰囲気の似ている二人は口を閉ざし、目だけで互いの意思の疎通を行っていた。 「・・・・・・別に、喋っていても民には我々の会話など聞こえんぞ?」 無言を貫く護衛に、リシャールは告げる。実際、妙な気を起こした者がおいそれと近づけぬよう、場内が一望出来て 尚且つ、無関係なものが近寄れぬよう頑丈な柵で覆われた舞台の上に三人はいた。観客とも選手とも切り離された その空間で何か話していようと誰にもその内容は聞き取れる筈もない。が、オスカーならばとにかく、リシャールを 挟んで直立不動を保っているカーマインとアーネストは職務中に無関係な会話などはしない。 ただ黙って、場内を見渡している。辺りはとても賑わっているのに、この空間だけ何の音もない。それは逆に落ち着けない 状況だった。何でもいいから会話して欲しい。リシャールは目と言わず口でそれを訴えた。それに先に応えたのは、 まだ幾らか思考が柔軟な漆黒の騎士の方であった。 「・・・・・リシャール様、今は仕事中なんですが」 「それはそうだが、そんなお通夜みたいに静まり返られたら楽しいものも楽しくなくなる」 「楽しいもの、ですか。まあ・・・私も武人ですから興味がないわけではないですけど」 「・・・・・今年は逸材がいますかね」 「お、やっと喋ったなアーネスト」 カーマインにつられるようにして、黙り込んでいたアーネストは口を開いた。実を言えばアーネストの方がカーマインよりも 闘技大会に興味を持っていた。腕に自信のある者は、強く在りたいと思う一方で自分を脅かす存在を求めるのが普通だろう。 まあ、今は無理に求めずともカーマインとオスカーと言う良きライバルがいるしな、とアーネストは微かに笑う。 それは一時とはいえ非行に走っていた人物とは思えぬほど優しい微笑だった。カーマインはそんな彼の様子を横目で窺い、 頬を染める。何だかんだ言ってお互いにべた惚れな二人に挟まれ、今度は居心地悪そうにリシャールは眉を顰めた。 「・・・・・何か話せとは言ったが、妙な空気を出せとは言ってないぞ」 「みょ・・妙な空気って・・・・」 「全く、士官学校の時からお前はアーネストやオスカーとばかりつるみおって」 私はのけ者か?とリシャールはカーマインを軽く睨む。ぱちりと視線が合った瞬間、カーマインは先ほどとは 違う意味で顔を赤らめた。漆黒の騎士服を見事に着こなす凛とした表情が一転して純情な乙女のようなそれに変わる。 ますます、のけ者にされた気になってリシャールは溜息を吐いた。 「・・・・こんなに美しくも気高い主がいると言うのに困ったものだ」 「リシャール様、自画自賛の前にちゃんと試合を見て下さい」 「見ておるわ、失敬な。ま、私から言わせれば子供のお遊戯、だな」 「ご自身と比べないで下さい」 真っ赤になって黙り込んでしまったカーマインの代わりにアーネストは言う。それに子供のお遊戯、と十三の子供に 言われたくないだろう。少なくとも本気で戦っている参加者からしたら。今もこうして会話している間、参加者の予選が 執り行なわれている。魔法の爆音、剣戟、怒号、様々な音が混ざり合って耳に届いてくるのだが、 どうも心惹かれるものがない。技量はともかく、気迫というものもあまり感じられず、手誰の視線からすれば、 実に平坦で面白みの欠けた試合が続いていた。 「・・・・今年は収穫なし、か」 「まだ全参加者出てませんが?」 「それにまだ予選ですからね、ある程度は力を抑えてるのではないですか?」 「予選だからと言って手を抜くような奴は気にいらんな」 「しょっちゅうオスカーと仕事をサボって脱走している方の発言とは思えませんね」 じと目で王子殿下を見遣りつつ、アーネストは試合を見守る。一応自分は王子の護衛と次代の仕官に値する者が いないか判別する為にこの場にいるのだと自覚して。選手の一人一人を冷静に分析する。確かに今のところ リシャールの言う通り、使えそうな人材はいない。そんな事を考えている間に、最後の参加者の名がコールされた。 「次で最後か、最後くらい盛り上げてくれるといいのだが」 「まあ・・・残り物には福があると言いますし・・・」 「それは違うんじゃないのか・・・?」 真顔で少し的外れな発言をするカーマインにアーネストは思わず返した。それに「そお?」などと小首を傾げ、 聞き返してくる色違いの双眸にアーネストは内心で悶える。これが仕事でなければ、恐らく人目も憚らず カーマインの細い肢体を抱き締めていただろう。それほどまでにアーネストは幼馴染でもある彼を溺愛していた。 士官学校時代からそんな彼らをよく知っているリシャールはやはり妙な空気の中、一人居心地悪そうに 溜息ばかりを吐く。羨望の眼差しを一心に受けるバーンシュタイン重鎮にあるまじき実態を知らない民たちは ある意味幸せなのかもしれない。恐らく、知れば知るほど幻滅するであろうから。 ふと、姿勢だけは正しく会場を見守っていたカーマインの相違の瞳が軽く見張られる。 ちらっと横目でアルビノの瞳にアイコンタクトを計る。カーマインの視線を受けてアーネストも気持ちを切り替えて 会場を見遣った。そこには最後の参加者の姿がある。思っていたよりもずっと華奢で、そう言うなれば女のような少年が 長いプラチナブロンドの髪を靡かせ、一人立っていた。 「・・・・・あれは」 「・・・・何処かで見た顔だな」 「・・・・・・・・ああ、もしやダグラス家の長子、ではないか?」 一度ダグラス卿から紹介された事がある、とアーネストは言う。 「あー、言われてみれば・・・現役の頃のダグラス卿に雰囲気は似ているかもしれんな」 「元インペリアルナイトのダグラス様の子息なら、期待出来るのでは?」 「そうだな・・・ルックス的にも家柄的にも問題ない」 「ルックス・・・関係あるんですか?」 「馬鹿者、大いに関係ある。大体お前らを推薦した理由の大方がそのルックスの良さだ!!」 「「は?!」」 寝耳に水なリシャールの発言に、色の違う美声が綺麗にハモった。それも当然だろう。由緒あるインペリアルナイトが まさか実力以前にルックスで選ばれていたなどと聞かされては。しかしそんなカーマインとアーネストは放って リシャールはやおら語りに入ってしまった。曰く。 「大体考えても見ろ。王子たるこの私が毎日のように顔を合わせるのだぞ?! そこにむさくて不細工な男が選ばれようものなら、私はとてもじゃないが耐えられん!」 「そ、そんな物凄い私情で選出されたんですか、俺たち」 「私情だと?!そういうお前たちは四六時中禿げた親父やらマッチョに付き纏われて嬉しいと思うか?!私は御免だ!」 「「・・・・・・・・・・・・・・・・」」 想像してみたナイツ二人は確かにそれはちょっと嫌だ、と思った。呆れ顔が苦笑へとすり替わる。 が、しかし流石にそんな理由で選ぶのは公的な立場を持っている二人からすれば賛成出来た事ではない。 ふるふると小さく首を振る。 「ダメですよ、リシャール様。そういう偏見の目で人を見ては」 「全くです。ちゃんと中身も見て下さい」 「煩い。私だってそんな理由だけで選んでいるわけではない。それだけの能力を有しているかもちゃんと見ている」 失敬な。と口をへの字型に曲げ、リシャールは不貞腐れる。普段は本当に十三の子供なのかと疑うほどに 毅然とし、大人びているのに。カーマインとアーネスト、それからオスカーの前でのみ見せる年相応の姿に思わず 笑みを誘われる。くつくつと押さえきれぬ笑い声が両サイドから聞こえてきて、ますますリシャールの唇は不満げに 尖っていく。と、同時、鋭い斬撃音が会場に響いた。はっと三人は目を瞠る。 女のよう、と思った華奢な少年は鋭い一撃で予選の対戦相手を倒してしまった。しかも彼の手にしている獲物は 彼の体型に合わないと感じるほどの大剣。目を奪われぬわけがなかった。 「これは・・・いい拾いものかもしれん」 「そう・・・ですね、でも・・・・」 「?どうした、カーマイン」 言いにくそうにカーマインは口を開いた。 「いえ、あの子・・・・確かに強いですが、剣に少し迷いを感じます」 「そうだな。それに・・・・・」 「・・・・・それに、アレは男ではなく女だ・・・・か?」 カーマインに同意したアーネストが言いよどんだ台詞をリシャールが補完する。目が肥えた三人には例えどんなに 男らしく振舞ったとしても、女の子が男装している事を見分けられない筈もなく――― 「惜しいな、女でなければすぐさまナイツに推薦するものを」 「・・・・しかしあの子・・・・いえ彼女はナイツに適した能力を持っていると思いますが・・・」 「だが、ナイツの条件に心技体に優れた男、というものがあるからな・・・」 「「「・・・・・・・・・・・・・」」」 うーんと三人は同時に唸る。幾らなんでも代々受け継がれてきた掟をおいそれと破るわけには行かない。 ただでさえ、現ナイツは若すぎるだとかあんなに華奢で本当に強いのか?などと文句をつけてくる頭の固い 連中だって少なくないというのに。 「・・・・今回は見送って、条件を変えられるよう検討してみるか」 「そうですね。我々もまだ新米ですし・・・・もう少し発言力を有す必要がありそうです」 「それまでに彼女が他国に引き抜かれなければいいんだがな」 早くも小会議をしだした三人を余所に闘技大会は二次予選に入るようだった。一次予選を勝ち抜いた ダグラス家の少年・・・否、少女は控え室へと戻ってしまっていた。そこでカーマインは思い立ったように踵を返した。 「・・・・カーマイン?」 「少し、席を外します」 「・・・・・・・・・・・・・」 会釈して華奢な騎士は、姿を消した。紅と蒼二色の瞳がその背を暫く追っていたが、角に差しかかりその背が 見えなくなると正面に顔を戻す。二次予選の準備を始める会場を視界に捉えぽつり。 「カーマインは何処に行ったと思う?」 「ダグラスの長子の元かと・・・」 「何故?」 「一言で言うなら・・・・いつものお節介、でしょうかね」 やれやれと肩を竦め、アーネストは主君に応えを返す。それに得心したかのようにリシャールは頷き。 組んだ足の上に乗せた手のひらをトントンと叩き。 「アレのお節介は今も健在、か。お前は特に世話になっていたなあ、そういえば」 「・・・・・・・・昔の事です」 「ほんの二、三年前だろうがグレにグレてたアーネスト=ライエル君?」 「黙って試合観戦して下さい」 「はっは、またまた。カーマインが気になって仕方ないくせに」 「・・・・・・・・ッ。全く、意地の悪い」 僅かに頬を染めて、アーネストは余所を向く。昔を思い出して照れたのかもしれないし、いなくなったカーマインを 気にしている事を指摘されて照れたのかもしれない。もしくはそのどちらもか。いずれにしろ、居心地悪そうな アーネストを目にしてリシャールは笑った。 「そんなに気になるなら行ってくればいいだろう」 「・・・・職務を放棄するわけには・・・」 「何だ?お前は私があの程度の奴等にどうにかされると思っているのか?」 口端の三日月はより深まり。 「見くびられたものだな、この私も」 「・・・・・貴方が負けるところなど想像も出来ませんがね」 「なら行って来い。正直、お前がそこに突っ立ってると邪魔だ」 「・・・・もっと他の言い方は出来ないものですか」 心外そうな台詞も笑みを敷いていては、意味がない。結局、リシャールの言う通りにアーネストはカーマインの後を追い、 主賓席から姿を消す。廊下で誰かとすれ違う度、妙な熱視線を寄越されたり驚嘆の悲鳴を上げられたりしたが 気にせず。フレッシュマン部門の選手の控え室へと急ぐ。カーマインはどうしようもないほどお人好しで。 それが災いしていらぬ怪我やら心の傷を負ったりする事もある。あの、少年のふりをした少女は相当気が強そうだった。 何か酷い事を言われたりしていないといいが、そんな過保護染みた事を考えつつ、アーネストは目の前に迫った 目的の部屋へと入り込み。 「・・・・カーマイン」 名を呼べば、既にダグラス家の者と話していたカーマインは入り口の方へと視線をやり、笑う。 穏やかな水面のような優しいそれは見慣れていても胸を騒がす。 「どうしたんだ、アーネスト。リシャール様が呼んでるのか?」 「いや・・・お前が何処に行くのか気になって・・・・」 「ああ、また心配してくれてたのか。ごめん、彼・・・ジュリアン君に少し話があって」 「・・・・ジュリアン=ダグラスと申します・・・・・ライエル卿」 話を振られてジュリアンとかいう少女は、軽く会釈した。 「ジュリアン君もインペリアルナイツになりたいんだって」 「・・・・・無理は先刻承知。戯言をと笑ってくれても構いません」 「無理、というのは剣の腕の話か?それとも・・・・その体躯の話か?」 周りに人がいるので性別の話を出さずに尋ねれば、ジュリアンは迷った上で口を開く。 「・・・・恥ずかしい話、どちらもと言わざるを得ないかと・・・・。まあ、どちらかといえば体躯の方でしょうか」 「確かに少し華奢だけど、それだけで無理とは思わないよ、俺は。その理論で行くと俺こそナイツになれそうもないし」 「そうですね。フォルスマイヤー卿も相当細い・・・・なのにライエル卿と互角だったそうですね、士官学校で」 「ああ・・・・それは士官学校の模擬戦の話か?そういえば随分と試合が長引いたのを憶えている」 ジュリアンの呟きにアーネストは応えた。顎に手を添えて。 「だが、結局あれは俺が勝ったんだったな・・・・」 「卑怯な手を使ってね」 「卑怯な手?」 「そう、卑怯な手。知りたかったら意地でもナイツになるといいよ。君ならなれる筈だから。応援してる」 試合頑張ってね、と。とても自然な動作でジュリアンの長い前髪を払うと、露になった頬へと口付け。 憧れのインペリアルナイトとの会話を果たしただけでも緊張していた少女はすぐさま紅くなり。見届けていた アーネストも目を瞠る。そんな二人の様子を気に留めた風もなくカーマインは。 「勝ち抜けるように、おまじない。・・・・・必要なかったかな?」 にこ。綺麗な造形な顔で無邪気に笑む。それはある意味、攻撃に近かったかもしれない。 常人ならば即座にノックアウトさせられているだろう。しかも女性ならば尚更。つい先ほどまでの凛とした佇まいは 何処に消えてしまったのかと思ってしまうほどにジュリアンの顔は紅く、気が抜けてしまっている。 軽く突付けばそのまま倒れてしまいそうなほど、呆然としていて。アーネストは頭を抱えた。 意図的にやっているならオスカー以上に腹黒いとさえ感じる所作だが、当のカーマインにはきっと自覚がない。 こんな風に自分の知らないところで誰かを口説いてるんではないだろうか。考えるだけで胃が痛む。 「カーマイン・・・・少しは自覚しろ」 「・・・・・・・?」 「・・・・・・おい、後でこいつを使ってやってくれ」 懐の中から万能薬―パナシアを取り出すと闘技場の警備と案内役を兼ねた兵士に手渡し、未だに固まってしまっている ジュリアンの治療を頼むとアーネストは、不思議そうにしているカーマインを引き摺ってその場を後にする。 引き摺られている当の本人といえば、恥ずかしいからやめろなどと喚いているが気にしない。人通りの少ない廊下まで 出たところで漸くアーネストは手を離した。 「あっ!」 急に手を離されたのでカーマインは床にしりもちを着く。制服の裾に付いた汚れを払いながら立ち上がると 紅い瞳の同僚を睨み付けた。 「痛いじゃないか、アーネスト」 「・・・・・受身くらいきちんと取れるようになれ」 「・・・・・・・?何を怒ってるんだ」 「・・・・・本当に自覚がないんだなお前は・・・・」 まあ、昔からそうだったが・・・などと心労を滲ませた声で呟くとアーネストは振り返り、カーマインの制服の 胸倉を掴むと強い力で自分に引き寄せ。驚いて色違いの両目を見開いた少年が止める間もなく。 「・・・んっ」 唇を塞いだ。いつ誰が通るとも分からない廊下で堂々と。上に引っ張り上げられているため、どうしても踵が浮いてしまう カーマインは、足が付かない事にか、それとも人の気配を気にしてか、大いに焦る。目の前にある広い胸を力いっぱい 叩いて何とか離させようとするが、腰に腕を回されてしまえばそれは無意味な抵抗として終わってしまう。 「ば・・・か・・・離せ・・・・」 「自分は良くて、俺は駄目、か?」 「・・・・な、に・・・・」 「ダグラスにしていただろう?」 キス。耳元に囁いて、顔を窺えば漸くアーネストの言わんとする事が分かったらしく、カーマインはジュリアン同様に 顔を紅くした。ぽこぽこアーネストの胸元を叩いていた手を止めて、自分の顔を隠す。それでも指の隙間からは 朱に染まった頬がよく見えて。 「・・・・真っ赤だな」 「だ、だって・・・アーネスト・・・子供みたいだ」 「そうか?独占欲くらい、誰だって持ってるだろう」 首を傾げ、悪戯っぽく笑う表情は普段より幼く見える。 「・・・そういえば、あの時も真っ赤だったな」 「あの時?」 「士官学校の模擬戦だ」 「!」 思い出して、更にカーマインの頬は紅く染まる。今から二年前の士官学校時代の模擬試合で カーマインはアーネストと戦ったわけだが、実力伯仲だった二人の戦いはなかなか決着の時を迎えず。 その際アーネストは勝つために『卑怯な手』を使ったわけだが・・・ 「真剣に戦ってるところに耳元で『愛している』なんて言われたら動揺するだろう?!」 「戦場ではいつ如何なる時も平常である事。兵法の基本だろう」 「それは・・・そうだけど・・・・・卑怯だ。言われ慣れてないし・・・・」 驚いて剣取り落とすし、その隙に決められたし。当時を思い返して恨みがましく言う。 「・・・・慣れてない、ね。なんなら毎日言ってやろうか?」 「〜〜〜ッ、いい、絶対いらない」 「遠慮するな」 「いいったら、いい。そういうのはオスカーだけで充分!アーネストにまで言われたら頭パンクする!」 プルプル頭を振って嫌がるカーマイン。対するアーネスト、オスカーの名が出てまたも不機嫌になる。 が、闘技場の方から歓声が上がってきたので、気持ちを切り替え。 「そういや、仕事中だったな」 「そうですよ、アーネスト=ライエル卿、真面目に」 「初めに抜け出したのは何方でしたかな、カーマイン=フォルスマイヤー卿?」 してやったりとばかりに目を細め、仕事モードに切り替わったアーネストは持ち場へ戻ろうと踵を返す。 カーマインも火照る頬を気にしつつそれに倣った。しかし、その途中アーネストによって爆弾を落とされた。 「仕事中は真面目に。が、帰ったら覚悟しておく事だ」 「・・・・・え?」 「頭パンクさせてやろう」 にっこり微笑んで、また何事もなかったかのように戻っていく後ろ。カーマインはその言葉の意味を考え。 声にならない悲鳴を上げた。帰ったら待ってるのは恐らくある意味言葉攻めだ。それを思うともう既にパニックだった。 そんなカーマインの様子など手に取るように分かっているアーネストは忍び笑い。 「ジュリアン、応援してやるんだろう?」 「〜〜〜〜ッ」 「まあ、応援してる余裕があればいいが・・・な」 最後の呟きが、カーマインのその後を顕著に表していた。 リシャールの警護中、ジュリアンの健闘も目に入らず、ただただ自分のそう遠くない未来を憂いて。 頭がパンクするハメに遭ったそうな。 fin 闘技場でジュリアンと会わせよう!と思って書いたんですが何だこれ。 バカップルは押さえ切れませんでしたよ。オスカーはめんどくせ、とか言って アーネストの書類に細工しつつ城でのんびりしてます。マイペースな国や・・・。 Back |