花冠の姫君






それはウォルフガングを倒す少し前。
ラージン砦と迷いの森に囲まれた花畑の付近の空き地で野営をする事になった日の事。
簡易テントの設営を終え、各々が暫しの休息に入ると未だに年若い少年少女の部隊に慣れぬ一人だけ浮いた
銀髪の青年の元に、一人の少女が駆けてきた。漆黒の長い髪に白皙の面、そして特徴的なオッドアイの持ち主。
一度その姿を目にすれば二度と忘れられなくなるほど美しい容貌の彼女の名はユリア。実を言えば元男性である。

放っておけば死に逝く身の上だったユリアを救おうと皆でパワーストーンに願いを懸けたはいいが、その奇跡の力の
反動として、何故か彼女は男性から女性へと性別が変化してしまった。そんなわけでユリアは何とか元に戻る方法を検討中の身で
あるのだが、隣国の若き王の要請で対ウォルフガングの国王直属部隊として戦乱に参加しているため今はそれどころではない。
早く元の姿に戻りたいとは思うものの目の前の戦火を払う方が先だと全て後回しにしていた。

そのツケが回ってきたのか、初めはユリアの性別事情はごく一部の人間しか知る由もなかったのだが、ウェイン一行と共に
行動をしているうちに広く知られるところとなった。おかげで、戦乱の最中だというのに縁談が数多く舞い込んでくる次第。
それも男性から。先ほどもラージン砦のブロンソン将軍経緯でまた縁談を持ち込まれ、内心ユリアは辟易していた。
性別が変わっただけで世間の目もがらりと変わる。それはまるで自分自身というものを見てもらえてないようで侘しい。

けれど。今彼女の目の前に立っている青年は以前と変わらずに接してくれる。アーネスト=ライエル。元、バーンシュタイン王国の
精鋭騎士の筆頭、現在では国外追放の罪に問われる罪人。しかし、一時こそ曇っていたその眦は今では以前同様、
ルビーの気高く艶やかな光を帯びている。そして罪人と言うにはあまりにその気性はまっすぐで、何処か身の置き場所を見失い
かけていたユリアに取っては唯一とも言えるほど彼の傍近くは安らげるものだった。そのため、ユリアは必然と休める時には
アーネストの元へと身を寄せるのが習慣になってしまっていて。少しだけ戸惑ったような顔をしている彼に向けてユリアは微笑む。
そうすればアーネストの普段は硬い表情も縺れた糸を解くように和らぐ。

「どうした、ユリア?」

息急いて駆けてきた細身の少女を気遣うように柔らかな声音でアーネストは問う。それにユリアはバラつき、
肢体に纏わりついてくる長い髪を片手で押さえながらやや遠慮がちに答える。

「あ、あの。いつもみたいにまた一緒にいてもいいか?」
「・・・・・ああ、俺は構わないが。しかしウェインたちと一緒でなくていいのか?」
「う・・・ん。ウェインたちとはまた会えるかもしれないけど、アーネストとはこの戦いが終わったら会えなくなるかもしれないし」

だから今のうちに、と告げるユリアの顔に微かに憂いが帯びる。いつも穏やかに微笑んでいる印象が強い彼女のそんな表情は
痛ましく、アーネストの緋色の眼差しがそっと伏せられた。しかしそれはすぐに開かれ、引き締められた薄い唇に淡い苦笑が浮かぶ。
それは彼にしてはとても優しい表情で、目の当たりにしたユリアの白い頬が密やかに朱に染まる。

「では、遠慮なくお前の時間を頂くとしよう」

言ってアーネストは以前より少し低い位置にあるユリアの金銀の瞳を覗き込み、小さな手のひらをそっと自分のそれで掬い取った。
以前と態度は変わらぬが、しかしその所作は貴族の青年が淑女に向けるものだ。何となく、大事にされているような気がしてユリアは
擽ったさに小さく声を立てて笑った。本当の淑女なら恥らって控える仕種だがそれが逆に微笑ましくアーネストも微笑う。
ついさっきまで魔物を相手に戦っていたとは思えぬほどに、その場には和やかな空気が流れていた。しかし、不意に突風が吹き、
ユリアの長い髪が空に散らばり、乱れた。

「あー、もうまたぐちゃぐちゃ・・・・」
「・・・・・・・・また?」
「うん、ほら女の子になってから髪伸びちゃったでしょ?ちょっと強い風が吹くと直ぐこれでさ」

嫌になるよ、と言いつつユリアは荒れた髪を何とか手櫛で直そうとするがその手をアーネストによって
捕まれ大きな瞳を数度瞬かせる。それから不思議そうに、自分の事をじっと見下ろす青年の顔を見上げた。

「・・・・・何、アーネスト?」
「手では直しきれんだろう。何なら俺が結ってやろうか?」
「え、出来るの?でも、俺髪の毛結ぶもの何も持ってないよ?」
「・・・・・・・・大丈夫だ」

ユリアの言葉を半ば予想していたのかアーネストは何でもない風に返すと、黒い革コートの内ポケットから手のひらサイズの
紅い櫛と彼が持つにはあまりに似つかわしくない白いレースのリボンを取り出す。意外なものの登場にユリアは更に目を零れる
ほどに瞠る。桜色の唇もぽかんと開けられた。その様子をアーネストは少し居心地悪そうに横目で見遣り、コホンと一つ咳を漏らす。

「あー・・・言っておくがこれは俺の趣味じゃないぞ」
「え・・・・うん。でも、何で・・・・・?」

何故そんなリボンなど持ち歩いているのか。当然の質問にアーネストは滅多に動かぬ表情を微かに照れのものに変えると
ぽそぽそと説明とも言い訳とも取れる台詞を吐く。

「これは、その・・・・以前立ち寄った店でお前に似合いそうなものを見つけて・・・・それで買ったはいいが渡す機会がなくてな・・・・」
「俺のために買ってくれたの?」
「・・・・・・あ、ああ。俺が持っていても仕方のないものだ。だから、その・・・・あれだ、お前にやる」

かぁーっと普段は不健康なほどに真っ白い頬を耳まで紅くしながら、アーネストはそっぽを向く。その一連の仕種は妙に彼の冷静で
何処か冷たさを感じさせる常の印象と掛け離れていて。ユリアはそれを嬉しそうに見つめながら柔らかく口の端を持ち上げる。
アーネストの上着を掴んで引っ張り、自分の方へ顔を向かせると瞳を細め、女の子らしい表情で言う。

「ありがと、アーネスト。嬉しい」
「・・・・・・・・・ッ!う、後ろを向け。結ってやるから・・・・!」
「・・・・・・・・・・うん」

大いに照れているアーネストにクスクス笑いながらユリアは素直に背中を向ける。漆黒の髪が頭の動きに合わせて靡いた。
その一房を優しく手に掬うとアーネストは櫛を通し始める。サラサラと指先から落ちていく黒い絹糸のようなそれを伏せ目がちに
見送りながら何度も何度もそれを繰り返し、ある程度梳き終わるとそれを中央に纏めてから三束に分け、緩く一本の三つ編みにしていく。
上で纏めても良かったが、髪質があまりに柔らかくて結ぶのに苦労しそうだったので三つ編みの方を選んだ。端まで編んで、
最後にレースのリボンで先を蝶々結びにする。やや危なっかしい手つきではあったものの、生真面目な彼らしく丁寧に編まれた髪は
綺麗に纏まった。それを確認するとアーネストはほぅと安堵の息を吐く。

「・・・・・・出来たぞ」
「あ、本当だ。有難う、纏まって随分楽になったよ」
「・・・・・・・・・役に立てれば幸いだ」

くると向き直ってお世辞とは違う、お礼の言葉を紡ぐユリアのその素直な姿にアーネストは毒気を抜かれる。いつもは刻まれている
眉間の皺が消え、代わりに口元では綺麗な弧が描かれていた。彼のその表情を見る度、ユリアも心の中に穏やかな風が凪ぐのを
感じる。それからユリアは急にハッとしたように微かに開いた唇に手を当てた。

「・・・・・・・何だ?」
「あ、俺も何かお礼にアーネストにあげたいんだけど・・・・・ごめんね、何も持ってないんだ」
「いや、気にするな。別に見返りを求めているわけではない」
「うん、それは分かってるんだ。でも・・・・・あ、そうだ!」

ユリアはポンと自分の手と手を合わせて、にっこり笑うとアーネストの腕を取る。突然の事に今度はアーネストが驚いた。
銀髪を揺らしながら首を傾げる。それにユリアは曖昧に笑って誤魔化し、ぐいぐいとアーネストの腕を引っ張った。

「アーネスト、こっち。こっちに来て」
「おい、ユリア・・・・」
「いいから、こっちこっち!」





◆◇◆◇





元気よくユリアはアーネストを引き連れて、テントが設営された空き地から少し離れたところへと駆けて行く。何処に行くつもりかと
アーネストは慌てたが、そこから数分歩くと辺り一面花が咲き乱れた花畑に辿り着いた。淡く様々な色合いが融け入り、甘い香の香る
その場所はいかに無骨なアーネストといえど、その鋭い瞳を自然と和らげる。

「・・・・・・・これは見事なものだな」
「ね、綺麗な花畑でしょ。一年前の旅で見つけたんだ」
「・・・・ほう。ひょっとするとこれが先ほどの礼、か?」
「あ、ううん。お花畑も見せたかったんだけど・・・・・ちょっと待ってて」
「・・・・・・・・・・・・・・・?」

急に地面にしゃがみ込んでしまったユリアをアーネストは条件反射で目で追うが、パチと視線が合った彼女に
「こっち向いちゃだめ」と怒られたのでアーネストは仕方なく後ろを向き、下でごそごそ何かやっているユリアの事はなるべく
気に留めないようにして辺りに咲き乱れる見事な花たちを見遣る。風が吹く度に揺れ、花びらを可憐に散らせるそれへと目を
奪われた。その様はまるでユリアのようであったから。知らず眩しげにアーネストは目を細めた。
そして充満する甘い香りに酔う。暫しそうして花の観賞をしていると不意にユリアの、周りに咲く花以上に甘い声が届いた。

「・・・・・出来た!」
「・・・・・・・・・・?」
「あ、アーネストこっち向いて良いよ」

お許しが出たのでアーネストは振り返ると目の前にユリアの綺麗な顔があって心臓が跳ねる。そうとは気づかせぬようさり気なく
余所を向けば、可愛らしい声で「しゃがんで?」と言われ、アーネストは言われるままに身を屈ませる。するとふぁさと頭上に何か軽い
ものが乗せられて。何かと思い、手を伸ばすと何やらビロードの布のような触感がした。次いでぱらと薄桃色の花びらが数枚
落ちてきたのできょとんとする。

「・・・・・・・・・・・・・これは?」
「それね、急いで作ったから形崩れちゃったかもしれないんだけど、花冠」
「・・・・・・・花冠、か。俺には似合わんだろう・・・・・・」
「そんな事ないよ、綺麗綺麗v」

手を叩いてはしゃぐユリアの方がよほど綺麗な顔をしていて。アーネストは苦笑する。それから頭上の花冠をそっと外した。
名前は分からないが薄紅のボリュームのある薔薇に似た花弁の花が茎や葉と共に綺麗に編み込まれている。これならこういうものが
好きな年頃の少女たちならば大いに喜んだろうと指先で軽く撫でて。気に入らなかったのかと心配そうな作り主の顔をじっと見つめ、
アーネストは手にしたそれを漆黒の小さな頭へと乗せた。

「・・・・・・・・わ」
「ああ、やはり。お前にぴったりだな」
「・・・・・・・・要らなかった?」

花冠を頭に被せたユリアは唇を尖らせて少し拗ねた表情を垣間見せる。それが珍しいなとアーネストはユリアの頬を撫でて宥める。
それから戯れに、今まで撫でていた頬を軽く摘まんでみせるとユリアはぷうと更に頬を膨らませた。

「そう拗ねるな、お前がしていた方が可愛い」
「・・・・・・・・/////」
「お前の手で自ら俺のために作ってくれただけで充分嬉しい」
「・・・・・・本当?」

じっと下から上目遣いに見つめられ、うっとアーネストは一瞬息を呑む。その顔がとても可愛かったから。なのでゆっくりと頷くと
綺麗に、本当に嬉しそうに微笑み返す。

「有難う、ユリア」
「・・・・・・・でも、それじゃ結局お礼出来てない気がするんだけど」

右手と左手の指先をかち合せながらユリアがぼやくのに、アーネストは少し考えて。落ち着かないのか忙しなく動くユリアの左手を
捉えた。当のユリアは首を傾ぐ。頭上の花冠がそれに合わせて少しずれた。それを目で追いつつ、アーネストは捉えた細い指先の
薬指の付け根にそっと自分の唇を押し付ける。予想外の事にユリアは身を竦ませ、その反動でずれた花冠がぽとりと地に落ちた。

「あ、な・・・・・・何、何!?」
「・・・・・礼は頂いた。出来る事なら、その指を俺のために空けておいてくれると尚いいがな」
「・・・・・・・・!!?」

言葉の意味を理解した途端ぼん、と音がしそうなほどユリアは顔を赤くする。そしてアーネストの口付けを受けた左手の薬指を
右手で庇いながら口をパクパクさせ、信じられないような顔つきで縋るようにアーネストを見つめる。それにアーネストは満足して。

「・・・・・・元に戻れても、戻れなくとも。その気があったら覚えておいてくれ」
「もう、アーネスト!!」
「・・・・・・おっとそろそろ休憩時間は終わりだ。早く戻らねば」
「あ、こら逃げるなアーネスト!」

ご丁寧な事にユリアの落とした花冠を拾ってアーネストは駆け出す。それをユリアは顔を真っ赤にしたままでひたすら追いかけた。
しかし以前の身体なら追いつけただろうが男と女ではいかにユリアの身体能力が優れていようと追いつけはしない。
それが分かっててもユリアはアーネストを追い続けた。内心で実はまんざらでもないのを隠しながら―――






fin…?





趣味をぶつけまくってましたら中途半端に終わりました orz
ちなみに趣味と言うのは主人公の髪を結ってあげるアニーと
お花畑にいる二人と花冠とあとその他諸々です。
ユリアの話は基本的にほのぼので行きたい今日この頃であります。


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