偶には。 我侭を言って、優しさに甘えて。 存分に噛み締めてもいいだろう・・・? 息も詰まるほどの幸福を――― シフクノオト 知らなかった。 幸福が過ぎても、胸が苦しくなる事など。 お前に出逢うまでは。 ◆◇◆◇◆ 「・・・・・・アーネスト」 ローランディアとバーンシュタインの境に位置するコムスプリングスの街中にある別荘、といっても殆ど自宅といっても 過言でない私邸に響く、自分のものではない声。耳触りよく、低音でありながら涼やかなそれは聴いていてとても心休まる ものであるのだが。今はほんの少し、困惑混じりで弱々しいものになっている。そうさせているのは紛れもなく自分で あるものの、普段聴けぬその声に内心喜んでいた。こんな事、当人に知れたら平手打ちくらいは喰らうかもしれないが。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・ッ・・・・・・アーネスト」 ソファに深く腰掛けて、パラパラ書籍の頁を捲る。特に何の反応も返さず、黙々と読書を続けていれば、自身の目前に やや項垂れ気味に立つ青年の声がまるで縋るような音を為し、思わず口元が綻びそうになったがそこは我慢。 微かに上目遣いで青年の顔を覗けば、声の通り、今にも泣き出しそうな表情。もしそれが何か心を傷つけるような 悲しみによるものであったのなら、今すぐに腕の中に閉じ込めてしまいたくなるものの、彼がそんな表情をしているのは 俺が彼に対して怒っているからだと思い込んでいてのものなので、少し意地悪いかもしれないが今暫し静観していようと 思う。また、書籍へ視線を落とす。 「・・・アーネスト、ごめん」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・ごめん・・・なさい・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・ッ、許してなんて甘えた事言わないから、せめて顔を上げてくれないか?」 どんどん、必死さを増す柔らかで苦しげな声音。いくら、自分がそうするよう仕向けていたとしても、顔を見てればとっくに 折れてしまっているだろうと思う。自分で言うのも何だが、俺はこの何度も謝罪を告げる青年に弱いのだ。 それは惚れた弱みというものか。いや、そうでなかったとしても俺はきっとこの青年に逆らえはしないだろう。 彼が強い権限を持っているとかそういうわけでなく。ただ、彼が自分にとって、自分の生涯の主にとって感謝しきれぬ 救い手であるから。誰よりも強いのに、誰よりも弱いから逆らう事など出来なくなってしまう。危うい感覚でバランスを 保っているから、知らず知らずのうちに支えてやりたくなるのだ。それは一種の庇護欲といったものだろうか。 そんな事を考えながら、本当は全く目を通していない書籍の頁をまた一枚捲る。 「・・・・・・・・・アーネスト!」 「・・・・・・!」 いい加減、痺れを切らしたのかパッと手に持っていた本を取り上げられた。それを緩い動作で見送っていれば、ストンと 今まで立ち尽くしていた青年が目前に腰かけ、手を俺の肩に付く。 「怒るのは、分かるけど・・・話くらい聞かないか!」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・自分から逢おうって言っておきながら、半日以上も待たせて悪かったって思ってる」 しかも君忙しい時に、と付け足して青年―カーマインは言う。確かに、自分は中々逢瀬の叶わぬ彼との約束を心待ちに していたし、多忙に多忙を重ねたような殺人的なスケジュールを文字通り身を粉にしてこなし、無理に都合をつけたという 過程もあるが、実を言うと別に彼の遅刻を怒ってはいない。彼は自分以上に多忙だと知っているから。それに彼の 母親や妹が彼が自分の元へ来るのを邪魔しているのも知っている。だから、半分はひょっとしたら今日彼に逢う事は 不可能かもしれないと思っていた。そんな中、大分待たされたとはいえ、顔を見れて満足すらしている。それなのに こうした悪態ともいえる態度をとっているのはただ、ほんの少し悪戯心が沸いてしまっただけ。彼の困る顔を 見てみたいとそう思っただけなのだ。そうとは知らぬカーマインは未だに返事が返らない事に不安らしく綺麗な双眸を 揺らしている。そして目が合えば再び開かれる薄紅の唇。 「・・・・でも、これでも何とか手を尽くして・・・・って言い訳をしたいわけじゃないんだ」 「ならば、何がしたい」 流石にこれ以上無視していては可哀想だと、本当ならば声に出して笑いたいくらいの気持ちを抑えつつ、抑揚のない 声音で問えば、それでも返事が返った事に対し安堵したのか、幾分カーマインの瞳に光が灯る。 「・・・・・・許さなくてもいいから・・・・・君が望む事を」 言われて、その内容の意外さに思わず瞠目するがすぐに表情を戻して。きゅうとどこかに捨てられそうな子犬のような 表情をするカーマインに心の奥深く、決して表に出さない部分が満たされる。先ほどの通り、全く怒ってなどいないが この提案に乗らないのは勿体無い。故に怒ったフリをする。眉根に皺寄せて、唇をきつく引き結んで。 「・・・・それは俺の望みならば何でも聞くということか」 わざと、冷たい声音で言い放てば、一瞬カーマインは肩を竦めるもののこくりと一度大きく頷いた。どうやら本当に 何か一つ我侭を聞いてくれるらしい。いつもならば、言えない事も今なら言えるとなると何を願うか多少迷う。 それ以前に自分は彼に対しあまり具体的な望みなど持っていない。本当に漠然とした事ばかり。例えば、 常に自分の傍にいて欲しいだとか、幸せであって欲しいだとか、そんな程度。何をして欲しい、何をしないで欲しいなど あまり考えた事がない。人によっては俺の願いなどとても些細だと言うかもしれないが、しかし見ようによっては それはとても傲慢な願いで。何故なら叶える事が困難だから。それではどうすべきか、と思い悩み続けていれば、 ふと思い至る。願いを聞くといってもこれ一回きりだ。永続的な願いでなくもっとすぐ叶えられて尚且つ、普段彼が してくれなさそうな事を望めばいいのだと。ならば。 「・・・・・・そうだな、なら一つだけ」 「・・・・・な、何だ?」 ぴょこっと飛び跳ねるように身を乗り出したカーマインの動きがあまりにも可愛らしくて、堪えるのも大変になってきた。 必死に口元を顎に手をやると見せかけて隠しながら、震えそうになる声音を腹に力を込めて押し止め、告げる。 「・・・・・・ここに座れ」 「・・・・・はぃ?」 ポンと自分の膝を叩いて見せれば、カーマインは大きな瞳をさらに大きくし、裏返った声を漏らす。 きっと自身が想定していた事と全く違ったのだろう。驚き固まる姿は滑稽を通り越してやはり愛らしいものがある。 「・・・・聴こえなかったか?だからここに座れと言った」 「ここって・・・・・アーネストの膝に・・・・・か・・・・・?」 確認するように、というよりは呆然と呟くように吐かれた言葉。本当のところをいえばそれだけでもかなり満足出来る ものであるのだが。こんな機会は滅多にないので我侭を通す事にしよう。 「そうだ、早くしろ」 「・・・・・・・・・・・〜〜〜ッ」 急かすような台詞にカーマインはようやく不服そうに重い腰を上げ、ゆっくりと俺の膝上に乗り上がる。 が、しかし。背を預けるように座られてしまい、それでは自分の望みと少し違う。なので、ピシリと。 「違う」 「・・・・え?」 何が?そう言いたげな表情。それをきっぱり無視して要求に付け足しをする。 「向きが逆だ」 「逆って・・・アーネストの方を向けって事か・・・・!?」 何だか抵抗があるのか、真っ赤な顔で問われて。しかしそれも気が付かないフリでそうだと淡々と返す。 そうすればカーマインはうぅと小さく唸りつつも根は素直であるからのそのそと緩い動作で身体を反転させた。 小さな肢体が膝上で向き直り、頭が胸に預けられる。ふわと首を漆黒の滑らかな髪が擦った。 「・・・・・こ、これでいいのか?」 「ああ、それから。絶対に動くなよ?」 「・・・・・・・ええっ!?」 過酷さが増す要求に奇声が戻ってきたが、もうここまで来てしまえばとことん我侭を言わせて貰おうと思う。 律儀に身じろぐ事を止めた身体に、こっそりと笑んで、しかしそれだけで満足しきれず、ついと背筋を指先で辿る。 するとしなやかな背はビクリと震え反り返った。次いで近づいた頬へ口付け、這うように唇を移動させ耳を食めば、 一瞬視線が交わり咎めるような眼差しを寄越され。しかし今立場が強いのは自分であるから差して意識せず。 「・・・・動くなと言ったろう?」 抵抗しようという動作を見せるカーマインに牽制を入れれば、うっと決まり悪そうに一言漏らし、掲げた腕を ゆっくりと下ろした。その間にも首筋へと口付けを落とし、大人しくしているカーマインへと性質の悪い悪戯を 施していく。 「・・・・・・ふぅ・・・・・・・・・」 低く漏れた吐息に、再び微笑んで無意識に離れようとする肢体を抱き留める。 「・・・・アーネスト、もういいだろう・・・・・・」 「だめだ、俺の気が済むまでは、な」 戯れな触れ合いが苦しくなってきたのか、カーマインは止めるように言ってくるが、こちらとしてはまだまだ 解放する気などない。しかしこれ以上は流石に後で怒られそうなので、抑える事としよう。 最後に膝上の身体を引き上げて、啄ばむように唇を貪り、本当に抵抗する気力すらなくしたらしいカーマインを その日一日、俺は腕に抱き続けていた。普段ならば到底叶わぬ幸福に胸は潰れるほど喜びを表現していた。 知らなかった。 幸福が過ぎても、胸が苦しくなる事など。 お前に出逢うまでは。 そしてこの痛みこそ、何にも代えられぬ至福であると・・・・・・。 fin アニーさん強気というか姑息というか子供というか。 なんとも言えない出来になりました。下手をすれば裏行きですよ(危ねぇー!) アンケートのお礼だと言うのにこんなんで申し訳ございません(土下座) |
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