ホワイトデーの悲劇 「・・・・・しまった」 麗かな小春日和。 思わず眠くなってしまいそうな陽光が窓辺から差し込む頃、 手にした書類の日付を見て男は固まった。 3月12日。 紛れもなくそう書かれている。何度、目を凝らして確認しても昨日提出された書類にくっきりと。 つまり本日は3月13日という事で。そしてその翌日は・・・・。 「ホワイトデーじゃないか」 忙しさにかまけて、すっかり忘れていたがそれはもう目前まで迫っていた。とっさに部屋に備え付けられた 柱時計へと視線を遣る。まだ正午をやっと過ぎたというところ。今ならまだ、お返しの贈り物を買いに行く時間は充分ある。 気づいてよかった、と心底思いながら男はガタンと黒革張りの椅子から立ち上がった。普段は片付いている机上には まだ未処理の書類の山が幾らか残っていたが気にしない。素早い動作で春用の薄いコートを羽織って部屋から出る。 「・・・・・参ったな、まさか忘れているとは・・・・」 記憶力には自信があった筈なんだが、と一人ごちながら、まるで憤慨でもしているかの如き早足で以って長い回廊を 突き進む。カッカッカッと高らかに靴音を響かせる彼に誰一人として声を掛ける者はいない。呼び止めでもしようものなら その紅い眦で睨み返されるのがオチだと皆が分かっているからだろう。触らぬ神に祟りなし。結局男はまだ職務中にも 関わらず、誰に静止される事もなく、城門を潜り抜けた。 ◆◇◇◆ 賑やかな界隈を、横目で見ながら通り抜ける銀髪の長身が、可愛らしい一軒の雑貨屋と思しき店の前で止まる。 ガラス張りのショーウィンドウには白いフリルの台座に腰掛けるビスチェの姿や銀製のアンティークがそれはそれは 煩くならない程度に調和を取りながら飾られていた。女性なら、まず迷わず中に入るだろうと思うほど。 逆を言えば、男性にはとてもじゃないが入れない雰囲気が漂っている。当然の如く緋眼の男は、躊躇いを感じていた。 「・・・・・・・・・・・・・」 出来るなら、入りたくない。ただでさえ目立つ風貌をしているというのに、こんな店の中に入ろうものなら確実に浮く。 おまけに王都内で自分の顔を知らない者は恐らくいない。瞬く間の内に噂が広がる事だろう。そうなれば、親友・・・というか 悪友の同僚が黙っていない。どんなに無視しても弄り倒してくる事は火を見るよりも明らかで。想像するだけで、胃が痛む。 けれど。困った事にお返しをすべき相手――カーマインが好きそうな店だった。年の近い妹がいるせいか、彼は アンティークの小物などを集めるのがちょっとした趣味になっていて。少し意外に感じながらも微笑ましく思ったのを覚えている。 「・・・・・・・・・・・・・・・ッ」 それでも、なるべくならここは避けたい。が、今の今までお返しの事をすっかり忘れていた罪悪感が惑わせる。 うんうん唸りながらも結局、意を決してドアノブに手を伸ばす。未だかつてこんなに消極的な自分は初めてかもしれない、 そんな事を頭の片隅で考えつつ男は細かな装飾の施された金色のノブを掴み、扉の上方に括りつけられた ベルを鳴らすようにドアを開けようとした、その時だった。 「あら、もしかしてライエル卿じゃない?」 「!??」 急に後ろから名を呼ばれて慌てて掴んだドアノブを離す。それから、首だけを捻って後ろを向く。 そこには以前、世界を二度目の混乱が襲った時、共に戦った女性が一人、立っていた。手にたくさんの荷物を抱えて。 瞬間、アーネストの脳裏に嫌な予感が過ぎった。 「こんなところで会うなんて珍しいわね、何か買いに来たの?」 「・・・・・・・・まあ、な。お前もそうなのか?マリウス」 「ええ、ウィンドーショッピングを少々。それにしてもアナタ、随分似合わない店に行くのね」 「・・・・・・・・・・・・・・関係ないだろう」 ぼそっと、そう返すのが精一杯なアーネストに対し、リビエラは繁々とアーネストの真後ろに立っている店を観察していた。 ちらちらとアーネストと見比べてそのギャップに失礼にも笑みを零している。若干ムッとしながらも、ここで声を荒げれば からかいの的にされる、とアーネストは文句を言いたい気持ちを押さえ、黙し続けた。ふと、リビエラが店に貼られたポスターか 何かに目を留め、合点がいったように目を瞬く。 「・・・・・何だ?」 「アナタ、もしかしてホワイトデーのプレゼント買いに来たの?」 「・・・・!」 「図星のようね。そこの店にホワイトデーの贈り物に・・・なんて書いてあるからそうだと思ったわ。 暫く乙女イベントに参加してなかったからすっかり忘れてたけどホワイトデーね。お熱いようで羨ましいわ〜」 たっぷりと含みを持たせて見上げてくるリビエラの鳶色の瞳に耐え切れず、アーネストはふいと横を向いた。 しかし、めげずにリビエラは回りこんでアーネストの視界に潜り込んでくる。 「ね、騎士様に何贈るか決まってるの?」 「・・・・・・・・まだ、だ。だが、お前には関係あるまい」 「なんならアタシが選んであげるわよ?・・・・荷物持ってくれたら♪」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 がさりと両腕に持った紙袋を揺らしてリビエラは尋ねる。いや、尋ねるというよりはもう半ば脅しっぽい。 目を逸らすたびにリビエラはアーネストの赤い瞳を追ってくる。荷物を持ってやるまで付き纏われそうだ、とアーネストは 本気で思う。よもやこの自分に荷物持ちをさせようとする女性がいるとは、とアーネストは呆れているのか感心しているのか よく分からずにふぅ・・・と実に重い溜息を吐いた。それを了承の意だと取ったのかリビエラは手に持った紙袋を ズイっとアーネストの胸に押し付けてきて。本当に、大した奴だ。薄い唇が苦笑を浮かべ、胸に押し付けられた荷物を 受け取る。中身は大半が服か何かなのだろう。かさばるものの、大して重くはない。 「・・・・・全く、いい根性をしている」 「あらぁ、天下のインペリアルナイト様に褒められちゃったわ、リビエラ照れちゃーう」 「お前、女でなければ今非常に殴りたいんだが」 「おほほ、まさか女性には紳士的にと取り決められたナイツ様がそんな真似されるわけないわよね?」 再びも無言の脅しを受け、アーネストは降参とでも言いたげに肩を竦めた。とことん使われてしまう運命なのかもしれない。 鼻歌でも歌いだしそうなほどご機嫌なリビエラはで?と身軽になった腕を後ろで組んで首を傾げた。 「結局、そこは入るの?入らないの?」 「・・・・・お前は・・・女ならホワイトデーに何が欲しいものなんだ?」 「そうねえ。キープ君でも貢ぐ君でもなく彼氏からなら指輪とか時計とかアクセサリー・・・かしらね」 参考までに問うた答えの中にキープ君やら貢ぐ君といった不穏な言葉が混ざっているのに、アーネストは瞠目した。 女ならもっとプラトニックな恋愛をしろと言いたくなるが、堪える。基本的に他人の事に口出しするほどお節介な性格には アーネストは出来ていない。それはともかく今のリビエラの発言からすると、この店よりは貴金属を扱った別の店に した方がいいのかもしれない。何も無理にここに決める必要もないのだし。プレゼントの類なら男の意見より女の意見を 優先すべきだろう。一人納得してアーネストはゆるゆると首を振った。 「ここには寄らない。別のところにいく」 「あ、そう。本当はここに入りたくなかっただけじゃなくてライエル卿?」 「・・・・・・・・・・・・煩い」 「あっそういう態度取るわけ、知らないわよー。 今度サンドラ導師にアナタが今まで騎士様にやらかした事全部ばらされても・・・・ムグッ」 今度は無言でなく、本気で脅してきたリビエラの口をアーネストは慌てて押さえつけた。何処で誰に聞かれているとも 知れない中で騒がれては困る。もし、サンドラの耳にそれが入れば、恐らくいや絶対にアーネストの命はない。 以前、カーマインに呼ばれて彼の実家に招待された時、アーネストはそれは見事に牽制されたのだ。あの、穏やかな 美貌がカーマインが目を逸らした一瞬、極悪面に変貌し、がしりと肩を掴まれた上で、耳元にぼそりと。 『うちの息子に手を出したら首と胴が離れ離れになると思って下さいね、ライエル卿?』 呟かれた瞬間感じた悪寒は今でも忘れられないトラウマとなっている。大体、既に手を出したあとに言われても困るというもの。 サンドラから威圧される以前にもう何度あの華奢な肢体をこの腕に抱いて眠った事か。恋人の艶やかな姿を思い出して 僅かに口端を歪めつつ、アーネストはうーうー唸って抗議しているリビエラの口から手を外してやった。 「ごっほ・・・・ちょ・・・なんて事してくれるのよアナタ。紳士が聞いて呆れるわね!」 「生憎、自分から紳士だと名乗った覚えはないな」 「ああ言えばこう言う男ね。何で騎士様はアナタなんかがいいのかしら。不思議だわ」 あんなにモテるのに。心底不思議そうに失礼な事をぶつくさ言いながら、リビエラは詰まった息を整えつつくるりと踵を返す。 一瞬怒って帰るのかと思ったアーネストだったがそうではないらしい。スッとリビエラは向かいの少し離れたところになる店を 指差した。どうやらそこに行けという事らしい。 「何処に行くんだ?」 「行けば分かるわよ」 「まあ、そうだろうが・・・・」 行ってみて分からない店なんて怪しい店に決まっている。そうでなければ一目で大抵分かるものだろう。 分かっていながらも若干腑に落ちぬ様子でアーネストはリビエラの後ろを少し距離を開けて追った。 ◆◇◇◆ 「・・・・・・おい」 店の前に着いて、アーネストは咎めるように低い声でリビエラを呼ぶ。呼ばれた本人はといえば実に楽しそうに アーネストを見ている。流石は女版オスカーといったところか。アーネストを堂々とからかう術と実力を持っている。 改めてアーネストは視線を店に・・・正確には店の看板へと移す。そこにはリビエラ以上に威風堂々と『ランジェリーショップ』の 文字がいっそ何処か誇らしげに刻まれていた。どう考えても男を連れてくるような店じゃない。 「荷物は持つと言ったが、こういう店には頼むから一人で寄ってくれ」 まさか、こんなところでまで荷物持ちをさせる気なのだろうか、この女は。恥じらいがないにも程がある、と幾らか軽蔑を 滲ませた目でアーネストはリビエラを見下ろす。それにリビエラは笑いながら首を振った。 「あら、言っとくけどアタシの買い物じゃないわよ」 「は?」 「そういえばさっき一つ思い出したのよ。最近はバレンタインやホワイトデーの贈り物って結構様変わりしててね。 アクセサリーっていうのも悪くはないけど・・・今の流行は断然下着ね。ランジェリーよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「あ、何よ信じてないの?嘘じゃないわよ。諜報部の情報は確かよ!」 一体何を調べてるんだ、バーンシュタインの影の騎士団は。力なくそう突っ込みを入れるとアーネストは来た道を 戻ろうとする。大体下着を贈るとしてもここは女性ものの下着しか売ってない。そこで一体何を選べというのだろうか。 どうせからかう事が目的で連れてきたんだろう。それなら長居は無用だ。そう思ったのに、背後から伸びた腕にコートの 襟を首が絞まるのではないかと思うほど強い力で引っ張られる。 「・・・・・ッ!!?」 「お待ちなさい。このアタシがわざわざプレゼント選びに付き合ってやってるんだから、逃げるんじゃないわよ!」 「ちょ、おま・・・首、首が絞まる・・・・ッ!」 「逃げないって約束するなら離してあげてもいいけど?」 その言葉にアーネストはこくこくと出来うる限りはっきりと頷いた。恐ろしい事にこれと似た経験をした事がある。 紫髪の男によって。改めてアーネストはリビエラの恐ろしさを知った。ぜーぜーと失われた酸素を必死で取り込む。 そんな彼の様子にはまるで頓着せずリビエラはいそいそと店の中に入ろうとする。 「おい・・・待て。まさか本当に入るのか?」 「あったり前でしょう」 「し、下・・・ゴホン。インナーを選ぶにしてもここには女物しかないだろう。贈る相手が誰か忘れたわけではあるまい?」 「じゃあ聞くけど。アナタ騎士様がガーターベルトを着けて目の前に現れたらどう思うの!」 「!!」 ガカッと。アーネストの背後を真昼にも拘らず、雷撃が走った。それほどまでに衝撃的な質問だった。 あの、カーマインがガーターベルトをしていたらだと?想像してみる。あの白く細い腿を締め付けるレースのベルト。 ストッキングが付いてると尚良し。おまけに黒だったりしたら相当にいい眺めだろう。それを更にベッドの上に座らせてみる。 心持ち脚を崩させて女座りとかさせたらもう思わずガッツポーズしてしまうほどだ。想像だけで腹が膨れるどころか 鼻血まで吹きそうだった。流石に多少は理性があるのでぐっと目を閉じて堪えるが。 「ライエル卿、今まで散々アナタを弄ってきたから信用がないかもしれないけど、アタシはこれでもアナタと騎士様の仲を 純粋に応援しているのよ。特にアナタ、不幸に不幸を背負ってきたんだから、こういう時くらい幸せにならないと!」 「・・・・マリウス、俺はどうやらお前を誤解していたようだ。すまない」 「いいのよ、分かってくれさえすれば。そうとなればさっそく騎士様に似合う下着を選びましょう」 「ああ」 類が友を呼んだのか、はたまた騙されているのか。熱く語りだすリビエラに共感したようにアーネストは恥じもなんのその。 堂々と女性下着店に足を踏み入れ、論議に論議を重ね華やかで且つ、セクシーな黒と白のガーターベルトを一枚ずつ 選ぶと何かの達成感すら感じながら晴れ晴れとした表情でお買い上げに漕ぎ付けた。その際、店の中で好奇な視線や、 「あれ、ナイツのライエル様じゃない?」「まさかライエル様がこのような場所にいるわけないわ」などとご婦人方にひそひそと 噂されていた事にも、その後その噂を聞きつけたオスカーにからかい倒される事も現在、妄想という素敵な世界に 浸りきっているアーネストにとってさしたる問題ではなかったようで。 翌日、ホワイトデー当日。 プレゼント選びのために半日以上費やしてしまったツケを取り戻すべく修羅場を迎えたために、直接手渡しに行く事の 叶わなかったカーマインへの想いの限りを書き連ねた何枚にも渡る愛の手紙が入った分厚い封筒とエレガントな包装を施した プレゼントの箱は偶々ウェインに会いに城へと訪れていたアリエータによって彼の元へと届けられた。 初めは嬉しそうに受け取った彼がうんざりするほど長い手紙と箱の中身に常は柔和な笑みを引き引き攣らせるのはまた別の話。 ◆◇◇◆ おまけ 「・・・・・・や、やっと読み終わった。長い、長いよアーネスト・・・・」 分厚い封筒の中身をようやく読み終え、カーマインは脱力した。ぐったりと机の上に自らの肢体を投げ出す。 艶かしい黒髪が縦横無尽に広がった。それを真上から見ているティピは身体と同じく投げ出されている手紙の傍まで 降り立つとちらとそれに目を留め、それからカーマインに向き直り。 「アンタも律儀ねえ。一体何枚あったの、手紙」 「数えてないけど・・・二十枚は優に超してた気がする・・・」 「二十枚!?実はあの人ヒマなんじゃないの?」 「いや、忙しくて来れない事を便箋数枚に渡って謝罪してくれたよ・・・・」 そう語るカーマインの瞳は何処か虚ろだ。 「あっそ。そういえばプレゼントの方は何が入ってるの?バレンタインのお返しでしょ?お菓子?」 「明らかにお菓子狙いだなお前は・・・。でもこの装丁じゃそれはないと思うけど・・・・」 「ちえー」 期待が外れて不貞腐れるティピに笑みを零しながら、カーマインはアーネストからの贈り物を丁寧にリボンや包装紙を 外し、開いてみる。瞬間、一緒に見守っていたティピと共にカキーンと氷付けになったように固まった。 「・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・り、立派な下着ね・・・・」 ひくひくと口端を震わせながらティピがなんとか口を開く。 その声でやっと意識が戻ってきたらしいカーマインは恐る恐る小さな親友に尋ねた。 「なあ、これ・・・・どうしろって言うのかな・・・・」 「贈られてきたからには着ろって事なんじゃないの・・・・?」 「・・・・・・・・俺が?」 「アンタが」 再び意識が飛びそうになる。 「き、着ろという事だとして!着て俺にどうしろと?!!」 「そりゃあ・・・・『これを着て俺を愉しませろ』って事なんじゃないの?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 半ばどうでもよさげにティピは呟き、カーマインは重い重い頭痛に悩まされた。 贈りつけられてきたそれをカーマインが実際に着て贈り主を愉しませたかどうかは誰も知らない――― fin…? バレンタインに更新が出来なかったのでホワイトデーこそは!と 書きましたがアーネストが修正効かぬほど変態ですみません。多分彼は リビエラ嬢に騙されてます。流石です、女版オスカー。 本当はこれの裏バージョンも書きたかったんですが間に合わないと思うので止めました。 でもいつかガーターベルトプレイを・・・ゲフフン。何でもありません。 あ、ちなみにタイトルの悲劇はカーマインにとっての悲劇です、一応。 |
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