明日、世界が終わってしまうと知っていたら。
自分は今日をどう生きるのだろう。

明日、世界が終わってしまう可能性は常に溢れているのに、
悲哀を愛する筈の人間は、それを考えない。

明日、この指先がぴくりとも動かせず、目を開ける事すら叶わず、
後悔だけを湛えて朽ちる事を、人は考えない。

明日、世界が終わってしまうと分かっているなら。
自分はどんな終わりを望むだろうか。


嗚呼、叶うならどうか・・・・・・




きっと夢にも似た祈り




生温い、何かが自分の頭の下を流れている。
気持ち悪い。そうは思えど、頭を動かす事もままならなかった。
起き上がる事すら出来ず、空は果てなく遠い。

指先をせめて焦がれるように晴れ渡った青に伸ばしたくとも、爪で砂利を引っ掻くだけ。
身体は人に比べれば大きな方に入る筈だが、今の自分はあまりにも小さく感じた。
こんな事を考えるのは、きっと自分の生命力が著しく低下しているせいだろう。
心身共に満足している時に、人は自分の命を客観的に見たり、明日自分が死ぬかもしれないという事を、
そうは考えないものだ。そんな事ばかり考えて生きていたら、きっと笑う事も出来ない。
今この時のように、息が詰まる。嗚呼、こんな苦痛に瀕している時こそ、会いたい、彼に。

「・・・・カー・・・マイン」

呆れるほどに掠れた声が、みっともなく響く。
空になんて指が届かなくてもいい。本当に自分が触れたいものはそれではない。
苦痛を緩和するように思い出した彼に触れられれば、それで。
触れたい、触れたい。血を吐くように願えば、力を込めた四肢がほんの少し浮く。
嗚呼、どんなに悲観に満ちていても、人とは結局生き汚いものなのだろうか。
望まぬ死を受け入れぬ身体は、先ほどまでの衰弱振りが嘘のようにゆっくりとけれど確実に動く。

地面から離れた頭は、今までその下を通っていた生温い『何か』が、
自らの肢体が垂れ流していた『血』だと知った―――



◆◇◇◆



事の起こりは、あまりにも今の状態から掛け離れた事からだった―――
ただ、いつものように王都から今や自宅代わりに住んでいる別荘へと帰る途中に通りかかる道中で
見つけた花が目に留まったのだ。幸福を意味する白く可愛らしい、姿。
それを渡したい人物の顔が浮かび、一輪だけ摘み取った。振れば小さく鳴りそうな、鈴のような形。
花に詳しくない俺でも分かる、スズランの花。早めに持ち帰って水につけておけば、数日は持つだろう。
そんな事を思いながら、迂回した道を戻り、岐路に着こうとしたその時。常とは違う事態が起きた。

ごく稀にある事だが、インペリアルナイトと言う栄職に就いていると、敬われ羨望されると同時に、
一部の人間に酷く妬まれたり、恨みを買う事もある。そうでないにしても、ある程度は国を左右するほどの権限を
有するが故に、命を狙われる事も少なくはない。大抵、そういう行動に出る奴らは命知らずが多いわけだが・・・。
久しぶりの休暇を得て、身体を休めようとしていた俺を待ち構えていたのはその命知らずな連中だった。

「アーネスト=ライエルだな」

こういう場合、そうだとでも答えてやる方が気が利いているんだろうか。ざっと周囲を見渡し、相手の数を
確認しながら軽く思案する。誰かに雇われた傭兵か、それとも反体制の不穏分子か。辺りが山道と言う事もあり、
伏兵が隠れているとなれば十数名はいるだろう。戦場であれば百の兵でも相手取る事は可能だが、
今は疲労している上に、場所があまり良くない。

対して狭い場所でも戦えるよう、短刀を構えている男たちがじりじりと距離を詰めてくる。刃渡りは20〜30センチ前後となると、
よほど深く刺し貫かれなければ死ぬ事はない。となれば、僅かな傷でも命を奪えるよう、刃先に猛毒が仕込んであるだろう。
身の安全を図るならば、奴らを近づけてしまうのは得策ではない。だが、伏兵の存在を考えると、何処で狙撃態勢に入って
いるかも分からぬ状況で動かずにいるのも危険と言えるか。考え得るあらゆるパターンを試行錯誤した上で結論を出す。
とにかく、この場所はまずいという事だ。木々が密集していては、満足に剣が振るえない。自分の戦闘スタイルを
考えると最低でも自分周りの5メートルは確保しておきたい。

敵前逃亡と取られるのは癪だが、自分の戦いやすい地形までは逃げた方がいいだろう。
リングウェポンに働きかけ、武器を具現化する。途端に襲撃者が殺気立つ。鋭く睨み据え、進行方向にいる
邪魔な連中だけ先に片付けようと駆け出そうとして、不意にスズランの存在が気になった。
普通に考えればそんなものに気をとられている場合ではない。けれど、花の意味合いを考えるとどうにも
無碍には出来ず、さっと懐にしまい込む。道端に落として踏みつけるような真似はしたくなかったからだ。

気を取り直し、今度こそ駆け出す。思った通り複数が斬りかかって来たが、一撃も喰らうわけにはいかない。
体力を消耗しすぎないよう、最小限の動きで躱し、人垣をすり抜ける。斬りつける、では当たらないと
踏んだのか、何人かはダガーを投げてきた。上半身ではなく、小癪にも足元を狙ってくる。実に面倒くさい。
早くこの道を抜けなければ。更に加速し、足場の悪い地面を蹴りつける。長く伸び、進路を邪魔する枝を
適度に斬り払い、なるだけスピードを落とさないよう注意すれば、徐々に後を追ってくる連中の足音と喧騒は
小さくなっていく。そこでふと疑問に思う。本当に俺の命を狙っているなら、誰か先回りさせておくものでは
ないだろうか、と。この程度の襲撃でまさかどうにか出来ると思われるほど甞められているのか?

不愉快さに眉間を寄せれば、光が強くなる。山道の終わりが近い。結局、追いつかれる事もないまま、
鬱蒼とした木々の間を抜けると、人通りは殆どないものの、それなりに広い街道に出た。街までもう僅かだ。
ここで待って一息に叩いてやろうかと、僅かに乱れた呼吸を整えていると、人気のないそこに一人の子供が立っていた。
迷子だろうか。街はそう遠くないし、可能性としては低くはないだろう。いざこざに巻き込まれる前に、この場から
離さなければならない。泣かれたり面倒な事にならないよう、気を遣いつつ、声を掛ける。

「・・・君。こんなところでどうした?迷ったのか?」
「・・・・・!」

出来るだけ声のトーンを和らげて話しかけたつもりだが、見たところ7、8歳前後の少年は俺を認めると震えた。
鳶色の瞳でじっと俺を見上げ、それから何かを躊躇うようにしつつも、頼れる者が他にいないと思ったのか、
ゆっくりと此方に近寄ってくる。そして、少年は言った。

「御免なさい、ライエル様」
「!」
「こうしないと・・・ママのお薬が貰えないんだ・・・・」

ああ、どうやら俺は敵の罠に嵌ったらしい。誰かを先回りさせるのが普通だと分かっていた。だが奴らが用意していた
仲間は普通では考えられない、幼子だった。恐らく母親が病気なのだろう。その治療費を出す代わりに、
俺を待ち伏せるよう言いつけられていたようだ。近寄ってくる際、麻酔か何かを染み込ませた針で軽く刺された。
ぐらりと視界が歪む。あらゆる色彩がマーブル状に混じり合う。足元がふらつき、立っているのも辛い。
子供が今にも泣き出しそうな顔で俺を見ていた。子供にこんなふざけた真似をさせる連中に腹が立つ。
もう間もなく、その連中も追いついてくるだろう。呂律が回らないながらも何とか声を絞り出す。

「・・・・おい。お前の・・・仕事はも・・・済んだ、ろう・・・早く帰・・・れ」
「でもっ」
「いいから・・・ここにいては・・・お前も巻き込まれる。早く・・・しろ・・・」

剣を支えに、辛うじて地面に膝を着けることなく立ったまま。しっしと子供に向けて手を払う。
この手の下衆な真似をするような連中が、素直にこの子供の母を助けるだろうか。そんな筈がない。
このままこの場に留まっていれば、口封じとして俺と共に闇に葬られるのがオチだろう。
幾らなんでもこの状態で子供を守りながらは戦えない。そう思い、追い払っているというのに、
少年は責任を感じているのか、立ち去ろうとしない。不本意だが、致し方ないか。支えに使っていた剣を鞘から
抜き放ち、少年に向けて突きつける。鳶色の瞳が怯えた猫のように瞳孔を開いた。

「死にたくなければさっさと行け!」
「うっ・・・・」

子供が向き合うにはきついだろうほどの怒号で言い放てば、突きつけられた刃と相まって恐ろしくなったのか、
少年は漸く街の方へと逃げていった。ほっと一息つく。そして、いやに回りの早い薬に対抗するために、
麻酔針を刺されたところに刃を立てる。内腿を自分の動きを殺さない程度に、けれど眠気を飛ばすくらいに痛む程度に
深く切っ先を埋め、力を込める。血が、地面に向かって落ちていく。少しは麻酔も流れただろうか。痛みにさえ
集中すれば、なんとかやれそうだ。そこで漸く先ほどの連中が追いついてきた。否、むしろあの少年が与えられた仕事を
こなすまで待っていた、という方が正しいのかもしれない。それほどまで、男たちの顔には余裕の笑みが滲んでいた。

「ああ?おい、まだ立ってるじゃねえか。ガキはどうした」
「・・・・・あの少年なら・・・仕事は果たしたぞ?殺すつもりなら、追わせるわけにはいかん」

男の中の一人が、威圧的な口調で問うてきたのに、内心苦労しつつねめつけたが、いかんせん今の状態では
きっと常のようには相手を怯えさせる事は出来ないだろう。自分の不調を隠すだけで精一杯だった。
足を血が流れる感触が過ぎる。傷口が熱を孕み、朦朧とする意識が吐き気を齎して、いまだ嘗てない不快感が
自身を侵していた。しかしそれ以上に込み上げてくるのは、相手の卑劣なやり口に対する憤りだ。
剣の柄を強く握り締め、今にも眠りに落ちそうになる身体を奮い立たせる。

「・・・・貴様ら、一体誰の回し者だ」
「そんな事、これから死ぬアンタには関係ねえだろう?」
「・・・・・・そうだな。これから答える事も出来なくなるんだからな、貴様らは」

視界が霞んでよく見えない。それ故に今、きっと瞳は鋭く細められているのだろう。何人かが僅かに身体を
揺らした気配を感じた。一人も逃すわけには行かない。ここで取り逃がせば、あの子供の命を奪われるだろう。
彼のした事こそ許せるものではないが、だからといって死なせてしまうのは忍びない。
そこまで考えて、ふと自嘲が零れた。自分の事よりもあの子供の事を気にしている自分に。
きっと、女子供に甘いカーマインに影響されたのだろう。彼ほどのお人好しと共にいれば、自然とそれが
伝染してしまう。俺が丸くなったと言われる所以はそこにあるのだろう。

「・・・何を笑っていやがる?」
「別に?・・・・・馬鹿な奴らだ。俺一人死んだところでこの世界は何一つ変わらないのに」
「何だと・・・っ?」

本当に、そう思う。国外追放に処された時も、世界は変わらず回っていた。俺がいなくなっても、世界には
何の影響もない。混乱するのはほんの一瞬の事。どんなに必死に生きても、大きな世界からすればその懸命さは
あまりにも些細な事でしかない。それでも、自暴自棄にはならない。世界が俺を排除しようとしても、
俺には還らなければならぬところがあるから。こんなところで、死ぬわけには行かない。殺されない。
俺にはその義務と意思がある。視力は捨てて、気配だけで相手の動きを読み取る事に集中する。
殺気だけは、目を瞑っていても感じる事が出来る唯一の気配。数はざっと十二、か。

「・・・・・ナイツの実力、甘く見るなよ?」

決まり文句を告げて、足を踏み出す。自分で傷つけた腿が痛むが、泣き言は言っていられない。
何が何でも生き残らなければ。例え、またこの手を他人の血で汚しても。罪人と呼びたければ呼べばいい。
人殺しと蔑みたければ好きにすればいい。他人の評価に一体何の意味がある。人が世界を守ろうと
する事はあっても、世界は人を守ってはくれない。だからどうしても死ぬわけには行かなかった。
世界を救った英雄と言われる彼を、世界はきっと守ってはくれないから。ならば俺がしぶとく生き残って
彼を守る他ない。常に自身に言い聞かせている誓い。

場所が広くなったせいか、襲い掛かってくる連中も武器を中型の剣に取り替えてきたらしい。
相変わらず毒は仕込んであるのだろうが。攻防を共に兼ねる構えで以って応戦する。腕は悪くないが、抜きん出ている
わけでもない。いつものコンディションならば、歯牙にかける事もないほどの手応えだが、今はそれなりにきつい。
せめて魔法補助があればわけないんだが、とぼやきつつ、右で剣を受け止め、左で斬り付ける。

短い悲鳴が鼓膜を掠った。生暖かな体液が飛び散ってくる。幾重にも人間を斬って来たが、どうにも肉を断つ感触は
慣れない。五感が鈍っているというのに、鮮明に剣を握る指先に絶命の瞬間を伝えてくる。
一人、二人と数を減らしていけば、そろそろ逃亡を図ろうとする者が出てくる頃か。気配をしっかりと捉えながら、
攻撃の手を一度休め、防戦に徹する。弱い者こそ力の差を見れば逃げ出すし、逆に押していると思えば引かない。
少しずつ敵の陣形が自分に寄ってくるのが分かる。後もう少し、耐えれば勝機が見える。

感覚を研ぎ澄ませているせいか、麻酔による眠気は飛んできたが、今度は腿からの失血で疲労が増す。
こんなに息を乱しているのは久しぶりかもしれない。ぼたぼたと足元に赤い斑点が築かれていく。
空は思わず仰ぎたくなるほど青いのに、この場はこんなにも血生臭い。それなりの人数を相手にしているせいで、
多少腕が痺れてきた。しかしその甲斐あってか、敵が密集してきた。弓兵も、敵味方が入り乱れている為、
狙撃を諦め、魔法補助の為に間を詰めている。漸く片をつけられそうだと薄く笑んでやれば、
刃を合わせている男の一人が目を丸くした。こちらの思惑に気づいたのだろうか。だがもう遅い。

「・・・・・ご苦労だった、安心して冥土に逝け」
「!」
「骨まで凍てつき、砕けるがいい・・・・・ブリザード!」

射程範囲に全ての敵が納まった瞬間、氷系最強魔法を唱えてやれば、範囲内に巨大な魔方陣が出現し、
その空間だけ世界から切り取られたかのように氷付けになっていく。びきびきと空気に亀裂が入る音が小気味良い。
生きながらに凍りつく痛みと窒息にその死に顔は酷く歪む。中には、俺が呪文詠唱をしていないのに、何故とでも
問いたげに不思議そうな表情をしている奴もいる。そういえば、自分も昔そんな表情をした事がある。
どんな大魔導師も、魔法は詠唱しなければ発動出来ない、一般的にはそう思われてきた・・・・が、実際は頭の中に
魔法の具現化を正確にイメージさえ出来れば、言霊にする必要なく、魔法は発動出来る。しかし、その分精神力が
問われるのだが。それを知ったのは、実際に呪文詠唱なしで魔法を発動する者に出会ったからだ。

「・・・・・・イン」

小さく、その名を呟けば魔方陣は音もなく姿を消す。残されたのは僅かな雪の名残と、氷付けにされた者の身体だけ。
凍死か窒息死か。どちらにしろ、ろくな死に様ではないだろう。断末魔の叫びすら、氷の奥に閉ざされて。
確認のために、転がっている躯の数を数える。十二、あればいい筈。本当は一人くらい生かしておいて背後関係を
洗おうかとも思ったが、今はそんな余裕がなかった。苦痛の為か死に顔が醜い躯を端から数える。
ああ、そういえばいつからこうして死体を平然と見れるようになったのだろう。流石に初めのうちは、心臓が震えたというのに。
いつの間にか、そういう感情は薄れてきてしまっていた。今まで手に掛けてきた者の顔を全て憶えているかと言えば
答えは否だ。それだけ多くの命を散らしてきたという事だろう。平和な世に生まれていればこんな経験もする事は
なかったのだろうか。ぼんやりとそんな事を考えていれば、ぶるぶると一部の筋肉が震える。

「・・・・?」

怯えによるものでも、武者震いでもない。言うなれば、疲労によるもの、だろうか。どうやら、詠唱破棄の魔法は
自分が思っている以上に心身に負担をかけるものらしい。思わず武器を取り落とす。じわりと汗が噴き出し、
息が上がり、眩暈がする。よくカーマインはあんな細身でこの苦痛に耐えられたなと改めて思う。耳鳴りがしてきた。
そこで漸く気づく。躯の数が一つ足りない。

「ッ!」

気づいた時には、遅かった。五感の鈍りと疲労により気配を感じ取れなかったが、一人生き残りがいたらしい。
武器も地面に落としていたため、矢が自身の肩を貫くのを、止められなかった。痛みはない。けれど、これには毒がある。
動けば、毒が回る。早く措置を取らねば、命に関わる。それは分かっていたが、思いもよらず狙撃に成功した事を
喜んでいるらしい男を取り逃がすわけにはいかなかった。恐らく、黒幕の元へと戻るか、その前にあの少年の
口を塞ぎに行くか。前者ならばいい。後者ならば何が何でも止めなければ。視界の端で男が踵を返そうとするのが移り、
とっさに地面に落ちている賊たちのダガーを一つ拾うと、それを逃げようとする男の背を目掛けて投げた。

「ぎゃあ!」

野太い声が響く。仕留めたか。もう確認する気力もない。毒が回り始めたのか。足に力が入らず、崩折れる。
こんな風に跪いたのは、初めてかもしれない。身体中から血の気が引いていくのが分かった。
抗体があれば、毒状態でも耐えられるのだろうが、残念ながら自分にはそんなものはない。早く血抜きして
毒を出さねばと分かっているのに、身体が思うように動かない。とりあえず肩に刺さった矢を抜く。生暖かい朱が散る。

「ぐっ・・・」

足を穿ったように、肩も貫かなければならない。自分の獲物は非常に長い。それ故自分で刺すとなると難しい。
ぶるぶると腕の奮えを抑えられぬまま、柄ではなく、手で握っても深くは切れない鍔の部分を握って長さを調節し、
毒矢を受けた傷を抉る。痛みに耐える為に、強く奥歯を噛み締めた。歯の奥で悲鳴にもならぬ、呻きが響く。
声として発散出来ない点では周囲に横たわる連中と一緒か。そう思うと不意に自分が酷く下卑た存在に思えてくる。
剣を抜けば、勢いよく血が吹き出た。辺りが凄惨に彩られる。まるで自分こそが殺された者のような錯覚を受けた。
その滑稽さに笑みを浮かべれば、限界が訪れたのか、目を開けている事が出来ずに、この一角の景観に
馴染むように自身の身体が地面へと叩きつけられた。



◆◇◇◆



そよそよと風を頬が過ぎ、瞼を上げる。自分としては暫く意識を失っていたように感じていたが、空の色を
見る限り、そんなに時間は経っていなかったらしい。肩からはまだ血が流れている感覚がある。
毒は抜けたのだろうか。僅かに痺れが残ってはいるが、意識ははっきりしてきていた。
自分から香る血臭が、気分を悪くさせる。頭の下を何か生暖かいものが流れているが、動かせぬ身体では
それが何かを確認する事も出来ない。このままでは、何れ失血死してしまう。それでは死因が変わるだけで、
運命は全く変わらない事になる。死ぬわけには行かないというのに。

傷口を押さえる事さえ出来ず、身体から血が抜けていく。血は、生命と直結している。失われれば、
生命も危うくなる。頭が理解しても、行動に移せなければ意味はない。帰れなければ、意味がないのに。
例えばもし、ここで俺が死んだら。世界は何も変わらない。けれど、彼は泣くだろう。綺麗な顔をくしゃくしゃに歪めて
泣くだろう。目を腫らして、泣くだろう。そんな事に、俺は耐えられない。

俺の目が届く場所でも、届かぬ場所でも、彼に泣かれたくはない。慰める事も出来ないとなれば、尚更。
だから、俺は死ぬわけには行かない。彼が悲しみに暮れるのは、ほんの一時かもしれない。
それでも、死ぬわけには行かない。どうしても、死ねない。空はこんなに青いのに、とてもとても青いのに。
自分だけが赤に染まっていく。生き延びなければと思うのに、生命力はどんどん失われていく。
人は死に掛けて初めて、生きる事がどれだけ尊いか知る。

生きていれば、愛しい者の傍にいられるのに。笑い合う事も出来るだろう。喧嘩する事も出来るだろう。
同じ夢を見る事も出来るだろう。この腕にその存在を抱く事も出来るだろう。なんでもない事に幸せを感じる事も
出来るだろう。生きていれば、きっと人が思っている以上に、出来ない事よりも出来る事が多いのだろう。

「・・・・カー・・・・マイン」

声が皺枯れる。苦しい。それでも、このままでいるわけには行かなくて、力を込める。
こんな死に様は認められない。こんな時になって漸く考えた、自分の理想の終わり方。
その理想の終わり方を迎えるまでは、自分は生き続ける。全く動かなかった四肢に力が戻ってきた。
ゆっくりと起き上がり、地面を彩る赤を見送る。自分の身体からこれだけの血が流れ出たと思うとぞっとしない。

息を震わせながら、そう遠くない筈の街を目指す。力の入らない足を引き摺りながら、血の痕を刻みながら、
前だけを見て、少しずつ少しずつ岐路へと着く。自分がこれほどまでに執念深くなれるのは、全てカーマインの
おかげだろう。一時期は死んだっていいと思うほど自暴自棄にもなった。それでも今は彼がいるから生きようと
思えるようになった。生きる事にみっともないほど必死になれる。

「・・・・・・・ぅぁ・・・・」

痛みが麻痺して地面に足がついている感触すら分からない。しかし、足を止めるわけには行かない。
自分の死を認められない限り、足掻き続ける。けれど分かっている。誰しもが足掻いたところで、絶対に自分の
理想の終わり方を迎える事が出来るわけではない。その証拠か、身体が一歩足を踏み出すごとに重くなっていく。
まるで死へと誘うように。何度も倒れそうになりながら、その度に最後の気力で踏み止まる。
街まであとどれくらいだろうか。顔を上げてみれば、空はいつの間にか青から茜色へと変わろうとしていた。
あまり歩いた気もしないのに、時間だけは徒に過ぎていく。

「・・・・・・・・・・・・・」

限界だった。汗すら掻けぬほど衰弱した身体はやがて重力に沿うように、地面へと再び叩きつけられた。
その衝撃で懐にしまっていたはずのスズランが姿を現した。肩から溢れる血で染まり上がって、白い花弁は
どす黒い赤へと変色してしまっていた。これが幸福を運ぶ花だと言われて誰が信じるだろうか。
清く瑞々しかった香りも、血の匂いに掻き消されてしまっている。幸福どころか不幸の象徴の如き有様。
これは流石にカーマインには渡せないなと思う。元はと言えば、彼に喜んで欲しくて摘んできたのに。
世の中、なかなか思う通りには行かない。

もし、この不幸な色の花を受け取ったら、彼はどんな顔をするだろう。怒るだろうか、呆れるだろうか、それとも
俺を罵るか。いっそ、それでもいいと思う。彼に会えるなら。それでも、構わない。
この指先がぴくりとも動かせず、閉じた瞼が二度と開けなくなる前に彼に会えるなら、最高の状況とは言えないが
神を恨んだりせず、死ねるだろう。意識が遠い。力の抜けていく瞼を閉じようとした瞬間、鳴る筈もない、
スズランの奏でる幸福の鈴の音が聞こえた気がした。



◆◇◇◆



温い、何かが自分の頭の下に存在している。
心地良い。血の匂いの中に、身体の芯まで解れそうな甘い香りが漂う。
一体何か、確かめようと目を開けば、てっきり空が映るだろうと思っていた両眼には、違うものが映っていた。
それは、ずっと会いたいと思っていた人物の優しい色違いの瞳。

「・・・・・?・・・・・イ・・・ン」

声は相変わらず枯れたまま。目の前の幻影とも思える彼の人の名を呼べば、月の輝きを封じた瞳が
細められ、やがてそれは水彩画のように滲む。ぽたぽたと大粒の涙が、滲んだ瞳から溢れ出し、弧を描いて
落ちてくる。よく、涙を真珠に喩えるが、今自分の目に映るそれは、もっと美しいものに思えた。
かと言ってとっさに比喩出来るほど饒舌ではない為、それは叶わないが。拭ってやらなければと思うのに、
拭ってしまうのが惜しく感じるほど、綺麗で。伸ばしかけた手は途中で止まってしまった。
すると、その手にしなやかな指先が絡む。両手で包まれて綺麗な顔が覆いかぶさって来る。

「・・・・・よかった」

可哀想に、震えて上ずった声が耳に届く。何か声を掛けてやりたかったが、言葉が出てこない。
代わりに抱き締めようと腕を伸ばせば、ずきりと痛んだ。そこで思い出す。自分が瀕死であった事に。
けれど今こうして生きている。意識を失うその瞬間まで思い描いていた愛しい者がすぐ傍にいる。
何故だろう、思考を巡らせれば、また思い出す。そういえば今回の休暇は前々から予定が分かっていた。
だから、もし都合がつくようならと彼を自分の別荘へと招待していたのだった。本当に来ているとは思わなかったが、
ずっと待っていても帰ってこない俺を心配して探しに来てくれたのかもしれない。

「よかった」

今度は自分が言う。カーマインは未だ涙を湛えたまま、不思議そうに俺を見た。
少しだけ身じろげば頭の下で温かいと思ったものが、カーマインの腿だと知る。道理で心地よかった筈だと
見当違いな事を考えながらも、怪我をしていない方の腕でカーマインの頭を引き寄せる。
それから耳元にそっと呟いた。

「・・・・もう、・・・会えないかと思った」

言えば、カーマインの瞳にまた涙が浮かぶ。

「それはこっちの台詞!
ずっと待ってたのに、なかなか帰ってこなくて・・・・心配して探してたら、
男の子が泣きついてくるし、アーネストはこんな事になってるし」
「・・・・・男の子?」
「・・・・・君がここにいるって教えてくれた。よく分からないけど・・・君が危ないって・・・助けてあげてって」

ぐすぐすとしゃくり上げながらカーマインは言う。そこで分かった。どうやら彼を呼んで来たのは、初めにここに
立っていたあの少年だ。恐らく、罪の意識に耐え兼ねたのだろう。カーマインが光の救世主と呼ばれている事を
知ってか知らずかは分からないが、助けを求めたのだろう。時間が掛かったのは、他に助けを求めた者が
相手にしなかったのかもしれないし、それとも少年が助けを呼ぶまでに色々葛藤していたのかもしれない。
それもそうだろう。事の顛末を知られれば、自分も裁かれるかもしれないのだから。それでも彼は最後には助けを
呼んでくれた。その勇気に今は感謝しておく事にしよう。

「どうしたんだ・・・アーネスト」
「・・・・いや、何でもない。今回ばかりは本当に危なかったようだ」
「本当だよ。俺、アーネストがこんなにボロボロになってるの初めて見たし・・・・」

するりと今はどうやら手当てが施されているらしい、傷痕をカーマインの指先が辿る。

「・・・・まあ、半分以上自分でやったんだがな」
「え?」
「何だその目は・・・別に俺は自殺願望があるわけでもマゾでもない・・・・毒を受けたから仕方なく・・・だ」

じっと不審なものでも見るようなカーマインに釘を刺せば、ぱちぱちと大きな瞳が瞬かれ、それから多少の
呆れが混じる。何で毒なんて受けるんだとでも言いたげだ。流石に俺とて心身共に万全ならばそんなミスはしない。
麻酔で身体の自由の大半を奪われていたからだ。しかし今は言い訳を述べるよりも、この心地よい熱に
浸っていたかった。ゆっくり目を閉じる。けれど、そのせいで心配になったのかカーマインの表情が歪む。

「アーネスト・・・?」
「・・・・ああ、心地良かったから目を閉じただけで、別に・・・死ぬわけじゃない」
「本当に?」

声が枯れている事もあって、カーマインには俺がまだ危険な状態にあるように思われているらしい。
安心させようと、勿体ないと思いつつ、柔らかな腿から頭を離し、怯えている為にか常以上に華奢に見える
肢体を抱き締めた。肩や足が僅かに痛むが今はどうでもよかった。

「もう・・・大丈夫だ。俺は・・・お前が望む限り・・・死なない」
「本当に・・・・?さっきだって血まみれの君を見つけて・・・心臓止まるかと思ったんだぞ」
「すまなかった。でも・・・死ななかったろう?」

どうも悪運が強いらしい。笑いながら言えば、腕の中の存在は少しだけ肩の力を抜いた。
次いで、ごそごそと何かを漁りだした。

「・・・・これの、おかげかもしれないな」
「それは・・・・」

カーマインがポケットから、俺が摘んできたスズランの花を取り出して見せてきた。

「君が倒れてるすぐ傍に落ちてたんだ・・・」
「・・・・・お前にやろうと思って摘んだんだ。だが・・・・血みどろになってしまったな」

取り戻そうと手を伸ばせば、さっと避けられた。何故だろうと顔を窺えばカーマインは自分が予想していた
どれでもない反応を返してきた。

「これ、くれるんだろう?有難う」
「・・・・・しかし、血が・・・・」
「確かに綺麗とは言えないけど・・・・アーネストがくれるなら、何でも嬉しい」

そう告げて、赤茶けたスズランを握り締めながらカーマインは無邪気に笑う。血みどろの花でも大事そうに
扱ってくれる、笑って受け取ってくれる彼に、思わず涙を流しそうになった。けれどもっとその笑顔を見ていたかったので
込み上げてくる涙を必死で押さえ、柔らかな微笑を見守った。どう考えてもついてない一日だった筈なのに、
とても幸せな気持ちになりながら―――



明日、世界が終わってしまうと知っていたら。
自分は今日をどう生きるのだろう。

明日、世界が終わってしまう可能性は常に溢れているのに、
悲哀を愛する筈の人間は、それを考えない。

明日、この指先がぴくりとも動かせず、目を開ける事すら叶わず、
後悔だけを湛えて朽ちる事を、人は考えない。

明日、世界が終わってしまうと分かっているなら。
自分はどんな終わりを望むだろうか。


嗚呼、叶うならどうか・・・・・・


血みどろの花さえも微笑んで受け取ってくれる、優しい彼を腕に抱いて、
静かに静かに終わりたい。例え愚かと罵られても。
最期の瞬間までどうか傍に―――


それはきっと夢にも似た祈り。







fin…?



なんだか訳分からん話になってしまいました。アレ?
こうとある日のインスピレーションで血みどろの花を泣きながら受け取る
カーマインの姿が浮かんでこれだー!と何故か自分はGOサインを出しました・・・アレ?

さらっと書かれてますがアーネストさん人を殺めております。
しかしこの世界はどうも正当防衛は罪に問われないようなのであまり重々しい
感じではありません。サンドラ様の研究所取り戻そうとした時も人殺めても
罪に問われなかったので恐らく、自分が命の危機だ!という時に反撃するのはむしろ当然という
弱肉強食の世界だと思うのですが・・・この世界の司法機関がどうなってるのか気になります。
むーん。でもアーネストも何だかんだでお人好しなので当然胸は痛んでます。はい。
最終的にアーネストはカーマインが大好きというお話(あれれ)

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