世界を救った光の救世主。
容姿端麗、頭脳明晰、無敵常勝。
絵に描いたような完璧さを誇る英雄。

けれども。
そんな英雄にも弱点はある。
それは―――





アキレウスのアキレス腱






不穏な動きを見せる傭兵部隊グランツェンシュトゥルム壊滅の任を受けたウェイン一行に加わってまだ間もない、
光の救世主と人々に崇めたてられている年若い青年は、森の中の移動の際、足元でカサリと蠢いた影を目にすると
普段は全くといっていいほど表情を変えないポーカーフェイスに分かる者にしか分からぬ程度に険のある表情を浮かべた。
おまけに元々白い肌が薄暗い森の中の所為というのを差し引いても、色が失せて見える。

偶然それを彼の隣で見ていた一行のリーダーである、青臭さの抜けぬ少年―ウェインは心配そうに青白い青年の
顔を覗き込んだ。普段は白いとはいえ健康的な肌色が失せると、あまりに美しい造作の顔つきをしている事も相まって
まるで精巧な鑑賞人形のように見え、余計に不安を煽る。

「あの、カーマインさん・・・・大丈夫ですか?」

声を掛けられて初めて気づいたように、カーマインは自分を見上げているウェインを意識して見遣った。
途端に顰められた表情は、何事もなかったとでもいうように常の無表情へと切り替わる。ウェインは嘆息した。
どんなに無表情を貫いても顔色は隠しようがない。本人もそれは分かっているだろうに不調というのを告げようとは
してくれそうになく。信用されてないんだろうかと思わざるを得ない。

「・・・・・もうすぐ、野営の準備に入りますから」
「・・・大丈夫だ」
「顔色悪いですよ?」
「問題ない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

気遣う台詞にはすぐさま気遣い無用、という言葉が返ってくる。まさしく打てば鳴るような早さで。
ふう、とウェインは一息吐いた。どうやら普通の対応では救世主殿は落とせないらしい。そうなっては仕方ない。
あまり使いたくはなかったが、彼の妹から聞いている情報によれば、救世主殿は可愛いものと年下には甘いとの事。
それは利用しない手はない。特に男なのに童顔で可愛いなんて言われているウェインにとったら、尚更。
眉間に皺寄せ、上目遣いに再度淡々としたカーマインの顔を見上げた。

「・・・・カーマインさん」
「・・・・・・・・ッ」

微かに、一行の足音にかき消されそうになりながらも、年下オーラ全開のウェインに、年下には滅法弱いカーマインが
うっ、と呻くのが聞いて取れた。内心ウェインはガッツポーズを決める。この調子で畳み掛ければ救世主殿は落ちる、と
確信して。その証拠に青白いカーマインの頬につうと冷や汗が滲んでいる。次いでポーカーフェイスが崩れた。
何処か困ったような顔。この機を逃すかとウェインは瞳を光らせ、更にじっと無言でカーマインを見上げ続けた。
すると、折れたようにカーマインは目線を一度泳がせて片手で自身の顔を覆い隠す。

「・・・・・・・・本当に、体調が悪いわけじゃないんだ」
「じゃあ何でですか」
「・・・・・・・・・・ここは皆がいるから、後で話す」
「本当ですか?約束ですよ」

若干、恥ずかしそうにカーマインが頬を朱に染めたのを見咎めて、ウェインは笑った。勝った、とでも言いたげに。
逆に負かされたとも言えるカーマインはその何とも言えぬ歯がゆい照れから逃れるようにすたすたと前を歩いていく。
意外に分かりやすい照れの隠しようにウェインは自身が年下である事も忘れ、自分の前をさっさと歩いていってしまった
青年を何て可愛い人だろうと思う。そして遠ざかる背中を見つめる琥珀の瞳に、若干の邪な光が浮かんでいたとは
ウェインに背を向けて先を行くカーマインには到底気づける筈もなかった。





◆◇◇◆




「で、結局何だったんですか?」

本日の野営場所を決め、テントを張り、夕食を採り、各々あらかじめ決められた場所に見張りの交代時間まで
睡眠を取る頃になってようやくウェインが自分と同じく見張り番であるカーマインに向けて問う。何故こんなに間が空いたかと
言えば、野営の準備が思いの外忙しかった事と、カーマイン自身がウェインから出来うる限り逃げ回っていた事が
理由として挙げられる。しかし、どんなに逃げ回ろうと流石に見張り番を一緒にされてしまえば逃げようもなく、救世主殿は今
こうして改めて森の中で顔色が悪かった理由を問われる事になっていた。じっとウェインが森の中でしていたように、
カーマインを上目遣いに見つめている。カーマインは居心地悪そうに、そして観念したように大きな溜息を吐いた。
その溜息に溶けいるように言葉を零す。

「・・・・・・・たんだ」
「・・・・・え?」
「だから、苦手なものがいたんだ」
「え、苦手なもの?!カーマインさんがですか!?」

カーマインの言葉にウェインは本気でびっくりしたような声を上げた。それもその筈。年若い救世主殿は見目良く、頭も良く、
おまけに強い。人々が思い描く完璧な英雄だ。それにどんな事も淡々とそつなくこなしてしまう。だから、ウェインには
そんなカーマインに苦手なものがあるとは思いもよらなかった。よく考えてみれば苦手なものがない人なんている筈もないとは
分かるだろうに。それに気づいてウェインは失礼な事を言ったかなと口を紡ぐ。そんなウェインの反応に、カーマインは
微かに目を瞠ってそれからクス、と柔らかに笑う。

「構わない、別に慣れてる」
「あ・・・すみません。えと、それで苦手なものって・・・・?」
「・・・・笑うなよ?」
「はい、勿論!」

元気良く返事するウェインにカーマインは兄が弟にでも見せるような表情を垣間見せた。柔らかく、優しい表情。
けれど、明らかに弟扱いされているそれが気に入らず、ウェインはこっそりと手のひらをぎゅうと握りこむ。
別に優しくされるのが不満なわけではない。冷たくされるよりよほどいい。けれど弟なんて思いっきり身内扱いも
いいところだ。好きな人から贈られる感情としては素直に喜びきれないものがある。そんなウェインの物思いは余所に、
カーマインは意を決したように口を開いた。

「・・・・・・実は俺、虫がダメなんだ」
「・・・・・・・・・・へ?」
「蝶とか、てんとう虫とか可愛いっぽいのは平気なんだが、蜘蛛とか毛虫とか・・・本当に嫌いで・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

つまり、森の中で気分が悪そうだったのは大嫌いな虫を見かけたため、という事だろうか。
あまりに意外な救世主殿の苦手なもの、にウェインは先ほど以上に衝撃を受けた。何故なら普段虫などよりも何倍も
恐ろしい魔物やらモンスターやらを相手にしている英雄が、あんなに顔色を悪くしていたのだ。驚かない筈もない。
むしろ意外すぎて可愛いとすら思ってしまうくらいだった。込み上げてくる笑いを堪える為、ウェインは必死になって
唇を噛み締める。けれど。

「・・・・・・・・・嘘つき」
「・・・・・え?」
「笑わないって言っただろう?」
「・・・わ、笑ってなど・・・ぶっ・・・・いませんよ・・・・ふ」
「・・・・・・・・・・・思いっきり笑ってるじゃないか」

むっとした声が夜風に乗って響く。無表情の象徴でもあるライエルと同じくらい表情を変えない筈の救世主殿が
その形の良い唇を尖らせて明らかに不機嫌そうな顔をしている。珍しい、とウェインは笑みを深くした。
別段、馬鹿にしているわけではない。嬉しいから笑っているのだと、どうやら機嫌を損ねた青年は気づきそうもなかった。
故にこれは自分で説明しなくては、と何とか笑みをかみ殺しウェインは余所を向くカーマインの腕を引く。

「怒らないで下さいよ」
「・・・・・俺は約束を守ったのに、ウェインは守らなかっただろう」
「だからすみませんって。何か可愛いなぁって思っただけですから」
「馬鹿にしてるな?」
「違います。普段見せてくれない一面が見れて嬉しかったんですって」
「・・・・・・・・本当に?」
「本当に」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

琥珀の瞳が真剣に金銀妖瞳を捉えたので、カーマインは仕方なく信じる事にした。
険を含んだ眼差しを和らげ、尖らせていた唇を元に戻す。それから頬杖をついて独り言でも漏らすように言う。

「ウェインも、ゼノスやライエルみたいな事を言うんだな・・・・・」
「え?」
「いや、この虫嫌いは一年前旅した仲間とライエルは知ってるんだ。虫が出た時追い払ってもらったりしてたし」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

カーマインの口から、ゼノスやライエルと出て、ウェインは少しだけムッとした。
隣りに座る美しい青年の弱点を知るのは自分だけではなかったのだと思い知らされて。ついさっきまでのカーマインの
ようにウェインの口がへの字に曲がる。

「・・・・・どうした?」
「いえ、別に。それよりさっきの続きは何ですか?」
「ああ、いや。俺の虫嫌いを知ってる人は皆ウェインと同じ事言うんだ」

嬉しい、って。
いかにも不思議そうに呟いたカーマインはきっとそれぞれに言われた言葉の意味を正確には掴めていないのだろうと
ウェインは思った。その嬉しいという言葉の裏には、彼に対する特別な想いが含まれているという事に。
好きだと言ってるようなものなのに、この救世主殿は気づかない。鈍いのにも程がある。けれど、そこもまた可愛いとは思う。
結局、ウェインはこの人には敵わないなと思う外なかった。しかし、それだけで済ませてしまうのも芸がない。
皆と同じ、というくくりから抜け出るためウェインは大胆な行動に出る。

「・・・・・カーマインさん!」
「え、何だウェイ・・・・」
「虫です!!」
「え、嘘、嫌だ!!!」

勢いよく発せられた声を疑う事もなく、カーマインは苦手なそれから逃れようと、地面を指差すウェインにしがみつく。
最早肝試しでお化けを怖がる女の子のノリに近い。息も詰まるほどに強く抱きしめられたウェインはといえば一瞬、
呼吸を乱しながらも口元は綻んでいる。そしていつの間にか地面を指していた指先を猫のように丸まったカーマインの
細い背へと回す。そっと何やら喚いている普段はこれでもかというほど冷静沈着な英雄を見遣った。そんな英雄の姿にウェインは
思わず声を出して笑いそうになる。簡単に騙されてしまう素直な彼に対して。本当は虫などいないのに。
クツクツ喉を鳴らすように笑っていると、間がいいのか悪いのか、見張りの交代をするためにとある人物がやってきた。

「おい、一体何を騒いで・・・・・?!」

近くの木々の葉を掻き分けるようにして火の焚かれた見張り場にやってきた黒い影は、ウェインにしっかりと抱きついて
離れないカーマインを見つけると闇の中でも光って見える紅の瞳を大きく見開いた。次いで口をぱくぱくと開けたり閉めたりし、
しまいには絶対に見たくなかったその光景を見てしまったショックでフラリとその場に倒れこむ。その倒れた際の音を
聞きつけたのか、背後から更に人が現れる。

「おい、ライエルどうした・・・・っておお??!」

どうやら倒れたライエルと同じく見張りの交代に来たらしいゼノスのようだ。地面に伏している長身を発見すると慌てて
近寄る。脈やら呼吸やらを確認し、異常がない事を確認するとようやく視線を上げる。そうすれば今度はまた別の意味で
驚く光景が広がっていた。もう既に何を言ってるのか分からない状態のカーマインが非常にご機嫌なウェインに
友愛の証とするにはあまりに深い抱擁を交わしている・・・・・ように見えた。少なくとも事情を知らないゼノスには。
実際には大嫌いな虫から逃げるためにウェインにしがみついているだけなのだが。

「お、お、お前らいつからそんな関係に・・・・?!」

動揺してひっくり返ったゼノスの台詞にウェインはにっこり微笑むだけ。ちなみにカーマインの耳には何も聞こえていない。
いもしない虫の影にひたすら怯えている。双方から否定の言葉が返ってこないためにもう、ろくに頭の回転がついていかない
ゼノスは何も言われてないのに二人はそういう関係なのだと思い込んでしまった。そしてここに自分がいるのは酷く
場違いな気がし、悩んだ挙句、ショック映像を見て気を失ったライエルを引き摺って、先ほどまでいたテントの方へと
戻っていく、そんなライバル二人の姿をカーマインを抱く腕に力を込めつつ、琥珀の瞳は勝ち誇ったように見つめていた。



アキレウスのアキレス腱を握られた救世主殿のその後は、見た目にそぐわぬ小悪魔の手に握られたまま―――






fin



72000打キリリクという事ですが・・・・ウェ主になってますか??
自分はウェ主の匙加減がさっぱり分からないので微妙っぽい出来に・・・・。
筆頭は愛が深すぎてばたんきゅーしてますし。色々暴走しすぎました(泡)
おまけにやや短いので後ほどアー主のショートも上げたいと思います。
ちなみにアキレウスのアキレス腱は弱点、という意味でございます。はい、有名ですね。
何はともあれ72000打を踏まれたお嬢さん、有難うございましたー!

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