『僕はずっと、君の傍にいる』


確かに、そう言った。そう言って微笑ってた。
だから、俺はその言葉を信じていた。ずっと、ずっと。
彼が目の前で息絶える、その瞬間まで―――






悲しい嘘







「次は、いつ逢えるだろうな」

ほんの時折、行き先が一緒だったり、互いの休暇が重なっている時に逢えるか、逢えないかの瀬戸際を右往左往と
彷徨っている俺たちは。滅多な事ではこうして会話を交わす事も、互いの姿を目にする事すら侭ならない。
それはとても寂しい事だけれど、仕方のない事で。何故なら、世界は争いで満ちていて。連合軍の指揮官である
アルフォンスと傭兵である俺は、常に戦乱に身を置いていなくてはならない。今、こうして目の前で彼と会話出来る事は
本当に奇跡に近くて。それだけで、満足しなければ贅沢だと思えるほどで。不満など、口に出来ない。自分にはまだ自由が
あるけれど、アルフォンスにはろくに寝る時間さえないのだ。その微かにある寝る時間すら惜しまず、俺と逢ってくれている。
それは不謹慎だけれど、とても喜ばしい事で。だから、不満など口にして、これ以上彼の時間を奪いたくはない。
そう、思っているはずなのに、自分の口からはまるで逢瀬を催促するような言の葉が漏れ出る。言ってしまってから
はっとしてももう遅い。その証にアルフォンスの柔和な表情に僅かばかり、翳りが帯びた。ついで申し訳なさそうに
俺の独白にも似た呟きに答えを返す。

「・・・・・今の状況では・・・・何とも言えない。・・・・・・すまない、クレヴァニール」
「・・・・・・・・あ、・・・・・ごめん俺、そんなつもりじゃ・・・・・・・」
「いや、分かっている。それに君が謝る事はない。僕が、君を好きだと言っておきながら・・・・ろくに逢えない僕が悪い」
「・・・・・・・・・・アルフォンス」

そっとアルフォンスの大きくて硬い手のひらが頬に宛がわれる。じんわりと暖かい。羽のように軽く優しく触れてくるそれは
とても好きな温もり。自然と強張った面がとろりと蕩けてゆくのを感じる。何だか気恥ずかしくて頬に熱が灯るのを自覚
するが、無理に身を捩ったりして、その温もりから離れてしまうのも勿体無い。仕方なく、身じろぎ一つせず、彼の手の中に
収まっていれば、ふわりと微笑まれる。とても優しい表情。手のひらの熱と同じくらい、いやそれ以上に好きな彼の笑顔。
先ほどまでのどこか切ない気持ちなど吹き飛んでしまったかのように嬉しくなって、俺もつられるように微笑み返した。
そうすれば、頬を包んでいた手のひらはそのまま、背中へと回され苦しくない程度に抱きしめられる。アルフォンスの
広い胸から伝わってくる心音に我知らず安堵の吐息が漏れた。

「・・・・・こうして、ずっと君を腕に抱いていたい」
「・・・・・・・・アルフォンス?」
「僕は、臆病だから。本当は戦いたくなんてない。ずっと君の隣にいたい」

でも、と呟いてアルフォンスは腕に力を込めた。いつも、何事につけても優しい彼にしては珍しい行動。不思議に思って
胸に蹲っていた頭を上に上げれば、銀糸の隙間からアルフォンスの伏せ目がちな琥珀色が窺える。どこか弱々しい
感じすらするその瞳に、胸がきゅうと締め付けられた。

「・・・・・どうしてだろうね。誰もが平和な世界を願っているのに・・・・誰かが戦わなければ平和は得られないなんて」
「・・・・・・・・・アルフォンス」
「僕が戦いを放棄しても戦争は終わらない。何らかの決着を着けねば剣を手放したって意味がない。
だから、僕はこの戦争が終わるまでは、戦い続けようと思う。君と、平和な世界に暮らす為にも・・・・・」

今度の微笑みは翳りよりも切実な、祈るような色を乗せている。まるで敬虔な殉教者のような、峻厳さすら感じさせる
その表情に目を瞠れば、自分の額にアルフォンスのそれが当てられる。顔が間近にあって、恋仲となった今でも
何だか緊張してしまう。キョトキョトと視線が縦横無尽に蠢く。しかし、柔らかな声が落とされれば、自然とそちらへと
目を向けてしまう。ぱちりと目線が合った。

「クレヴァニール。こんな事を言うのはひょっとしたら狡いのかもしれないけれど・・・・」
「・・・・・・・・何?」
「僕は一生懸命戦う。平和が訪れるその時まで。だから、その時が来たら。片時も離れず僕はずっと、君の傍にいる」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!」
「だから、待っててくれないか?」

ひたと、寄せられる真摯な眼差しに心臓を射抜かれるような錯覚が起きる。返事を返そうにも、あまりに喜ばしく、衝撃的な
言葉に唇が震えてしまう。それでも、何とか落ち着くように心がけて。アルフォンスの白く女性のような顔立ちをした、頬を
自分の手のひらで包み込む。言葉では、上手く伝えられそうもないから。だから、行動で想いを示そうと。微かに首を
傾いでいるアルフォンスの少し乾いた唇に自分のそれを重ねた。瞬間、驚いたように彼の瞳が見開かれるものの、すぐに
穏やかな眼差しを取り戻し、後頭部に手を添えられて口付けに応えられる。それはとても甘く優しい口付け。心地が良くて
ゆっくりと瞼を閉じた。暫くそうして互いの唇を暖めあって、やがて離れる。遠ざかった熱にやや、未練は残るものの
いつまでもそうしているわけには行かないと何とか納得させる。

「・・・・・・・アルフォンス・・・・・俺ずっと待ってる、その日が来るまでずっと・・・・・・」
「・・・・・・・・・有難う、クレヴァニール」

囁いて、抱き締めあう。とても近くにある互いの温もり。それは何にも代えられない幸せな瞬間で。とてもとても幸福に
満ちたその時に、甘い約束を交わせた事は、きっと至福だろうと俺たちは微笑んだけれど。まさか、その約束がこの後
違えられる事になろうとは、この時の俺たちは微塵にも考えてはいなかった・・・・・・。






◆◇◆◇






その日、ノイエヴァール大陸は静まり返るような雨に見舞われていた。
まるで、世界中が『彼』の死を悼むように、涙するように。本当に不気味なほど静かに。
悲鳴が、砦内に木霊した瞬間、約束はあっけなく容易く破られた―――


「―――アルフォンス!!」

ヴェスターから受けた正体不明の瘴気を浴びた瞬間、それまで優勢に戦っていたアルフォンスは全身を震わし、まるで時が
止まってしまったかのようにゆっくりと。残像すら残るかのように冷たい地面へと紅蓮の軍服を翻らせて倒れ伏した。
ドサリと彼が地に着く音が耳に届いた瞬間、俺は全身から血の気を引くのを感じた。悲鳴が木霊した。誰の悲鳴かなんて
判別する余裕はなく、ただ、床に倒れたアルフォンスの元へと駆け寄る。彼を傷つけた張本人であるヴェスターは
既に姿を消していたが、そんな事はどうでもいい。ただ、彼が無事であれば、彼の容態だけが気に掛かる。俺は弱々しく
けれど確かに呼吸を繰り返す彼のすぐ傍らへとしゃがみこみ、此方をゆるりと向くアルフォンスの震える腕を取った。

「おい、アルフォンス、しっかりしろ!」
「・・・・・・・クレヴァ、ニール・・・・・・」

掴んだ方とは逆の手でアルフォンスは俺の髪に触れる。痛々しい震えが指先から伝わってきて、その微かな振動に
胸が潰されそうになる。瞳には涙さえ浮かんできて。けれど、視界が滲めばアルフォンスの顔が見えない。だから必死に
涙を押さえ込む。強く強くアルフォンスの腕を掴んだ。

「アルフォンス・・・・死ぬな、死ぬんじゃない・・・・!」
「・・・・・クレヴァニール・・・・・ごめ、ん・・・・・」
「ごめん、って何がだよ。お前は、死なない!こんなところで死んだりしない!だから、謝る事なんて・・・・」

死なない、と幾ら叫んでも徐々にアルフォンスの呼気は小さくなっていくし、顔色も青白くなっていく。掴んだ腕から
感じられる熱も恐ろしい速さで冷えていくのが分かる。明らかに、彼は瀕死だ。それでも、死んで欲しくなんてない。
生きていて欲しい。約束を、守って欲しい。気づけば、抑えていた涙をぼろぼろと零していた。それを見てか、光を
失いかけていたアルフォンスの琥珀の瞳が、心配そうな色を乗せる。綺麗に整った眉が顰められる。

「・・・・・クレ、ヴァ・・・・−ル・・・・泣か、ないで・・・・・」
「・・・・だったら、死ぬな、生きろアルフォンス・・・!」
「・・・・・・・うん・・・・そうだ、ね。ごめ・・・・・でも、ぼ・・・・く・・・・」

ゴフッとアルフォンスが血を吐き出す。臓器がやられているのだと、そこで漸く気づく。そして良く見遣ればアルフォンスは
全身をびっしょり汗で濡らしていた。声は皺枯れ、醜く途切れる。本当に死期は間近に迫っていた。それでも、彼は俺と
話す為に、辛い身体に鞭打って、今にも眠りに落ちそうな全てを奮い立たせてくれている。俺との約束を少しでも守ろうと。
その、彼のひた向き過ぎる想いに、心臓が痛いほど収縮を繰り返す。息が、出来ないほど苦しい。

「・・・・・アルフォンス・・・・・アルフォンス・・・・・・」
「・・・・・・・・・約束、ま・・・もれ・・・くて・・・・・・ごめ・・・・・」
「アルフォンス、もういい。もういいから・・・・喋るな」

もうこれ以上、苦しんで欲しくなんてない。無理なんてして欲しくない。死ぬ瞬間まで優しすぎる彼が憎いほど愛しい。
腕に留まらず、彼の全身を抱き締める。今にも彼を連れて行こうとする死神から守るように。けれど、その行為は
何の意味も成さない。最期にぽつりと一言、本当に蚊の鳴くような声を残し彼は、息を引き取った。ずるりと全身から
力が抜け、熱は消えた。自身の涙で濡れた瞳が壊れたように見開かれる。時が、止まった。泣き叫ぶ事すら叶わず。
天から降り注ぐ雨水がきっとその代り。雷鳴が轟いた。けれど音が聞こえない。周りの全ての音が消えた。
世界にたった独り、取り残された気がする。けれど、耳には脳裏には最期の彼の言葉が何度も過ぎり続けて。


愛して、います・・・・死んでもずっと・・・だか、ら・・・・君の傍に・・・・・







約束は、違えられた。
あまりにも幸せすぎる嘘だった。
でも、最期の最後まで吐き通された嘘は、いっそ愛おしい。

なあ、アルフォンス。
最期の言葉は、嘘じゃないと。
俺はもう一度、信じるよ。
だってお前の死顔はいつも以上に穏やかで。
幸せそうな微笑みを浮かべてるから。

だから、
今度は幸せな約束を悲しい嘘にしないで。
もう、色の失せた熱も心も何も残らぬお前の躯を抱き締め、願う。



悲しい嘘は、もう要らないよ。





fin…?





死にネタ入りました(おい)けれど、やはり一度はアルフォンス死亡の話は
書いておきたかったのですよ。もっと上手く情景描写とかが出来ればいいんですが・・・・・イマイチですか。
でも個人的に「お前は死なない」という台詞は好きだったりします。
死ぬなと言われるより死なないと言われた方が生きなきゃって気持ちになると
思うのですよ。その辺のニュアンスが伝わればいいかと。次回はちゃんと
幸せなアルクレを書きたいものです。

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