幸せになる、その時に 一時の休息を終えて、本陣に戻ったアルフォンス=オーディネルは窮地に追い込まれていた。 大きな兵力差をつけられながらもこれまで何とか持ち前の手腕で部隊の殲滅を避けてきた彼ではあったが、 王都レブラントまで闇に紛れ、北上していた頃のこと。戦陣が築かれているべきその場所に敵兵の姿は 何一つなく、悪い予感がして引き返そうとしたのも束の間。漆黒の空をまるで彗星か何かのように放物線を描く 白い光。地上に着弾すると同時、大地を揺るがすほどの振動が遠く離れた地にすら届いた。 何が起きたのか。混乱に見舞われながらも、斥候部隊を率いていたアルフォンスは夜道の山道という 危険な道のりを息を切らして引き返す。そこで見たものは、砲撃を受け、硝煙の煙る焼け崩れた本陣の跡。 多くの同志が命を落としていた。若き将軍、アルフォンスに従軍する、若者達ばかりが。抗うことも出来ず。 きっと、自分達の身に何が起きたのか知る由もなく。 せめて、戦場で敵と戦って討ち取られたというのなら、戦いに身を置く者としてまだ納得のいく最期だったろうに。 心構えも出来た、最後に青空を見上げることも出来たかもしれない。大切な誰かを脳裏に思い描くことだって。 息を引き取るその瞬間まで。けれど、この場で命を失った者たちにそんな時間はなかったろう。本当に 瞬きをするかのような一瞬だったはずだ。痛いと思う間もなかったかもしれない。今までの自分の生き様を 省みることすら出来ない・・・それはとても無念なことだ。何の証も残せず、死ぬ。最期に見たものは白い閃光。 充満する肉の焦げる匂い。目前に広がる凄惨な光景に言葉も出なかった。 「・・・・何ということだ」 現実を理解しかねた。こんなにも簡単に人の命を奪えるものなのか。こんなにも簡単に今まで死線を越えてきた 仲間達を失っていいものか。彼らの命を守るための将軍であったはずだ。彼らの命を自分は預かったはずなのに。 こんなにも簡単にこんなにも一瞬に奪われてしまった。その事実に澄んだ琥珀色の瞳は深く冥く黒ずんでいくかの ようであった。ガランと金色の奇形な刀身をした双剣は地に落ち硬い音を響かせる。 「将軍・・・」 残された僅かな部下から声を掛けられ漸くアルフォンスは正気を取り戻す。慌てることもなく、いっそ優雅とも 思えるほどにゆっくりと洗練された所作で落とした剣を拾い上げ、小さく何かを振り切るように首を振り。 折り曲げた膝を持ち上げて立ち上がる。悠々とした闇夜にも光を弾き輝く紅を閃かせ。 「―――簡素でいい。彼らの埋葬を・・・」 本当は泣き出してしまいたいくらいの衝動を必死に抑え、毅然と言い放つ。握り締めた拳はグラブ越にも 込められた力で熱く熱を持っていた。噛み締める唇からは血が出ないのが不思議なくらいで。 アルフォンスはどうあってもここで暗い顔を見せてはいけない。本能的にそれを分かっていた。きっと自分以上に 残った兵士達は絶望を味わっているだろうから。自身の背後から聞こえてくる女性兵士たちの啜り泣きが それをより実感させた。自分達の置かれた状況を、窮地を、今後の身の振りようが如何に困難かを。 それでも、もう引き返せないところまで来ていた。ここで自分達が諦めてしまえば、この場で失われた兵士達の命が 無意味になってしまう。誰もが予想だにしない事態だった。それでも、引き返すことは出来ない。 一矢報いてやることくらいしか、アルフォンスは自分に付いてきてくれた者たちにしてやれることが思い浮かばず。 静かに、静かに戦死者の埋葬を始める部下達の後を追うように、焼け野原へ震えそうになる足を堪えて歩き出した。 ◆◇◇◆ がばり。 額に滲む汗を乱暴に拭いながら緋色髪の青年はベッドから身を起こした。 まだ陽は昇っていない。薄暗い部屋の中で、肩を激しく上下させ息を吐く。ぎゅうと白いシャツの胸元を 握り締める。心臓が胸を突き破るのではないかと思うほど高鳴っているのを指先でなく鼓膜が拾う。 嫌な夢――否、自分の場合は単なる夢ではない。己の血を分けた使い魔との精神共有が見せるここから遠く 離れた地で起きている現実を見せてくれている。遠見と言われるもの。細かく分類するなら予知に属する、もの。 あと数日の後、本当に起こり得ること。 あの、アルフォンスが戦わずして敗れる。多くの兵を失って。それでも彼は前に進むことを諦めない。 マーキュレイのために。旧知の間柄であるアリシア姫のために。無謀であろうとも、同胞達の死に酷く心を痛め 悲痛な表情を浮かべながらそれでも。彼は彼に従じた者たちのためにも諦めない。その先で自分が命を失うことに なったとしても。そういう人間だとクレヴァニールは知っている。アルフォンスと言う青年はそうなのだと。 だから、同性にも拘らず好きになった。恋をした。愛おしいと、そう思った。 「・・・アルフォンス」 思わず遠い地でもしかしたら自分と同じ風景を見ているかもしれない彼の名を呟く。 冴え冴えとした銀の月がまだ空けぬ夜空に君臨している。綺麗と思う一方で何処か刃のような冷たさを感じた。 見ていると不安になるような感覚。鼓動がより早まっていく。 彼はまだ、死なない。 彼はまだ、生きている。 ―――けれど。 彼はきっと、誰より苦しむ。 優しくて、繊細で、酷く生真面目な人だから。 それ故に。 肩の力を抜く場所はあるんだろうか。 息を吐ける場所はあるんだろうか。 ・・・・・・心配になる。 「・・・俺が心配したって・・・何にもならないだろうけど、な・・・」 小さな呟きに当然ながら応えは返らない。すうすうと少し離れたドールハウスから己の使い魔である 少女の寝息が届くだけ。皮膚を伝い落ちる汗が、不意に首元に刃を突きつけられているような焦燥感を煽る。 自分には何も出来ない。英雄などと呼ばれていても、全ての人を救う力なんてない。大切な人ですら 幾ら取り零して来たことか。自分に築ける平和なんて砂で作った城のように儚く脆いものだ。 気を抜けば一瞬で風化し、崩れ去るほどの。一時の夢のような刹那で数年かそこらで人々の記憶から消えてしまう そんな、もの。それだけのことでしかない。意味はそこにあるのか疑わしいほど・・・。 切迫する心音を感じながら、クレヴァニールはそんなことを思う。 もう一度だけそっと窓の外に視線をやった。月が冷たい。しかしその白銀は彼の人の髪の色に良く似ている。 煌々と輝かしい美しい彩。触れたいと、願っても届かない至高の色。瞳に優しく映るのにこんなにも遠い。 爪先にすら触れることのない、遠い遠い距離。落ちてきてくれればいいのにと大それたことを思う。 「・・・・馬鹿げた望みだ・・・」 無邪気な子供が、何の気なしに神に願い祈るように。無茶な、願い。 分かっていたからこそ次第に落ち着いてきた呼気を整え、ゆっくりと黄金の瞳を緋色の睫で覆い隠した。 遠くの空で月は時間を掛けて白む世界に溶け込んでいく。静かに静かに、音もなく・・・。 ◆◇◇◆ 世界は動く。 誰かがその足を止めても。 急速に。 一度後れを取れば追いつけなくなってしまうほど。 それが分かっているから歩みを止めない謀反の将軍―アルフォンス。元から少なかった兵士達が更に 少なくなったがそれでも足は動かし続ける。目指すものが、あるから。平和と言う、本当に存在するかも分からぬ 夢物語のために、我が身を犠牲にしながら。 正直、初めの頃に比べ進軍する足取りは重い。失ったものが大きすぎた。一度たりとも自分の双肩に掛かった 責任と重圧を忘れたことはなかったが、祖国から受けた砲撃がそれをより彼の脳裏に深く強く刻み付けた。 息をするのも苦しいほどに。けれど決して弱音は吐かない。己よりも己に従う部下の方がずっと不安で苦い 思いをしているだろうと思うから。だから決して振り返らない。ひたすら前を見て。彼らが見失わないように 前進するのみ。例え誰かに愚かだと、滑稽だと笑われても。立ち止まり蹲り続けるよりはよほどマシだと。 ただ願う、平和と言う理想郷。 誰を殺すこともなく、誰を失うこともなく、誰もが歩み寄れる世界を。 そのために矛盾する数多くの犠牲を払わなければならないことも分かっているけれど。 その時が来れば、きっと誰もが笑って暮らせるようになる。 甘いだろうがそう信じてアルフォンスは祖国に反旗を翻した。平和を掴み取ればきっと愛しい人も 笑ってくれるだろうと少年染みたあどけない望みを持って。 全ては愛しい人のために。 そしてその人が笑ってくれると言う、己の幸せのために。 剣を振るう。 人を傷つけることを厭う、弱くも優しい心で。 「・・・クレヴァニール」 愛しいその人を呼ぶ声は掠れて酷く切ない。名を呼んだところで会えるわけもないと。 むしろ口にしてしまえば余計に会いたくなる。そんな自分を愚かだと口端を皮肉げに持ち上げて、空を仰ぐ。 まだ僅か白み始める空に月が残っている。薄れ行く銀は、望み薄い己の欲を嘲笑うようで、目に痛い。 今この時、彼の存在を腕の中に抱きしめることが出来れば、どれだけ自分は救われることだろう。 渇く喉が潤うことだろう。考えて白皙の整った面は再び苦笑を浮かべた。 「・・・僕は、弱いな」 囁きは戒めか。緋色髪の青年を思い浮かべて、じわりと滲んできた己の脆弱な面を払拭するかのように 言い捨てて、視線を前へと戻す。砲撃の行われた方角――バルトリック砦の方面へと。 長靴を響かせ高らかに。孤高な紅の制服が翻る。裏切り者の証。それでも脱ぎ捨てない。今まで自分の 歩んできた道に少なからず誇りがあるから。そしてこれから歩む道をも信じているから。 痛む胸と平和を望む信念を持って闊歩する。 ―――その行く末が、暗く閉ざされているだろうことに薄々と気づいていても。 「さあ行こう・・・もうすぐだ」 その場に立ち止まり続けることの方がよほど恐ろしいことなのだと、・・・知っていた。 NEXT≫ アルクレ告白編、です(何?) 前回の話の時間軸が思いっきり微妙なところだったので まさかのアルフォンス死亡間際の話になりそうです。 が、リクエスト作品なのでアルフ生存ルートの話になるはず・・・(断言しろよ) 続きは少々お待ち下さい(コノヤロウ) |
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