安堵の熱



「ギャリックー!!」

普段は温厚で通っている蒼きグランゲイル大尉の怒声が広い回廊に響き渡る。
その場にいる全ての人間が目を丸くして背後を振り返った。常に水面のように物静かで貴婦人の如き
美しさと気高さを併せ持つ、新緑髪の青年が綺麗に整えられていた筈の髪を振り乱し、肩で息をしている姿が
目に焼きつく。そして呼び止められた当人は実に面倒くさそうな顔で青年に応えた。

「・・・うるせえな。何の用だルーファス」
「何の用だとはご挨拶ですね、ギャリック。貴方、また陛下と衝突しましたね」
「それが何だって言うんだ」

はっ、と。日常茶飯事ともなっている遣り取りにギャリックは鼻で笑って返す。その姿は誰が見ても開き直っていると
取るだろう。当然、ルーファスもそう受け取った。細い眉を寄せ、額にうっすらと青筋を浮かべている。
それからツカツカと早足でギャリックに近寄ると獲物を物色する虎のような瞳で目前の男を睨み据えた。

「ギャリック。いつも言っていますが、このような事を続けていれば貴方、確実に降格されますよ!?」
「だからそれが何だよ。降格?いいじゃねえか。そうなりゃ、仕事が減るってもんだ」
「本気で言っているのですか?それに貴方が降格してしまったら私の仕事が増えるじゃないですか。そんな事させませんよ!」
「おい、思いっきりお前の私情が見え隠れしてんぞ!大体、んな事言う為にわざわざ声掛けたのかテメエは!!」

だったら俺は部屋に戻るぞ、とギャリックが踵を返そうとすると、グランゲイル軍将校独特の制服―マントをルーファスが掴む。
完全に油断していた事もあり、ギャリックの身体はものの見事に後方へと傾ぐ。その上で引っ張り上げられてかなり
情けない状態になった。身動きの取れない格好にされたギャリックはマントを掴むルーファスを恨めしげにねめつける。

「おい、ルーファス放せ!!」
「だめです、まだ話は終わってません。例の如く陛下が貴方のせいでご立腹なので
これから私が宥めにいかねばなりません。長くなると思いますから貴方に私の仕事を代わりにやって頂きます」
「なっ・・・!お前の仕事って・・・確かこの後は平和維持軍への使いだろう?!嫌だ断る!冗談じゃねえ!!」

平和維持軍と和解したとはいえ、以前散々嫌味をぶつけた相手と顔を合わせるのは気が進まないらしく、
ギャリックは首がもげそうになるほどブンブンと頭を振った。硬質な銀糸がばさばさと動きに合わせて中空を彷徨う。
が、その程度で頑固なルーファスの心を動かす事など出来よう筈もなく。

「断る?そんな権限が貴方にあるとお思いですかギャリック」

すう、とルーファスの声に触れただけで凍りつきそうなほどの冷気が宿る。じたばたと暴れていたギャリックの背が
空気の変わりように思わず硬直した。恐る恐る目線を上に動かせば、口元は笑んでいるのに目は全く笑っていない親友の顔。
しまったと思っても、もう遅い。冷笑が囁く。

「ギャリック、私はそんなに気が長い方ではないんです。この意味、貴方なら分かるでしょう・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・ッ!!」

気づけば、ギャリックは無意識にこくこくと力いっぱい頷いていた。そんな行動に出てしまったのは、偏に怒り心頭の
ルーファスに逆らえばどうなるか、前例があるからだろう。心なしかアルビノの瞳にうっすらと露掛かっているようにも見える。
そんな彼の様子に満足したのか、ルーファスはやっと今まで掴んでいたギャリックのマントを離した。
途端に、ギャリックは床にしりもちを着く。全く着地を意識していなかっただけに、痛い。けれど、文句を言う気にはなれなかった。
むしろ解放された事に感謝しているくらいで。慌てて身支度を整え、立ち上がる。

「ギャリック」
「な、何だよ。言ったからにはちゃんと使いは果たすぞ」
「いえ、そうでなくて。私も鬼ではないですから。平和維持軍には貴方の大嫌いなクライアスがいますが・・・。
同時に愛しのゼオンシルトがいますからね。悪い事ばかりじゃないですから、めげずに頑張ってくるといいですよv」
「なっ・・・、愛しって・・・・馬鹿かテメエは!!バーカバーカ!!」

愛しのゼオンシルト、という言葉に過剰反応したギャリックは顔を真っ赤にしてルーファスをまるで子供のように罵り、
その勢いで一目散に逃げ出した。あっという間に見えなくなったギャリックの後姿にルーファスは溜息一つ零し。

「まったく、分かりやすい人ですねえ」

微笑ましく目を細め、用は済んだとばかりに謁見室に向けて踵を返した。



◆◇◇◆



くしゅん

小さなくしゃみが真下から聞こえてきて赤紫の瞳ははっとしたように、音の発生源へと向けられる。
見れば、自らの相棒が何処となく青い顔をして僅かに震えていた。

「ちょっとゼオンシルト、大丈夫?」
「え・・・?ああ、少し風邪気味なんだ。心配するほどじゃないよコリン」
「本当に〜?クライアスに頼まれたからってここのところロクに休まず働いてるじゃない」

むうと唇を尖らせてコリンは相棒のアルビノの瞳を覗き込む。ぴっかぴかに磨き上げたかのような紅玉の瞳は、
とても綺麗で。同時にとても素直なそれは嘘をついていると自然とあらぬ方向へと視線が動く。思った通り、コリンではなく
別のものを捉える紅眼にコリンは溜息を吐いた。

「んもー、ゼオンシルトはいっつも無理ばっかするんだから!偶には嫌な事は嫌って言いなさいよ!」
「えっと、別に仕事が嫌なわけじゃないし。俺たちが働かないと困る人だっているわけだし・・・」
「それとこれとはまた別よ!自分を疎かにして倒れちゃったら元も子もないでしょ!」

ほら、早く部屋に戻って休みなさい!と小さな身体に不釣合いな大声を上げてコリンはゼオンシルトの髪の一房を摘み、引く。
ゼオンシルトの爪ほどに小さな手の何処に一体これほどの力があるのかと思うほど、強い力で。当然、そんな力で
髪を引っ張られたら誰だって痛い。ゼオンシルトは控えめに抗議するが、コリンは聞く耳を全く持とうとしない。

「ほらほら、さっさと歩く!」
「ちょ、痛いってコリン。髪引っ張るな」
「アンタがキリキリ歩けば離してあげるってば」

言ってる合間に掴まれた髪が一、二本抜けた。その微かでありながらも何とも言えぬ痛みにゼオンシルトが
顔を顰めると不意に背後から声を掛けられた。

「おい、何騒いでんだお前ら」
「!」

聞き覚えのある声にゼオンシルトは目を丸くして振り返る。そこには、何があっても絶対にここ―平和維持軍基地に
足を踏み入れなかった男が立っている。ルーファスではない、もう一人のグランゲイル軍大尉。

「ギャリック大・・・尉・・ッ!」
「!あ、おい・・・」

ギャリックを視界に入れた途端、ゼオンシルトは顔を真っ赤にし、そしてふらりと後方へと倒れこんだ。
途中、コリンが立たせようと髪を引っ張ったがどんなに彼女が力持ちでも流石に人一人を支えられよう筈もなく、共倒れに
なったが。そんな一部始終を見送っていたギャリックは「いったーい」とコリンが喚く事で正気を取り戻した。
止まっていた足を動かしてすぐ傍まで駆け寄る。

「おい、どうした?!人の顔見て倒れるなんて失礼にも程があるぞ!」
「ちっがうよ!ゼオンシルトは体調が悪かったの!やっぱり無理してたんだ」
「あ?またかよ。何で俺が通りがかるといつもコイツ倒れてんだ?ったく世話の焼ける・・・」

ぶつぶつと文句を言いながらもゼオンシルトの脇に自分の肩を通して掬い上げる。相手に意識がないなら横抱きに
抱え上げた方が運ぶ側としては楽なのだが、気恥ずかしさが勝るのか、少々運びにくいものの肩を担架代わりに
ゼオンシルトの細身を引き摺って歩く事を選んだ。

「おい、コイツの部屋は?」
「えっと宿屋にゼオンシルト専用の部屋が・・・」
「宿屋っつーと、基地の入り口のすぐ傍にあるあれか。ま、どうせ帰るとこだったしな・・・」
「そーいえば、何でアンタここにいるの?毛嫌いしてるくせにー」
「うるせえな。ルーファスに仕事押し付けられたんだよ」

深く息を吐いて、ギャリックは改めてゼオンシルトを担ぎ直し、宿までコリンと何だかんだ口論しつつ、足を運んだ。
店主に案内されるままに広くも狭くもない回廊を歩く。流石にその頃にはコリンも大人しく付いてきていた。
一番奥の部屋に通され、ギャリックはゼオンシルトをベッドへと横たえる。相手は一応病人らしいので
それなりに慎重に。毛布を首まで隠れるほどに掛けてやり、念のために前髪に遮られた額へと触れる。

「・・・・熱いじゃねえか」
「多分風邪だって本人は言ってたけど・・・」
「まあ、それもあるだろうが。話を聞いてる限りじゃ過労ってのもあるか・・・・とにかく医者を呼ばねえと」

俺じゃ手に余る、言い差し、ギャリックがドアへと向き直るとクンと弱々しい力でマントを引かれた。
この仕種には覚えがある。ギャリックを呼び止める時、ゼオンシルトが無意識にする事だ。

「!気がついた・・・・?!」

振り返ると、ベッドの上でゼオンシルトはうっすらと目を開いていた。その腕にはしっかりとギャリックのマントが
握られている。それはいい。問題はそこではなく、ギャリックを止めたゼオンシルトの顔は悲しげに顰められていた。
ふるふると小さく首を振る。頬が赤く、頼りない表情。一瞬それを見たギャリックの瞳が見開かれる。

「な、何だよ。苦しいのか?今医者を呼ぶからちょっと待ってろ」
「・・・・・いい・・・医者、嫌・・・い・・・・」
「あ?何言ってやがる」
「手術・・・思い・・・出すから・・・嫌・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」

熱で朦朧としているのか、ゼオンシルトの口調は敬語ではなく、普段使っているものになっている。
今呼び止めている相手がギャリックだと言うのも実は分かっていないのかもしれない。瞳は虚ろで言葉はたどたどしいのだから
疑うべくもないだろう。そして彼の口から手術という言葉が出て医者を呼びに行こうとしていたギャリックも思い留まる。
そういえば、彼は平和維持軍の元副指令に身体に対スクリーパー兵器の改造手術を施されたのだった。
ならば、手術そしてそれを髣髴とさせる医者を厭うても致し方のない事だろう。こうして思い返してみれば、以前医者に
診せた時もゼオンシルトは何処となく嫌そうな顔をしていた。こういう事情があったからだろう。

「・・・・・分かった。医者は呼ばねえ。だからその辛気臭い顔を止めろ」
「・・・・ありがと・・・」

はふっと息苦しそうに吐息を零し、ゼオンシルトは笑う。熱が上がってきたのかもしれない。もう一度ギャリックは手を伸ばし
ゼオンシルトの額へと触れる。先程より熱く感じた。眉間を顰める。

「熱が上がってきてるな・・・。医者を呼ばねえならせめて薬は飲め」
「くすり・・・・」
「ああ、そうか。お前錠剤もだめなのか・・・。めんどくせえな。おいチビ。薬草とすり鉢、何処にある」
「は?そんなものどうするの。って言うかアタシの事チビって呼ぶの止めてよ」
「うるせえな・・・錠剤が飲めねえなら薬草を調合するしかねえだろう。熱冷ましくらいなら俺にも作れる」

ガリガリと頭を掻きながら、コリンと一緒になってギャリックは部屋の中を物色し始める。
熱冷ましに使えそうな薬草は日干しにして置いてあったのでそれを使い、すり鉢の方は宿の店主から借りた。
ぷちぷちと必要分だけ葉や茎を千切り、鉢の中に放り込み、磨り潰す。途端に青臭い匂いが立ち込める。

「うえ〜、すごい匂い〜」
「薬草なんだから仕方ねえだろう」
「これ飲むんだあ・・・アタシは嫌だな、苦そう」
「苦い方が効くんだよ、知らねえのか」

ふよふよと肩の辺りを飛んでいるコリンに適当に返しつつ、熱冷ましを調合したギャリックは確認のために指先に
少し掬って舐める。瞬間、口の中に何とも言えぬ苦味と草の味が広がった。

「・・・・・・まず」
「うわあ、やっぱ不味いんだ」
「当たり前だ。お前も苦い薬を飲みたくないなら健康には気を遣うこったな」

未だ眉間に皺を寄せたまま、出来上がった熱冷ましを手に、ギャリックは再度ゼオンシルトにの傍らまで近寄る。
ぼんやりとしたアルビノを向けてきたゼオンシルトに匙に掬った薬を突き出す。

「飲め。熱が下がんねえぞ」

差し出されたそれが錠剤でない事に一度安堵し、続いて如何にも苦そうな匂いに顔を歪める。
けれど一向に引っ込みそうもないそれに、意を決してゼオンシルトは口を付けた。思った通り、否思った以上に苦い。

「〜〜〜〜ッ」
「・・・・・・吐くなよ」

両手を口に当てて険しい顔をするゼオンシルトにギャリックはいっそ冷徹とも取れる呟きを返したが、言葉の割りに
その声は呆れと微苦笑を交えていた。不思議そうに目を瞬いてゼオンシルトはギャリックを見上げる。それまでゆらゆらと
揺れてロクに見えなかった相手の顔をまじまじと見上げれば、漸く焦点が合う。

「・・・・ギャリック大尉?」
「・・・・・・今更気づいたのか」

今度ははっきりと呆れが含まれた声音。ゼオンシルトは申し訳なさげに眉尻を下げた。発熱した状態でそんな表情を
されると、落ち着かない。ギャリックはぱっと視線を余所に向けた。その所作を見て、ゼオンシルトは小さく笑った。
はにかむとやはり男とはいえ可愛い。そんな感想を心中でぼやきつつ、ギャリックは視線を合わせられず、溜息ばかり吐く。

「全く・・・・本当にお前は世話の焼ける奴だ」
「・・・・すみません」
「別にお前に怒ってるわけじゃねえ。・・・・・こういう性分なんだ、お前もいちいち謝らんでいい」
「はい・・・でも・・・ごめ・・・わく・・・・」

もごもごとそれでも謝罪しようとするゼオンシルトに焦れてギャリックはまだ僅かに頬に赤みが差したまま振り返り、
熱の篭もるゼオンシルトの頬を摘んだ。

「いっ・・・!」
「馬鹿な事ばっかり言いやがるからだ。病人は黙って頼るなり甘えるなりしてりゃいいんだよ」
「ふえ・・・・?」
「!」

口に出してからギャリックは自分の発言の重大さに気づく。それはまるで自分を頼ってほしい、甘えてほしいと言っている
ようなものだ。いや、確かにそんな気持ちがないわけではない。が、余りにも恥ずかしい。瞬時に顔はおろか、耳まで染まる。
とっさに後ろを向いて手を離したたものの、背後からゼオンシルトの視線が突き刺さっているのが分かり、
更にギャリックは紅くなった。

「べ、別に一般論の話だ!俺に頼れなんて言ってねえからな!あ、あーそうだ、なんなら誰か呼んで来てやるぞ?」

別に、の辺りで声が上ずっているが当人にそんな事を気にする余裕はなかった。とにかく今はこの場を離れたい。
そんな事ばかり考えていた。コリンが面白そうにギャリックを見遣っている事にすら気づかず。その上、また服の裾を掴まれ
条件反射でそちらを向いてしまえば縋るような、ギャリックと同じ色の瞳と目が合う。

「い・・・です、ギャリック大尉がいてくれれば・・・・」
「〜〜〜ッ」

殊勝な言葉を漏らすゼオンシルトにギャリックは絶句した。

(何だコイツは・・・。そこらの女よりよっぽど可愛いじゃねえか・・・って何考えてる、俺は!)

くらくらと眩暈にも似た頭痛を覚え、その場に蹲る。病人に・・・というか男に欲情してどうする、と真剣に頭を悩ませた。
うんうん唸っている彼の後姿を黙って見ていたゼオンシルトは戸惑った。何か悪い事を言ってしまったのではないかと。
普段ならともかく、今は熱のせいで正直自分が何を言ってるかよく分かってない。不意に泣き出したい気分になって
目元にうっすらと雫を溜めた。

「あ、ちょ・・・ゼオンシルト、何泣いてるの?」
「あ?」
「え、あ・・・何でも・・・・熱のせいで涙腺緩んだかな・・・」

荒く息を漏らしながらゼオンシルトは乱暴に目元を擦る。雫を弾く細い指先をギャリックの手が阻む。

「馬鹿、それ以上赤眼になってどうする」
「・・・・・・・・・」
「濡れタオル持ってきてやるから、それで拭け」

強い口調で言って、ギャリックは止める間もなく部屋から出て行ってしまった。恐らく言葉通り濡らしたタオルを
取りに行ったのだろう。口は悪いが誰よりも誠実で生真面目なのだから。室内からギャリックの鮮やかな紅が去ると
急に寂しくなる。益々ゼオンシルトの瞳が滲んだ。

「ゼオンシルトぉ・・・もしかしてアイツが好きなの?」
「・・・・・・・・」

コクリと小さく蜜色の頭が頷く。はらりと舞った髪の筋を見送ってコリンはにっこり笑った。

「そっかそっか、それじゃあ寂しいよね。よっし、コリンちゃんに任せなさいv」
「・・・・・へ?」
「その前にちょっとアレ借りるね」

ちょっと失礼、そう告げてコリンはゼオンシルトの荷物をごそごそ漁り出し、やがて何か、彼女の身体に比べれば
大きいと思える小物を取り出すと僅かに開いているドアの隙間から姿を消した。

「・・・・・行っちゃった」

ガランとしてしまった部屋の中で呟きが大きく響く。無性にその静寂な空間にいる事が寂しくなってゼオンシルトは
毛布を深く被り込んだ。少し息苦しいが誰もいなくなった部屋を見るよりは幾らかマシだった。



◆◇◇◆



一方その頃、ギャリックはすり鉢と同様に濡れタオルと木桶を宿主から借り、部屋に戻るところだった。
その間、脳裏を占めるのはゼオンシルトの泣き顔で。何がどうなってるのかさっぱり分からないが、もしかしたら
自分が泣かせたのかもしれないと思うと堪らなかった。罪悪感だけでなく、認めるには少し勇気のいる感情のせいで。

「・・・・・・だから来るのは嫌だったんだ」

自分の不器用な性格は自分が一番分かっている。素直に優しくしてやる事が出来ない。それが分かっているからこそ、
ギャリックは平和維持軍基地に足を踏み入れる事に躊躇いを感じていた。現に相手は病人だというのに、
声音一つ変えてやる事が出来ず、密かに気を揉んで。溜息で木桶の中の水に波紋が広がる。揺れた水面には
自分の至極情けない顔が映っている。それを見てギャリックは片頬を醜く歪めた。そこに。

「おっそーい!」

罵声と共にギャリックの顔面目掛けて何かが飛んできた。硬質の、円形の何か。はっきり言って非常に痛い。
文句を言う前に思わず顔を押さえてしまうほど。

「〜〜〜〜ッ」

理不尽な痛みに顔を上げて文句を言おうとしたところでギャリックは動きを止めた。水の中に、ぶつかってきた、
というかぶつけられたと思しきものが落っこちてきていたからだ。水中で揺らめいていたものは確かに見覚えのあるもので。

「・・・・これは」
「それ、アンタがゼオンシルトにあげた奴よ」
「・・・・チビか」
「チビじゃないって言ってんでしょ!それよりそれ、アタシや仲間の皆がねゼオンシルトに
一番大切な人にあげてって言ったのにアイツはまだそれを持ったままなの。その意味が判る?」

尋ねられてギャリックは顔面のひりつきも忘れて首を捻った。

「この鈍ちん!そんなのその人がその場にいなかったからに決まってんでしょ!」
「答えが分かってんならわざわざ俺に聞くな!」
「そーじゃないでしょ。本当に鈍いんだから!アンタ、ゼオンシルトが好きならとっととはっきりしなさいよ!」
「な、何で知っ・・・・!」

余計な事を口走ろうとする口を慌てて閉ざすがもう遅い。唇を堅く引き結んだギャリックを、コリンは見方によっては
勝ち誇ったかのような笑みで見下ろす。

「馬鹿ね、見てれば分かるわよ。ああ、アンタは分かんないんだっけ、鈍ちんだもんね。ゼオンシルトも可哀想に」
「・・・?何の話だ」
「べっつにー。アンタね、告白する勇気がないならせめて今くらいゼオンシルトを甘やかしてあげなさいよ、病人なんだから」

それだけ!怒鳴りつけてコリンはすいすいと元来た道を戻っていく。取り残されたギャリックは唖然と口を開けて
固まっていた。頭の中で先程のコリンの言葉を反芻する。

「・・・・・俺ってそんなに分かりやすい上、鈍いのか・・・?」

口に出してみると余計に格好悪く聞こえる。告白する勇気だとか言う以前に、ここまで周りに知れ渡っていたら
隠すのもいっそ馬鹿らしくなってきた気がしてきた。いや、本人は隠している気になっているだけで、周囲には
ダダ漏れなわけだ。そう考えると憤死しそうだった。

「あー、くそ。こうなったらいっそ開き直るか?」

今まで、人目を気にして遠慮してきたが、もしゼオンシルトが望むならその時は甘やかしてやろうと、決意するのも
何かおかしい気がしながらもギャリックはそうしようと一人頷いた。桶を片手で持ち直し、ドアをノックして中に入る。
戻っていた筈のコリンの姿がない。それを不思議に思いながらも、決意が自分を突き動かすのか、ギャリックは
木桶をベッドの近くの物置棚に置いて、丸く浮き上がった毛布に手を掛けた。

「・・・・寝ちまったか?」

寝ているなら起こさないよう、声の配分に気を配りつつ、声を掛ければもそりとゼオンシルトは動いた。
目元が赤い。自分が部屋を出ている間にまた泣いていたのかと思うと心臓の辺りに鋭い痛みが走る。
恐る恐る、手を伸ばし、腫れぼったい眦にギャリックは触れ、そっと撫でた。

「・・・・・!」
「ブサイクな面だな」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・いつものへらへらした顔の方がいいと思うが俺的に」

ブサイクな面と称されて、毛布の中に再び引き篭もりかけたゼオンシルトはその後続いた言葉に顔を覗かせる。
大きな瞳がぱちぱちと瞬きする様は愛らしい。ギャリックの顔に笑みが滲む。

「どうしたらお前はいつもの面に戻る?今なら出血大サービスで何でも言う事聞いてやってもいいぞ?」
「・・・・・・本当、ですか?」
「気が変わらなけりゃ、な・・・」

やはり照れくさいのか顔を赤らめて横を向くギャリックを見届けてゼオンシルトは毛布で口元を隠しながら
そっとお願いを口にした。

「あの・・・じゃあ名前、呼んでもらえますか?」
「・・・・・なんでまたそうマニアックな事を・・・・」
「え、だって俺大尉にあまり名前を呼んでもらえた事がなくて・・・・」
「・・・・・・・・・一つ条件がある」

相変わらず余所を向いたままギャリックは言葉を紡ぐ。

「その口調・・・というか敬語、止めるなら聞いてやってもいい」
「え・・・・・」
「その喋り方聞いてっと口煩いどっかの緑頭思い出すんだよっ、不愉快だ。呼び名も名前だけでいい、以上!」

口煩い緑頭と聞いてゼオンシルトはルーファスを脳裏に浮かべた。そういえばルーファスは誰に対しても敬語で話す。
それが彼の持ち味なのだろうが、やはり自分が使うと何処か不自然なものがあるのかもしれない。何より、不愉快に
させてしまっては敬語を使う意味がないだろう。悩んだ末、ゼオンシルトは頷く。

「分かりまし・・・じゃなくて、分かった・・・・えっと・・・ギャリック」

呼び捨てて照れたのか更にゼオンシルトは毛布を目深に被る。ちらりと彼の様を横目で見たギャリックは何とも
言えぬ表情をしている。やはりタメ口は気に障ったのかとゼオンシルトは肩を震わしたがギャリックは怒らなかった。

「・・・・・・別にタメ口利かれて怒ったりしねえよ。こっちが要求したんだし、気も楽だ」
「そ、そう・・・?」
「そうだ、ゼオンシルト。・・・・・これで満足か?」

するりと自然に呼ばれてゼオンシルトは目を瞠る。一瞬言われた意味が判らなかった。けれど脳にその言葉が
到達した刹那、一気に気恥ずかしさが押し寄せてきた。

「おい、言わせといてお前が照れるなゼオンシルト」
「〜〜〜〜ッ?!」

今度はわざとらしく名を呼ばれ、ゼオンシルトはつい今し方のギャリック以上に紅く染まった。
がっちりと毛布を離さない。心に少し余裕が出来たギャリックは改めてゼオンシルトの様子を窺う。
落ち着いてみれば、ゼオンシルトの仕種の一つ一つが可愛らしく映る。照れている様も愛らしい。自分が
照れを感じて視線を逸らしている間にいつもこんな姿をゼオンシルトが晒しているのならば、自分は相当勿体無い事を
していたように感じる。こんなにも色々な姿を見落としていたとなれば、当然。もっと違う彼を見たくなって
ギャリックは自ら逃れようとするゼオンシルトに顔を寄せた。

「まだいつもの面に戻んねえな。よし、ついでだ。もう一つ何か言う事聞いてやろう」
「え?」
「何か勝手に条件付けちまったしな、だからついでだ。ほら、遠慮すんな」

にっと意地悪く、しかしそれだけでなく楽しげな微笑を認めてゼオンシルトはそっと目を細めた。部屋を出て行った後
コリンに何か言われたんだろうなと思いつつ、それでも自分に気を遣ってくれる事が嬉しくて。それに、この機会を逃すと
お願いなんてこの先出来そうもないし、とゼオンシルトはギャリックの申し出に甘える事にした。

「じゃあ、あの・・・手を握ってもいい?」
「あ?あ、ああ・・・」

遠慮がちの言葉に従い、ギャリックは自分の手を差し出した。それをゼオンシルトは慎重に且つ、丁寧に握った。
細く熱を持った指先は、自分と同じ性別に思えず、段々とギャリックは緊張してきたがゼオンシルトの方が酷く
安らいでいる様子なので何も言わなかった。そのまま黙っていると、ゼオンシルトの手に力が篭り、自分の方へと
引き寄せてそっと頬に摺り寄せる。小動物のような甘えた所作にギャリックは驚く。

「お、おい・・・・」
「・・・・ごめん、駄目だった?」
「駄目っつーか・・・本当にお前は犬っころみてえに懐っこいよな」
「犬っころって・・・酷いなぁ。でも懐っこいは合ってるかな。ね、懐っこいついでにもっと懐いてもいい?」
「は?」

何がと問う前にゼオンシルトが動いた。既に手中にあったギャッリクの腕を引き、ベッドに倒れこませたかと思えば、
寄りにもよってその上にゼオンシルトは飛び込んだ。元々身体が軽いのでそう圧迫感はないが、突然の事態に
ギャリックは石の如く硬直してしまっている。ふわりとゼオンシルトの蜜色の髪が自分の頬を撫でた。
ぞわりとした感触に思わず片目を瞑る。

「・・・・・・お前、相当熱あるな?」
「うん、だから寒いの」
「もう一枚毛布貰ってきてやる」
「やだ、ギャリックの方が暖かい」
「湯たんぽか俺は」

減らず口を叩いてみても内心はそれどころじゃない。ギャリックは全身真っ赤な上、今日に至っては心臓も
このままでは壊れるのではないかというほど、心拍が乱れている。自分の方が先に参ってしまいそうだと
半ば本気で思い始めた頃、上から聞き捨てならない音が聞こえてきた。

すー、すー。

規則正しい呼吸音。ギャリックの不規則な心音とはまるで対照的な・・・。殆ど身動きの取れない首で真下を覗けば
ぴくりとも動かない肢体がそこにある。大いに惑わされているギャリックを差し置いてゼオンシルトは事もあろうに寝ていた。
それはもうすやすやと泣いていた事など嘘のように幸せそうに。その寝顔を拝見して、ギャリックは手持ち無沙汰な手を
どうしたものかとじっと見つめた。そしてげんなりと呟く。

「こういうオチかい」

諦めにも似た吐息を吐き出して、ごそごそとポケットを漁る。手のひらにはコリンに投げつけられた友情のメダルが
収まっている。それを軽く陽に透かし見て目を細めると、そっとゼオンシルトの手に握らせた。いつか、自分に
渡し返してくれるといい、そんな事を思いながら。ちなみに、そんな彼らに気を利かし死角から見守っていたコリンは、
それなりに纏まりだした二人によしよしとまるで母親の如く力強く頷いていたのだった。



fin


更新できなそうなので携帯サイトのキリ番をこちらでもUPです。
というか話の流れ上必要だったので。基本ゼオンは甘えっ子の予定なのですが
何か理由でもないとそうそう甘えそうになかったので風邪を引いてもらいました。
同人王道に逃げてしまったよ、ウフフ(殴)

ギャリは照れ屋ですが自分が優位に立ってれば結構押せ押せな人かもしれません。
とか思って油断してるとまたすぐ押し戻される可哀想な人です(笑)


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