その腕に還ったら、何度も好きと言いたい。

それくらい、貴方の事が大好きです。



―――ねえ、貴方は・・・・?





安堵のただいまを






人は幸せを欲する生き物である一方で、幸福が過ぎるとそれに対し恐れを抱く生き物でもある。
そんな言葉を何処かで聞いた事がある気がする、と眠りに陥るまでのまどろみの中、ゼオンシルトは思う。
初めはそんな事あるんだろうか、なんて考えていたが今はその事にしっかりと頷く事が出来る。
今日この日まで自分が不幸だったとは思わない。確かに両親は早世していたし、血の繋がらない祖母も数年前
他界してしまった。それでも村の皆は優しかったし楽しくも過ごせていた。スクリーパーに襲われるまでは。
そう全てはあの日から始まった、とでも言うのだろうか。

あの日、ラッシュの平和維持軍入りが決まり見送るはずだったのに、そのラッシュ本人が維持軍にされた手術の結果
スクリーパー化し、村を壊滅させた。彼本人の意思ではなかったけれど・・・。そしてその時に受けた傷があまりに
酷かったため、自身も幼馴染のエイミーと共にラッシュと同じ手術を受け、強制的に平和維持軍とされ今日までを
人の命を糧に生きてきた。事実であるのに何処か遠く感じるのは、思考がついていかないからか、それとも
自己防衛による逃避なのかは定かではない。

もし絶望に目の前が真っ暗になっていた『真実』を知った日に、隣りで眠るこの人がいなければ自分はどうして
いただろう。エイミーのように死にたがっただろうか。・・・そうだろう。ゼオンシルトは無意識に自分の問いに頷く。
誰かを犠牲にして生き続けるのも、薬を飲まずにスクリーパー化して皆を襲うのも御免だった。故に魔物にでも食われて
死のうとしたかもしれない。思い出すだけでこんなにも胸が痛むのだから。左胸に手を当ててゼオンシルトは
ふっと息を吐く。それから、上半身を捻って背後を見遣ればよほど眠かったのか健やかに眠る青年の姿。
先ほども思ったが寝顔は普段怒っているイメージが強いだけに可愛らしく映る。

「・・・・・ギャリック」

吐息に混じるほど微かな声で呼んでみる。それが届いたわけではないだろうが身じろぎ長めの前髪が彼の顔を覆う。
せっかくの寝顔が、と勿体なく感じたゼオンシルトは起こさぬよう気をつけそっとギャリックの銀糸を掻き分けた。
ずっと見ていたい。そう思うのに身体は疲れているのか自然と瞼が下がってくる。抗おうとしても目前から届いてくる
規則正しい寝息が耳に心地良くより眠気を誘う。まるで宙に浮いてるかのような酩酊感を憶え、ゼオンシルトは
嬉しそうに口元を綻ばせ幸せを噛み締めながら眠りについた・・・・はずだった。

けれど、冒頭の言葉に戻ってくる。人は幸せの絶頂にいる時ほど恐ろしくなるものだ。その幸せを、失った時の事を
無意識の内に考えてしまうから。そう、このすぐ隣りにある温もりを、柔らかく抱き留めてくれる腕を、大切な存在を
失ってしまったら自分はどうなってしまうのだろう。考えたくないのに、思考を埋める。怖くて怖くて震えが走るほどに。
その不安は深層心理を表す夢となってゼオンシルトを襲う。

幸せなはずなのに、優しい腕の中で見る夢は自分が一番辛かった時の記憶。誰かに傍にいて欲しいのに、
皆が自分から離れていったその時の事が何度も何度も頭の中で繰り返される。これは夢だ、終わった事だと夢の中で
第三者のように見ている自分自身が叫んでも、ズクズクと心臓に刺さってくる。声に出す事はなかったけれど、
ずっとずっと心の中で叫んでいた。同じ言葉を。でも、言えなかった。自分の存在が後ろ暗かったせいか、それとも
離れていった仲間を信じる事が出来なかったせいか。手を伸ばす事すら、出来ないで。

―――行かないで

独りは怖い。独りは嫌だ。悪さをして納屋に閉じ込められた幼子が助けを求めるかのように必死に訴えかけようとしても
喉から音は出てこない。唇を動かしても瀕死の虫のような息が漏れ出るだけ。ああ、でも声になったところで皆は果たして
止まってくれただろうか。振り返ってくれただろうか。現実を体感してしまったゼオンシルトは夢の中で疑心暗鬼に陥る。
だが、一つ希望があった。この後、無意識に向かったグランゲイルの地で出会うのだ。誰よりも愛しくて、誰よりも大切な
存在になったあの人に。ほらもうすぐ会える。この夢があの時の記憶ならば。だから、大丈夫。ゼオンシルトは自らに
言い聞かせる。歩いて歩いたその先に・・・・

『ギャリック』

記憶とは少し違うが、深淵の闇の中その人が立っている。辺りには光一つないのに何故か暗がりの中でくっきりと
その凛とした佇まいが浮き上がり、ゼオンシルトの呼びかけが聞こえたのか彼は振り返る。またお前か、みたいな顔で。
綺麗な緋色の瞳がまっすぐと同じ色の瞳を捉えた。ゼオンシルトは安堵して更に近づく。触れたくて、触れられたくて
腕を伸ばす。白い指先が紅蓮のマントに掠めた。しかし。

『・・・・え?』

掴む前に光沢のある布地は自分から遠ざかっていく。不思議に思ってゼオンシルトはギャリックを見上げた。
するとそこには嫌悪でも表すかのような顰め面があって。途端にゼオンシルトは目を見開き、何も考えられなくなった。
ナゼ、ドウシテソンナカオヲスルノ?漸く出て来た感情は混乱のため、何処か機械的に。思考回路がショートでも
したかのように、状況を上手く判断出来ない。彼だけはギャリックだけは、自分の事をちゃんと見てくれたはずなのに。
その彼が目の前で険しくゼオンシルトを睨みつけている。そして伸ばされた腕から逃れるようにゆっくりと身を引く。

―――嫌だ!どうして離れていくの?

遠ざかっていく背をゼオンシルトは追った。どうせ夢だ。そうは思えど、例え夢ですら置いていかれるのは嫌で。
息が上がっても、足が痙攣を起こすまで疲れ果てても、転んでも必死にギャリックを追う。現実の彼なら立ち止まって
立ち上がるまで待っててくれるはずなのに、夢の中の彼は振り返りもせず何処かに行ってしまう。不意に何処かから
声が聞こえてくる。色々な声が混じって誰のものかは分からない。けれどその声は皆同じ言葉を発している。

『寄るな、化け物』

はっきりと聞き間違う事もなく耳に入ってくる侮蔑の言葉。その無数の声の中によく知った声が混じる。
瞬間、ゼオンシルトは耳を塞いだ。言わないでと何度も念じる。立ち上がる事も出来ずに蹲っているといつの間にか
前を歩いていたはずのギャリックが立ち止まり、ゼオンシルトを見た。その口元が聞きたくない言葉の形に動く。
貴方もなの?投げかけられた負の感情を受け止められずに大きな紅い瞳は涙に濡れた。底の見えない漆黒の地面に
ぽたぽたと幾筋もの涙が吸い込まれ消えていく。早く早く夢から覚めて。こんな夢終わらせて。誰にともなく願う。
けれど夢は終わらない。嘆くゼオンシルトを余所にギャリックは再び歩き出した。その後姿を見てゼオンシルトは
今まで声にならなかった思いを漸く口にする。

「置いて行かないで」

強くもなく、そのまま闇に飲まれてしまいそうなほどに弱い声。それでもゼオンシルトにとって渾身の思い。
仲間たちに向けても叫びたかった。けれど飲み込んでしまったその一言。ギャリックに向けて言ったのは、本当に
彼に置いて行かれたくなかったから。好きじゃなくてもいい、嫌いでもいい。でも、離れて欲しくない。その思いで。
言えなかった本当の気持ちを口にした瞬間。再度ギャリックが足を止める。まだ何か、捨て台詞を残すのだろうか。
びくりとゼオンシルトは怯えた。これ以上、突き放されたら自分は壊れてしまうかもしれないと。なのに振り返った
彼の白い面に浮かぶのは侮蔑でも嫌悪でも怒りでもなく。

『・・・・・ちゃんと言えるじゃねえか』

頭を撫でたりする時にする、柔らかな微笑を湛えて彼は告げる。それから蹲るゼオンシルトの傍に跪き、
身体を抱き起こすと強く強く抱き締めて。夢のはずなのにその強さも温かさも鼓動も肌にしっかりと伝わってくる。
実際に抱き締められているかのように。

『ギャリック・・・・?』

自身を置いて行った彼と今抱き締めてくれる彼とどちらが本当なのだろう。困惑した細い問いに返ってくるのは
酷く生真面目ないつもの彼の瞳。思わず身を竦めてしまいそうなほど真摯な表情にゼオンシルトは首を傾ぐ。
腕の拘束が強まった。もう涙は出ない。代わりに込み上げるのは様々な疑問。それにギャリックは目を伏せて。

『お前は、いつも言葉を飲み込みすぎる。それじゃあ、どうして欲しいか誰にも分かんねえだろ』

言われて、そうかもしれないとゼオンシルトは頷く。

『言葉に勇気を持て。助けて欲しいなら、そう言え。躊躇ってたら、誰もお前を救えねえ』
『それでも・・・・誰も助けてくれなかったら?』
『だったらお前が本当に苦しい時、辛い時、我慢しねえで俺を呼べ。そうしたら・・・・』

何処へでも駆けつけてやる、そう耳元に低い声が落とされる。嘘偽りのない大好きな声が。嬉しくてゼオンシルトは
微笑み大きく頷いた。その返事を待っていたかのように見届けるとギャリックの身体から蛍のような光の珠が
立ち上る。何かと思う間もなくそれは徐々に数を増やし、逆にギャリックの身体が指先から消えていく。
そこでゼオンシルトは漸く気がついた。彼が何故この暗い中はっきり見えたのか。それは彼自身が光で
出来ていたからだ。霧散していく光の粒子をゼオンシルトは呆然と見守った。今度は置いて行かれるわけではない。
夢から覚める時がやって来ただけの事。確証はないが確信はしていた。証明するかのように身体が何処かに
引っ張られるような感覚がする。終わりが近い。自覚と共に意識が遠のいていく。そしてそのまま・・・



◆◇◇◆



「起っきろー!ゼオンシルト!!」

ぼすん

金切り声と共に顔に微かな重みを感じてゼオンシルトは目を開いた。途端に映り込むのは水色の物体。
目と近すぎて何か分からぬほどぼやけて見える。頭上に疑問符を乗せゼオンシルトは顔に張り付いた何かを
摘み持ち上げてみた。するとそれは自分の手のひらに納まりそうなほど小さな生き物―コリン―で。

「・・・・コリン、何やってるんだ?」
「何やってるんだ?じゃあないわよ!起きるのおっそいなー相変わらず」
「・・・夢、見てたから」

普通、夢を見ている時の方が眠りが浅い。けれどその場合の方が何故か長く寝てしまうもので。
凡庸と定まらない頭を振って目を瞬く。正直まだ悲しい気持ちと嬉しい気持ちがごちゃごちゃになっている。
苦笑して身体を起こすと違和感。身体がだるいというのもあったがそれ以上に在るべきものの姿がない。
そっと自分の隣りに出来た枕のくぼみに触れてみる。もう、そこには熱はなく。

「・・・・コリン、ギャリック知らないか?」
「さあ、アタシが来た時にはもういなかったけど〜?」
「・・・・・・・そう」

我知らず、落胆の色が隠せていないなとゼオンシルトは思った。まあコリン相手に隠すのもどうかとは思うが。
息を吐き出し少し痛む身体に眉間を顰めると痩身はベッドから降りる。そういえばいつの間にか服を着ていた。
昨晩は裸だったはずなのに。ギャリックが着せて行ってくれたのだろうか。思い当たると何だか嬉しくて瞳が和む。
同様にシーツも取り替えられていた。まるで昨晩の出来事自体が夢だったかのように何の痕跡もなく。

「・・・・・・・・・・」
「ゼオンシルト、どうしたの?まだ寝ぼけてる?」
「え、いや・・・何でもない」

ふわりと自分の前に飛んできた妖精に首を振るとゼオンシルトは若干ふらつき、ドアの方へと足を進める。
が、手前の机の上に紙が一枚乗っているのを目にし、立ち止まる。コリンもそれに習い紙を覗き込む。

「うーんと、『わるいが・・・よ・・・う?・・・じがあるか・・・ら・・・か・・・える・・・ぞ』・・・・?」

人間の文字にあまり詳しくないコリンは途切れ途切れ自信なさげにしながらも何とか最初の一行を読み上げる。
ギャリックからの置手紙だ。そう解すとゼオンシルトはコリンよりも先に続きに目と指先を走らせた。
意外にもその文字は流麗で女性が書いたように整っている。内容こそ用件のみ、的な味気ないものではあるが。

「ねえねえ、続き何て書いてあるの?アタシあんまり文字とか得意じゃないんだよね」
「ん?ああ・・・何か暫くはこっちに来れないから用があるなら直接来てくれ・・・みたいな事かな」
「なあんだ。ラブレターかと思ったのに。つっまんなーい」

ラブレターという単語が少女の口から出て、ゼオンシルトは咽た。こう言っては何だがギャリックという青年に
その響きは非常に似つかわしくない。大体、手紙に認めるくらいなら直接口で言う性格のように思える。内容が分かって
一気に興味をなくしたのかコリンはふぁと欠伸を一つ漏らす。が、何か思いついたのかにんまりと笑い。

「あ、そうだ。昨日は結局どうだったのよ」
「何が?」
「何が?じゃないでしょー!何のためにコリンちゃんが気を利かせて出てったと思ってんのよアンタ!」

ぷんぷんと頭のてっぺんから湯気を出し、腰に手を当てて怒るコリン。何と古典的な怒り方なんだろうかと内心で
ゼオンシルトは笑った。それから、昨日の事とやらをどう言おうかと考える。しかしどう考えても他人に吹聴出来る事では
ないだろう。同性と肌を重ねた、なんて。困惑に口を噤んでいると興味津々といった具合にコリンがゼオンシルトの顔を
じっと見つめ、次いでぷにぷにとその頬を突付く。

「なあんか、昨日より血色いいのよね〜。しかもちょっと色気があるような・・・?」
「な、何言って・・・・・」
「はああ〜ゼオンシルトもついに大人になっちゃったのねぇ、今夜はお赤飯炊かなきゃ」
「!!!!」

一切口に出していないはずなのに、コリンには昨夜ゼオンシルトとギャリックの間に何があったか分かってしまったようで。
にやにやと人の悪い笑みを浮かべている。正確に言えば彼女は人ではないので妖精の悪い、となるのだが。
あまりの言われように唖然とするゼオンシルトを余所にコリンは長い髪を空中にたゆらせ、ぽすんと蜜色の髪の上に座る。

「こ・・・・コリン?」
「何?大丈夫よ、言いふらしたりしないから。それより皆待ってるんだからさっさとご飯食べて移動!」
「・・・・・・・もう皆起きてるのか・・・・」

まだぼうっとしながらもコリンに言われたままにゼオンシルトは朝食を貰いに店主の元まで歩く。

「って言うかー、アンタ以外は皆寝れなかったみたいよ?ファニルもずっと研究してたし」
「何それ。俺が図太いって言いたいのか?」
「べっつにー?相棒としてはアンタに幸せになって欲しいし、文句ないよアタシは」

相手がアイツって事以外は!と息巻きゼオンシルトの頭上でバタバタと暴れる。彼女が何故そこまでギャリックに
対し風当たりが強いのかゼオンシルトにはよく分からなかったがまあ応援してくれているようなので曖昧に相槌を返す。
別に誰かの許しが欲しいわけではないが反対されるよりはやはり応援してもらいたいと思うのが人の性だろうから。

「何にまにましてんのよ」
「してないよ、人聞きの悪い」
「アイツに会うまでは死にそーな顔してたくせにさ」

言われてそれは言えてるとゼオンシルトも納得する。本当に、ギャリックに会わなければ自分は死んでいたと思うから。
大好きなんて言葉では足りないくらい、大好き。でも愛しているという言葉は自分らしくない。故にどう言い表せば
いいのかがよく分からなかった。ただ一つ言えるのは。

「俺は、ギャリックがいるから生きていける」

それこそ空気のように、彼がいなくては自分の人生が始まらないどころか終わってしまう。両親がいなくなっても
祖母を失っても兄のように慕っていた幼馴染と別れても、何とか生きてこれたけれど。彼が失われてしまったら。
息も出来ずに苦しんで死んでしまうだろう。それくらい大切でかけがえがなくて愛おしい。その思いが伝わったのか
難色を露にしていたコリンもふっと苦笑い。

「そんなに好きになれる人に会えて・・・よかったねゼオンシルト」

慈しむような響きは常の彼女からしたら酷く穏やかで、嬉しそうにゼオンシルトも瞳を細めた。優しい優しい時間。
それも後ほんの少しだけれど。改めて気を引き締めなければと胸の奥に彼の人への思いはしまい込み、
ゼオンシルトはコリンと共に部屋を後にした。



◆◇◇◆



朝食を終え、クライアスらと合流したゼオンシルトたちはそのまま一目散にキャリーに跨りカイザリス島まで
一番近い街であるザーランバまで移動する。砂漠化が広がり水気が全くない砂の街。太陽の照り返しが身を焼くほどの
暑さを伝えてくる道のりを急いだ。カイザリス島は海に覆われた島故に引き潮の時間を逃すと徒歩では渡れなくなる。
最早スクリーパーの巣と化した海辺の岩肌が露出した道を懸命に駆けた。

「おい、急げ!スクリーパーなんて相手にしてたらキリがねえぜ!」

幾らゼオンシルトの超音波結界のおかげで弱体化しているといっても次から次へと沸いてくるそれをいちいち相手に
していたら、潮が満ちてきてしまう。そうなればろくに応戦も出来ずに海の藻屑となるしかない。仕方なしに一行は
敵前逃亡を決め込む。執拗に迫ってくるスクリーパーを含む魔物。足の遅いファニルを庇うようにゼオンシルトは
彼女の背後を守る。薙ぎ払った槍の傷口から敵の紫色の体液が飛び散り地面を濡らしていく。異臭が周囲を包む。

「ファニル、もう少し急いで」
「は、はい!すみません私足が遅くて・・・・」
「ファイトー、ファニル!」

メルヴィナとコリンに励まされ、ファニルは息が切れるほどに両足を交互に動かす。身体が弾む度に背中の
漆黒の羽が揺れてコウモリが空を飛んでいるようだ。そんな事を暢気に考えつつ、ゼオンシルトは殿で敵を斬り続けた。
せっかく洗ってもらったばかりの服に返り血を浴びて。

「・・・・・怒られるかな」

ぐいとノースリーブのセーターを摘んでゼオンシルトは眉を顰める。魔物の血、特にスクリーパーの血は落ちにくい。
それを昨日落としてくれたのに、もう汚れてしまっている。まるで白いシャツを泥だらけにして帰って来た子供のように
汚れを見下ろす青年の顔は申し訳なさで歪んでいた。

「・・・?ゼオンシルトさん、どうしたんですか?」
「あ・・・いや・・・何でもない。それより前を見て、転ぶよファニル」
「大丈・・・・きゃあ!」

言った途端、目前の黒衣に包まれた少女が足元の石に躓き、肢体が前のめりに傾いでいく。このままでは顔面から
このでこぼこ道に突っ伏す事になる、と慌ててゼオンシルトは崩れる身体を後ろから抱き留めた。

「あ・・・有難うございます、ゼオンシルトさん」
「うん、気をつけて」

脇にファニルを抱える形になったままゼオンシルトは微笑む。瞬間、さあっとファニルの頬が高潮した。それから
降ろしてくれと言わんばかりに腕の中でじたばたと小さな身体は暴れたが、ゼオンシルトはファニルを離さない。
抱きかかえたまま、険しい道を走る。

「ぜ、ゼオンシルトさん?!降ろして下さいー!!」
「・・・・・この方が早く移動出来るじゃないか」
「そ、そうかもしれませんが・・・恥ずかしいです〜」
「大丈夫、誰も見てないから」

そういう問題じゃないと紫の瞳が訴えかけてくるが、気にしない。結局海岸の道が終わるまでゼオンシルトは
ファニルを抱えていた。そうして彼らが島に着く頃には潮が満ち今まで彼らが疾走していた道のりは海水で消されて
しまう。間に合ってよかったと息つく暇もなく今度は島に生息する魔物が襲い掛かってくる。

「予想はしていたが・・・・魔物の巣窟じゃねえか」
「食物連鎖の最上級モンスターがいるんだから当然、と言ったところではないかしら」
「類は友を呼ぶって奴ね!」
「コリンちゃん・・・・それちょっと違うと思うんだけど・・・・・」

強い魔物がいるところには魔物が集う、と言いたいらしいコリンにファニルは冷や汗一つ流して突っ込んでみる。
そうこうしている間に四人と一匹を取り囲むようにガーゴイルやポーンスクリーパー、更には見た事のない魔物が
詰め寄っていた。クイーンスクリーパーと戦うまでは出来るだけ消耗したくない。部隊の指揮を任されている
ゼオンシルトはまっすぐ島の砦の入り口まで強行突破を図る。

「クライアス、皆・・・全部を相手にしてる場合じゃない。入り口の周囲にいる奴だけ倒して早く中に」
「ああ、分かった!」
「ファニル、アタックとサイクルアップだけ頼む」
「はい!」

魔法を先駆け、瞬間的に攻撃力と機動力だけ上げると、総員で小細工なしに突撃する。
余力を残しながら、などと温い事を言っていればすぐさま返り討ちに遭ってしまいそうなほど強い敵を何とか
打ち破り、彼らはクイーンスクリーパーの根城とする島の内部へと勇んで飛び込んでいった。



◆◇◇◆



幾度も敵の襲撃を受け、内部の転移装置を起動させながら何とか頂上に着いた一行はアドモニッシャーに
よる攻撃でダメージを負ったクイーンスクリーパーと対峙し、その巨大な身体に何度も何度も刃で斬り付ける。
その度奇妙な色の血と異臭、更には人体に当たると有害なエネルギー波が飛び散り、戦況は苦戦を
強いられるものとなったが、やはり総司令と副指令の命を懸けた攻撃の余波を引き摺っているらしい
クイーンスクリーパーは少しずつ少しずつ傷口を広げて弱っていく。更には後から現れたアレッサの増援により
不利だった戦況が逆転し始めた。

「後少し、皆何とか持ち堪えてくれ」

最前線でゼオンシルトが檄を飛ばす。皆それに言葉で応えるほどの気力はない。代わりに行動で応えようと
痺れる手、疲れる身体、乱れる息に鞭打って敵の硬い肉に刃を穿つ。そうして斬り広げた傷は大量の出血を促し
何時間にも渡る戦いに漸く終止符が打たれようとしていた。残った力全て込めた渾身の一撃がゼオンシルトの槍から
繰り出され、十文字にボロボロになった醜い化け物の身体を斬り付け、鼓膜を破るのではないかと思うほどの
咆哮が大地を震わしながら周囲に響き渡る。そしてその瞬間、空中に紅く光る魔方陣が出現し、徐々に
砕け行くクイーンスクリーパーの巨体を魔方陣から伸びる光が覆う。

「・・・・何だ、あれは・・・・・」

あまりの眩しさに目を逸らすと、光は霧散し、その中にいたはずのクイーン諸共その場から消え去っていた。
その場に残るのは異臭と血痕それから誰にも冒し難い、静寂。暫くの間、誰もが何も口にする事が出来ず、ただただ
乱れた吐息だけが耳に届く。

「・・・・終わった・・・のか・・・・・」

漸く、呼吸を取り戻したゼオンシルトが双槍を地に突き刺し、それで崩れていく四肢を支えながら呟けば、他の面々も
武器を地面に取り落とし、その場に座り込んだ。きつい戦いだったと皆が吐息を吐き、やがて最大の敵を倒した
歓びが軽やかな笑いと共に訪れる。

「はは・・・やったぜ・・・クイーンを・・・倒した」
「父さんの仇・・・討てたかしら」
「皆さんお疲れ様です・・・・私たち、平和への第一歩踏み出せたんですよね」

息も切れ切れにそれぞれが勝利の余韻に浸る。まだ各国の敵対状況の改善、それにクイーンスクリーパーを
倒したものの、その他のスクリーパーはまだ生息しているためその殲滅など色々な問題が残されているが
それでも、一つ区切りを得た。その清々しさに皆の口元は綻んでいる。ゼオンシルトはそんな彼らを見渡し、
相棒たるコリンと笑い合うとポケットへと手を伸ばす。

「何やってんの、ゼオンシルト」
「いや・・・ここで勝てたのもお守りのおかげかなと思って」
「お守り・・・・?」

満身創痍ではありながらも、こうして命を守ったまま勝てたのはきっとギャリックのくれたお守りのおかげだと
ポケットに確かにしまい込んだはずのピアスを探す。

ごそごそ、ごそごそ・・・・

「・・・・あ、あれ?」
「どうしたの?」
「ピアスが・・・あれ?ちゃんとしまったはず・・・」

大して物が入ってるわけでもないポケットの中を何度漁っても、肝心のピアスが出てこない。右も左も後ろも
探すが出てくるのは渡しそびれたメダルだけ。中の布を引っ張り出してみても、ない、ない、ない。
荷物の中も引っ掻き回すが回復薬などの薬類と食料、それから各地で入手した貴重品しか出て来ない。

「嘘、何でないんだ!?」
「ピアスってどんなのよ」
「あの・・・・ギャリックから貰った・・・彼がいつもしている奴だ」

これくらいで金色の・・・と手でサイズを表しコリンにゼオンシルトは探し物を教える。それを受けてコリンは溜息を
吐くとくるりと辺りを見渡して無情な一言。

「どっかで落としたんじゃないの?」

言ってやればゼオンシルトの顔色は平和を掴んだ英雄とは思えぬほど青褪める。それから荷物も全て放り出して
地べたに這い蹲りピアスが落ちていないか探し出す、ものの。辺りはクイーンスクリーパーの血やら肉片が拡散していて
そう簡単には見つかりそうもない。不自然に四つん這いになりきょろきょろと辺りを見渡しているゼオンシルトを
不審に思い各々の感慨に耽っていた面々が奇異の目を向けてきた。

「おい、ゼオンシルト。お前何やってんだ?」
「探し物でもしているの?」

コツリコツリと長靴を響かせ、歩み寄ってくる影。すぐ傍に跪くメルヴィナを視界の端に認めてゼオンシルトは
情けない表情で頷く。

「手伝いましょうか。何を落としたの?」

地面に着きそうなほど長い髪を耳に掛け首を傾ぐ美貌。疲弊を露にしたその顔を見てゼオンシルトは首を振る。
皆疲れているのだ。自分の失態につき合わすわけには行かない。特に女性にこんな場所に長居させるのは非常に
申し訳ないし、服だってドロドロになってしまうだろうから。それに、ギャリックから貰ったピアスだ、なんて何だか
気恥ずかしくて言えそうになかった。逡巡してゼオンシルトは。

「いや、いいよ。皆疲れてるだろう。今なら潮も引いてるみたいだし先に戻ってていいよ」
「でも・・・この島にはまだ魔物がいるのよ?一人は危ないんじゃないかしら」
「誰がクイーンを倒したと思ってる?」
「・・・・・貴方ね。まあ、確かに貴方の強さならその辺の敵に負ける事もないかしら」

何やら手伝って欲しくなさそうだと気配で感じ取ったメルヴィナは仕方なさそうに立ち上がると一度ゼオンシルトを
振り返り、けれど疲れているのは確かなのでクライアスとファニルに帰り支度をさせる。

「あ?ゼオンシルトはどうすんだよ」
「何か探し物があるそうよ」
「じゃあ私たちもお手伝いを・・・・」
「何だか一人で探したいみたいなの・・・・だから私たちはザーランバ辺りで待ってましょう?」

手伝おうとするファニルを制し、メルヴィナはゼオンシルトにいいわね?と確認を取る。その問いに頷いて
返されると地面に落とした武器を拾い上げ、三人は後ろ髪を弾かれながらも先に転移魔方陣へと去っていく。
残されたゼオンシルトとコリンは彼らの姿が見えなくなるまで手を振った。

「・・・・・行っちゃった」
「コリンも行ってよかったのに・・・・」
「んー、何となくね。アンタの身体の事もあるしさ」

ふわりとゼオンシルトの肩に乗りコリンはちょっと休憩してから探し物を手伝ってあげる事にした。
ぬちゃぬちゃとクイーンの体液に手を突っ込んでゼオンシルトはピアスを探す。嫌な匂いで鼻が曲がりそうだったが
それよりもピアスが大事だと忙しなく手と目線を動かす。

「・・・・暗くなる前に見つけないと、視界が利かなくなっちゃうわね」
「そうだね。でも、いつ落としたんだろう・・・」

大事な物だったのに落としてしまった。その事実にゼオンシルトの声は暗い。何時間も辛い体勢でピアスを
探し続ける。いつの間にか空の色も蒼から茜色へと変化している。今日最後の引き潮がカイザリス島の道を暴き出し、
オレンジ色に染め上げていく。

「ゼオンシルト、急がないと潮が満ちちゃうよ?」

帰れなくなってもいいの?と耳元に落としても当の本人は聞こえていないのか汗と泥だらけになりながら必死で
ピアスを探している。もう、頂上にはないのかもしれない。そう結論付けると息を乱した痩身はよろよろと立ち上がり
きっと来た道の途中で落としたのだと千鳥足で軌跡を辿る。

「ちょっとアンタ、フラフラじゃない。少し休めば?」
「嫌だ、見つかるまでは探す・・・暗くなったら・・・探せない」

ぐいと顔の汚れを手で拭いゼオンシルトは岩壁に手を着いて何とか前を行く。足元に視線を落とし、金の輝きが
ないか必死になって探すもそれらしき物は一つも見えない。不意に涙が込み上げてくるが泣いている暇があったら
探さなければと首を振る。だが疲労に疲労を重ねた肢体では集中力も持たず、やがて限界を迎えた。休もうなどと
思ってもいないのに無理を強いた身体はずるずるとその場にへたり込む。

「ゼオンシルト、ちょっとしっかり!」
「ど・・・しよピアスまだ見つかってないのに・・・動けな・・・・」
「もう、無理するから!どうすんのよこんなとこでへばって、モンスターでも出たら・・・・」

はあはあと荒い呼吸を繰り返す背中にコリンが怒鳴りつけた刹那、ズシンと重い何かの足音が聞こえた。
噂をすれば影とでも言うべきか、それともゼオンシルトの血の匂いに引き付けられたのかルークスクリーパーや
身体の大きな未知のモンスターが集まってきていた。二人の顔は一気に強張る。何せ、もうゼオンシルトは
戦える状態ではない。このままではろくに応戦どころか抵抗も出来ずに食われるしかない、そんな状況だった。

「ちょっとちょっと〜どうすんのよ、敵、敵、敵〜〜」
「コリン、静かに・・・騒いで刺激するな・・・・」
「アンタこそ何落ち着いてんのよ!絶体絶命、四面楚歌、背水の陣〜〜!!」

混乱しているのかコリンに落ち着きは戻らない。ゼオンシルトとてこの状況に危機を抱かずにいられるほど暢気ではない。
せっかくクイーンスクリーパーを倒したというのにこんな雑魚とまではいかないが一モンスターに殺されたら果たして
ギャリックはどう思うだろう、考えた。きっと凄く怒るんだろうな・・・行き着いた想像にゼオンシルトは諦めにも似た笑みを
浮かべる。本当はもっともっとあの幸せな腕の中にいたかったけれど、自分はもう限界らしい。身構える。だが、せめて
こんな自分に付き合ってくれた彼女だけでも逃がそうとゼオンシルトはブルブルと震えながらも槍を支えに立ち上がった。

「ゼオンシルト?!」
「コリン・・・・俺がおとりになるからお前はさっさと逃げろ」
「駄目だよ!アタシはアンタの相棒なんだから!逃げるなら一緒だよ!!」

パシン、とコリンは小さな小さな手でゼオンシルトの頬を平手打ちする。正直、彼女の手のひらで叩かれても痛いの内に
入らない刺激にしかならない。けれど、その赤紫の大きな瞳にいっぱい溜められた涙を見てゼオンシルトの心は揺らぐ。
生きて帰れるものなら自分だって生きて帰りたい。ギャリックとの約束を果たしたい。それ以上に彼に逢いたい。
もっともっと好きだって伝えたい、傍にいたい、声を聴きたい、笑っていたい。たくさんの願いが込み上げて頭がパンク
しそうになってしまう。その間も自分と敵の間合いは詰められる。威嚇の咆哮が響く。

「ゼオンシルト!!」

人間の生肉を求めて突進してくるモンスターの攻撃を生きたいという思いだけで何とか避ける。しかし踏み止まる力など
とっくになくなっている疲弊しきった身体はそのまま地べたに尻餅を着く。逸れた体当たりが岩壁に突き当たり、
巨大な亀裂と揺れを運んで来る。場所が場所だけに振動で上から瓦礫や礫が降り注いできた。もう、避けられない。
落ちてきた岩の塊が足を直撃し、ゼオンシルトは蹲った。

「ゼオンシルト、逃げなきゃ!来るよ!!」

コリンの声を耳に入れ、ゼオンシルトは血の流れ出す足を引き摺り這って後退するが、流れ出す血に興奮した
スクリーパーが大口を開けて迫ってくる。コリンはその瞬間が恐ろしくてぎゅと目を瞑った。対するゼオンシルトは
動けない事を疎ましく思いながらも目を見開きその光景をずっと見ている。走馬灯のように過去の記憶が一瞬の間に
物凄い速さで脳裏を駆け巡っていく。ああ、自分は死ぬのか。そう思った瞬間、今朝見た夢が走馬灯の中で
一際強く輝いた。大好きな声が耳に届く。

『言葉に勇気を持て。助けて欲しいなら、そう言え。
お前が本当に苦しい時、辛い時、我慢しねえで俺を呼べ。
そうしたら・・・・何処へでも駆けつけてやる』

その言葉が響いた時、そんな事があるわけもないと思いながらゼオンシルトは目を逸らす事なく、
彼の姿を思い浮かべ、必死にその名を叫んだ。今までの人生で恐らく一番大きな声で。

「ギャリックーーー!!!」

喉が枯れるのではないか、そんなどうでもいい事を思うと、ゼオンシルトの身体は後方に傾ぐ。今度こそ、
自分に残った力を全て出し切った。指一本すら動かせない。目も開けて入られず、ゆっくと瞼が下がり始め視界が
狭くなっていく。最後に見たのがこんな凶暴な化け物の顔なんて、俺には似合いなのかもしれない。
嘲笑ったつもりで、もう動かせない顔の筋肉は表情を変えず、静かに静かに眠ろうとしていた。けれど。
瞼が完全に降りきる前に神々しいまでの光が僅かな視界を過ぎった。お迎えか、なんて冗談半分で考えていると
光が消え、スクリーパーの断末魔の叫びと体液が飛び散る音が耳に届く。

「・・・・・え?」

掠れた声というよりも吐息が落ちる。何事だと力の入らない瞼にそれでも力を込めて薄目を開けると自分に
襲い掛かってきていたはずのスクリーパーが肉片から紫の血を噴出しながらその場に倒れ込んでいた。
次いで血溜まりの上に見慣れた靴が飛沫を飛ばしているのが見える。紅いレッグガードに血が染み込む。
白いズボンにも紫の染みが飛んでいた。もう、そこに立っているのが誰かなんて顔を見なくても分かる。
名前を呼びたい、けれど声にならなかった。代わりに彼が口を開く。

「馬鹿、んな大声出さんでも聞こえる」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・ッ」
「あ、アンタ!!」

不意に聞こえた声に目を瞑っていたコリンも目を開け、叫ぶ。途端に煩いと声主は眉間を顰めたが、
すぐに独特の双斧を構え、周囲を囲む数十体にも及ぶ敵に向かって斬りかかる。これが並みの戦士なら
立ち向かうどころか裸足で逃げ出しているだろう。けれど彼は怯まず器用に長い斧を回して遠心力を味方に
つけると、硬いモンスターの皮膚をものともせず薙ぎ払う。刃が触れた箇所から断面を平らにした綺麗な切り口が
広がり、胴体を真っ二つにされたモンスターが悲鳴や恨み言を残して消えていく。

その噂に違わぬ豪腕を目にしてコリンはあんぐりと口を開けたまま次々と倒されていく魔物の末路を見守る。
彼女の相棒のゼオンシルトとて闘技場でスレイヤーと認定された強者のはずだが、今目の前で闘う彼の
凄まじい攻撃の破壊力と比べると大人しいものだ。しかも、身の丈よりも更に長い斧を二振りも繰っているはずなのに
当の本人は息切れ一つしていない。そこまで行くと何というか空恐ろしい。今度からは食って掛かるのやめようかな
なんて弱気な事すらコリンは思う。

「雑魚は大人しく冥土に還るんだな」

最後のルークスクリーパーを斬り伏せると返り血で染まった斧を再びクルクルと回して血を飛ばすといつもの
定位置である背中に交差して背負う。それから邪魔な死骸を罰当たりなと思わせるほどに蹴って退けていく。
一通り道を確保すると漸く振り返る。地面に横たわるゼオンシルトを見下ろし、溜息。

「・・・・なんちゅう格好してんだ、お前は・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「人がせっかく洗ってやった服も即行汚してやがるし・・・・しかも瀕死ってお前・・・人の約束なんだと思ってんだ」

額に手を当て、激昂したいところを何とか堪えているのだろう。青年の声は怒っているというよりは呆れが強い。
もう一度身体の中の酸素全てを吐き出したのではと思うほど重い溜息を吐くと、反応を返せないでいるゼオンシルトの
傍らに腰を下ろし、泥だらけになった頬を軽く撫でる。

「ちゃんと聞こえてるか、おい」

問うと声ではなく、首を縦に振って答えられる。意識はしっかりとしているようなので一先ず安堵し横たわった四肢を
刺激しないよう気をつけて抱き起こした。血が付く、とその腕を押しやろうと微かにゼオンシルトは身じろぐが
その力は赤子よりも弱いもので。呆れが更に募る。こりゃ駄目そうだと青年は腕の中の痩身に向けて魔法を唱える。
淡い橙色の光が傷ついた身体を包む。あちこちに出来た傷が光が触れる度、塞がれていく。

「・・・傷は・・・・塞がったか。流石に疲労は癒してやれんが・・・大丈夫か?」
「ん・・・・・何、とか・・・・」
「ゼオンシルト、よかった、死んじゃうかと思ったよぉ」

ペタペタと身体に触れて傷の有無を確認する青年の脇でコリンは安堵の涙を零した。そんな小さな存在に
向かってゼオンシルトはそっと手を伸ばし頭を撫でる。無事でよかったと。それから、今度は上を向く。
未だに信じられないがずっと会いたかったその人の顔がそこにあった。

「・・・・ギャリック・・・・・・」
「何だよ?」

愛おしさを隠しきれぬ声音が彼を呼ぶ。返って来る返事も心なしか優しい。蚊の鳴くような細い声を拾いやすく
するため、更に身体を引き寄せる。目と鼻の先の距離に近づいた凛とした面は心配そうに見下ろしていた。
嬉しくなってゼオンシルトは笑う。

「いや・・・本当に来てくれたんだなって・・・・・・・」
「は?」
「夢でね、助けて欲しい時に呼べば必ず来てくれるって言ってたんだ・・・・」

まさか実際に来てくれるなんて思わなかったけど、付け足して悪戯っぽく目を細めるゼオンシルトをギャリックは
不思議そうに見ていた。夢で見たと言われても自分はそんな事を言った憶えはないので仕方ないといえば仕方が
ないのだが。ただ夢という単語で思い出した事がある。少しだけ顔を顰めた。

「・・・・・?」
「夢といえば、そういや昨日お前が『置いて行かないで』とか言ってたなと思ってな」
「え・・・俺、口に出してた?」

首を傾がれギャリックはああと簡潔に返す。

「あんまり不安そうにしやがるから・・・・今みたいに抱きしめてやったらアホみたいに笑ってやがったがな」

意趣返しのつもりで言った言葉にゼオンシルトは緋色の瞳を瞠った。その後、酷く嬉しそうに微笑む。
支えのために添えられた腕に手を置く。身体の疲れがなければ、きっと強く抱き返していた。
あの夢の中で抱き締められた時、妙にリアルだと感じたのは悪夢に魘されている自分を本当にギャリックが
抱き締めてくれていたからなのかと幸せに浸りながら。しかしふとゼオンシルトはピアスの事を思い出し、
安堵の滲む表情を悲しげに歪める。

「・・・・・?どうした?」
「うん・・・あの凄く言いにくいんだけど・・・・」
「だから何だよ」
「・・・・・あの、ね。ギャリックに貰ったピアス・・・俺何処かに落としちゃったみたいなんだ」

ごめんね、とこれまで堪えていた涙をボロボロと溢れさせてゼオンシルトは何度も謝る。許してくれないかもしれない、
嫌われてしまうかもしれない、そんな思いに怯えて。けれど、当のギャリックはああ・・・と一言漏らし、何かを漁る。
そして手に何か握り込むとゼオンシルトの手の上にそれを落とした。

ぽとん

軽い衝撃と共にゼオンシルトの手のひらの上で金色の輝きが泥に塗れている。それは、紛れもなくゼオンシルトが
お守り代わりにギャリックから貰った彼のピアスだった。何故、と解いた気に大きな瞳が何度も瞬く。

「ギャリック、これ・・・何処で・・・・」
「ここに向かう途中、見つけた。道が枝分かれしてて、これが落ちてなかったら迷ってたところだったな」
「え・・・じゃあそれが落ちてなかったら・・・・・」
「俺は間に合わずお前はスクリーパーの餌になってたわけだ。自分のドジっぷりに感謝するんだな」

冗談っぽく言われたが、洒落にならない内容にゼオンシルトは息を飲んだ。自分のドジっぷりに感謝する、と
いうよりはお守りの力に感謝した。そしてここに来てくれたギャリック自身に。彼が来てくれなければ自分は
どうあっても死んでいただろう、間違いなくそう思う。

「ねえ・・・ギャリック。何でここに来てくれたんだ・・・?用事があるから暫く来れないって言ってたのに」
「・・・・虫の知らせって言うのか?何か嫌な予感がして来てみた」
「でもよく来れたよね・・・・潮満ちてなかった?」

上手い事、引き潮の時に来ていたのかもしれないが、そうそう偶然が重なるものでもないだろうと問うてみれば
ギャリックは頬を掻いて言う。

「ああ・・・それな。一応来てみたんだが、潮が満ちててな。どうしようかと思ってたら丁度目の前に
変な三人組が小船に乗って通りがかったからキャリィと交換で貸りた」
「変な三人組・・・・?」
「白い服の男とピンク頭の女とガキで・・・そいつらもカイザリス島に行ってたらしい。
船は借り物なんでワースリー村に返しといてくれとさ」

何か歴史がどうのこうの言ってたがよく分からん、と漏らしてギャリックはきょとんとした顔のゼオンシルトを
腕に抱えたまま立ち上がる。その状態は所謂お姫様抱っこというものでやってる本人が何処となく気恥ずかしそうに
していた。コホンと一つ咳をして紅い顔をギャリックは逸らす。

「・・・・ど、どーせ歩けねえんだろ。お、おぶろうにも斧があっから出来ねえし・・・我慢しろ」
「まだ何も言ってないんだけど・・・・」
「う、うるせえ。役立たずは黙ってろ。宿に着いたらめいっぱい説教してやんだからなっ!」
「うん」

にこにこと紅い顔で怒鳴るギャリックにゼオンシルトは微笑む。ついさっきまで死に瀕していたとは思えぬ顔で。
抱きかかえられるままに身を委ねて心地良い浮遊感に酔う。そんな二人を呆然と見つめていたコリンも
遠ざかっていく背にハッとして。

「ちょ、アンタたち!アタシもいるんだからねー!!」

すっかり忘れ去られた己の存在を知らしめるために激昂するも、前を行くギャリックは気にした風もなく。
立ち止まらずにすたすたと出口に向かって歩いていく。全く相手にしてくれない事に腹を立てたコリンは妖精
コンテストで磨き上げた飛行を駆使してその後を追う。今まで見た事もないくらいの勢いで飛んで来る彼女を目に
止めるとゼオンシルトは声を立てて笑った。

「ギャリック、ギャリック。急がないとコリンがすっごいご立腹で追って来る」
「知るかそんなもん。コリンキックとやらも華麗に避けてくれるわ」
「あはは、俺だったら絶対避けられないけど・・・とそういえば忘れてた」
「あ?まだ忘れもんか?」

ぽん、と手を叩くゼオンシルトを見遣ってギャリックは呆れたように目を細める。ピアスの次は何だと尋ねてみれば
返って来るのは予想もしていなかった言葉。

「本当は会えたら一番に言おうと思ってたんだけど・・・・大好き、それからただいま」

満面の笑みで告げられた内容にギャリックは一度目を瞠りそれから・・・・真っ赤な顔で受け止める。
だからなんでそうコイツは恥ずかしい事をさらっと言ってのけるのか。そんな恨み言を垂れ流しながらもその口元を
僅かに綻ばし、両手が塞がれているため自らの額で以ってゼオンシルトのそれを小突く。

「そういう事はお家帰ってから言いな」
「お家じゃないけど・・・・ここが俺の帰ってきたかった場所だもん」
「・・・・!じゃあ・・・しょうがねえからおかえりと言っておいてやろう」

素直でない言い回しでも充分嬉しくて、疲れた身体に鞭打ってゼオンシルトはすぐ傍の温もりに全力で抱きつく。
思っていたよりもそれは勢いがあって堪らずギャリックはよろめきかけたが男の意地で何とか踏ん張る。
文句を言ってやろうかと思ったが、ゼオンシルトがあんまりにも幸せそうなので目を瞑ってやる事にし、代わりに一言。

「悪ガキめ」

非難染みた言葉も慈愛に満ちた表情で言われてしまえば、甘い台詞に立ち代り。
せっかく追いついてキックを食らわせてやろうと息巻いていたコリンも彼らの甘すぎる雰囲気に戦意を喪失し、
げんなりとした表情で、且つ邪魔にならぬ距離を保って後を付いていたそうな。




やっと見つけた、幸せ一つ。

大切だから、失いたくないから最後まで戦い続けようと思う。

例えこの先どんなに辛くて生き難くとも。

貴方と、貴方との約束のために。


だから、約束を果たせたその時は。

大好きな腕の中で、

ただいまと言わせて―――


本音を言えば、

それだけじゃとてもとても足りないけれど・・・。

いつか、貴方もそうだと言って?




fin


安堵シリーズもこいつで最後だぜ!と色々詰め込みすぎました。
最終的にほのぼのカポーだったはずなのに彼らもバカップル化してます(あれ?)
ちょびっとだけGL6への関連を匂わせてみました。本当にちょびっとだけ。
ちなみにギャリックは戻ったらルーファス様に今度こそ百叩きの刑に処されます。
楽しい事の後には苦しい事が待っているのだよ。フフフ(殴)
今度はGL6編ですかね。何はともあれお付き合い感謝ですー。


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