願ってはならないか。
想ってもならないか。

ヒトでないという事は、
そんなに罪深い事か。

願ってはならないか。
想ってもならないか。

俺はヒトではなくなったけれど、
心は確かに動いている。

そのうち氷になってしまいそうな、
日に日に凍える心だけれど。

願ってはならないか。
想ってもならないか。

ただただ、あの夜空に浮かぶ、


―――星に逢いたいと





星、落散る





人を殺めた瞬間、人はヒトではなくなる。
そこにどんなに正当に聞こえる理由があろうと、どんなに同情を誘う理由があろうと。
人として生まれた限り、人は人を殺めてはいけない。幼い子供でも知っているこの世の掟だ。
なら自分は一体何時からヒトではなくなってしまったのだろうか。

本来、こうして手を汚さずとものうのうと生きていける恵まれた家柄に生まれついていた。
むしろ両親は今こうして自分が軍人として戦いに明け暮れている事を喜ばしく思ってはいねえのかもしれない。
けれど自分にはこうする事しか出来なかった。弟が行方不明になって、国民が飢えやスクリーパーに
怯えて暮らしているのを見過ごせず、気づいたら武器を取っていた。幸い自分は元々戦う事に関して才能が
あったらしい。普通ならば、もう遅いと思われる時期からの訓練でも常人を上回る筋力と戦闘能力を得た。

屋敷の中で帝王学を学び、厳しく躾けられてた日々が今では嘘のようで。品位を落とすなと言葉遣いから
立ち居振る舞いまで完璧であるよう、教えられてきたのに。きっと心の何処かで籠の鳥である事に対して反発する感情が
あったんだろう。屋敷を飛び出して軍に入隊してからまるで当てつけのように、自分の言葉遣いは粗野になり、
品行方正とは程遠い荒々しい態度を取るようになっていった。そして月日は流れ、わざとだったそれがいつの間にか
ごく自然に自身に馴染むようになり、もうとてもではないが昔のようには振舞えず。

「・・・後悔、してんのか・・・今更・・・」

弟を探すために、屋敷を飛び出した。約束されていた地位を投げ出して。そして各国を出入りするために軍に入った。
もっと昇進しなけりゃ思い通りに歩き回るわけには行かねえが。

「ギャリック准尉!」
「!」

捨てたはずの家柄で手に入れた階級が、他人の口から零れると何とも言えない気分になる。
未だに弟は見つけられないし、自分は一体何をやっているのだろうと。自分と同じだったはずの人<存在>を
斬り捨てて、他の国の土地を侵して、自分たちさえ良ければ他がどうなってもいいなんて考えてはいねえが周囲から見れば
大して変わりねえんだろうとも思う。憎まれて、いる事は知っている。自分はもうヒトではなく、鬼と呼ばれる生き物に
成り果てちまったから。鬼を愛する人間なんていないもんだ。だから、これからずっと・・・憎まれて生きていく。

「・・・・どうした?」

特別愛されたいわけじゃない。だが、憎まれたいわけでもない。叶うなら、戦わずに穏やかに暮らす一般人になりたい
なんて、らしくない事を考えたりする自分もいて。生きているつもりで、実際は流されているだけでしかなくて、
上司から命令されればそれに従い、部下に縋られればやはりそれを叶えてしまう。俺という個が本当にそこに在るのかすら
疑わしくて、時折何もかもから解放されてみたいなんて馬鹿な事すら脳裏を過ぎる事もあって。なのに、結局俺は・・・。

「何か問題があったか?」
「は。それが・・・他国の者が不法侵入したという通報がありまして」
「何・・・?取り押さえたのか?」

今もこうして、部下の報告に耳を傾け、准尉としての判断を仰がれている始末。正直、そんな判断を仰がれても
准尉程度の士官では大した権限もなく、動かせる兵とてそう多くはねえ。それでも上に立つ者として指示は出さねえと
ならねえってのは苦痛でもある。が、指示を出さないわけにも行かず。

「いえ、それが姿を確認したものの、逃げられてしまったとか」
「・・・っ、馬鹿な。ネイラーンの残党共だったらどうする!集まる者だけでいい、探させろ」
「は!」

集まる者だけ、といってもそうは集まらねえだろう。指揮官が、まだ18のガキでは。甞められているのは分かっている。
どうせ評価されているのは家柄だけだろうと。そんな目で見られているのは知っている。俺の歳では、この世界じゃ
とんだ若輩者だと、分からねえほど世間知らずでも愚かでもねえ。ここいらで何か手柄でも手に入れないと、この立場も
危うい事だって。昇進出来なければ軍人になった意味すらねえ事も分かって、いる・・・。

「さて・・・これは好機かそれとも・・・・」

街中に侵入される前に捕らえられれば好機、失敗すれば間違いなく昇進への道は絶たれる。どんな小さな失敗ですら
掬い上げて俺を蹴落としたがってやがる奴は幾らでもいる。若い士官なんて、権力の亡者から見りゃ、ただのカモだ。
反吐が出る。人を斬って斬って斬りまくって出世しなけりゃ、自分が正しいと思う事すら出来ないなんざ。
鬼にしか、変革の好機を与えられないなんざ・・・反吐が出る。そこまでして地位を手に入れた頃には、志が汚れ
きっちまうなんざ・・・本当に反吐が出る。

「ギャリック准尉・・・?」
「いや・・・行くぞ。市民の安全のため、侵入者は排除する」

今は、考え事なんてしている場合じゃねえ・・・だろう。こんな事ばかり考えちまうのは、やはり後悔しているから
なんだろうか。軍人になった事は、失敗だったんだろうか。だからこんなにも胸糞悪ぃんだろうか。
俺は・・・・ここに居ていいんだろうか・・・・。



◆◇◇◆



国境付近まで伝令に連れられて行ってみれば、思った通り派遣された兵の数は少ない。人探しには、人海戦術が
一番だというのに。こんな目視で数えられる程度の人数で、侵入者を捕らえようなど無謀だ。このままでは逃げ切られるか
更なる侵入を許しちまうだろう。警備の奴らは何をやっていたのか。溜息しか出てこない。

「・・・やれやれ。この人数じゃバラけて探す他ねえな。取り敢えず二人一組で行動しろ。
侵入者を見つけた場合は笛で合図。聞きつけた者から駆けつけ、確保しろ」
「は!了解致しました」
「・・・それから。もし抵抗するようであれば・・・生死は問わん。とにかくこれ以上の侵入を許すな」

犠牲が出てからでは全てが遅い。相手が何を企んでいるのか見当もつかないが、ネイラーンの残党ならば
市民に被害が出る可能性は低くない。こちらが必死ならば向こうも生きるために必死だ。いや、あいつらは誇りのために
死にたがっているのかもしれないが、どちらにしろ民に被害を出したくはない。国を支えるのは軍人ではなく
街に生きる住人たちだ。そうでなければならない。軍人が牛耳ってるようじゃいつまで経っても平穏など訪れない。
例え敵を全滅させたとしてもこの枯渇した大地では国を耕す人間が居なければ、やがて死に絶える。
国がなければ幾ら外敵を討ち倒しても意味がねえ。

「・・・・・・・・・・」

二度目の溜息を吐き出して自分も侵入者を探し出す。もう陽が落ち初め、大分周囲が暗い。これ以上時間を掛ければ
取り逃がしちまうだろう。慎重に茂みの中や岩陰の裏を視線で追う。何か物音がしたと思って足を運んでもその大概が
森に住む動物たちで。眉間に自然と皺が寄る。警笛が聞こえてこないという事は他の連中も侵入者を見つけていねえらしい。
まあ、たったの十数人じゃあこの広い森の中を見落としても文句は言えねえだろう。邪魔になるしな垂れた木枝を
退けて奥の方まで捜索の手を伸ばすものの、やはり人影一つ伺えない。

「・・・・拙いな」

しかし、街の方で何らかの被害があれば、伝令が来るだろう。という事はやはり侵入者はまだこの辺りにいるか
来た道を戻ったかのはずだ。前者であって欲しいが・・・・どうだろうか。額から流れてきた汗を拭いながら周囲をもう一度
見渡してみる。が、やはり暗くてよく見えない。これ以上の捜索は難しいだろう。それに夜は獣や魔物が集まりやすい。
こんな少人数で襲われれば対応しきれねえだろう。

「・・・・諦めるか」

昇進が遠ざかるだろうが、徒に部下を危険な目に遭わせるわけにもいかねえ。戻って散り散りになった部下を集めようと
したその時、丁度自分が通りがかった木の上から何かが落ちてきた。

「・・・?」

何だと地面に視線を落とせば、上から降ってくるには不自然な薬草。明らかに人為的に摘まれたもの。
はっとして頭上を仰げば、一番太い枝の上に子供が身体を縮込ませて座っていた。

「・・・誰だ」

一瞬、近隣の街の子供かと思うものの、それにしては怯えが見える。明らかにこの赤い制服を見て、その子供は
恐怖をその目に載せている。少なくともグランゲイルの人間ではない、という事だろう。という事は、今兵が必死に探している
侵入者とは自分の頭上で怯えきっているこの子供だ。

「・・・・・はぁ」
「?!」
「ったく、誰かと思えばガキかよ・・・」

人騒がせな。肩ががっくりと下がるのが自分で分かる。

「・・・おい、降りて来い。何もしねえから」
「・・・・・やっ!」
「やじゃねえよ、降りて来いっつってんだろ!」

少し威圧しただけで子供は泣きそうに目元を潤ませた。何だか悪い事をしているようでうっと小さく咽る。
はっきり言って子供の扱いは苦手だ。どうしたものかと頭を掻き回していると、とうとう子供は泣き出した。啜り泣く声が
哀れで物凄い自分に対して嫌悪感が湧き上がってくる。

「ちょ・・・泣くなよ。悪かったよ、もう怒鳴らねえから・・・降りて来いよ」
「・・・っく、ひっ・・・ぅ・・・・」
「ああ〜、もうしょうがねえな」

一向に降りてくる気配も、泣き止む様子もない子供に痺れを切らす。こりゃ、自分から近づいた方が早いだろう。
目前の木を登る。木登りなんて何年もしてねえから、多少梃子摺ったものの、子供の座る枝まで辿り着き
その細い肢体を確保する。

「ひゃぁ」
「暴れんなよ、落ちてもしんねえぞ」

捕まえた瞬間、足をばたつかせて逃げようとする子供に言って聞かせれば、その抵抗は少し落ち着く。
けれど震えたままの身体が気に掛かって、柄じゃないと思いつつ頭を撫でてやる。触れる寸前、びくりと跳ね上がったものの
出来うる限り優しく指先を動かしてやれば子供は次第に泣き止み、俺の服の裾をぎゅっと握っていた。

「・・・・・・そのまま、ちゃんと掴んでろよ。今降りるからな」
「・・・・うん」
「いい子だ」

大人しくなった子供を抱え直して、飛び降りると子供は大きな目を瞬かせて驚いていた。よく見ればその色は自分の
それと酷似している。妙な親近感のようなものを感じてじっと見つめていると子供は手に抱えていた薬草で自分の顔を
覆ってしまう。人見知りが激しいのか。どうでいい事を考えていると、そこで漸く自分の任務を思い出し我に返る。

「そうだった・・・お前、この国の者か?それとも他所から来たのか?」
「・・・・・!」

ビクリと再び子供は震える。

「別にガキをどうこうする気はねえよ。道に迷ったのか?こんな時間まで帰らなきゃ親が心配すんだろ」
「・・・・・・おばあちゃんの、怪我の薬取ってこようと思って・・・村を出たら道に迷って・・・・」
「つまり故意に侵入したわけじゃないんだな?何処の者だ、送ってやる」
「・・・・・ワースリー」
「ワースリーって事は・・・平和維持軍の管轄地か・・・・チッ、ツイてねえな」

平和維持軍は、こちらが敵視しているという事もあるが、グランゲイルに対し監視が厳しい。子供を送り届けに来たと
言っても何かしら糾弾してくるに違いない。とはいえ、子供をこのまま放置しておくわけにもいかねえ。
暫し逡巡し、やはり送らないわけにはいかないだろうと結論付けて子供を抱えたまま取り敢えず、部下にその旨を
伝えようと来た道を戻る。

「・・・・あ、あの・・・?」
「送ってやるって言っただろ。黙ってろ」
「・・・・で、でも・・・」
「でも、何だよ?」

聞き返せば、子供は酷く言い辛そうに。

「お、お兄さん・・・グランゲイルの軍人さんでしょ?」
「ああ、それがどうした」
「・・・・おばあちゃんが・・・グランゲイルの人は怖い人だって」
「・・・・・・・・・・・なるほど」

平和維持軍管轄地に住んでいれば、ネイラーンとの戦争を繰り返しているグランゲイルの事をきっと悪辣と語り継いで
いるのだろう。それで、最初に見つけた時もやたらびくびくしてたのか。納得すると同時に多少虫の居所が悪い。
まあ、このガキに当たったって仕方ないだろうが。

「平和維持軍が何を言ってるか知らねえが・・・生きるために戦って何が悪い」
「・・・・でも、戦争するといっぱい人が死ぬんでしょう?」
「・・・・・・そう、だな。数え切れぬほどの人間が死んできた。・・・・殺されてきた」
「僕は・・・人が死んだら・・・悲しいよ」
「そう、だな・・・」

沈黙がその場に落ちる。俺だって人を殺したくて軍人になったわけじゃない。むしろ守るための軍人であるはずなのに。
戦えば戦うほど、犠牲は尽きない。酷い矛盾だ。けれど戦わなければ、この国は枯渇した大地しか残らない。
人は、生きていけねえ。それだけでなく、海に面したこの国はスクリーパーによる被害が絶えない。
どちらにしろ、より住みやすい土地を手に入れなければこのまま国をすり減らし、日々絶えていくだけだ。

「持っている奴らに・・・持たない者の気持ちなど・・・分かるか」
「・・・・・ごめんなさい」
「あ?」
「傷つけて、しまったのなら・・・ごめんなさい。ごめん、なさい・・・」
「・・・・お前に言ったわけじゃねえよ」

子供に文句を言ったところで何が変わるわけでもない。

「・・・・ただ、グランゲイル人だから野蛮とか、
怖いとかそういう見方はやめろ。皆が皆そういうわけじゃねえ」
「・・・ごめんなさい」
「俺たちだって、怪我すりゃ痛ぇし、食わなきゃ飢える。大事な者を亡くせば悲しい。
戦わずに済むなら戦いたくねえし、奪わなくて済むなら奪いたくねえ。誰だって憎まれっ子になるのは嫌だろ」

必死で生きて生きてその後姿を指差されて蔑まされるなんざ、御免だ。特別に幸せになりたいわけじゃねえ。
ただ、せめて皆と同じように生きたい。たったそれだけの事を望む事すら、罪になるのか?
このまま飢えて、同じ国の者同士が奪い合って国を滅ぼしていく様を黙って見てろと?
持たぬ者は初めからいらないと・・・・平和維持軍のやっている事はそう言っているのと同じだろう?

「争う者が、平和を否定し破壊を望んでいるなんて・・・そんな事を思うのは持っている奴らの驕りだ」
「・・・・・・・・・」
「誰だって望めば訪れるものなら、平和を望む。人が死んで、怖くないわけがねえ、人を殺して怖くないわけがねえ。
自分がヒトではなくなっていく事がどれだけ恐ろしいか、分からないわけがねえ!!
・・・・・それでも、戦わなくては生きていけない奴らがいる事を・・・何故誰も理解しようとしねえ・・・」

ああ、俺は何を言ってるんだろう。こんな、弱音を聞かされても困るだけだろう。こんな嘆きを聞かされても、どうする事も
出来ねえだろう。しかも、こんな年端の行かない、他国の人間に言ったって。そう、思うのに。担ぎ上げた状態の子供は
話が分かっているのかいないのか、また泣きそうな顔で俺を見下ろして、震えた小さな手を伸ばしてくる。

「・・・ッ!」
「ごめんなさい、怖い人なんて言ってごめんなさいっ。おばあちゃんにも教えるから、お兄さんみたいに
グランゲイルの人にも優しい人はいるよって。怖くなんかないよって・・・僕らと一緒なんだよって!」
「・・・・・・・・・・・」
「大丈夫、おばあちゃんは優しいから・・・分かってくれるよ。だから・・・泣かないで」

ぎゅうと首を絞めるように強く、抱きしめられる。自分よりもずっと小さな身体に。しかし、熱を帯びたその小柄な身体は
酷く柔らかくて、暖かくて・・・ほんの少しだけ安堵する。こんな子供に慰められて情けねえ。思うのに、その手を
跳ね除けられないでいる。むしろ、抱きしめ返してやりたくなるほど、何かが無性に込み上げて。

「・・・・・泣いてなんかねえよ、馬鹿」

口をついて出る言葉はやけに優しくなってしまう。ガキは苦手だっつーのに。

「・・・アリガト、な・・・・坊主」
「・・・・・・・」
「ほら、早く泣き止め。送ってやるから。泣き止んでくれねえと、俺がお前の親に怒られちまうだろうが」

自然と口元が緩む。屋敷を飛び出して軍に入ってからは・・・そういやあんまりこうして笑った事はなかった気がする。
それだけ、余裕がなかったのか。純粋さが、羨ましい。いつの間にか見失っていたもの。眩しいもの。
どんなに暗い夜空でも光を放つ星のような。

「・・・・いい子だから、泣き止め」
「うん」
「・・・・・・お前は、・・・汚れた大人になるんじゃないぞ」

その純粋さが、いつかきっと誰かを救うだろうから。何処にも行けずに苦しんでいた俺が今、少しだけ安堵しているように。
綺麗な星が、目の前に落散てくるように。優しく、静かに。

「早く家に帰ってただいまって言ってやりな」

こくこくと小さく頷く頭を見届けて、止めていた足を再び動かす。陽は完全に落ちた。明かりも持たずに移動するのは
危険だろう。早く一度部下と合流しなければと急ぐが、そう離れていない距離に嫌な気配を感じる。

「・・・・・・・こいつは・・・」

人のそれではない。また森に住む動物とも違う。獰猛な、性質の、嫌な気配。背筋がぞっとする。まさか、
このタイミングでアレが現れるとは・・・・ツイてねえ。

「おい、坊主・・・少し大人しくしてな。それから絶対声を出すな」
「・・・・え」
「厄介な奴が出て来ちまった。死にたくなきゃ、ここから出て来んじゃねえぞ」

茂みの中に子供の姿を隠す。不安げな表情は男というよりは女のようで何とも言えない気分になる。
一体何が近づいてくるのか気になるのかひょこりと上体を茂みから露にする頭を押し込めて、もう一度念を押す。

「・・・・お前も知ってるだろ、スクリーパーを。
お前みたいなガキが出くわしたら間違いなく死ぬぜ」
「!!」
「分かったら、出て来るな」
「・・・・・あなたは?」
「俺は、これが仕事なんだよ」

と言っても、既にスレイヤーとして知られるウォルゲイナー卿のようには、出来ないだろうが。
まあ、他の一兵士よりは俺の方が幾らか強いはずだ。盾にくらいは、なるだろう。欲を言えば倒したい。
街中に入られてはそれこそ困る。それに・・・。

「ガキを死なせるわけにはいかねえしな」

あの星のような。将来きっと皆に望まれる存在になるだろう、あの子供。こんなところで死んじまっちゃ勿体無い。
せめて救援が駆けつけるまでは持ち堪えてみせる。それが、軍人としての勤めだ。そう、思う。

「・・・・今、警笛を鳴らす。誰か来るだろうから・・・それまでそこで待て」
「でも・・・っ」
「・・・・・仕事だ」

殺す事でも、奪う事でもなく、誰かを守る事が。そうであって欲しい。

「・・・・ルーク、か。即死は何とか免れられそうだ」
「・・・・・、・・・待って」
「あん?」

呼び止められて、振り返る。子供の表情が怯えから、縋るようなそれへと変わった。

「・・・・・死なないで・・・」
「・・・・・・・」

か細い声に、即答は出来なかった。けれど、小さく蹲って縋る姿が何処となく、いなくなった弟の姿と重なって。
気づいたら頷いてしまっていた。そんな自信も確信もねえのに、無責任に。でも、そうだな。
もし、俺がここで死んだらこの子供は泣くんだろう。それに、弟の事も一生探す事が出来なくなる。
それは・・・・困る。

「・・・こりゃ、死ねねえや」
「・・・うん」
「スタミナなんて気にしてちゃあ、やってらんねえよな・・・初めから全力で行くぜ」

今まで一小隊を率いてスクリーパーを相手取った事はあるが、自分一人で戦った事はない。
数いりゃ勝てる相手というわけでもねえが、やはり一抹の不安はある。俺一人で、何処までやれるか。
せめてもの救いは、まだ奴の階級がルーク止まりだという事。これがナイトやビショップだったら先ず持たない。

「・・・取り敢えず、魔法で様子を見るか」

まだ、向こうは気づいてないらしい。若干射程に入ってないが、そのうち気づいて寄って来るだろう。
普段魔法は魔道士に任せっきりなんで、加減が分からない。使えないわけじゃねえが、制御があまり得意でない。
敵の姿をきつく睨み据えながら、集中力は切らさないよう心がける。

「・・・・・・・・・・・」

射程内に、水に濡れた巨体が入ってくる。あの分厚い皮を纏った身体で練り歩いてどれだけ街を破壊してきた事か。
親や親類を亡くして泣き喚く子供がどれだけいた事か。怒りが、込み上げてくる。スクリーパーに対しても、
奴らに勝手を許してしまう弱い自分たちに対しても。

「ブラスト」

長い詠唱を終えて、放つ。その辺のモンスター程度なら一撃で倒せるはずの魔法でもやはりスクリーパーには
大して効いていないらしい。こちらに気づき気色ばむばかりで、堪えた様子はまるでない。

「チッ、撃ち損か」

元々、魔法より肉弾戦の方が得意なのだから仕方ない。武器の柄を強く握り締める。グラブ越しでも確かな金属の感触。
腕に掛かる重さ。振り抜く際の遠心力。微かに耳に届く風切音。戦いの感覚が、自分の身に滾ってくる。
仲間内でも大丈夫かと心配されるほどに重い斧が酷く自分の手に馴染んでいく。本来こんな馬鹿みたいにでかい武器を
扱うには周りに誰もいない方が都合がいい。地面に振り下ろし、土砂を突進してくるスクリーパーに向けて巻き上げる。
皮膚が硬いのは分かってんだ。そういう奴は、先ず目を潰して何度も斬りかかるしかねえ。

「行くぜ、化け物!」

巧い具合に目に砂が入ってくれたらしい。スクリーパーが奇妙な鳴き声をあげながら暴れている。
その隙に背後に回り込み、斬りつけるものの、思った以上にその皮膚は硬い。斧の刃先がほんの掠り傷しか
付けられず、弾かれてしまう。

「くそっ」

続けて二撃、三撃と撃ち込むが、全く効いてる様子がない。それでも、こんな興奮した状態で放置し退く事も出来ず。
指先に走る痺れを堪えながら根気よく攻撃を続ける。が、されるがままになってくれるほど敵も甘くない。
目が見えないながらも、気配は分かるのか振り返って襲い掛かってくる。

「っと・・・・危ねえな」

咆哮が、上がる。その衝撃に敵に触れている斧が震えた。組み合った身体が、後ろに押しやられていく。
力では・・・今まで負けた事がないのに。歯を噛み締め、堪えようとするものの、どんどん押され体当たりを掛けられると
嘘みたいに吹き飛ばされる。

「・・・・ッ!」
「あ、軍人さん!!」
「!馬鹿、出てくるなっつっただろ!」

今まで隠れていた子供が、地面に叩きつけられた俺を見て、飛び出してくる。案の定、スクリーパーは子供の声に
反応して向きを変えた。向き合って、立ち上がった子供が蒼白になる。そりゃ、こんな化け物に睨まれたら誰だって
怖いだろう。足がすくんで動けないのか、逃げる素振りもない。不味い、と頭の中で警鐘が鳴る。しかし受身をなんとか
とったとはいえ、打ち付けた身体がすぐには動かない。

「おい、何してる!さっさと逃げろ!!」

声だけ張り上げても、事態は好転しない。子供は怯えるばかりで動かない。このままでは・・・。
じりじり込み上げてくる痛みを、気にしてる場合じゃない。手にした斧を注意を引くため投げつけるが、子供に照準を
合わせたスクリーパーは振り返らず。焦らすように少しずつ距離を詰めていく。

「くそ、動け・・・動けっ!」

なかなか力の入らない脚を殴りつけても、どうにもならず。ひっくり返った視界の端、子供に覆い被さろうとする化け物の
後姿が映る。このまま、また勝手を許すのか?こんな化け物相手に。自分が弱いばかりに。か弱い悲鳴が耳に届く。
恐怖に彩られた、哀れな。瞬間、頭が真っ白になる。血が上ったように、視界は真っ赤で。動かなかった脚が立ち上がり、
数メートルと離れた距離を駆け、気づけば、自分の身体は子供の前に立ちはだかっていた。

「・・・・え!」
「・・・あっ・・・・っ・・・、ぅ」
「軍人さん!!」

武器を構え直す余裕なんてなかった。身一つで盾になれば、当然その身に鋭い牙を受ける。肩口に熱が集中する。
生暖かい液がそこから溢れ出して肢体を伝っていくのが分かった。退く事も、押さえ込む事も出来ず、膠着状態が続く。
背後から啜り泣きが聞こえた。気遣ってやる事は出来ない。今の自分には盾となる事しか、出来ず。けれど、一つだけ
思い至る。これは、逆に考えれば千載一遇のチャンスなのではないかと。これだけ密着し、しかも自分の腕は食いつかれて
いるため、敵のでかい口の中にある。口の中は例えどんなに強靭な肢体をした獣でも化け物でも弱点のはずだ。

「は・・・・この中で・・・魔法放ったら・・・一体どうなるだろうな」

この距離じゃ、自分も当然被害は被るがどうせもう大怪我をしている。傷が増えようと今更だろう。
ニッと口角を上げてやるとそのただならぬ気配が察せられたのだろうか。見えはしないがスクリーパーの肌が
粟立ったような感覚がした。身を離そうとしているようだが、牙が俺の肩に食い込んでるせいで、動けないようだ。
奴が動こうとする度傷が痛むが、ここで集中を切らせば確実に躯が二つこの場に転がる事になる。

「んな事、させっかよ!
喰らいな・・・エクスプロージョン!」
「!軍人さ・・・ひゃあ!」

熱い爆風が自分たち目掛けて吹き抜けてくる。咄嗟に子供を庇ったが、それどころじゃない。流石にスクリーパーも
断末魔の叫びを上げて口内の爆発に耐え切れず吹き飛んだが、それは自分も一緒で。四肢が砕けはしないものの、
食らわれていた方の腕は真っ黒に焦げ、嫌な匂いを振り撒く。痛みは麻痺して、腕の感覚が何もない。
腕は熱くて堪らないのに、血を流しすぎた身体は酷く寒い。敵を倒した喜びに浸る事もないままに、身体は後部へと
傾ぎ、声もなく倒れた。身体を強かに打ちつけたはずだがやはり痛みはない。次第に嗅覚さえ麻痺していく。

「・・・・は、・・・ぁ・・・はっ・・・はっ・・・・」
「軍人さん!!」

必死に子供が叫んでいるが、何も言葉を返せない。荒い息だけが吐き出される。もう、どうにも出来ない。
起き上がる事も立ち上がる事も話す事もままならない。このまま、死ぬんだろうか。弱気な考えさえ脳裏を過ぎり始めた頃、
子供が祖母のために摘んだと口にしてた薬草をすべて俺の傷口に押し付けていた。

「・・・・・!」
「しっかりして、死なないで・・・・」
「・・・・・か・・・・」

止めようとしても、声が喉から出ない。掠れた吐息だけが吹き抜けて無様極まりない。星のようだと思った涙の雫が
ぽたぽたと降ってくる。当然、拭ってやる事も慰めてやる事も出来ない。役目は果たしたはずなのに、無念が込み上げる。
せめて笑おうにも顔の筋肉が硬直してしまっていた。何も出来ず、泣き続ける子供をただ見届ける事しか出来ずに
横たわっていると、そこで漸く警笛を聞きつけてやってきたらしい部下が息を切らして現れた。

「ギャリック准尉!!」
「!まさかお一人でスクリーパーと戦われたのですか!?」
「ギャリック様、お気を確かに!!」

続々と集まってくる部下が口々に俺の身を案じた。僧兵が慌てた様子でグローキュアを唱える。その際、子供は
後ろに押し退けられていた。抱えた薬草が地面に散らばり、。それを寄って来た部下に踏み躙られていく。
そんな事を心配している場合ではないのだろうが、何故か妙に気になった。何か言いたかったが、何も言葉が出ない。
ただ、何か欲しいものはないかと尋ねられて一言。

「・・・・こ・・・ども・・・」
「え?」
「そこの・・・子供・・・・ワー、・・・リー・・・で送・・・れ」
「ワースリー?ではその子供が侵入者ですか?!」
「そ・・・だ・・・。・・・から・・・ぉ・・・く・・・てや・・れ・・・・」

途切れ途切れの言葉で伝えると部下は怪訝な顔をしているが、否定すれば怪我に障るとでも思ったのかやけに
素直に頷く。納得はいっていないようだが、俺の命令に堂々と背く馬鹿もいないはず、だ。
そうこうしてる間に手の空いている兵によって子供は手を引かれていく。けれど、遠ざかるその小さな身体は何かを
必死に叫んでいる。しかし、今の俺にはその声が何を言っているか全く分からなかった。意識が次第に遠のいて。
やがて赤く染まった視界は静かに静かに漆黒へと色を変えていった。



◆◇◇◆



それから、気を失ったらしい俺は病院に連れて行かれ三日ほど眠っていたらしい。目が覚めた病室で事の顛末を
聞かされた。子供とはいえ、侵入者を許した懲罰を与えられるかと思いきや、一人でスクリーパーを倒した功績が
称えられ、処分を受けるどころかスレイヤーと認め、階級も少尉へと昇進させるとの事だった。

また、居合わせた子供は要望通り、村まで送り届けてくれたらしい。その際、謝罪と感謝をずっと口にしていたとか。
そういえば、名前も聞いていなかったなと思う。赤い瞳に暗かったためあまりよく見えなかったが柔和な顔をした
優しく純粋な、子供。軍人としての在りように疑問を抱き苦しんでいた俺に一筋の光を見せてくれた・・・。
ずっと、心の何処かで望んでいた、逢いたかった星のような少年。

けれど、こうして病室に横たわっているとその数日前の事がまるで夢のように思える。現実味のない、面影。
もうどんな声をしていたかすらあまりよく思い出せない。やはり夢だったのではないか。そんな気になってくる。

「・・・・狐にでも化かされたか・・・?」

森の中には狐の一匹や二匹いたっておかしくはない。本当に化かされたのかもしれない。思うのに、心は何処か
穏やかで。傷の痛みもあるというのに、瞼が柔らかく下がっていく。軍人なんて、辞めた方がいいのかもしれない。
そんな事を考えていたはずなのに今はそういう気分じゃなく、続けていこうという気になっていた。
戦いには痛みと犠牲がつきもので、偏見と侮蔑、お門違いな憧憬、消えない血の匂いなど色々ついて回るが、
その先にささやかながら平和と、人を守る事が繋がっていくのなら。人を殺しヒトでなくなる修羅の道だろうと歩んでいこうと
そんな気にさせる。

「また・・・会えりゃいいな」

純粋な、綺麗な綺麗な星に。
小さな呟きを最後に再び意識は遠のき、シーツの上で果てる。
手の中には星の欠片のような、千切れた薬草の切れ端が握り込まされていた。





夢のように、星落散る。

数年後、再び出逢う事になるとは露知らず。

ヒトならぬ鬼の手に、星落散る。



―――ささやかな出逢いの話






fin




結構前から考案はしていた出会い話です。と言っても大分初めに思い描いてたのと
違うものとなってしまったのですが。それと一度も名前が出てきてませんが子供は一応
ゼオンの事です。分かるように目の色とか出身地は入れてみたんですが。
グランゲイルばかり悪く言われてて可哀想だなーと思ってこんな話になりました。
好戦的な国にも好戦的になってしまう理由はあるのだよというお話ですかね。
しかしCP要素がまるでないので後日談とかも書きたいですねぇ。
安堵シリーズの次は星シリーズにしようかなと思ってます、実は。

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