声は届くだろうか。

祈りは聞き入れられるだろうか。

こんな時ばかり神に頼るのは卑怯な事だと

分かってはいたけれど―――



聖夜に死す




12月25日は何の日か、そんな事は子供でも知っている。
半ば伝説のように語り継がれる救世主がこの世に生まれ落ちた日、だそうだ。
断定していないのは、救世主の誕生した日が史実として残されていないためと言われている。
そんな不確かなものを聖誕祭や降誕祭と称し、祝うのもどうかと思うが広く世界に浸透した大きな行事なので
文句を言っても仕方がないのだろう。特に強制するものでもなし、祝いたくなければ祝わなくてもいいという
ものなのだから、興味がないなら素知らぬ振りを決め込めばいいのだろうが、困った事に我が国の新王は
その手の祭りを非常に好む性質で・・・。

「アーネスト、聖誕祭の日、教会のミサに陛下と一緒に顔出してって」

国掛かりの準備に追われている最中、不意に呼び止められて振り返れば同僚たる男の姿があり、
そして彼の口から出た言葉に思わず眉間に皺寄せてしまった。

「教会・・・、ミサ・・・?」
「あのねアーネスト。君が無神論者なのは知ってるけど、そんなあからさまに嫌そうにしなくても」
「そうは言うがなオスカー。無神論者が教会で祈る事ほど神を愚弄した話はないだろう」

こう言うとまるで神の存在を信じているようだが、正確に言うならば今の言には聖職者にとって、が主語に付く。
わざわざ説明してやらなくても、オスカーならば長年の付き合いで察する事が出来るだろう。
実際、主語が抜けて矛盾した言葉に対する反応は返って来ない。どころか、用は済んだとばかりに立ち去る
気配すら漂う。別にそれは構わないのだが、伝言にしては幾らなんでも内容が大雑把すぎやしないか。
詳細を求めようとして口を開きかけるものの、その前に柔和な面がこちらを向く。

「ああ、そうそう。これ以上の事を僕に聞かれても困るよ。知らないから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「詳細ならあとでちゃんとした通達が来ると思うから。じゃ、準備よろしくナイツマスター」
「よろしくってお前・・・・ちょ・・待て!」

伸ばした手も空しく、紫の頭はそれきり振り返る事もなく回廊の端へと消えて行ってしまった。
もう声を張り上げて呼んでも奴は立ち止まらないだろう。見た目の温厚そうな面構えと異なって、かなり
ドライな部分がある性格だ。まあ俺に人の事は言えないかもしれないが。未だ、中空に留まったままの自分の
腕に気がつきそっと下ろす。色々と納得が行かないが、決まった事なら致し方ない。

「教会、か・・・・」

そういえば昔は何度も足を運んだものだと思い出す。自分から望んで行っていたわけではないが。
あの場所特有の厳かな雰囲気と何処となく漂う悲壮感が子供ながらに苦手だった。読み聞かされる聖書の
言霊も、皆が歌う賛美歌も不気味で、両親に手を繋がれていても内心酷く恐ろしくて。早く帰りたいと
そんな事ばかり考えていた。

「あの場所は今も・・・・変わっていないのだろうか」

もう何年と足を踏み入れていないその場所。よほどの事がない限り、教会なんて建て直しもしないし、
まして改装もしないだろう。きっと以前のままだ。大きなステンドグラスも、祭壇も壁に祭られた聖人の像も。
何一つ変わらずにそこに在り続けるのだろう。日々移り変わり行く世界に取り残されるように。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

何にせよ、仕事が冗談抜きで山のように溜まっている。それらを片付けながら聖誕祭の準備もしなければ
ならない。こんな風に立ち止まって感傷に耽っている暇があるのなら、さっさと仕事に取り掛かった方がいい。
遠い記憶の向こう、尚消えぬ不安に目を伏せてオスカーの後を追うように自室への岐路へと着いた。



◆◇◇◆



―――遠くで鐘の音が聞こえる。

美辞麗句に飾られた賛美歌がそれに混じり、聖句という名の呪文が響く。
蝋燭の炎が揺らめき、不規則に壁にはめ込まれた石膏像を照らし出し、聖母マリアを描いた巨大な
ステンドグラスが時折光る雷光で床に影を落とした。祭壇の前には棺が置かれ、参列者が嗚咽と共に一輪ずつ
横たわる躯に白い薔薇を飾っていく。誰のものかはもう忘れてしまったが、ある日の葬式の風景だ。

幼い自分の横には、黒いヴェールを被った母と漆黒の衣服に身を包む父の姿。目前には棺の中で
薔薇に囲まれ眠る誰か。父と母に習い、手にした薔薇を一輪、遺体の上に飾ろうとすると、また響く鐘の音。
先ほどは遠くで聞こえた気がしたのに、今度はとても近くに聞こえる。荒れた天候の折、轟く雷。
再びマリアを象った巨大な影が赤い絨毯に影を落とす。驚いて止まっていた手を、影が形を潜めると同時に
我に返り伸ばそうとするが再び差し出した手は結局止まってしまった。背筋が凍る。これは遠い昔の風景のはず。
なのに、何がきっかけかさっきは誰のものだか分からなかった躯がいつの間にか、よく知る者のそれに変わり。

―――薔薇が手から零れ落ちる。

花弁を一枚、床に落として。もう一度棺の中を覗き見た。そこには穢れなき純白の装束を身に纏った漆黒の髪の
青年が今にも起き出しそうなほど美しく穏やかな死に顔で永久の眠りに就いていた。その伏せられた眼差しも
引き結ばれた桜色の唇も平らな胸の上に組まれた細い指先も見間違えようがない。彼の、ものだ。
途端に身体中から血が抜けていく思いだった。足が竦んで動けない。唇が震えた。不意に隣を見遣れば
母の姿も父の姿も消えていて。それどろか、神父の姿も他の参列者の姿も一瞬で消えていた。
残ったのは自分と、棺の中で眠る彼――カーマインだけ。

―――こんな事がある筈がない。

何かの間違いだ。これは、遠い昔の俺の記憶のはずなのに。顔こそ覚えていないが、この時横たわっていたのは
父の友人の祖母であったはず。酷く苦しそうな表情で、見ているこちらの方が痛々しくて、それ以来棺の中を
覗くのが怖くなってしまい、教会にも足を運ばなくなった、その記憶のはずだ。彼がそこに横たわっているわけがない。
瞬時に思い至る。これは夢だ。とても悪趣味な悪い悪い夢。心臓を握り潰されるかのような痛みを齎す・・・。

―――やめてくれ、やめてくれ、やめてくれ!

例え夢でもこんなシーンは見たくない。彼の、葬式など。彼が死んだところなど。薔薇の香りに包まれ、
今にも目覚めそうなまでに美しくとも青白い死に顔など見たくない。永久に開かぬ色違いの瞳も、柔らかに
微笑する唇も、鼓膜を擽る甘い声も、ひんやりとした、けれども優しい温もりも何もかもが喪われるところなど。
虚像であろうと耐えられない、受け付けられない、苦しくて息が出来ない。

嗚咽が、零れた。もう、足にも力が入らずその場に膝を着く。皮肉な事に、丁度棺の中が見える高さだ。
無力さを示すためか未だ幼いままの指先を、恐る恐る躯へ向けて伸ばし、陶器のように白い頬に触れる。
元から冷たい体温は更に下がり、まるで氷のような冷たさ。

夢であるはずなのに、何故こんなにも指先に触れる熱はリアルなのだろう。自分の頬を伝う涙は焼けそうなほどに
熱いのだろう。噎せ返るほどの薔薇の香りが鼻腔を抜けて行くのだろう。とっさに彼の名を呼ぶ声が、無様なほどに
枯れ果てているのだろう。胸の痛みで・・・・狂い死んでしまいそうなのだろう。

―――早く、覚めてくれ。

切迫していく吐息の末、意識が次第に薄れていく。漸くこの悪夢が終わるのだろうか。
愛しい彼が死ぬ夢など、夢ですら許しがたい。夢でよかった、なんて言わない。憤りのままに棺の蓋を殴る。
最後に十字架透かして神を睨み付けてやれば、雷光が全ての幕を閉じた。



◆◇◇◆



「何やってんの?」

ハッと目を開けば、目前にはいつの間にかオスカーが立っていた。紫色の瞳が驚きに丸くなっている。
重い頭を持ち上げて自分の様子を伺えば、書類の山が載った机上を拳で叩いた状態でうつ伏せに寝ていたらしい。
端の方の束が衝撃にか雪崩状態に傾いていた。どうやら夢を見ていたのは確からしい。何とも不吉な夢を。
世間は聖誕祭で浮かれているというのに。

「おーい、アーネストー」

物思いに耽っていると眼前で手をひらひらと振られて改めてそちらに目をやるとオスカーが手を伸ばしてきた。
何だと首を捻るが、数秒考えて「ああ」と合点する。激務が続き、うっかり転寝をしていたようだが今は寝ている
場合ではない。本当に仕事が溜まっているのだ。休んでいる暇もないほどに。このサボり魔ですら働いている。
由々しき事態だ。恐らくこいつが眼の前にいるという事は急を要する書類の回収に来たのだろう。

「・・・・どれだ?」
「ああ、大丈夫なわけ?・・・・今日提出の付箋が貼ってある奴」
「・・・・少々疲れているようだな。夢見が悪くて・・・ああ、それはどうでもいいな。これか?」

言われたものに該当する書類を散らかった机上から捜す。手渡せば軽く眉間を顰められるが、特に詮索する事もなく
オスカーは部屋から出て行く。扉が閉まるのを見送って、崩れた書類の束を整える。それから自分がどれほど
眠っていたのか確認するため時計に視線を飛ばす。自分的には随分と眠っていた気がしていたが、ほんの数十分
程度しか経っていなかった。あまりにも夢が自分にとって衝撃的すぎたのだ。思い出すだけで一度は止まった冷や汗が
再び流れ出す。実を言えばこの夢は今回が初めてではない。状況は違えど、彼が死ぬという夢は何度か見た事がある。
一体いつからそんな夢を見るようになったのだろう。

ずっと前から好きだった彼を、手に入れた時からだろうか。喪う事を恐れて。そんな夢ばかり、見てしまう
弱い自分にすら腹が立つ。どんなに他人に鉄仮面だとか言われても心までそうではない。
守るために幾らでも強く在ろうと思っているのに、喪う事が怖くて怖くて身体が震えそうになる。

「・・・・・・強くなれ、アーネスト=ライエル」

親友たるリシャール前王を喪った時にも散々感じた事だが、自分は酷く弱い。物理的な強さではなく、精神が。
もし本当にカーマインを喪う事になれば、もう生きてはいられないだろう。想像ですら心臓が痛む。
意識を切り替えようとペンを握っても未だ震える指先では上手く字も書けない。

「世間は少なからず浮かれているというのにな」

聖誕祭は愛の日でもある。それは家族間での事だったり恋人同士だったり。聖ニコラス基、サンタクロースが
子供たちにプレゼントを贈る習慣もそこが基盤となっている。更に街中リボンやリースなどを飾り付けているせいか
より人々の浮かれ具合は増していると言えよう。自分とて仕事がなければその浮かれている者の中に
入っていたかもしれない。彼と過ごすために。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

取り留めのない事を考え続けていてもどうしようもない。しかし生きている彼の事を考えるのは非常に楽しく。
自然と顔が綻ぶ。いつしか指の震えも収まっていた。そうなって来ると無理だと分かってはいるが、会いたいという
想いが強くなる。今頃何をしているのだろうか。自分と同じように忙殺されているのだろうか。思い起こし、
再度手が止まる。会いたい、傍にいたい、喪いたくない。願いはやがて、祈りに変わってゆく。
神など信じていない。神は誰も救わない。それでも、そんな存在に縋ってでも彼を失いたくないと思う。

所詮はただの夢だと人は笑うかもしれない。けれどこう何度も見ていると段々とただの夢ではないのではないかと
思ってしまう。一種の予知ではないかと。いつかアレは起こりえる現実ではないかと。馬鹿な事を考えてしまう。
それもまた俺の弱さなのだろう。分かっていても、一度喪失を味わったせいか、割り切る事が出来ないでいた。

「・・・カーマイン」

愛しい愛しい君。俺にとって唯一無二のその存在。彼がいなければこの世界に自分が生きている意味はない。
彼の傍にいて、彼を守る事だけが自分の生き甲斐なのだ。ナイツとして君臨し続けるのも、偏に彼を守るためには
力だけでなく、ある程度の地位が必要だからだ。今の彼は地位がなければきっと守れない。それほどまでに
彼の存在はこの世界にとっても重要なものとなってしまっていた。光の救世主として。三国に渡る大使として。
ローランディアに限っても、彼の存在一つ失われるだけでどれだけ傾くか知れたものではない。
今や誰もが彼を称え、敬い、憧憬するのだ。彼が失われれば、暴動さえ起きる可能性すらある。

「・・・・・・・・・・・・」

それでも、どれだけ遠い存在になったとしても俺は必ず彼を守る。世界のためなんかではない。身勝手極まりないと
言われるかもしれないが、自分自身のためだ。俺は誰が許さなくても、最後の最後の時まで彼の傍にいたい。
その存在を目に焼き付けて、ずっと触れていたい、そう思う。過ぎた願いかもしれない、人が呆れるかもしれない。
傲慢に満ちたその望みを「誰か」は許さないかもしれない。それでも・・・



◆◇◇◆



気づけば、まだ先だと思っていた聖誕祭当日を迎えていた。教会のミサへ顔を出すという陛下のお召しかえを
手伝い、自分もナイツマスターとして礼服に着替えると、仰々しくなりすぎぬよう数名の部下を引き連れ馬車へと
乗り込む。正直未だに気が進まない。元々教会は苦手という事もあるが、それ以上にこの間見た夢をどうしても
思い出してしまう。棺の中に眠る美しい彼の躯を。今日は葬儀ではなくミサなのだから、棺を見る事はないだろうが。
じんわりと緊張に額へ汗が滲む。いつも涼しい顔をしていると言われるのに、これでは形なしだ。
気を静めようと目を伏せていると、ふと向かいに座る陛下の視線を感じ、顔を上げる。

「・・・どうかされましたか、エリオット陛下」
「いえ、何だかライエルが元気がないようなので・・・・」
「そんな事はありません。陛下こそ、今日は聖誕祭です。
もっと気を楽にされてはいかがですか」

自分の異変を気づかれた事に内心瞠目しつつ窘めると陛下はまだ納得はされてないようだが口を閉ざされた。
落ち着かないのか窓の外をきょろきょろと眺めている。ここにいるのがオスカーならばもっと気の利いた話などで
気を解して差し上げられるのだろうが、俺はただでさえ無口で。しかも今は陛下の仰る通り、沈んでいる。
常に輪をかけて言葉が浮かんでこない。そうこうしている間に目的地に着いたようで御者から声が掛かる。

「陛下、教会に着いたようです」
「ええ、そのようですね」

まずは自分から降り、反対側へと回り込むと馬車のドアを開く。軽く声を掛ければ、小気味よい返事をして
陛下が降車される。マントの端を引っ掛けぬよう注意してドアを閉じると前を行く陛下を追い越さぬよう付いて歩く。
どうなっているだろうと思いを馳せた教会はやはり昔と全く変わりなく。街の片隅に荘厳と佇んでいた。
出迎えた神父やシスターの顔ぶれもほとんど変わっていない。何もかも、あの頃のまま。強いて違うところを
挙げるのならば、天候だろうか。夢で見た通り最後にここに来た時は雷鳴轟く豪雨の最中であったが、今日は
聖誕祭にふさわしいとでもいうのか、小雪がちらついていた。しかしバーンシュタインの気候を考えれば、数時間後には
もっと大雪になっている事だろう。厚く空を覆い隠す雲にそんな事を思う。

「ライエル、どうしたのですか?」
「ああ・・・いえ、雪が酷くなりそうですので・・・・」
「そうなってしまったら、こちらで暫く休ませて頂きましょう」
「・・・・・そう、ですね」

確かに本降りになるようなら下手に動かず中で待たせてもらう方がいいだろう。ただ、あんな夢を見たあとだけに
何か嫌な予感がする。具体的に何がとは言えないが、妙な不安感が胸に去来し、教会内に足を踏み入れる事に
躊躇いを感じてしまう。が、それが職務なので仕方ないと一つ溜息を吐いて階段を上った。

―――懐かしい。

教会の内部に踏み入って最初に浮かんだ言葉はそれだった。幼い頃は両親に連れられよくやって来たものだ。
別に両親が敬虔なクリスチャンだったというわけではない。ただ、祈りに来ていただけだ。俺が、生まれながらに
身体が弱かったために。今でこそ、そんな話をすればきっと怪訝な顔をされるのだろうが嘘でも何でもなく。
劣性遺伝による先天性白皮症―アルビノ―故に視力が弱く、紫外線を苦手とするため碌に陽の下も歩けなかった。
祈りが届いたのか、それとも単に成長するにつれ免疫が付いたのか齢が十を越える頃には、何とか外出も
出来るようになったが、それまでは陽の下を歩けない事と紅い瞳を揶揄して「吸血鬼」などと蔑まれていた。

「・・・ライエル?」
「・・・・・・・・・・・え?」

不意に声を掛けられ、間の抜けた声が口から出た。隣を仰げば陛下が心配そうに俺を仰がれていた。
あの方と同じ碧眼に射抜かれると、一度は昇華したはずの想いが一瞬顔を出す。何故あの時あの方、
リシャール様が亡くならねばならなかったのだろうと。誰を責めても痛みしか残さぬというのに。
この神聖な場所で憎悪などに囚われてはならない、言い聞かせてそっと目を逸らす。

「いかがなさいました、陛下」
「・・・ライエル、調子が悪いのではないですか?先ほどからずっと様子が変です」
「・・・・・・少し・・・懐かしくて・・・感慨に耽っていただけです」
「懐かしい?」

俺が、幼少時に身体が弱かった事など、そのため身体が少しでも丈夫になるようにと定期的に教会に祈りに
来ていた事などリシャール様ですら知らない事。当然、陛下がそれを知るはずもなく。そのあどけない面には
戸惑いが載せられている。何を、言っているのかと問うように。あまりにもその表情が幼くて失礼とは思いつつ、
口元に笑みが浮かんでしまう。あの方と同じ顔のはずなのに、とてもそうは見えない。

「・・・・昔はよく両親に連れられここに来ていたのですよ」
「ライエルが教会に、ですか?」
「私が教会に来ていてはおかしいですか?」

くつくつと喉の奥で笑いながら返せば、陛下はばつが悪そうに眉を寄せ。

「・・・ライエルは、あまり神を信仰しているようには見えませんので」
「そう、ですね。信仰どころかその存在を私は信じていません」
「・・・・・では何故?」

短い問いではあるが、聞きたい事は分かる。神を信じていないくせに何故教会に足を運んでいたのか。
誰だってそれは気になる矛盾であろう。だが、本来それは自分的には触れて欲しくない過去であり、かと言って
そうはっきり告げてもいいものかと悩む。何せ相手は国王陛下だ。陛下が望むのであれば部下はそれに
従うのが義務ではないのか。分かっていても、俺は所詮はただ人に過ぎず。聞かれたくない事はやはり例え相手が
国王陛下だろうと言いたくない。よって遠回しの意思表示として曖昧に苦笑する。すると陛下はそんな俺の
物思いを察して下さったのか小さく首を振られた。

「・・・・何か、あるのですね。貴方にも触れて欲しくない、ものが」
「申し訳ありません。陛下に関係ある事でしたらお話しますが・・・・そうではありませんので」
「いいえ、構いません。私も皆には秘密にしている事の一つや二つあります。王として恥ずかしい事ですが」
「何もかも明け透けにすれば良いというものでもありません。知らなくて良い事は知らせないのも・・・気遣いですよ」

黙る事が全て悪いわけではない。全てを明らかにして余計な心配を掛けるのは正しい事とは思えない。
あくまでも自分の主観だが。そう諭すと、目に見えて陛下の憂いた瞳が安堵したように緩む。
彼もまた王位を継ぐ少し前までは殆ど屋敷の外へ出た事がないという世間知らずで。自分が博識というわけでも
ないが、少しずつこれまでの経験を踏まえて色々と教えて差し上げねばならない。こういう時、自分の若年ぶりが
仇となるが、それを嘆いている場合でもないだろう。

「・・・・・陛下、そろそろミサが始まるようです。祈りの準備を」
「祈り、ですか。ライエル僕は・・・いえ私は一体何を祈ればいいのでしょう。
これまで考えていたのですがなかなか思い浮かばなくて・・・・」
「難しく考えずとも、国のために・・・いえ、民のために貴方が思う事を望めばよろしいかと。
祈りとは込められた気持ちが大事ですから」

立派な事を望む必要などない。上辺だけの言葉では、人の心さえ動かせないのだから。
それを上手く伝えられない自分が歯がゆい。そっと肩に手を乗せ後押しして差し上げる事しか出来ない自分が。
けれど何かは伝わったのか陛下の顔色は明るい。ほんの少し、救われた心地になる。

「・・・・・・・・・・・」

なのに、何故だろう。この、妙な胸騒ぎは。何かが、起きるのではないかとそう思えて仕方ない。
神の加護があるはずのこの場所でよからぬ事が。気になって不審に見えない程度に周囲の様子を窺う。
だが、これといって変わったものはない。神父とシスター、それから自分たちを除くミサへの参加者が在るだけだ。
皆が皆、神父の言葉に耳を貸し、胸の前で手を組んで祈りを捧げている。ただ呆然と立ち尽くしている自分だけが
この場で浮いていた。何とも気まずくて、逡巡した後、周囲に習うように手を組んだ。

「・・・・・主よ、私は罪を犯せし咎人だ。その罪はこの命果てるまで未来永劫、消える事はないだろう・・・」

自分の言葉が酷く滑稽に響く。

「私は、貴方を信じていない。貴方は誰も救わない。祈りが・・・届く事はないと思っている」

組んだ手の指先に力が篭る。空気が、僅かに震えた気がした。

「それでも・・・もし貴方は存在して、疑う私を許さぬのならこれまで以上のどんな苦痛にも耐えよう。
罰を与えたいのなら、そうすればいい。ただ、その代わり・・・・たった一つ、」

―――彼だけは俺から奪わないでくれ。

富も名声もいらない、許しすら・・・。彼の前ではそんなものは無意味なものへと変わる。
妄執と言われてもおかしくないほど自分は彼に溺れている。彼だけがいつも自分にとって特別で。
愛しくて愛しくて仕方ない。彼をもしあの夢のように喪ってしまったら、確実に自分は壊れてしまうだろう。
他の何を失ってもいい。ただ彼だけは。奪わないでくれ。貴方が、神にしろ悪魔にしろ何でも。

―――あの夢は嘘なのだと、そう言ってくれ。

信じてもいないその存在に縋らねばならぬほど無力で惨めなこの俺を僅かでも哀れに思うなら。
一度は睨んだその存在に、なけなしの敬意を払って深く目を閉じる。蝋燭の炎が揺らめき、吐く息の白い室内で
祈りの結びの句が全ての祈る者の口から零れていく。

「――アーメン」

あとを追うように呟けば、耳に何かを叩くような小さな音が届いてくる。純粋な礼拝者ではないせいか、俺だけが
その物音に気づいたらしい。一体何処から聞こえてくるのか、目線だけを動かす。壁周りは石膏像で囲まれている。
では何処か。縦横無尽に視線を動かせば、天井のサイドにはめ込まれた窓が目に入る。そして外で降っていたのは雪だと
思っていたがいつの間にかより硬度の高い、飛礫――雹が窓を叩きつけていた。

「・・・・・・・ッ」

バーンシュタインは北部に位置し、雪国として知られているが雹が降るのは酷く稀だ。何も皆が楽しみにしている
聖誕祭の日に降らなくてもなどと暢気に考えているうちにどんどんとその粒は大きさを増していく。
このままではガラスを割って中にまで降り出して来るかもしれない、と流石にその音に気づき出した礼拝者たちに
注意を促そうとした時、飛礫の一つが分厚いガラスに亀裂を走らせる。

「・・・、陛下っ!」

王国騎士としての使命感が自分を突き動かす。丁度窓の下に位置していた陛下の背を押すと、先ほど見つけた
亀裂が更に広がり、砕けた。硬い雹で割られた大小様々なガラスの破片が避けようもなく降ってきて。

「・・・ッ、ぁ!」
「ライエル!!」

落ちてきた破片が、床に叩きつけられ更に細かく霧散するのが真横に見えた。ぎりぎりで眼球目掛けて注いでくる
破片は避けられたものの、その際バランスを崩し床にこの身は崩折れた。床上に寝そべった状態では破片の第二派を
避けられず、開いた窓から降ってくる雹と共に身体に受ける。ズブズブと肉に尖ったガラスが刺さる感触が走り。
血が溢れてくると周りから悲鳴が上がった。一体どれほどの破片が刺さったのかうつ伏せになった自分には分からない。
ツゥ、と額から生暖かい雫が頬を通り口元へと辿ってくる。鉄錆の匂いが鼻腔を擽った。切ったのか、片目が開かない。
切り口が熱を持ち出し、鋭い痛みが全身を駆け抜けていく。更に雹が打ち付けてきて破片に当たると堪えきれずに
呻き声が自分の口から漏れ出た。

「ライエル、大丈夫ですか?!」
「へ・・・か・・・そこを動いては・・・いけません」
「何を・・・誰か、彼を運ぶのを手伝って下さい、それから医者を!」
「陛下、そんな事より・・・礼拝者の安全の確保を・・・・ぅ・・・」

今優先すべきは俺ではない。痛みに歪む面を隠し、自力でその場を這うように移動する。床に散らばった粉状の
欠片が刺さるが気にしている場合でもない。王国騎士である以上、陛下と民の命を最優先にしなければ。
とにかく、また何処か窓が割れるかもしれないと避難を呼びかけようと身を起こすと今度は眩暈が襲った。
再びバランスを崩し床に沈んでしまう。それと同時、礼拝者たちから悲鳴があがった。すぐ近くで陛下も何かを
必死に訴えかけてきているが、何を言っているのか分からない。夢から覚める瞬間のように意識が薄らぎ、やがて絶えた。

―――痛みすら、もう遠い。

まさか教会を、神聖なその場所を自分の血で汚すとは思わなかった。

これは罰なのだろうか、神を冒涜する愚か者に対する・・・。



◆◇◇◆



目が覚めた時、自分は見慣れたベッドの上に片目を塞がれ、至る所に包帯やら傷テープを貼られた状態で寝ていた。
あれからどれほどの時間が経ったのか、身を起こし窓の外を覗いてみれば雹は再び雪へと姿を変えている。
王城の方は被害が少なかったのだろう。それとも教会の方が老朽化していたのか。考えていても仕方ない。
状況を何とか把握しようとベッドを抜け出し、部屋の外へ出ようとするものの、外から鍵が掛かっているのか出られず。
これは恐らく大人しくしていろという事なのだろう、その気になればドアくらい簡単に蹴破れるがそこまでするほど
状況が切迫しているわけでもないだろう。諦めてベッドへと戻る。

「・・・・・・・・・」

しかし戻ってみてもやる事がない。忙殺されるというのも辛いが暇というのも慣れていないので持て余してしまう。
何か本でも読みたいところだが、右目が開かず、近くに眼鏡もないので無理だった。白皮症の影響で昔から遠視がちな
瞳は眼鏡がなければ細かい字が見えない。読書も出来ないとなるといよいよする事がない。結局、何もする事が
ないので、身を横たえて呆然と窓の外を眺める他なかった。

「・・・・・・暇だ」

こんな時、彼が傍にいてくれればと思う。彼がいれば何もする事がなくても、暇を持て余したりはしないのに。
例え言葉一つ交わさなくとも。その存在を隣に感じるだけで幸福を噛み締める事が出来る、その幸せに酔う事が出来る。
脳裏にその存在を思い浮かべるだけでも、顔が綻ぶほどに。

あ い た い

声にならずに吐息として零れた言葉。声に出してしまえば余計に想いが募ってしまうだろうから。
祈るように、その願いは心の中でだけ響く。それから暫くするとまた、うとうとと瞼が下がってくる。疲れているのだろうか。
包帯を巻かれた裸の上半身が冷気に冷えて、深く毛布の中へと身体を潜り込ませる。それでも寒いが暖炉の薪は
切らしているので点けられない。身を縮込ませて耐える他に方法はないだろう。白息が白い。まさかこのまま
放っておかれるなんて事はないだろうなとドアの方を睨んでいると、実にタイミングよくノックの音が聞こえた。

「おーい、アーネスト起きてるかい?」
「ああ・・・その声はオスカーか。外から鍵が掛かっている・・・早く開けてくれ」
「鍵が掛かってるの知ってるって事は・・・さては歩き回ったね。鍵掛けて正解」

呆れたような声と共に外から鍵を外す音が届いてくる。どうやら俺を部屋の中に閉じ込めたのは奴らしい。
閉じ込めるんなら初めから暖炉の火くらい管理しろと言ってやりたい。風邪を引いたらどうしてくれるんだ。

「全く、君ときたら・・・少しは自分が怪我人だって事を自覚して欲しいものだね」
「自分の事なら自分で分かる。こんな大仰な手当てなど必要ない」
「まあね、君は城一つ破壊したヴェンツェルの魔力波を受けても生きてたくらいだから頑丈なのは知ってるけど。
それにしても出血量は多いわ、細かい破片が体内に入り込んでるわで摘出にとかすごい時間掛かったらしいよ?
聖誕祭を家族で過ごすために非番だったにも拘らず駆けつけてくれたドクターに感謝するんだね」

血管に破片が入ってたら大変だったんだよ、と愚痴愚痴と文句を言われて何とも言えずに黙り込む。
別にお前は何もしてないだろうと思うものの口にした途端、一度は助かった命を狙われかねないので我慢する。
無言で睨みつけてくる俺にオスカーは肩を竦めると人を小馬鹿にしたような笑みを向けてきた。

「・・・・何だ?」
「んー、べっつにー?そんな生意気な態度してていいのかな、と思って」
「・・・・・・・・・・?」
「君が結構な怪我こしらえて来たから、慈悲深い僕は哀れに思ってスペシャルゲストを呼んであげたのに」

慈悲深い、という単語やら態度が非常に癪に障るが黙っているとオスカーは更に笑みを深め。

「せっかくの聖誕祭に怪我して独り寝は寂しいだろうから、聖ニコラスの代わりに僕からのプレゼントさ。
君の可愛いお姫様、無理言って連れて来てもらったんだけど会いたくないのかい?」
「!」
「・・・・・お姫様って・・・あのな」

いつも通りのオスカーの軽口に心底疲れたような、吐息混じりの美声が返ってくる。
聞き間違えるはずがない。その声は夢にまで見た彼のものだ。驚いて目を丸くしているとオスカーの背後から
漆黒の髪が覗き、次いで綺麗な異色の瞳がこちらを見ていた。

「・・・・・カーマイン」
「!聞いてはいたけど・・・随分酷い怪我だな。大丈夫なのか?」
「怪我自体はそんなに酷いものじゃなかったらしいけど、体内に入ったガラス片を取り出すのに
多少切開したらしいからね。そのせいじゃないかな。そのぐるぐる巻きの包帯は」

カーマインの問いにオスカーが答える。と、いうかそれは俺も初めて聞いたぞ。言われてみれば包帯の下に
あるはずの傷が熱を持っているような気がする。そういう事は普通、当人に先に説明するものじゃないのか?
親友・・・の非常識っぷりに頭痛がする。

「おいオスカー、そういう事は先に俺に言う事じゃないのか?」
「聞かれなかったもので。ああ、次いでだから言っとくけど君の右目、眼球こそ傷ついてなかったみたいだけど
瞼を結構深く切ってて数針縫ったらしいから黴菌入らないように暫く眼帯外すなってドクターが言ってたよ」
「それは・・・次いでで言う事か?」

思いっきり重要な事に聞こえたのだが。という事は抜糸が済むまで暫くは右目が使えないという事だ。
それでは元々視力の弱い自分には満足に仕事も出来ない。

「ま、完治するまで休養してろってドクターと陛下からの仰せだよ。特に陛下は自分を庇って君が怪我したって
気にしてるみたいだから、あとでちゃんとそこら辺フォローしとくんだね」
「ああ・・・。そういえば陛下や教会にいた者たちはどうした。怪我はしていないか?」
「うん?かすり傷程度なら少し怪我人は出たみたいだね。あの教会はかなり古い建物だから。
色々ガタが来ていたみたいだ。今度修繕を含めて、一部建て直すそうだよ」

やはり無傷というわけにはいかなかったらしい。それでも皆が大した怪我ではなかったようなので一応ほっと
息を吐く。あの時、自分は誰かの怒りのようなものを感じた。自然災害による単なる事故であったのに。
その誰かが、人の言う「神」だったのかもしれない。神に祈るその場所で、神を否定し、愚弄していると分かった上で
身勝手な祈りを捧げた。それが逆鱗に触れたのかもしれない。

もしかすれば「神」は実在するのかもしれない。ただ、人間が思い描くように信じる者を救う神ではなく、人に裁けぬ
咎人に裁きを下す、頑強なる神が。恩赦という形で許されてしまった俺を神は許していないのかもしれない。
それも無理はない。なにしろ、自分自身ですら己が罪を許す事が出来ないのだから。より潔癖な神が許せないのは
当然とも言える事だろう。それでもこの程度の怪我で済んだのは多少の慈悲くらいは持ち合わせているという事だろうか。

「アーネスト?」
「・・・・ん?ああ、何だ?」
「傷痛むのか?さっきからぼうっとして・・・」

オスカーの背後からいつの間にか出てきて、すぐ傍までやって来ていたカーマインが手を伸ばしてくる。
細い指先が包帯の上を優しく辿っていく。

「ま、あとは二人で仲良くやりなよ」

気を利かせたのか、オスカーはそう言うとドアを閉めるだけでなく、外から鍵まで掛けて一度も室内に
足を踏み入れる事もなく去って行った。取り残されたカーマインは鍵を掛けられた事もあり、やや戸惑った表情で
こちらを見ている。不安げな様子もまた可愛い、なんて言うとまた馬鹿扱いされるだろうから微笑むだけに留める。

「・・・あ、怪我・・・大丈夫か?」
「大丈夫だと言ったろう。見た目ほど酷い怪我じゃない」
「でも・・・目は暫く眼帯外せないんだろう?」
「・・・・らしいな。だが、元々視力が弱いからな。不便度はさほど変わらん」

眼帯の上をなぞっていると、カーマインの指先が上から重ねられる。金銀の瞳があからさまに心配そうに
布で覆われていない方の目を見ていた。そういえば、目の事は今まで彼に言った事はなかったかもしれない。
それこそ無駄に心配させる要因になりかねないからだ。

「・・・白皮症だからな、致し方ない。それに幼い頃に比べればよくなった方だ」
「あ・・・そっか。アーネスト・・・アルビノだからか。いつも平気そうだから・・・気づかなかった」
「生まれた時からのものだからな・・・今ではもう慣れている。分からなくても仕方ないだろう」
「・・・・見えてる、か。俺の事・・・?」

カーマインの顔が左側から近づく。

「・・・・見えている。寒そうだな」
「アーネストこそ・・・コート貸そうか?」
「いや、それより・・・」

自分の着ている白いファー付きのコートを脱ぎかけているカーマインを制し、不思議そうにこちらを見ている彼の細い腰に
腕を回すと、逃げられないようにしっかり掴んで自分を跨がせるように、向かい合わせに座らせる。突然の事に
左右異色の瞳が零れんばかりに見開かれていた。肩に僅かに掛かったコートがするりと腕の中ほどまで落ちる。

「・・・・え、ちょ・・・何?」
「この方がお互い暖かいだろう?」

焦ったような声がまた可愛い。自分の膝に乗せている四肢を引き寄せる。艶やかな黒髪に指を差し込むと
滑らかな感触が心地よい。ただ、どれだけ近づけようと片目が塞がれていて満足にその綺麗な顔を見れないのは不満で。
自分が怪我人なのをいい事に抵抗される事はないだろうと寄せた唇に自分のものを重ねた。

「・・・・・っ」

思った通り、大して抵抗される事もなく、受け入れられる。唇を舌で突付いて開かせるとそのまま奥を目指す。
歯列をなぞって相変わらず逃げ回る舌を絡め取り、時折優しく食む。それだけで彼の息は上がり、目元が染まる。
初めての事でも何でもないのに何時までも初々しい様子に逆に熱を煽られてしまう。

「・・・ぁ・・・も、怪我・・・して・・・・・のに・・・。自重、しろ」
「何だ、暖めてくれるわけじゃないのか?」
「だから・・・コート貸すってい・・・っ・・・ンンぅ」

切れ切れの呼吸の合間に必死になって言葉を発しているのが分かっていながら、邪魔するように口腔を犯すのは
意地が悪いだろうか。柔らかな下唇に噛み付いて吸い上げると、甘い呼気がカーマインから漏らされる。
こうなったら幾ら言葉で制止されても止めるわけにも行かず。どうせなら向こうから求めてくるように仕向ける。
寒いのが苦手なのか、分厚いコートを纏う彼。布の上から腰の括れを撫でてやると、身を弾ませた。

「・・・嫌では、ないのだろう?」
「・・・・・・・・ん」
「本当に嫌なら・・・怪我人だろうが跳ね飛ばせるはずだ」

耳元に吹き込むと微かながら、その白い耳朶は朱に染まり、漆黒の頭が一度だけ頷く。つまりは肯定。
既に分かっている事だがカーマインはよほど純粋培養で育てられたのか妙に純で、おまけに色恋沙汰に疎い。
人間なら誰しも持っている性欲を素直に認められないで、羞恥に身悶える性質だった。それはそれで可愛いとは
思うものの、こちらの身にもなって欲しい。自分は彼が思ってるほど淡白でもなければ聖人君子のわけでもない。
愛情があるからこそ無理強いはしたくないが、同時にこの腕の中に抱きたいという欲求を抑えるのが困難で。
更に我慢すればするほど、その欲求は深くなる。それが人間の・・・否、男の浅ましいところなのだろう。

「・・・カーマイン」

耳朶に触れられるのが弱いと知っていて、それに唇を触れさせながら名を呼ぶと、ぴくりと小さな反応が返ってくる。
ゆっくりと気取られないようにコートを脱がしに掛かる。耳に舌を忍ばせるとそれどころではないのか、脱がされて
いる事にも気づかずカーマインは悲鳴染みた声を上げた。首筋を舐めると細い肢体を捩って快楽への耐性の低さを
露見させる。腕からコートを抜き取り、ベッドの下へと落とす。その衣擦れが聞こえたらしくカーマインは潤んだ目に
何処か避難の色を載せて睨みつけてきていた。が、やはり迫力に欠ける。

「あまり煽られると俺も困るのだが・・・」
「ち、ちが・・・」
「今宵は聖誕祭だろう。愛の日にくらい、夢を見させてくれないか?」

セーターとその下のシャツを捲くり上げ、腹部に触れると堪らずカーマインの上体が倒れる。そのまま、許すとでも
言うかの如く首へと腕を回され、導かれるようにすぐ傍の顔を近づければ、戸惑い気味の瞳が観念したのか閉じた。
せめてもの抵抗のようで、カーマインは今にも零れそうになる嬌声を必死で堪えていた。しかしそう長くは続かない事を
経験上知っている。言葉で促しても余計に頑なになるだけだ。指先を意識する。

「・・・・ッ、・・・・!」

人体の窪みと出っ張りは全て快感に繋がるという。腰骨を指の腹で擦り、その上の臍にも手を這わすと、滑らかな
肌が粟立つ。更に手を止める事なく上昇させていけば、鼓動を拾った。常に比べて妙に早い。少なからず興奮している
証だと思わず口端に笑みが浮かんでしまう。より煽ろうと心臓から進路を逸らして平らな面に密やかに存在を主張する
淡い色の突起に触れる。弱点の一つでもあるその場所への接触は彼にとってただ事ではなく。細い喉が動いた。

「ん、あっ・・・」

切なげに漏れた喘ぎを慌てた様子でカーマインは押さえ込む。両手をがっちりと口元に当て、与えられる刺激に
息さえ殺して耐えようとする。何時まで持つか試してみたくて強めに胸の淡色を押し潰す。声は消されていたが、
四肢は隠しようもなく大きく波打つ。もう一押しとばかりに、空いている方に唇を落とせば、カーマインの手が離れる。

「・・・ッ・・・だめ、だ・・・・そんなっ・・・・」
「まだこれからだろう・・・?」
「・・・・は、ぁ・・・・舐め・・・な・・・・」

口に含んで転がされると、どうしようもなくなる敏感な肢体。強すぎる快楽は時として苦痛を伴うものだ。
今のカーマインがまさにそうなのだろう。痛みにではなく悦に対して生理的な涙を零している。
軽く歯を立てれば、目尻に堪った雫が頬を伝って一筋零れ落ちた。ただの水分に他ならないのに、とても綺麗で。
どんな宝石よりもこの涙の方が愛おしい。一つ残らず自分のものにしたくなるほどに。物理的には無理なのだけど。
せいぜい、唇で拭ってやるくらいしか出来ない。塩辛い、水滴を。

「アーネ・・・ト」

聞き取りにくいくらいに小さな声。それでも呼び声が愛しい。怯えられないように、髪を梳く。心地よさそうに
細められる瞳にこちらの鼓動も高鳴る。このとても綺麗な生き物を、自分だけが独占出来るこの瞬間が酷く優越感に
浸らせる。悪い事をしている、その自覚もあるが、この澄ました綺麗な面が乱れる様を見れるのなら。
脚の間に手を伸ばす。革の生地越しにも、悲鳴が上がる。

「・・・ああっ」

しがみつく力が強まり、傷にほんの少し痛みを齎す。顔に出てしまったのか、
カーマインの潤んだ目が瞠られ。暫くしてその意味を理解したのか手が、離れる。

「ごめ・・・怪我、・・・」
「いや、大事ない」
「・・・・ッ・・・・」

強がったつもりはない。このくらいの痛みならば、我慢出来る。彼に触れられるのなら、それでいい。
その意思を伝えようと頬を手の甲でなぞり、指先で擦るとカーマインがほっとしたようなそれでいて何かを
決意したような目をしたかと思えば耳元に唇が寄せられ。

「動くなよ・・・?」
「ん?」

意味を捉えかねて、小首を傾げると更に言葉を添えられる。

「・・・俺が、するから」

耳を疑うような言葉に反応を返す事も出来ずにいると、強気な態度とは裏腹に紅い頬のカーマインが
恐る恐るといった体で唇を重ねると慣れぬ手つきで触れてくる。包帯の上を軽く辿り、胸から腹部に掛けて
手を這わす。俺がする、という事はやはりそういう事なのだろうか。健気な在り様にぴくりと身体が反応する。

「・・・・触る、ぞ?」

確認の後、長く細い指先がスラックスのボタンに掛かり、外し終えるとそろそろと中に入ってくる。
拙い動きでも彼の指だと思うだけで煽られてしまう。上下に行き来する指先が迷いながら先端を擦り。
危うく息を吐きかけて、眉間に皺寄せ堪える。

「カーマイン、俺はいいから・・・」
「ん、でも・・・怪我、してるだろう。俺がするから・・・」
「それはいいが・・・俺もお前に触れたい」

腰を引き寄せ、未だ身につけたままのカーマインのズボンを下着と一緒に引き下ろす。
直接はまだ触れていないはずの熱源は欲に濡れている。見られた事が恥ずかしいのかカーマインは顔を逸らす。
その隙に蜜の滴るその箇所に触れる。形をなぞるように触れ、擦り上げると甘い声が上がった。

「あ・・・っく・・・だめ・・ゃ・・・」

しっかりと乱れるその顔を見たいのに、塞がれた片目が邪魔をする。せめて声を聞きたいと握ったものの先端を
強めに擦り、爪を立てると咎めるようにその上から手を重ねられ、阻まれてしまう。どうしたものかと逡巡して
指先を更に奥を目指して伸ばす。ひくりと硬く閉ざした蕾が蠢く。

「・・・ぁ、・・・・ゆ・・び・・・・入って・・・」
「ここまでは・・・俺がしてやる」

内襞が震えて、中の指を締め付ける。元々感じやすい体質ではあったカーマインだったが、肌を重ねれば
重ねるほどそれはより一層深まり。ここまで素直に可愛らしい反応をされると苛めたくなる。中を掻き回す指先を
折り曲げ、締め付ける中を広げれば、切迫した浅い呼吸が耳に届いた。

「まだ・・・達くなよ?」
「そ・・・な事・・・ぃ・・ぅ・・な・・・」
「俺を、幸せにしてくれないか?」

お前にしか出来ぬ事だから。囁いて指を引き抜き身体を後ろに傾かせると、ぼうっとした目で見守っていた
カーマインは数秒意味が分からなかったのか固まってしまっていたが、俺からのアクションがない事で気づいたようで
真っ赤な顔で身体を移動させると深く深呼吸して俺のものに手を添えるとゆっくりと腰を落とす。熱く熱を持った
それが蕾に触れると身を震わし、硬直する。止まってしまった彼を片目だけの視線で促すと眼帯が目に入ったせいか
カーマインは再び腰を下ろし、切っ先が飲み込まれた。

「ん、ぁ・・・・ぁ、熱っ・・・」

自分で入れる事が初めてな細身は終始震えている。苦悶を浮かべた表情に哀れみを感じるよりも、
性感を煽られてしまう。あまりにも苦しそうで手を差し伸べてやりたくもなるが何とかそれを押さえ、じっと息を殺す。
随分と時間を掛けて全てを収めるとそれだけで消耗してしまったカーマインの肌には汗が乗っている。
そっと髪を撫でてやると、次第に息が整っていく。震えた細腰が緩くリズムを刻む。

「は・・・っ、ぅ・・・あっ!」
「なかなか・・・上手いな」
「そんな、こと・・・ぅぁ・・・」

必死に動いている黒髪が宙に舞う。普段戦っている分には、疲労を滲ませているところなど見た事はないが
今の彼は今にも果ててしまいそうなほど疲弊している。もう、自分で動く気力もないほど。けれど追い詰められた
肢体は終わりを迎えられずに悶えていて。もういいか、という気になる。自身の身体を起こしカーマインの腰に
手を添えた。意図が伝わったのか安堵した顔色でカーマインが薄く微笑む。

「少し、手伝ってやろう」
「ん、んぅ・・・あ、あ、あっ・・・!」

抑えていたものを解き放つように、強く腰を掴み下から突き上げる。自分でしていたのとは違う激しいと言える
責めにカーマインは涙すら零して啼く。目前で揺れる白い裸体が目に眩しい。俺の目が、普通だったら
もっと鮮明に見えるのだろうか。何となく損をしている気になって何度も何度も、膝上の身体を貫く。

「あ、あ、あ・・・ん、あぁっ!」

最奥を、打ち震える奥襞を掻き分け突き上げると強く締め付けられる。果てる彼の表情は魔族と言われても
信じてしまうだろうほど妖艶で、その瞬間は息をする事すら忘れてしまう。それから、一度白く染まる思考。
カーマインに導かれるように、己もその後を追った。外はまだ、雪が降っている。穢れなど知らぬように。



◆◇◇◆



「・・・怪我は、大丈夫なのか・・・?」

まだ荒い呼吸でぐったりとしたカーマインが問うて来る。俺から見れば彼の方が病人か何かに見えた。
それは自分のせいなのだけど。背を撫でて宥めてやると、お返しなのか、包帯の上を優しく撫でられる。
更に痛む腰を堪えて身を少しだけ浮かすと彼は眼帯へと手を伸ばしてきた。軽く擦ると小さく布越しに口付けられ。
労わってくれているのが、よく分かる。自分の方が今は辛いだろうに。

「お前こそ・・・大丈夫か?」
「君がそれを訊くのか・・・?」
「・・・・悪かった。が、偶には俺も聖誕祭を楽しみたかったのでな」
「楽しみたかった・・・?」

怪訝そうに眉間に皺寄るカーマイン。彼は今まできっと聖誕祭はずっと家族と過ごしてきたのだろう。
あの暖かな、家族と。穏やかで幸せな時間を過ごしてきたのだろう。だが俺はといえば、仕事で休日を潰すか
一人で過ごすばかりで、あまり聖誕祭を楽しいと思った事はない。それ以前に神を信仰していないせいもあるか。
とにかく人々が楽しみにする日を俺は今まで有効的に過ごせた試しはなかった。

「俺は・・・どちらかと言えば聖誕祭は好きではなかったな。独りでいる事が多かった故に」
「そうなのか。独りは・・・寂しいよな」
「そう、だな。だから満身創痍でもお前と一緒に入れて嬉しい」

素直な気持ちを吐露すると呆れていたカーマインは慈悲深い聖母のように微笑んで。その姿に、これまで何が
あっても信じられなかった神の存在を背後に感じた。神はきっと人が思っているほど聖人君子ではなくて、
何が楽しいのか悪戯ばかりするような子供のように気まぐれで時には我侭で暴君で人を困らせる。
それでも、どんなに辛い目に合わせてもほんの時折、ほんの些細な幸せをくれるのかもしれない。罰を与えるのと
同じくらい勝手気ままに思うがままに。そう考えるとうさんくさいと思っていたその存在も多少は憎めない。
これまでどんな目に遭わされていたとしても。この腕の中に自分にとっての至上の幸せがあるのだから。

「惜しむらくは、今は片目が使えぬ事か・・・」
「やっぱり不便なんじゃないか・・・」
「お前の顔が、満足に見えないからな片目だけでは」
「・・・・馬鹿、・・・・だな」

優しい囁きが降ってくる。

「見える事は、大事だよ。でも・・・見えなきゃ、俺といてもつまらない?」
「そんな事はない。お前の声が聞けるだけでも嬉しい。存在を感じられるだけで・・・それだけでいい」
「じゃあ・・・満足に見えない間は、アーネストが寂しくならないようにたくさん話すよ」

って言ってもあまり話し上手じゃないけどね、とはにかむ彼が酷く愛しい。改めて彼の存在を喪えないと思う。
まだ、あの夢に対する恐怖も不安も拭えてはいないけれど。怯えるだけではいけない。ましてや神頼みしている
場合でもない。元から自分の手で守ろうと思っていた。だが、思っているだけではならない。自分の骨躯全て
喪う事になっても必ず必ず彼を守ってみせる。彼は自分と同じく男で、守られる事に対してプライドが許さない事も
あるだろうが、どうあっても喪えないから、例え厭われようともその点に於いて我を貫き通してやろう。
神に罰を与えられようが、目を失おうが、傷だらけになろうが決して。


折れぬ心で、彼を守り続けよう。
愛しい彼を。

声は届かなくとも。
祈りは届かなくとも。
願いは聞き入れられなくても。

自分の力で、自分の思いで。
今は見えぬ右目に、彼の存在に誓おう。

――もう二度と喪わぬように。
次に夢見るその時は棺の中が、空であるように。

聖夜に死す、怯えた心。


fin



く、クリスマスにUPするつもりだったのに・・・orz
まさかこんなに長くなるとは。長くなりすぎて何が書きたかったのか
忘れる始末(殴)取り合えず眼帯と教会はいれなければ!と自分的に思ってたのですが。
そしてEROは今までリクエスト頂いてて書いていなかった騎乗位でした。
こう、EROがあるのに攻視点の話って書きにくいですね・・・反省しっぱなしです。
あ、ちなみにアーネストが目が悪いのは自分的に公式設定です。アルビノですからね。


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