今はただこのままで







数日前の豪雨の夜に、迷いの森で衰弱しきった不思議な子供を見つけた。
年の頃は五歳前後。それに似合わず顔はまだ丸みがあるものの、随分と整ったもので。幼いながらに綺麗という言葉が
よく似合うほどの美貌を備えている。大きな双眸は右が金、左が銀と相反する色合いで世にも珍しいオッドアイ。
それだけでも異様であるのに、更に耳の形状があたかも猫のようで。それに示し合わせるかのように、黒く艶やかな尻尾まで
生えている始末。恐らく、というかどう見ても人間ではないのだろう。

しかし人間であろうがなかろうが生きている事には変わりない。笑って、泣いて、喜んで、悲しんで。感情の起伏は
人間と変わらない。ならば多少の見た目の違いは然したる意味も成さないだろう。同じように物事を感じ取れるなら、
種族などというものは関係ない。同じ人間同士でも馬が合わない奴、話が噛み合わない奴はいるのだから。

「・・・・・アーネスト」

そんな事を思っていると不意に遠慮がちな声が自分を呼ぶ。こんな風に名前で自分を呼ぶ者は限られている。
親友二人と、先ほどから話しに上がっている幼子、カーマインだけ。衰弱しきった彼を自分の家に連れてきてから数日と経つのに
未だに躊躇うような態度を見せている。それは生来の気質なのかそれとも自分を恐れているのか。普通の子供ならば後者で
あるのだが、彼はよくよく見てみれば自分を恐れているのではなく、単に甘える事を知らないだけなのだと気付く。

手を差し出せば、微かに首を傾げ、おずおずとそれを取る。笑いかけてやれば、一瞬戸惑い、それから頬を染めながら
ぎこちなくはにかむ。何もかも知らない事のように困惑し、しかしそれを好意と理解すると嬉しそうにする。
とても純真で愛らしい生き物。だからか、子供が苦手な筈の俺もつられて頬が緩む。不思議な事だ。オスカー辺りがそれを
目の当たりにしようものなら「天変地異が起きる!」だとか喚きたてそうなくらいだろう。本当に不思議だ。

「・・・・どうした?」

読んでいた書籍に栞を挟んで振り返れば、当然ながらサイズの合わない俺のシャツを纏ったカーマインは、長く床に着きそうな
それの裾を握り締めて伺うようにこちらを見ている。耳も尻尾も垂れて、まるで悪さをして叱られている子供のような姿だ。
しかし、彼の場合は別に悪い事をしたわけではないのだろうし、俺だって別に彼を怒っているわけではない。きっとこれはいつもの
ようにただ、遠慮しているだけなのだろう。子供なのだから、もっと素直に甘えてしまえばいいのに。そう思いはするものの、
それはそれで新鮮な反応だと内心で笑う俺がいる。掛けていた椅子から降りて、その場から動かず、痛々しいほどに俺を
仰ぎ見ている彼と瞳を合わせる。

「何かあったか。遠慮せず、何でも言え」
「・・・・・・・あの、ね」
「ああ、何だ」
「・・・・・・・・・えっとね」
「・・・・・ん?」
「・・・・・・・・・っ、やっぱり・・・・いい」

ベッドから起き上がれるようになったものの、まだやはり顔色の優れぬ彼は水を要求する事ですら、口にするのに三時間は
掛かるほど控えめで消極的だ。今も問うたところできっと答えは返らぬのだろうな、と思っていた通りカーマインは言い難そうに
口の中で言葉を転がし、結局それを音として為さぬまま逃げるように去ろうとする。奥ゆかしいのはいい事だとは思うが、
ここまで望みを飲み込んでしまうのは良くない。

もっと自分に甘やかしてやれるだけの器量があれば良かったが、先に言った通り子供は苦手にしていたから、彼のように
幼い者が何を望むのか察してやる事が出来ない。仕方なく溜息を吐いて、尻尾を揺らす小さな後姿を脇に手を通して抱き上げる。
いきなり宙に身体が浮いた事で不安になったのか、カーマインは肩越しにそろそろと振り返った。大きな瞳は揺れていて、何やら
自分が苛めているような気になってしまう。かと言って、ここで彼を解放してしまえばいつまで経っても遠慮したままだろうから、
心を鬼にして身体を反転させて、更に抱き上げる。間近に子供ながらに綺麗な顔が近づく。目が合えば、さっと逸らされ少しむっと
するものの、ここで苛立ちを露にすれば怯えさせてしまうので、心の奥底にそれを沈める。

「・・・・カーマイン、ちゃんと言うんだ」
「・・・・・・・・だから、何でもないの・・・」
「・・・・・・・俺は、嘘を吐く子は嫌いだ」
「・・・・・・・・・・・・ッ」

嫌いと口にすれば、ピクリと細い肩が震え耳が跳ねる。とても正直な反応に口角が知らず上がっていく。しかしそれに気付く
余裕もないのかカーマインは色違いの瞳をキョトキョトと忙しなく彷徨わせ、何度も口籠る。何か言おうとはしているのだが、
何故かそれを口に出来ないようだ。きっと、言いたい事は他の者にしてみれば何でもないような事なのだろうけれど。

「・・・・・カーマイン?」
「〜〜〜〜〜ッ」
「早く言わないと本当に嫌いになるぞ?」

嘘だけれど。嘘吐きは嫌いなどと言いつつそのすぐ傍で自分が嘘を吐いていては世話がない。これだから、大人は嘘吐きだとか
狡いだとか言われるんだろう。その自覚がありながら簡単に嘘を吐く自分は結構いい性格らしい。オスカーの事をどうこう言えん
かもしれんな、と再び込み上げてくる笑い。しかしそれは自嘲だ。カーマインはどうするかと顔色を伺えば、金銀の宝玉についに
大粒の涙が浮かび。それを見て罪悪感に駆られる。謝罪しようとすれば自分の声を遮るようにカーマインが叫ぶ。

「ごめんなさい!き、嫌いにならないで・・・!」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「僕、僕・・・・アーネストに嫌われたくない」

泣きながら言われた言葉は、ただ瞠目するばかりで。恐らく嫌われるまではいかないものの、好かれてはいないだろうと
思っていたから。ろくに笑う事もせず、優しい言葉も掛けられないし、気もあまり利く方ではない。おまけに雰囲気が怖いなどと
言われる始末な自分に、大人ですら恐れるのに、こんな幼いいたいけな子が好いてくれるとは思いもしなかった。驚いて
思わず言葉を失う。しかしカーマインはそれを拒絶とでも取ったのか、先ほど以上に盛大に泣き出してしまった。しゃくり声を
上げ、目も顔も真っ赤にして泣かれてしまえば、どうしていいか分からなくなる。

「お、おい・・・泣くな」
「うっ・・・・っく・・・・だって、アー、ネストは・・・ひっく・・・僕が嫌いなんでしょ、う」
「・・・・・・・・違っ・・・・」
「僕、僕・・・・も、出てく・・・・アーネストが、僕を嫌いなら・・・出てく・・・・・」
「だ、だから違うと言ってるだろう」

慌てて否定しても、泣いている子供というのはどうにも人の話を聞かないらしい。困った。口で言っても聞いてくれぬのならば
一体どうすればいいというのか。子供のあやし方なんて知らない。何をすれば、どうしてやれば泣き止むのかなんて分からない。
分からないけれど、このまま泣いている姿など見ていたくはない。堂々巡りだ。息を吐く。それは自分に対する呆れ。
せめて自分の思いは伝わって欲しい。その思いで泣き濡れる小さな身体を腕の中に抱きしめた。途端にビクリと腕の中の
存在が跳ねる。それは怯えか。気まず気に小作りな顔を覗き込めば、予想に反してぱちくりと目を瞬いて自分を凝視している
カーマインがそこにいる。ふっくらした頬を涙が伝っていたが、それは今まで流していた分で、新たに流されたものではない。
いつの間にか彼は泣き止んでいた。

「・・・・・カーマイン?」
「・・・・ど・・・して・・・ぎゅってしてくれるの?」

僕の事、嫌いなんじゃないの?と拙い言葉で尋ねられて再度溜息を吐きたくなった。この子供は自分が思っている以上に
純真だ。だから、大人の・・・・他人の冗談交じりの戯言さえも鵜呑みにしてしまう。それは彼の美点であり、同時にとても危うい
欠点になりかねない。人を疑えとまでは言わないが、それでもこんな簡単に人を信じきってしまったら、後で酷い目に遭わされる
かもしれない。それを思うと胃痛すらするくらいだ。そして自分も気をつけねばならない。言葉をちゃんと選ばねば、思わぬところで
今抱きしめている小さな彼を傷つけてしまうだろうから。もう一度、労わるように抱きしめる。今度はカーマインが震える事は
なかった。

「・・・・悪かった。嫌いになるなどと・・・嘘だ。だから、泣くんじゃない」
「・・・・・・・・本当・・・・・?」
「ああ。それよりも、お前こそ俺を嫌いになったのではないか?俺は・・・嘘吐きだ」

眉根を寄せて首を傾げば、小さな頭は髪を振り乱しながら横に振られる。

「ううん。僕・・・僕は本当はアーネストにぎゅってして欲しかったの」
「・・・・・・・・・・・・・何・・・・?」
「僕、お母さんにぎゅってしてもらって嬉しかったから・・・・アーネストにもして欲しかったの」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

それを聞いて肩からずり落ちそうになった。あんなに口籠っておきながらそんな事かと。そして、どこかでそれを喜んでいる
自分もいて。こんなに純粋に慕われてしまうと、自分という存在を図りかねる。しかし、酷く戸惑うのにやはり胸が温かくなっていく。
本当に不思議だ。子供は苦手な筈なのに。その小さな手に求められると反射的に微笑んでしまう自分がいる。頭を撫でて
やりたくなる。抱きしめてやりたくなる。こんな自分は知らない。

「・・・・・カーマイン」
「アーネスト・・・・・・・・・・?」
「俺は気の利いた人間じゃないし、何でも知ってるわけじゃない。分からない事の方が多い。
お前が何を望んでいるか俺は知らないし、分からない。でも、俺はお前の喜ぶ顔が見たい。
だから・・・・望む事があれば何だって言って欲しい。遠慮などしなくていいんだ」

言ってやれば、カーマインは目に見えて驚いた顔をして、そしてゆっくりと頬を朱に染めながら小さくはにかむ。
それは幼いというのを差し引いても可愛らしい笑顔。気が緩む。きっと今自分は酷くだらしない顔をしているんだろう。
ここには鏡も何もないが、何となく分かる。少し気恥ずかしくなったが、顔を逸らしはしなかった。その為、カーマインが何やら
物欲しげな目をしている事に気づいた。

「・・・・・・・どうした?」

数分前に問うた内容を繰り返す。今度はカーマインが躊躇う事はなかった。

「あ、あのね・・・・・もう一回だけ・・・・ぎゅってして・・・・?」
「・・・・・・・御意」

半ば予想していた『お願い』の内容に笑みを零しながら、要望通り、細い肢体を抱きしめる。こうしていられるのもそう長くない。
彼の体調が万全になったのなら、親元へ帰してやらねばならない。そう、約束した。それを破れば、自分は本当に嘘吐きに
なってしまう。だから、守ろう約束を。彼が帰ってしまったらきっと寂しくなるであろうけど。ただ、せめて帰るその時まではこうして
抱き締めていたい。それが何を意味するか、分からぬほど世間知らずではないけれど、今はただ、このままで―――






fin



一ヶ月ぶりの更新です(遅)
しかしやたらと甘いですよ〜。書き途中に何度砂を吐いた事か・・・!!
アニーさん既にメロってますし。痛い人だ(おい)
次はきっと健全に仲良しです(ほんとかよ)


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