小さな手が自分を求めてくれる度、
嬉しそうに微笑んでくれる表情を見る度、
―――少し自分が優しくなれる気がする。






甘い箱庭








すうすうと柔らかな寝息が聞こえる。小さいながらにどこか気を張った印象を受ける、自分の膝上で眠っている子供は。
あと少ししたら、この腕に抱く事も出来なくなる。親元へと帰すのだと約束したから。それを、果たさなければならない。
他に自分に出来る事など何一つとしてないのだから。そうなれば、この愛らしい顔を見るのも、もう僅かな時しか残されて
おらず。急に時間というものが大切に思えてきてしまう。見納めにと、時折ぐずるように擦り寄ってくる小さな頭を覗き込んだ。

「・・・・・・よく寝ているな」

大分慣れてきたとはいえ、やはりどこか一歩引いている感が否めぬ幼子は、眠っている間だけは年相応に戻る。
呼吸をする度に肩や背が微かに上下し、ふっくらした頬は朱に染って。先ほどもぷにぷにと突付いた触り心地のよい
それに指を伸ばす。柔らかで弾力のある肌は、マシュマロのようだ。つい、悪戯心が沸いて甘そうなそこに唇を寄せ、
そっと口付ければ思った通り少し甘い。おまけに何だか嬉しそうな顔をされれば、自分まで心を甘いシロップ付けに
されたような気分になる。実際そんな事しようものなら胸焼けしそうだが。

「・・・・・・何だか、俺まで眠くなってきたな・・・・・」

一つ欠伸を噛み殺して。気持ち良さそうに眠る幼子の姿を見ているうち、自分までつられて眠くなってきてしまった。
もっと、その無防備で愛らしい寝顔を見ておきたかったのだが。そんな意思に反して、瞼がずしりと重くなってくる。
抗おうにも引き摺ろうとする眠気の方が断然強い上、まどろみが心地よくて。あっという間に陥落してしまった。
意識が遠のき、夢の中へ落ちていく感覚がする・・・・・・・。





◆◇◆◇





・・・・・・・・ここは、どこだ?

眼を開けば、一面真っ暗闇。どこであるのかなど、分かりはしない。暫くすれば目が慣れるだろうかと淡い期待を持つが、
いつまで経っても暗闇に変わりない。仕方なく、手探りで前へと進んでみる。どこかに明かりがあるかもしれぬと思い。
そうして暫く歩き続けていれば、どこかから泣き声が聞こえてきた。小さな子供のすすり泣く声。それに聞き覚えのあった俺は、
暗闇の中を走る。暫くこの空間を歩き回ったが、壁はおろか、障害物の一つもなかったから。そうして、だんだんとはっきり
聞こえてくる泣き声に、無意識に手を伸ばせば、微かに何もない空間に細い明かりが差してくる。その先にいたのは、
小さく蹲った、自分の愛しい―――






◆◇◆◇






「アーネスト」
「・・・・・・・・・・・・・・?」

先ほどまで泣いていた声が急に自分の名を紡ぐ。その切り替えの早さについていけず、首を傾げばもう一度もっと
強く名前を呼ばれ、身体に微かな振動が伝わってくる。これは、揺すられているのか・・・・・?そう理解すれば、今まで
自分は夢を見ていたのだと気づく。ならば今俺を呼ぶ声は・・・・・・・。

「アーネスト、起きて!」
「・・・・・・・・・・・ん」

瞼を引き上げれば、やはり俺は眠っていたらしく、健気な小さな手が懸命に俺を起こしていたようだ。それに謝罪しようと
身を起こそうとするが、なかなか上手くいかない。どうやら意識は覚醒していても、身体は眠ったままらしい。
またゆさゆさと揺すぶられる。あの小さな身体で俺を起こすのは大変だろうと思う。何とかはっきり覚醒しようと
瞬きを何度もし、眉間に力を入れる。

「アーネスト、起きた?」
「・・・・・・・ん、・・・・ああ、起きた」
「でも、まだぼーっとしてるよ?」

大丈夫?と訊かれて大丈夫だと答えたいが視界は確かにぼやけている。自分を呼ぶ可愛らしい声の方へ顔を向けるが、
その顔は未だによく見えない。それが勿体無くて、目を擦ろうとすれば、細い指先が絡んできて。

「だめ、目擦っちゃだめなの」
「・・・・・・・・・・・・・あ・・・・・」
「ば、ばい・・・・えっと・・・・・ばいきんが入るの!」

そういえば、俺がそれを彼に教えたんだったなとぼやける頭の片隅で思い出す。きっと黴菌なんて初めて耳にしたのだろう。
たどたどしい口調がそれを伝えている。それが酷く微笑ましくて笑えば、ぽこ、と小さな手が腹の辺りを叩いてきた。
笑うなという事だろう。それが余計におかしいのだと小さな彼には理解しがたいか。

「・・・・・・カーマイン、すまんがタオルを濡らして持ってきてくれないか?」
「・・・・・・・・・・?うん!」

目を醒ますために濡れタオルを頼めば、その意味は判っていないようだが元気よく返事してタオルを取りにいく。
とてとてと軽く小走りをする音がする。その足音は本当に彼がまだ幼いのだと感じさせ、何処かで子供を育てる親は
いつもこんな気持ちでいるのだろうかと思う。しかし冷静に考えればそんなわけはない。いくら親が子供に対し、
惜しみない愛情を注ぐとしても、我が子に恋情を抱く親などいやしないだろう。滑稽な話だ。僅かに自嘲をすれば、
タオルを濡らしてきたらしいカーマインが戻ってきた。

「はい!」

いっそ誇らしいほど、元気な声でタオルを両手で翳して渡してくれる。それを受け取ると、まあ当然の話かもしれないが
きっちり絞りきれていない。ぼたぼたと布の端から雫が垂れてくる。しかし当のカーマインはそれに気づいていないよう
なので自分も気付かなかった振りをして、それで顔を拭く。しかし絞りきれてないタオルでは顔と垂れた雫で服がびしょ濡れ
になってしまう。まあ、自分は構わないが、カーマインの方が気にした。

「あ、あれ!?アーネスト、びしょびしょ・・・!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・気にするな」
「ごめんね、ごめんね!!」

慌てて謝りながら、カーマインは自分のサイズの合わない服で顔を拭いてくれようとする。一生懸命で可愛いのだが
風邪を引かれると困るので、先に自分の服で拭いてしまう。あー!と小さな口に似合わず中々大きな声で叫ぶが、
頭を撫でて宥めると上着だけ脱ぎ着替える。

「・・・・・アーネスト、ごめんね」
「いや、目は覚めた。気にするな。それより、何か言いたい事でもあるんじゃないのか?」

そうでもなければ、カーマインが自分を起こそうとする理由はないように思える。空腹なのだろうか?
それにしては元気そうだが。彼はお腹が空くと耳と尻尾を垂らして少しだけ切なそうな顔をする。いや、切ないというか
恥ずかしそうというか。まあどちらにしても可愛らしい姿なのだが。それはともかくどうなのかと顔を覗き込めば
暫し逡巡してからコクリと頷く漆黒の小さな頭。

「・・・・・・・・んっとね・・・・・アーネストにメイワクかけちゃうかもしれないんだけど・・・・・」
「・・・・・・・・・・・?構わん、何かあるなら言え」
「うん・・・・・。あ、のね・・・・・・・アーネストは僕が、いたら・・・・メイワク?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」

顔を赤くして俯きながらもごもごと呟かれる科白に首を振る。そんな事があるかと。そうすればほんの少しだけ
幼い面に浮かぶ憂いが和らぐ。その、安らいでいく様を見るのが好きだと思う。微笑まれる度に、自分の硬い心の
何処かが柔らかく優しいものに変わっていく気がする。

「それで、どうした?」
「・・・・・うん、僕、わがままなの・・・・・・・」
「・・・・・・・・?お前が我侭だったら、俺はもっと我侭な事になるんだがな」

苦笑混じりに返せば即座に首を振られる。自分としては正直な気持ちを告げたつもりだったのだが。
本当にこの自分の目の前で縮こまっている幼子はその年頃の他の子供に比べても、自分のような成人した人間と
比べても随分と無欲で。何かを欲しがって俺を困らせた事など一度もない。駄々を捏ねられた事もない。
とても聞き分けがよく、素直で。それが時々痛々しく感じられるほどで。そんな彼が珍しく何かを強請ろうというのなら、
二つ返事で了承してやろうと彼を促せばおずおずと口を開き。

「・・・・・・僕、僕ね・・・・・・お家帰りたくない。アーネストと一緒にいたい・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ッ」
「・・・・・・・・・・・・・・だめ・・・・・?」
「・・・・・・・・・・ッ、・・・・・・・・・・・・・・それ、は・・・・・・・・」

服に縋り付かれて、涙を湛えた上目遣いで見上げられてしまえば、条件反射で頷いてしまいそうになるが
何とか堪えて。それでもだめだと即答出来なかった自分は相当に不甲斐ない。これでも外では冷血漢などと言われて
いるのにも拘らず。彼に対してだけは冷酷な答えは返せずにいる。確かに出来る事なら、彼を自分の元へ留めておきたい。
愛しい者を傍に置いておきたいと思うのは誰もが共通に思う事だろうから。しかし、それは出来ない。彼にはちゃんと
親がいるのだし、何より種族が違う。自分は良くとも、彼にとっては人間の世界は住みにくいだろう。外に出て生活する
事すらままならないかもしれない。そんな軟禁生活など送らせたくはない。だから、だめなんだ。首を振る。

「・・・・・・・すまんが、それは出来ん」
「・・・・・・・・・・・・・そ、だよね・・・・・やっぱりメイワク・・・・だよね」

ごめんね、と今にも泣きそうな顔で微笑まれて納得出来る人間がいるだろうか。少なくとも俺は後悔する。
そんな顔をさせてしまった事に、本心ではまったく別の答えを出しているのに。己の最も深い想いを封じなければ
ならないとは、それが大人だという事なら俺は子供のままでありたかった。彼よりもよほど自分の方が我侭だ。
捨てきれない想いに縋り付いて、自制する事も出来ないで。

「・・・・・・・・・・・そうじゃない、そうじゃないが・・・・・・・・・すまない」
「いいの、僕がわがままなの。だから、・・・アーネストは謝らないで・・・?」
「違う、俺は・・・・・俺もお前と共にいたい。しかし、お前には・・・・親がいるだろう。それに、生きる世界も違う」

だから、一緒にはいられないんだと口にすれば首がもげるのではないかと思うほど勢いよくカーマインが頭を振る。
その意味が判らなくて首を傾げば、強い力でしがみ付かれた。未だ嘗てこんな事はない。

「やだ、やだ、やだ!僕、もう帰るところなんてないんだもん・・・・。帰りたくないよぅ」

啜り泣きを交えたその言葉にはっとなる。彼は今何と言った?帰るところがない・・・・?

「・・・・・カーマイン、お前は・・・・・今帰るところがないと言ったか?」
「・・・・・・・・・っく、う・・・ん・・・・僕、一族の皆に、捨てられたの・・・・だから、帰れないの・・・・」

お母さんとも会っちゃ行けないの、と啜り泣きが一気に大泣きに変わる。しがみつく力が更に強まる。しかし、それは
当然の事だろう。こんな小さな身でたった一人異世界に放り投げられて。寂しくない者などいない。悲しくないわけが
ない。例えそれにどんな理由があろうと、決して許してはならない事だと、誰も止めなかったのか。見も知らぬ、彼を
追い出したという者たちに堪えようのない怒りを覚える。しかし、それよりも。

「お前は、何故そんな大事な事を言わなかった!」

知らず、語尾が荒くなってしまう。しかし、言ってから思い出す。一番初めに話をした時、自分が親の元へと送ると
言った時、彼が何か言いたげだった事と、そしてその後泣いた事を。何故、その時自分はもっとちゃんと彼の話を
訊かなかったのだろう。大体、彼が何故あの大嵐の日に倒れていたかさえ状況をろくに把握していないのは自分では
ないか。そんな俺が彼を責める権利があるのだろうかと思う。大声を出されてびっくりしているらしい細い肢体を
抱き寄せる。加減をしなかったので「痛い」と小さな声で彼が悲鳴をあげた。慌てて力を緩めようとしても上手くいかない。

「すまない、カーマイン。すまん、俺が悪かった・・・・・」
「・・・・・・・アー、ネスト?」
「俺は、お前の面倒を看ると言っておきながら、お前の事を何一つ知らない愚か者だ」
「・・・・・・・・・・違うの、僕が、僕が言わなかったからいけな・・・・ごめんなさ・・・・・・・・」

泣いてる彼にフォローされてるようでは本当に不甲斐ない。こんな自分では彼をちゃんと見てやる事も出来ないのでは
ないだろうか。一緒にいる資格などないのではないだろうか。そうは思えど、今の彼には自分しかいないのだ。ここで
俺が彼を突き放しても、彼は幸せにはなれない。一人きりで生きていかなければならない。そんな寂しい想いはさせたく
などなく、それに一度捨てられた彼を見放せば彼は二度捨てられた事になる。それだけは何が何でも避けたかった。
例え自分が未熟であっても。

「・・・・・カーマイン。お前は、本当に俺でいいのか・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
「探せば、もっとお前が傍にいたいと思う人間がいるかもしれない。此処に決めなくたっていいんだぞ?」

言いながら、何処か卑怯な物言いだと思う。彼は自分以外の人間を知らない。世界をまるで知らないそんな幼子が
わざわざ外に出て行くとは思えない。多少不安や不満があっても自分の元に留まる事を選ぶだろうと分かっていながら
こんな質問をするのは・・・・無駄な事だ。いざという時の言い訳にしかならない。しかし、そんなずるい大人の考えなど
知らぬ純粋な子供はにっこり笑って。

「ここがいい。僕、アーネストの傍がいい。他のところなんて・・・・イヤ」
「じゃあ、ずっといろ。俺は、お前が望むだけずっとお前の傍にいよう」

他のところになどやらないと、そう耳元に囁いてやればカーマインは安心してしまったのか、それとも泣き疲れたのか
ついさっきまで寝ていたに関わらず、また深い眠りについてしまった。すんすんと啜り泣きの名残が鼓膜を打つが、
すぐにそれも収まり、また室内に健やかな寝息が響いた。






◆◇◆◇






「・・・・・・・本当に、よく寝るな」

一人取り残されて、多少不服は残るものの自分の腕の中で眠りについてしまった幼子はとても幸せそうに微笑って
いるから。それだけで何もかも、どうでもよくなってしまう。それに、自身の最も強い願いも叶ってしまったようだし・・・。
ずっと傍にいたいと願う気持ちは、きっと本当に無垢で無知な彼よりも自分の方が強い筈だ。独占欲ともいうか。
それに苦笑して、再び、眠ったカーマインの柔らかで甘い頬に口付け、今日はもう起きてこなそうだと小さな身体を
ベッドへと運んでやる。それから静かに横たえ毛布を掛けてやると、嬉しそうに彼が俺を呼ぶ。起きているのかと思えば
寝言だったようだ。あまりに可愛い仕種に骨抜きにされてしまいそうで。一言返すのが精一杯だった。

「・・・おやすみ、俺の眠り姫」

囁けばくぅと寝息が返ってくる。どうやらされてしまいそうなんて不確かな言葉でなく、既に骨抜きにされている自分に
気がついて顔を赤くして彼の隣りで冷たいシーツに顔を埋める事しか出来なかった。





fin




も、もうどうにでもしてくれ〜(放棄した・・・!)
あわわわ、何だか書けば書くほどゲロ甘くなっていきます。
どうしようもねえバカップル共だな(お前が書いてんじゃ!)
・・・・・・はい、失礼致しました。回を重ねるごとに筆頭がお馬鹿さんになって
いきます。はい、カーマインはですね。そろそろ成長して賢くなっていきますよ。
そんでちょっと飼い主に性格が似てきます。でも基本的にはラブラブで。
アンケートで頂いたネタもぼちぼち行かせて頂こうと思います。では(脱兎)


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