バーンシュタインの冬は、厳しい。
それがローランディアとの境にあるコムスプリングスでも例外なく。
王都に比べれば暖かいとはいえ、真冬ともなれば気温は氷点下の日の方が多い。

気を配っていなければ健康な大人でもすぐに体調を崩してしまう。
分かっていたのに、今まで特に病気などした事がなかったせいか、油断していたのだろう。
そう、完全に油断して・・・・・・現在、非常に無様な事態に追い込まれていた。



風邪の処方箋




「・・・・ごほっ」

窓の外では深々と雪が降り、室内にはごほごほと不定期に咳き込む音が響く。
最近、喉が痛いとは思っていた。だがそれも乾燥した空気のせいだろうと放っておいたがために
ベッドから起き上がる事が出来ない状態になってしまい。情けない事にこの数日、毛布を被って寝込む事に
なってしまった。熱が上がってきたのか身体がだるい。少しでも休もうと瞼を閉じれば喉の奥から
咳が込み上げてくる。

・・・・・・眠れない。

寝なければ、一向に身体は良くならないというのに。
咳き込んで毛布を乱しては整え、また咳き込むの繰り返し。薬は早めに飲んだはずだが効いてくる気配がない。
こんな状態がまだ続くのかと思うと気が重く、常よりも熱い吐息が零れる。あまり眠れていないせいか、
頭痛もしてきた。徐々に自分が弱っていくのをひしひしと感じる。

「・・・・・はぁ」

何度目になるか分からぬ溜息を吐き、汗を掻いてじっとりと肌に張り付いてくる夜着を摘む。
いい加減、着替えなければ気持ち悪い。起き上がるのは辛かったが、それでも何とか身を引き起こし、
一つずつ釦を外す。普段は造作もない事が、難しく感じ苦笑を漏らした。汗で滑る指先に四苦八苦しながらも
釦を外し終えるとドアをノックする音が聞こえる。この屋敷に住んでいるのは自分ともう一人。

「アーネスト、入るよ?」

ぴょこと頭上の猫の耳を動かして、手に水の入った桶とタオルを持った少年が入ってくる。
彼はおよそ人間の十五倍ほどの早さで成長する特異な体質ゆえ、出会ってから半年も経っていないと
いうのに外見的には四、五歳分は成長している。少し前までは幼子、という表現が一番しっくりしていたが
今では少年というべき年齢に達していた。丸みを帯びていた頬もスッとして随分と大人びている。そのせいか
以前のように気軽に触れる事は出来なくなってしまった。

それはともかく。室内に入ってきた少年――カーマインは、桶を床に置くと、俺のすぐ近くまで歩み寄り
小首を傾ぐ。釦が外され、全開になっている夜着に目を留め、ほんの少しだけ低くなった声で問う。

「着替えるの?」
「ああ」
「じゃあ僕、着替え取ってくるね」

待っててと言い置くとくるりと向き直り、漆黒の尻尾を揺らしながらカーマインはクローゼットを開けて替えの
シャツを取り、戻ってくる。その所作は最早慣れたもので。この屋敷に来た当初は右も左も判らなかった幼子とは
思えぬほどに彼は家事などありとあらゆる事が出来るようになっていた。それを凄いと思う一方で、寂しくも感じる。
そのうち、自分が構ってやらなくても彼は寂しいと思わなくなるかもしれない。胸が膿んだように疼く。

「・・・・アーネスト、大丈夫?」

心情的な苦痛を、身体的なものと思ったのかカーマインは身を乗り出して此方の顔を覗き込んでくる。
細く白い指先が発熱により大分熱くなった額に伸ばされた。ひやりとした冷たい感触が心地良い。もう少し
触れていて欲しいと思うものの、風邪を伝染してはいけない、とそっと自分の手でそれを剥がす。

カーマインは大きな異彩の瞳を瞬いて、如何にも心配といった体で眉根を寄せる。その表情は熱を出しておかしく
なっている身の上としては非常につらい。思わず伸びかけた腕を僅かに残っている理性で押さえつける。
首を振って不埒な物思いを払拭しようとするが、くらりと眩暈が訪れてシーツの波へ逆戻りしそうになってしまう。

「・・・・・・・ッ」
「アーネスト?」
「・・・・大丈夫だ。着替えを渡してくれないか」

これ以上心配掛けないように引き攣りそうになるのを堪えて微笑む。けれどカーマインにそれは通用しないらしく
唇を尖らせ、不満そうな表情をされてしまう。幼いながらに勘は非常に良い彼の事。自分の考えなどお見通しなのだろう。
降参といわんばかりに首を竦めれば、気を良くしたのかカーマインは手に持っている着替えを渡してくれた。
そのまま袖を通そうとすると服の裾を掴まれる。

「・・・・何だ?」
「身体拭かないと気持ち悪いでしょ?」
「・・・・そうだな。タオルを貸してくれ、自分で・・・・おい?」

汗が纏わりついているのは確かに気色悪いのでタオルで拭こうとしたが、それよりも前にカーマインがベッドに
乗り上がってきて驚く。目を瞬いているうちに濡れタオルを細い手によって背に宛がわれた。

「・・・・ッ、カーマイン?!」
「僕が拭いたげるね」
「な・・・俺が自分でやるから大丈・・・・ごほ、ごほん」

どうにも世話を焼きたいらしいカーマインは、制止の声も聞かず、鼻歌混じりで背を拭き始める。
正気を保っている時ならともかく、体調の悪い今は拙い、と止めさせようとするのだがその途中でまた咳が出て
『大丈夫』という言葉に説得力が消えてしまう。結果、黙ってされるがままになるしかなく。
着替えも完璧にさせられてベッドへと横たえられる。それだけならいい。眠れなくとも身体は横にしておいた方が
幾らか楽だ。ただ、その上に身軽な身体が乗ってさえいなければ。

「・・・・・・カーマイン?何を・・・・してるんだ」
「アーネストが起きないように見張ってるの」
「ちゃ・・・ちゃんと寝てるから大丈夫だ」
「・・・昨日もそう言ってお仕事してたでしょ。僕知ってるよ」

むぅと頬を膨らませて言われた内容にぎくりとする。登城する事は出来ないが書類を数枚処理するくらいならと
つい机に向かってしまったところをどうやら見られていたらしい。下手な事は出来ないなと思いを巡らすものの、
それよりも上から圧し掛かってくる熱の方が気にかかる。非常に至近距離にある綺麗な容貌。
瞬きする事すら、勿体なく感じてしまう。これでは拷問もいいところだ。早く降りてもらわなければ。

「カーマイン、今日は本当にちゃんと寝てる!だから降りてくれないか」
「・・・・・本当に?」

半ば必死に訴えてみるものの、カーマインは訝しむような瞳を向けてくる。じっと逸らされる事のない
澄んだそれは心臓に悪い。強く目を閉じ、無理やり視界から追い出す。それでも視線が刺さり、冷や汗がつうと
汗を拭ったばかりの背を流れていくのを感じる。恐らく、いや絶対これは熱が上がっているだろう。
ろくに思考が働かない。思いっきり悩んでいれば、それが苦しんでいるように見えるのだろう。カーマインは
慌てたように俺の上から降りた。

「ご、ごめん・・・苦しかった?」
「・・・・いや、大丈夫だ。ちゃんと休むから・・・心配するな」
「・・・でも・・・じゃあ、アーネストは僕に何かして欲しい事はある?」

ことりと傾がれた首はわざとかと思うほど可愛らしく。風邪を差し引いても頬が赤い自覚がある。
しかも何やら不穏な事を言い出した。して欲しい事などと訊かれては、よからぬ事を応えてしまいそうで。
落ち着け、落ち着けと何度も自分に言い聞かせる。

「アーネスト・・・?」
「あ、いや・・・気持ちだけで充分だ。それより伝染るから離れ・・・・」

離れてくれと告げようとしたところで呼び鈴が鳴った。

「お客さん?」
「・・・・ああ、そういえばオスカーが来るとか言っていたが・・・・」
「じゃあ僕出てくるね!」
「あ、待て耳・・・・・」

耳が隠れてない事を指摘する前にカーマインは、部屋を出て行ってしまった。追いかけようと思っても
身体の方が気持ちについていかず、起き上がれない。そうこうしてる間にカーマインがドアを開けた音が耳に届く。
それからすぐドタドタとこちらに向かって走ってくる足音が響いて。バタンと勢いよく部屋のドアを開かれる。

「ちょ、アーネスト!これ何!!」

カーマインの襟を掴んで持ち上げているオスカーの開口一番の言葉がそれだった。
これとは勿論耳と尻尾の事を指している。オスカーに荷物のように持たれているカーマインは何が起こってるのか
分からないらしくきょとんとしていた。面倒くさい事になったものだ。どうしたものかと眉間に皺寄せて
何とか説明をしようと試みた。

「・・・・・あー・・・フェザリアン・・・あれみたいなものだろう」
「ほっほう。それで?何でこの事僕に黙ってたわけ?」
「・・・・・今みたいに騒ぐからだろうが」

頭に響くと額を押さえながら言えば、じっとカーマインと俺とを交互に見遣った上でオスカーが口を開く。

「・・・・ロリコン」
「は?!」
「だってこの見た目で更に猫耳に尻尾でしょ?ロリコン!」
「俺がさせてるわけじゃないぞ!?というかロリコンは女の場合に・・・・」
「問答無用!」

思いっきり蔑んだ目で見た上で指を突きつけ、オスカーは叫ぶ。何を失礼な。確かに否定しきれないところが
あるにはあるが。別に自分は少女趣味でも少年趣味でもない。偶々、カーマインがまだ幼いというだけだ。
世間的に見れば異常に見えるのだろうが、俺としては本気なわけで。ん?それは却って拙くないか?
いや、そんな事はさておき。何か弁明しなくては。そう思うのに興奮して熱が一気に上がったのか思考が
ショートする。声を出す前にばたりと倒れてしまう。

「あ、アーネスト?!」

カーマインの慌てた声が最後に聞こえたが、反応する事は叶わなかった。視界がグルグルと回っている。
そしてそのまま暗闇に放り出されたように意識を飛ばした。



◆◇◇◆



ひそひそと小声で話し合う声が聞こえる。どちらも聞き覚えのある声。一人は悪友、もう一人は自分にとって
最愛の少年のもの。何を言っているのかは分からない。どうせまたオスカーが要らない事を吹き込んでいるのだろう。
そういう奴だ。無垢なカーマインの耳を汚させたくはないと、必死に起き上がろうとするが瞼が非常に重い。
どうやら今まで休めなかった分、そうとう疲労が溜まっていたらしい。すぐさま眠りに引き込まれる。
結局、最後まで起きる事の出来なかった俺が目を覚ました頃にはすっかり日が暮れ夜になっていた。

「・・・・・・ッ」
「あ、アーネスト・・・起きた。よかった」

重い瞼を引き上げれば目前にはほっとしたような顔つきのカーマインがいて。心臓が跳ねた。
黒髪が頬に触れる。妙に擽ったくて目を細めた。

「オスカーは・・・帰ったのか?」
「うん。あ、これお見舞いだって」

ベッドの縁に置いていたらしい、ありきたりな果物の入った籠を見せられる。ただ単にからかいにでも
来たのかと思っていたが、どうやら普通に見舞いに来ただけだったようだ。なんだと安堵の息を漏らす。
気を失う形に近かったとはいえ、休んだので大分回復したらしい。呼吸も楽だ。これなら明日にも復活出来そうだと
渡された籠をその辺りのテーブルに置こうとすると、籠にメモが入っていたので目を留める。

「・・・・何だ?」

気になったので取り出して見てみる。

「『お土産は気に入ってくれた』・・・だと?」

気に入るも何も、ただの果物に見えるのだが。どういう事だろうと首を傾げたその時。
今まで室内が暗かったので気がつかなかったが、窓辺から差し込む光に照らされ、カーマインの全身が映る。
おかげで気がつかなければいい事に気づいてしまった。カーマインの着ている服が今朝着ていたものと違う。
裾の長い、エプロンドレスのような・・・・看護士服を着ている。

「か、カーマイン・・・それはどうした」
「ん、これ?オスカーがね、看病する時はこれ着なきゃだめだって。・・・・・可愛い?」
「かわ・・・・・いやその・・・・可愛いがな」

確かに可愛い。非常に可愛い。自分はどうかしてると思えるほどに可愛い。
ぴらりとスカートの裾を捲る所作までついてしまえば思わず抱き締めてしまってもおかしくないと主張したい。
それでも体調が回復してきたのと同時に理性の歯止めの硬さも戻ってきたためそんな愚行を犯さないよう
心に鞭打って止める。そんな必死の努力を知ってかしらずか、カーマインは褒められたと感じたのか
無邪気に微笑む。喉がやられてなければ「止めてくれ」と叫んだかもしれない。

このまま見続けていれば、戻ってきた理性もまたすぐ去って行きそうな勢いなので目を逸らそうとするものの、
やはり自分も男なので目を逸らす事が出来ない。一体どうすればいいのか。こんな事になったのも
オスカーのせいだと心中で責めてみるものの、眼福だと思っている自分がいては説得力に欠けるだろう。
何も言えずに声にならない呻きを漏らすとカーマインは小さな手で両頬を包んできた。

「・・・・・カーマイン?」
「オスカーがね、元気になる方法教えてくれたの」
「は、何だそれは・・・・ッ、?!」

オスカー、の名前が出た時点で嫌な予感がしたが。にっこりと微笑んだカーマインの顔が徐々に近づいて
くるのに更に慌てた。が、どうする事も出来ず、柔らかな唇が優しく自分のそれへと降ってくる。

「・・・・元気になった?」
「・・・・・・・・・・・・・ッ」
「アーネスト・・・?・・・・・・・もう一回する?」
「・・・・カーマイン。オスカーの言う事は真に受けるな」

またとんでもない事を言い出す口を片手で押さえると、やはり分かっていないようできょとんとしている。
だから、その表情は本当に拙いというのに。俺を犯罪者にするつもりか。心音がありえないくらい速くなっている。
逃げたい衝動に駆られるが上に乗っかられているのでそうもいかない。ここはカーマインに降りてもらう他ないだろう。

「カーマイン・・・とにかく降りてくれ」

げんなりとした声音で告げれば、カーマインは素直に俺の上から退いた。しかしその代りとでも言うつもりか
爆弾発言を残してくれた。

「あ、アーネスト。
オスカーがね『でぃーぷきす』の方が効き目があるって言ってたけど
『でぃーぷきす』ってなぁに?」
「?!!」
「ね、なぁに?」

本当に天真爛漫に訊かれてまた思考がショートするかと思った。対するオスカーの戯言を信じきっているカーマインは
そわそわと質問の答えが返って来るのを待っていて。二人で共謀して俺を陥れようとしているんではないかと
疑ってしまう。しかしあまりにも期待しきった瞳で見つめられるのに耐え切れず。

「・・・・・今は伝染るから、また今度な」

言ってしまった俺は相当馬鹿なのかもしれない。それでも「やったぁ」と喜んでいる彼がいるのでよしとしよう。
何だかどっと疲れた。取り敢えず、さっさと風邪を治してオスカーの奴にこの借りはたっぷり返さなければ。
そんな不穏な事を考えつつ、カーマインの頭を一撫でして。

「明日には治るだろうから、今日はお前ももう休め」
「本当に?ちゃんと元気になる?」
「ああ。明日は一緒に久しぶりに遊ぼうな」
「うん、約束だよ」

スッと小指を差し出されて合点がいく。

「ゆびきり、な」
「うん」

細くて柔らかい小指に自分のそれを絡ませる。こんな事をするのは生まれて初めてかもしれない。何だか照れくさく
感じたがカーマイン本人が嬉しそうなので気にしないでおく。ただ願わくは、明日はどうか穏やかに過ごせますように。
結んだ小指に、秘めた願いを込めて。そっと指を離した。それからまだ微かに甘い余韻の残っている唇に触れて。
さてもう一つの『約束』の方は一体いつ果たそうか、と非常に馬鹿げた事を考えて忍び笑いを漏らした。


本音を言えばキスも嬉しいけれど。
可愛い君の笑顔が、俺にとって何よりの『処方箋』―――




fin



え、何?このアホな話。
約10ヶ月ぶりの更新がこれって・・・ホワイ?
いえ、そろそろ成長して且つちゅーくらいしとけや!と
思ったらこんな具合に。後日筆頭はオスカーに報復するどころか
「で、どうだったの?」と逆にオスカーの質問攻撃に遭います(笑)


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