茨姫の棺 身の内から、幾度もか細い声が訴えかける。 助けて、と馬鹿の一つ覚えのように、何度も何度も。 名君と持て囃されていても所詮は子供に過ぎぬという事か。 嘲笑が出る。とても脆弱なもう一人の自分に。 せいぜい、暗闇の中で怯えながら足掻けばいい。 お前は【私】に飲まれてしまったのだから。 ・・・・・なあ、そうだろう? ―――未だ幼き偽りの王よ Act5.5:狂気の哂い カツカツと高い靴音が短い間隔で回廊に響く。突然の君主からの呼び立てに応えるため騎士が走っていた。 白がかった銀髪に、血のように深い紅眼、それと同色の裾の長い至高の称号を表す制服を撓やかな長身に纏った インペリアルナイト筆頭、アーネスト=ライエル。その白皙の面は常以上に顰められている。小脇には、現状では仮の部下である 青年、カーマインから取り上げた書類を抱えていた。しかしあまりに急ぎすぎたのかその内の一枚がはらりと床に落ち、 アーネストは小さく舌打つと、忌々しげにそれを拾い上げる。どうにも不機嫌なようだ。その原因は体調を悪くしたカーマインにある。 自分でやや無理やりに寝かせたものの、彼がちゃんと大人しくしているかどうかが気になるようだった。それは怒っていると いうよりは心配しているのだが。けれども己の君主よりも彼に重きを置いている自分に途惑いを感じているのは確か。 胸の中に靄が掛かったように気味が悪い。自然、眉間に皺が寄る。 「おい、お前!」 「えっ、あ、はい!」 再び走り出した先で、己の反対側から歩いてくる兵士の姿を認め、アーネストは荒げた声で呼び止める。 普段から厳つい雰囲気を醸し出している至高の騎士がいつも以上に険悪な態度であるのを一平卒が怯えたのは無理からぬ 事であったか。目に見えて肩を弾ませ、声を裏返らせる。アーネストの眉根が更に顰められた。 「これを私の部屋に持っていけ!」 「・・・・・は、はっ!ライエル様!」 常のアーネストならばここは持っていってくれと表現しただろうが、今は苛立っているため幾分きつい言葉になる。 叩きつけるように胸に書類を押しやられた兵士は取り落として不興を買わぬようにと慌てた。その様を見るともなしに見ながら アーネストは差して興味も持たず、また足を踏み出す。広い回廊に高らかな靴音が舞い戻っていた。 ◆◇◆◇ 「遅ればせながら承知に応じました」 息の乱れを飲み込んで、銀糸の頭が跪く。閑散とした王の間に低い響きが満ちる。玉座に座す蜜色髪の最高権力者が 不敵な哂いを浮かべて緩く首を振った。 「・・・・・職務途中に突然の呼び出しだ。大目にみようではないか」 「申し訳ございません」 再度、地に着く勢いで頭を下げる騎士を年若き王はただ哂って眺めていた。しかし、直ぐに興が削げたのか、膝の上に 肘を置き、頬杖を付いた状態で、呼び出した用件を告げる。その声は、落ち着いており、そして絶対的に服従させる力の篭もる 強い声だった。 「面を上げよ、アーネスト=ライエル」 「・・・・・・はっ」 「・・・・・・・・・・・・ほう、成る程な」 「・・・・・・・・?」 顔を上げたアーネストを見るなり、主君の哂いが更に深く、醜悪なものとなる。その表情に背筋の凍るような何かを感じ取り、 アーネストは知らず身を強張らせた。そして疑問に思う。何が「成る程」であるのか。それに応えるかのように主の声は続く。 「・・・・この数日、お前の顔つきが変わったという言葉をよく耳にしてな」 「・・・・・・・・私がですか?」 「自覚がないか。それは尚更性質の悪い。分からぬのなら鏡を見てみればいい」 「・・・・・何を仰りたいのか、私には理解しかねます・・・・リシャール様」 本当に言葉の意味が理解出来ずにアーネストはゆるりと首を傾ぐ。リシャールはただ哂っていた。しかし不意に大きな碧眼は 強い光を放ち、細められる。まるで狙い済ました獲物を睨みつける鷹のように。アーネストは主君の前だというのに眉間に皺寄せた。 流石に一兵士のように身体を震わしはしなかったが。 「・・・・・陛下、何をお考えですか」 「さあ?どうしてお前の顔つきが変わったのだろうなぁと思って」 「陛下、戯れもいい加減に・・・・・」 「以前より優しい瞳をするようになったな。一体誰の影響かな?」 婉曲な物言いしかせぬリシャールに流石に気が焦れたのか諌める言葉を吐こうとしたアーネストは、他ならぬリシャールの問に よりその苛立ち混じりの声を掻き消された。そしてその問で、リシャールが何を言いたいのか理解した。自分があの青年、 カーマインに深入りしすぎなのではないかと。そう言いたいのだろうと。 「・・・・・別に、彼は関係ありません」 「そうか?ならばいいが。ただ忘れてもらっては困るだけだ」 「何を、ですか」 なるべく、カーマインの事に触れられぬよう振舞ってみるが、こうも簡単にリシャールがその話題から離れるのはおかしいと 内心でアーネストは思う。その思い通り、リシャールは言の葉を途切れさせはしなかった。どこか愉快そうに、静かに言う。 「お前の護るべきは【私】で、お前が命を落とすのは【私】のためだけだという事だ」 「・・・・・・・・・・・・・ッ」 「そう、苦い表情をするな。もちろん私はお前がそれを理解していると思っているさ・・・・・」 ただ、これは忠告だ、と一瞬だけ哂いを納めリシャールは頬杖付いていた腕を下ろし、椅子の背もたれに大きく寄りかかった。 アーネストはその君主の行動を食い入るように見遣る事しか出来ない。そして頭の中で必死に今言われた事を整理する。 忠告だと言った。つまりは咎めの言葉であり、忠告を守れなければ何らかの制裁があるという事だ。それが自分に向けられるの ならば別に構わない。しかし、もしそれがあの青年に向けられるとしたら・・・・?以前のリシャールならば一度懐に迎えた同志に 手荒な事はしないだろうが今のリシャールでは何をするか分からない。それこそ過失のないカーマインの首を取ろうとするかも しれない。アーネストの忠義を試すがために。ヒクと一度アーネストの喉が震えた。つうと背筋に嫌な汗が流れるのを感じる。 歯を噛み締めた。 「・・・・・私の、忠義は貴方のものです・・・・・・陛下」 搾り出すように、しかし決して枯れたり弱々しくならぬよう、腹から吐き出した言葉。苦痛に耐えるかのように緋色の瞳が伏せられた。 リシャールはその全てを見透かしていながら、哂う。ただ、退屈していたから。自分の従者を苦しめて遊んでいるだけ。 身の内で必死に今、自分の目下に跪いている男に助けを求めるもう一人の自分を間接的に痛めつけているだけ。大事な親友が 傷つく姿に胸を痛ませる本来のリシャールを嘲笑っているだけ。その所業は既に人外のもの。狂気と言って過言でない。 乾いた耳障りな哂い声が室内に響いた。 「その言葉、忘れずにいるがいいアーネスト」 「・・・・・・・・・・・・・・御意」 「もう、下がっていい。アレの綺麗な首が私の膝に血塗れて添えられぬ事を祈っている」 まあ、そうなる前に躯も残さず消え失せるだろうがな、言って狂った哂いとも何とも言えぬ、ただ嫌な音が満ちる。 その音を聴くだけで胸が悪くなるかのようだった。アーネストは半ば逃げるように、その場を後にしようと紅蓮の衣を翻し、 重厚な扉を押し開いて、早々と歩んで行く。重い金属音と扉の閉まる音が響く頃にはその姿は欠片も残らず消えていた。 「・・・・・・さて、どう出るアーネスト=ライエル?」 別段、リシャールはアーネストがカーマインと親しくなろうがどうなろうが本当はどうでもいい。ただ、彼が苦しむ様を見たいだけ。 本人は気づいているのかいないのか、いまいち判断しかねるが、リシャールの目から見れば既にアーネストはカーマインに 並ならぬ執着を見せ始めている。何故なら本来のリシャールの記憶の中にあんなに優しい瞳をしたアーネストなど存在しないから。 主の眼前で表情を変える彼など、リシャールは知らない。そして彼がそんな風に変わったのは、あの青年と一緒に行動を共に しだしてからだ。それまでは、常に近寄り難い雰囲気を醸し出していた。それが微笑むようになり、優しさを垣間見せるようになる とは。一種の革命と言ってもいいかもしれない。リシャールは哂った。あまりに愉快で滑稽で。 「・・・・さあ、リシャール。お前は一体いつあの頼りの男に見捨てられるかな?」 誰もいない室内で、また高らかな奇声が満ちた。耳にした者を狂わせるかのような嫌な音。 「・・・・従者がいなければ何も出来ないくせに【私】に楯突く愚か者めが」 ゲヴェルによって封印された筈の本来のリシャールが未だに心の奥底で悲鳴を上げ、アーネストに助けを求める事を煩わしく思い、 狂気を携えた偽者の王は醜く口元を歪める。しかし、何事も上手く行き過ぎてはつまらない。劇的な過程があってこそ成功は 喜ばしく面白いものとなるものだ。だから、リシャールは別段感知せずともいい事に口を出し、アーネストを服従させる。 引っ掻き回す。自分が楽しむだけのために。無理に抑制したところで、アーネストは見かけと違って激情家であるから、きっと どこかで何かが解れるだろう。彼はきっと自分を裏切る。それを理由に、彼を頼りきっているもう一人の自分の目前でその命を 無惨に散らせてやろうと惨く獣染みた思考に思いを馳せる。血塗れた玉座に身を置く少年王から哂いが絶える事はなかった。 ◆◇◆◇ 「・・・・・・はあ」 自室の閉じた扉に寄りかかり、緋色の目が痛ましく揺るぐ。ドクドクと、とても激しい運動をした後のように心臓が活発に蠢く。 とっさに胸を押さえた。悪くなったそこから吐き気を催す気分で。緊張などという次元ではない、つられて気が狂いそうな、陰湿で 醜悪な空間に閉じ込められて何もかもが壊れていくような、そんな錯覚さえ引き起こす。アーネストは目に見えて顔を歪める。 一体いつから自分の忠誠を誓った主は変わってしまったのだろう。あんなにも凶悪で、醜悪に。優しかった彼は何処へ 行ったのだろう。探したって見つけられそうもない。それよりも。 「・・・・・・カーマイン」 まずいとは思っていた。日に日に彼が自分の脳裏を占めていったから。あの細い指先に縋られようものなら、きっと自分は 躊躇いなく彼のために自分の命を散らすだろうと自覚していた。いつか主君よりも深く想ってしまうだろうとは分かっていた。 それでも彼は危なっかしくて、自分が見ていなければ何をするか分かったものではないから、目が離せなかった。そうする事で益々 彼への興味が深まる悪循環が引き起こるというのに。愚かだと思う。分かっているのに納得しきれない己が。 「・・・・・・・・どうしたらいいと言うんだ」 吐息を吐いた。身体が扉から摺り下がる。ふと、先ほど通りがけに会った兵士に預けた書類が自身の机上に乗せられている事に 気づく。片付ける気が起きなかった。目を逸らす。そして書類の持ち主の姿が必然的に脳裏に浮かび、途惑う。会ってはならない。 自身の何処かからそんな警鐘が聴こえた。会えば、きっとこの己にもよく分からない想いが膨れるであろう事が分かるから。 しかし、それでも会いたいと思う。痛んだ胸が、どうしようもなく苦しい。苦痛に、気違いを引き起こしそうだ。自嘲が漏れる。 こんなにも己は弱かっただろうかと。今までの自分は何だったのだろうと。そこまで思考を巡らせ、きつく双眸を閉じた。全てを 視界から遮断するように。そうして遮断しているのに、どうしても鮮やかな黒髪が浮かんでくる。数刻前の苦しげな彼の表情を 思い出した。風邪だと彼は言っていたが、あの咳はそんなものではなかった気がする。もっと重大な、何か。気になる。 アーネストは摺り下がった身体を起き上がらせた。 「・・・・・放ってなど、おけるものか」 この行為が自分を後で追い詰める事になろうと分かっていても。アーネストは自分を止める事など出来ない。 室内で手をつけられずに放置された書類がひらりと一枚地に落ちた。 ◆◇◆◇ コンコン、と二回ノックをし、一応声を掛けてアーネストはカーマインの部屋へと入る。手には疑わしいが風邪と言っていた からにはそれを信じるしかないと、風邪薬と水、それに栄養価の高い果物を乗せたトレイを持っていた。そのままカーマインへと 歩み寄る。言いつけ通りちゃんと寝ていたようで知らず安堵の笑みが零れた。しかし、それも長くは続かない。彼の脇に見慣れぬ 生き物を発見してしまったから。それは確か、魔道生命体と言ったか。カーマインの傍らですうすうと気持ち良さそうに眠っている。 チリと一瞬胸に痛みを感じ、アーネストは眉間に皺寄せた。紡ぐ言葉に隠しきれぬ苛立ちが篭もる。 「・・・・・・何でソレがいるんだ」 カーマインへ問えば彼女が自分の目付け役だから、と何とも言い難い答えを返してきた。頭痛がする。彼は本当に自分の立場を 分かっているのだろうかと。溜息を吐いた。しかし病人を怒る事はしたくない。トレイに乗った薬を顔色悪いカーマインへと差し出す。 そうすれば彼は少し首を傾いでから素直に受け取り礼を言った。はにかむ笑顔が何故かアーネストの癪に障る。 「・・・・・・どういう気か知らんが、そいつを連れてていいのか」 「妬いているのか、アーネスト・・・・?」 その言葉に図星を指された気になり、アーネストは狼狽した。 「ば、違う!俺はただ・・・・・!!」 ただ、何だというのか。心配しているだけ?違うそうじゃない。そんな単純な思いじゃない。アーネストは内心で首を振った。 もう、何がなんだか分からなくなってしまっている。混乱しているアーネストを余所にカーマインはわざわざフォローするように言う。 「・・・・・知っている。君はただ、俺を心配してくれてるだけだ。分かってるから、そんな情けない顔をするな」 情けない顔、しているのか。アーネストは自分で自分を笑ってしまいたくなる。先ほど受けたリシャールの狂気が自分の中で 尾を引いているかのような気がしていた。しかし、カーマインが尚も穏やかな表情で告げた言葉に表情が変わる。 「有難う、アーネスト。でも心配要らない。ティピの事も身体の事も。だから君は君のやるべき事に専念してくれ」 自分を最大限に気遣ったカーマインの言葉に、アーネストはいけないと思いつつ気が緩んでいくのを止められずにいた。 自分の方がもっと苦しいだろうに、そんな中で他人を気遣う彼の人の良さと際限ない優しさに先ほどとは全く違う痛みが胸を占める。 気付いてしまいそうになる。この、はっきりしない想いの正体に。それを振り切るかのようにアーネストは出来るだけ強い声で言った。 迷いなどに気づかれぬようにと。 「ならば、お前を看ている。仕事は終えた。だから、これが俺のしたい事でやるべき事だ」 仕事を終えたというのは嘘だが、自分が望んでいる事に嘘偽りはない。その言葉に対し、嬉しそうな微笑を浮かべてカーマインが 礼を言う。それだけでアーネストは満たされた気持ちになる。同時に酷い背徳感を抱きながら。想ってはいけない、惹かれては いけない。警鐘が止め処なく響き続けていた。 狂え、惑えと誰かが言う。 留まれと叫ぶもう一人の自分がいる。 それでも狂気の道を迷いながら進んでいく。 終わりなど何処にあるのか。 正常などいつまで持っていたのか。 何もかも闇の中に葬られて。 ただひたすらに歩み行く、狂いに狂った道ですらない道を。 辿り着くのは地獄か、それとも・・・・・? ―――答えは誰も知らない。 ≪BACK TOP NEXT≫ 何だ5.5って(笑)一応前回、カーマインがティピと再会している間にアーネストが何を していたか、そして彼が何を思っていたかを書いてみました。別になくても 良さそうな部分なんですが、偶にはリシャール出さねば!と思い無理に書いたという裏話が(おい) それにしても狂った人を書くのは難しいですね。次回は結構登場人物多くなりそうです。 |
Back |