水面花 『私、お花を見るのが好きなんです』 いつだったか、そう彼女は言っていた。 控えめにけれど何処となく甘い感じをさせる微かな笑みを口元に湛えて。 今思えば、オレは彼女のその笑顔が好きだったのかもしれない。 かもしれない、というのは今現在確かめようがないからだ。 人里離れた深い森の奥の湖畔にひっそりと住んでいた彼女はもういない。 何処を探しても、いないのだ。あの、清らかな水面を思わせる長い髪も、水中で優雅に舞って みせるライトグリーンの尾も、儚げに微笑む姿も、もう見る事は出来ない。 永遠に失われたそれ。 彼女は人より臆病で、脆い心をしていた。 それに人魚と見まごうばかりのウロコサカナビトという一族は、絶滅危惧種でもある。 元から少し身体が弱かったのだろう。些細な病をきっかけに、死んでしまった。 『シェゾさん、あの・・・・少しお話ししてもいいですか?』 ぼんやりともう彼女のいない湖を見つめていると、不意に生前の声が聞こえてくる。 そういえばオレが静かなこの場所で余暇を楽しむ傍ら邪魔をしないように、けれど必死に彼女は 話しかけてきていた。とてもたわいのない事を。それにオレは持参していた魔導書を読みながら適当に 返事を返していた。必死だった彼女に薄々気づいていたくせに。 『シェゾさんって、何をするのがお好きですか?』 そんな事を聞かれた事もある。 『読書・・・それか魔道具の手入れとかな』 ぱらり。次のページを捲る合間に答えれば、彼女は笑い何故か喜んだ。 ちゃんと相手をしているようには思えないだろうに何を喜ぶ事があるのか。本気でオレは分からなかった。 きっと今も尚、分かってはいないのだろう。推測を、するだけで。 その推測ですら、人伝に聞いた内容からしているに過ぎなくて。 もしオレが彼女にもっと興味を示せていれば、彼女の心はもっと強く穏やかになっていたのだろうか。 そう、あの僅かな会話の折、せめて目を合わせてやれていればもっと・・・・。 なんて、そんなものはただの懺悔にしかならないか。 今更何をしても何を思っても彼女はもう二度と帰ってこないのに。 こうして気がつけば彼女と会っていた湖に足を運ぶのだって無意味な事なのかもしれない。 彼女はそこにいないのに・・・・。 「・・・・セリリ」 正直、お前がいなくなってから数年と経つのに未だに分からないんだ。 オレはお前の事が好きだったのか。何も、分からないんだ。このどうしようもなく痛む胸の意味も、 お前の眠る墓ではなく、お前が生前暮らしていたこの場所に来てしまう事も。 本来聞こえてはならない筈の声が聞こえる事も。 この事をアルルやルルーに尋ねてみれば、二人揃ってオレを可哀想だと言った。 何が可哀想なのか。本当に可哀想なのは病気で死んでしまったセリリだろう?そう返せば 二人はもっと憐れむようにオレを見た。一体オレの何処が可哀想なのだろう。 胸が痛む事か、それとも常に押し寄せる罪悪感の事か。 ・・・・・分からない。 ひょっとすると分からない事が可哀想だと言いたかったのか。 それほどまでにオレの抱える疑問の答えは単純なものなのだろうか。 あのアルルやルルーにさえ分かるほどに。 「分かっているなら、教えてくれりゃあいいのにな・・・・。 そう思わないか、セリリ?」 もう彼女のいない水面に問うても当然応えは返らない。 未来永劫、その答えは自分が導かなければ得られるものではないのだ。 自嘲が零れる。失ってからその存在に縛られるなど、滑稽だ。 こんな思いをしたくなかったから今まで極力他人に関わらずに生きてきたのに。 「お前がオレに話しかけてくるからいけないんだ」 あまりにも無垢に。そして構わねば泣く。オレが苦手なもの全てを兼ね備えたお前。 けれどそれなのにオレはお前が嫌いではなかった。だからお前がいつも話しかけてくる事を知っていて この湖の畔で本を読んでいた。そしてお前は本を読み続けるオレにいつも話しかけてきたな。 ろくな応えなど返ってこないと分かっていただろうに。 「どちらがより愚かだったんだろうな」 苦手な女が話しかけてくると分かっていながらここに来ていたオレか。 それとも、話しかけても決して興味を示さないオレに気づいていながら話しかけ続けたお前か。 争ったって意味のない事。空しくなるだけ。それなのに、オレはどうもお前の事を考えてしまう。 やはりより愚かなのはオレの方だという事なのだろうか。 「癪だな・・・。だがおかげで暇はなくなったぞ。 お前の事ばかり思い出してしまうからな。闇の剣に嫌味を言われるくらいだ」 どうしてくれる。呟いて、懐を漁った。 これ以上は、この場所にいられない。毎日のように訪れているくせに、胸が痛んで いつもそう長居は出来ずにいた。けれど、寂しがりのお前の事だから、例え相手がオレでも 誰もいなくなるのは寂しいだろうから、代わりのものを置いていく。 「本当は墓に置くべきものなんだろうが・・・・墓ならきっと誰かしらいつもいるだろうからな・・・」 お前が思っている以上に、お前はこの世界のものに好かれていた。 だからお前が死んでからというもの、お前の墓は寂しがりのお前のために常に誰かが見舞っている。 それはアルルだったりルルーだったりサタンだったり・・・それにタラやウィッチも暇があれば お前の元に近況を報告していると聞く。そんな輪の中にオレは入っていけないから、此方の方で 勘弁して欲しい。心の中で謝罪して懐から取り出した花を一輪、水面に浮かべる。 「今日の花はアザミだ。小ぶりで地味だが綺麗だろう?」 お前が好きだと言ったから。お前が死んでからというものこうして花を水面に浮かべる習慣が ついてしまった。ぷかぷかと水面に浮かべたアザミが流されていくのを目の端に止め、瞳を伏せる。 これで一体何個目の花だろう。毎日毎日来ているくせに忘れてしまった。 「・・・・・・まさか空間転移を花集めのために使うとは夢にも思わなかったがな。 まあ、この世界に咲く全ての花を摘み終えたらそれも終わらせるつもりだが・・・・何時になる事やら」 クスリと口角を上げてやれば、水面を漂っていたアザミが一度ぷくんと沈んだ。 それはまるでセリリが自分の問いにおざなりだとしても答えが返ってきた際に見せる笑顔のようで。 知らず心に温かいものが過ぎる。 「・・・・・・・明日はもっと綺麗な花を持ってこよう」 何となく、ここにいる筈のないお前に喜んでもらえたような気がするから。 勝手な思い込みかもしれんが、オレはまた今日とは違う花を持ってここに訪れようと思う。 そしていつか。そう遠いいつの日かお前に捧げる花が無くなったらその時は。 「美しいかは知らんが・・・・世界にただ一輪だけの神を汚す華をお前にやる」 その言葉は、自分の抱える疑問の全ての答えに繋がっていると心の何処かで気づいていながら オレは気付かない振りをして踵を返した。 fin 何故小説第一弾がシェセリで且つ死ネタなのか・・・!!? すみません、水面に毎日花を捧ぐシェゾ殿のビジョンが浮かんでしまってつい。 水面に放るわけでなければ別にシェアルでもいいかなと思ったんですが 最終的にシェセリになってしまいました。次は王道のシェアルを書きたいものです。 ≪BACK TOP NEXT≫ |