茨姫の棺






護る事は、壊す事。
相反するようで常に表裏一体。
お前を護る事が、その他のものを全て壊す事だとしても。
俺は握った剣を決して離しはしないだろう。

お前が例え泣いて厭うても。
お前を護るためなら俺は喜んで凶剣を振るうだろう。
そして今宵も、血の雨を降らすだろう。



流れた朱を気に留めもせず。






Act13:紅い雨、白い狂気、黒き欲望





「はぁ・・・急がなきゃなんないけど、流石にこうも飛びっぱなしじゃ疲れるわね」

二枚の羽を忙しなく動かしながら、桃色髪の少女は愚痴を零す。
確かにこの小さな身体で二日もほぼ休みなく飛んでいては疲労の色が強く出たとしても仕方ない。
急がなくてはと思うものの身体がそれについていかず、休息をとるために道端の木陰へと降り立った。

「大体ここどこら辺なのかしら。向こうに見えるのがラージン砦だからぁ・・・グランシル辺りかしらね」

もっと鳥みたいにすいすい飛べるといいんだけど、などとぼやきながら地面に影を作る岩に背を預ける。
額から零れる汗を拭い、一息つく。それからローザリアに戻ったらまず何から話そうか考えた。
情報量が多いので、ある程度纏めなければ皆混乱するだろうから。とはいっても少女はその手の事がとても苦手で。
こういう時、カーマインがいてくれれば、と思う。そのカーマイン本人が大変な状況にあるのだけど。

「・・・・・あとちょっと休んだら行かなくちゃ」

間に合わなければ、あの二人から離れた意味などないのだから。こんな小さな手で、身体で二人の人間を
護る事は物理的に考えて不可能。だったらせめて彼らを救う事の出来る者に応援を頼むのが自分の役目だ、と
少女は言い聞かせる。晴れ渡る青空を見上げて。

「アタシはアタシなりにアンタたちを護るから・・・だからそれまで死ぬんじゃないわよ二人とも」

もし勝手に死んだりしたら追っかけていって文句言ってやるんだから!と息巻いて少女は今まで自分が飛んできた
方角を見据える。そこにいる二人の青年の姿を浮かべて。一人は自分にとって最愛の人で最高の相棒、もう一人は
その人にとって多分一番大切な人。出来る事なら幸せになって欲しい人たち。だからアタシが頑張らなくちゃね、と
いつになく優しく儚く微笑み、立ち上がる。

「さて、もう一頑張りっと・・・・ん?」

ふわりと舞い上がると遠くの方から腹に響くような地響きのような音が聞こえ、少女は振り返る。
ぱちぱちと碧眼の大きな瞳を瞬かせ、首を捻った。気になるけれど、戻っている暇もない。結局数分悩んで
無視をする事にした。ローランディア王都を目指して再び羽を動かす。後にそれが途轍もない大事だったのだと知るのは
彼女が目的地に着く頃だった。




◆◇◆◇◆




薄暗い塔の中、アーネストは片手でカーマインの手を握り、もう片手をグッグッと開いたり閉じたりし、動かす。
それは義手の人間が自分の腕との相性を確かめる様に似ている。目覚めたては身体の動きが鈍かったが、時間の経過と
共に調子が戻ってきたようでほっと息を吐く。寿命の譲渡は下手をすれば自身を死滅させると聞いていたからひょっとしたら
もう二度と剣を握る事も出来ないかもしれない、と本気で覚悟していただけに多少、拍子抜けはするが。
まあ、結果的にはまだ剣が握れて良かったと思う。剣が握れるなら、今瞳を閉じて意識を手放している青年の事も
護れるのだから。言葉で救えないのならせめて、彼を傷つける敵を斬る力が欲しかった。それで自身が穢れても構わない。
今更、血に濡れる事は厭わないし、恐れない。相応の決意があるのだから。

「お前の事は必ず護る。必ず・・・・」

例えお前に蔑される事となっても、そう語る緋色の瞳は曇りなく、迷いなく、鋭い。美しい彩を保ったまま。
いつかこの瞳が鈍く色褪せても、汚れても、それでもアーネストの決断は変わらない。
人が息をする事と等しく、凶剣を振るうと。下手な倫理や中途半端な正義感など疾うに捨て去った。
ここにあるのは狂ったように咲き乱れる想いだけ。

「・・・・お前が俺を狂わせたのか、それとも元から狂っていたのか・・・・・どちらだろうな」

問うというよりは独り言に近い言葉を降らすと、アーネストはずっと握り締めていたカーマインの手を外し手袋を填め直す。
先ほど、何処からともなく地響きが聞こえてきた。初めは地震かと思ったが、窓から覗いた景観がそうではないと伝えた。
ランザック王国方面から、空を覆い隠すほど高く伸びた土煙が上がっている。自然に起きるものではない。ランザックで何かが
起きたのだろう。まあ、何が起きたか想像するのは容易いが。

「本当にろくな事をしないな」

溜息混じりに呟いて、壁に掛けられている剣を手にする。もうそろそろ主は帰ってくるだろう。目的を果たしたのだから。
直接聞いたわけではないが、ヴェンツェルが三国大陸を手中に収めようとしているのなら、ましてそのための力が
あるのだとしたら、必ず何処かでその力を試すだろうとアーネストは確信していた。流石にランザックからだとは
思わなかったが。しかし冷静に考えればバーンシュタイン、ローランディアと違い戦力を分散していないのはランザックだけだ。
取り敢えずの目的が自身の脅威となる戦力だというのなら一番効率よく狙えるランザックから落とすのが当然だと言える。
そして次の標的はランザックの事態を知り防備を固めるであろうローランディアになるのだろう。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

もしそうなるのであれば、カーマインを連れて行くわけには行かないとアーネストは思う。彼はきっとローランディアとは、
仲間とは戦えないだろうから。以前仲間と戦った時も随分とやりにくそうにしていたのを覚えている。例え向こうが
殺す気で掛かってきても、彼はそうは出来ない。必ず手心を加えてしまうだろう。それでは困る。
故に彼が目覚めて自分に付いて行くと言ったならば置いて行こう、とアーネストは印象的な緋眼を伏せた。
後で幾ら罵られてもいい、彼に傷を負わせたくない。ただそれだけを思って。とても一途で刹那な想い。

「・・・・・カーマイン」

人それぞれに、情愛の形が違うと言うのならば自分の場合はそれがそうなのだろう。誰にも理解されなくていい。
どうせ人間というものは何とか分かち合えたとしても、完全には他人を理解出来ない生き物だ。
頭上を仰ぐ。石畳の天井が広がっていた。こういう場所は考えが感傷的で閉鎖的になる。それもヴェンツェルの意図する
ところなのかもしれないが。苛つくのを堪えて、部屋を出る。外から鍵を掛けて。

「!」

フロアの方へ足を踏み出したところで目前に数日前に見たばかりの黒い風が巻き起こる。
どうやら思った通り主の帰還らしい。アーネストの顔つきが僅かに強張る。カーマインの前で見せる表情とは
全く違う、鋭い眼光に引き結ばれた唇。警戒を露にしたそれを見て舞い戻ってきたヴェンツェルは笑う。

「主に対する態度とは思えんな」
「忠義心など要らんだろう。どうせ貴公はそういったものを信じない。そのための呪だろうこれは」

嘲笑と共にフックを開けてアーネストは白い胸に刻まれた呪の証を見せた。幾何模様にも似た黒い逆さ十字。
”墜天”を意味するそれは半ば自分に相応しいと。嘲笑のもう一つの意。

「これが在る限り、心があろうがなかろうが裏切りようがない。違うか?」
「・・・・・・違いない。これからもう一作業しなければならん。それまでは好きにしているがいい」
「一作業・・・・・?」
「ランザックの二の舞を踏みたくなければ降伏するよう二国に告げる。もし逆らうようであればお前たちの出番だ」

やはり、先ほどの地響きはランザックに大事が遭ったらしい。どんな方法で一体何をしたのかは知らないが
降伏勧告をするくらいならよほどの被害なのだろう。哀れな事だと一瞬顔を俯かせ、そして引き上げるとアーネストは
小さく首を振り、狂気の老人をまっすぐと捉える。

「・・・・・ローランディアを襲撃するのであれば、私一人で行く」
「・・・・・・・・何?」
「アレはまだ本調子じゃない・・・・・足手纏いだ」

本当にそう思っているわけではない。けれど、こう言うのが一番説得力があるような気がしてアーネストは
胸を痛めつつも口にする。あまり嘘は得意な質ではないため、顔を隠すようにヴェンツェルのいる方角とは逆に足を運ぶ。
そのまま数歩歩く。その背に追いすがるように声が掛かった。

「・・・・そこまで言うのならお前に任せよう。三時間後、返事を聞きにローザリアへと赴く。
まあ、どうせ答えは否だろうが。その場合、お前に使役兵をつけてやる。打撃を与えてやれ」
「・・・・・・・・・分かった」

間を空けて答えた後、アーネストは更に歩を進め、ヴェンツェルの許可なしにこのフロア以外に出る事は出来ぬため、
唯一外を眺める事の出来る高窓の付近に身を寄せ、壁に寄り掛かる。

「・・・・これからは奴の同類、か」

嘆いているのか諦めているのか分からぬ口調で呟いて誉ある紅蓮の騎士は皮肉そうに哂っていた。
日が落ちて、塔の中に長い長い影を伸ばしながら―――




◆◇◆◇◆




「・・・・・・まさか、身体を休めてる間にランザックが落とされるとは」

アーネストから受けた怪我と、ヴェンツェルに食らわされた怪我から漸く回復したオスカーは次なる問題に頭を抱えていた。
まさか自分の復帰後を降伏勧告で迎えるなど思いもよらず。他の面々の顔色も良くない。それでなくともヴェンツェルに
グローシアンとして必要なグローシュを奪い取られ、記憶障害を起こしているルイセが気に掛かるというのに。

「・・・・ルイセ君もこの有様だというのに、次から次へと・・・・忌々しいね」

はあ、と今までにないほど強く息を吐き出し紫紺の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。当のルイセはというと母である
サンドラの後ろに隠れてオスカーやこの場にいるウォレス、それに話を聞いて駆けつけてきたミーシャや
アリオストに対し非常に余所余所しい態度を取っていた。記憶を徐々に失いつつある彼女には今まで共に戦ってきた
仲間ですら見知らぬ人間として映っている。皆はそれに苦々しく目を伏せる事しか出来ない。もし、この場に
カーマインがいたら状況はまた変わるだろうにと溜息を吐かずにはいられない。以前から彼の希少さは理解している
つもりだったが、いなくなってから初めてその存在の大きさを皆知る事となる。皮肉なものだった。

誰もがカーマインの帰還を心待ちにしている。それはもうないだろうと分かっていながら。
彼がいれば、こんな絶望的な状況であっても、もっと前向きでいられるような気がした。彼は無口であまり率先して
話したりはしない質だったが、ただ黙ってその場にいるだけで安心出来る包容力と存在感がある。
そう、まるで神の加護のように。在るだけで皆の力になる稀有な存在。それはきっとあの強い瞳のせいだろう。
誰にも侵す事など出来ないであろう輝きが、直向きさが、優しさが、知らず知らずのうちに他人を惹きつけ、勇気付ける。

「今は過ぎた事を言ってても仕方ない。それは分かってるんだが・・・・」
「・・・・・・お前さんが言う事はここにいる連中は分かってるよ。アイツには天性のカリスマがあったからな」
「そうですね、羨ましい事です。それはともかく・・・・この状況、実に芳しくない。どうした事か」

せめてジュリアンたちがこの場にいればもう少し考えようもあるんだが、と頭を悩ませつつオスカーはこの屋敷の主であり、
ローランディア王国の宮廷魔術師であるサンドラを見遣った。普段は柔和な笑顔を零している彼女も今は深刻そうに
眉根を寄せている。当然だ、国の事もあるが自分の娘が大変な事になっている。息子の事だって気掛かりだろう。
それでも彼女は一言も弱音を吐かない。立場上、仕方ない事もあるがそれ以上にとても強い精神をしているのだろう。
賞賛に値する、と心中で感心しながらもオスカーは一歩前に歩み出た。

「サンドラ様、貴女はどう思われますか」
「・・・・・私が、ですか。今ローランディアの将はバーンシュタインの攻撃に備え、各地に散っています。
そんな中もし御師様・・・いえヴェンツェルに攻めてこられたら防ぎきれるかどうか・・・・」
「第一関所を王母軍、第二関所をジュリアン部隊、ラージン砦がブロンソン将軍・・・・それにベルナード将軍がサポート。
手一杯ですよね、どう考えても。そうなれば僕らが戦うしかないわけでしょうが・・・・しかし」

ちらり、と今度はサンドラの背後で怯えている少女へラベンダーの瞳を向ける。目が合って少女は更に奥へと引っ込んで
しまった。頼みの綱の皆既日食のグローシアンであるルイセがこの調子では困った事になる。
カレンやゼノスがいてくれればと思うものの、彼女たちは負傷者の救援で手一杯のはず。どうにもならない。

「ま、どう考えてもこちらの不利だな。とはいえ降伏するわけにもいかんだろう」
「そうですね。ヴェンツェルの今の狙いは反抗勢力を潰す事、もし降伏すれば多分ここにいる皆、全員死ぬ事になるでしょうし」
「ええー、そんなぁー、困りますー」

ソファにどっかり座りながらウォレスがぼやいたのに今まで思案していたアリオストの言葉が返り、更に何処か緊張感の
薄れるミーシャの声が続いた。幾ら話し合ってもなかなかいい案が出そうもない。

「何が何でも戦うしかない、という事でしょうかね」
「そうだな。ま、その前にルイセの奴をどうにかしてやりたいがな」
「そうですね、彼女がいるといないじゃ大きく違いますし。何より今のままは絶対に良くない」
「ルイセちゃん・・・・このまま、なんて嫌です。アタシの事も覚えてないなんて・・・・」
「ミーシャ君・・・・・」

一同の視線は一斉にルイセに集まる。本人によって逸らされてしまうが。このままでは堂々巡りもいいところだ。
ごちゃごちゃ言ってる間に攻められてしまえば反抗する余地すらないだろう。そうなればローランディアも見事に
ランザックと同じ徹を踏む事になる。それだけはどうしても避けたいというのが皆共通の思い。
しかし、どれだけ皆の心が一つになったとしても問題は解決しない。泥濘に足を取られたように動けないでいる。
一気に暗く重い雰囲気に満ちていく。そんな時、屋敷の戸を大きく叩く音がした。

「・・・・・何でしょう、まさか・・・・・・」
「緊急事態、ですかね。とにかく出られた方が・・・サンドラ様」
「ええ、皆さんは少し待っていて下さい。もし、私が家を空ける事になったら頼みますね、ウォレス、リーヴス卿」
「「分かりました、サンドラ様」」

頼まれてウォレスとオスカーは同時に返事を返す。少し慌てた風に、それでもやはり堂々とした足取りで玄関へと
向かう屋敷の女主を皆は見送った。当のサンドラは戸を開けて、外にいる誰かと一言二言話すと血相を変えて
外にいる者たちを室内へと促す。突然の事態に誰もが目を丸くした。なんとサンドラの案内で部屋に入ってきたのは
何ともありえない組み合わせだったから。

「――!リシャール様?!」
「それにティピじゃねえか、一体どういう事だ」

ガタリと大きな音を立ててウォレスは立ち上がった。オスカーもパタパタと何時になく取り乱した様子で今名を叫んだ
人物へと歩み寄る。よくは分からぬが、人目を凌ぐように外套を被った蜜色髪の少年は肩に妖精型のホムンクルスを
携えていた。一体どうした事かと不思議に思うのは自然な事だった。

「久しぶりだなオスカー、それにお前たちも・・・・バーンシュタイン城で会って以来か」
「そんな事よりリシャール様が何故ここに?!関所にはローランディア軍が詰めていたはずなのに・・・・」
「フン、少人数であれば抜け道が使える。軍隊が通れぬような、な」
「それにしたって・・・・何故ティピ君が一緒なんですか。彼女はカーマイン君と一緒だったはず!」

半ば冷静さを欠いたオスカーの問にはリシャールの肩に座しているティピが答える。

「あ、それなんだけどアタシ、ライエルさんに伝言頼まれててこっちに戻ろうとしてたんだけどその途中でコイツと会ったの」
「コイツとは羽虫風情が大した口を利いてくれるな」
「なによー。アタシの案内がなきゃ、アンタここには来られなかったのよ?もっと感謝しなさいよね!!」
「チッ、煩い虫だな。こんなのを飼ってる奴の気が知れん」
「ぬぁんですってー!!もう一度言ってみなさいよ、こんの我侭キングー!!」
「「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」」

嘗ては敵視していた相手が、自分たちの知らぬところでティピとすっかり仲良くなっている様子に傍観者となった
他のメンバーはただ唖然としていた。早い話が、何か用があってこちらを目指していたリシャールが同じくサンドラ邸へ
戻ろうとしていたティピを道中で拾って道案内を頼んだのだろう。どちらも我が強いためにきっと色々衝突しあって
最終的にこんな仲になってしまったと言ったところか。それは何だか微笑ましい。けれど。

「そんな事より!一国の主である貴方がどうしてローランディアにいるんです?」
「・・・・・ああ、忘れていた。実はローランディアと手を結ぼうと思って来たのだ」
「「「「「「・・・・・・は?」」」」」」

淡々としたリシャールの言葉に素っ頓狂な声が返った。それに言い出したリシャールは不服そうにしつつ、外套を
脱いで続けた。

「今、ローランディアとバーンシュタインが個々にヴェンツェルと戦ってもろくな結果にならん。ならば、手を組むのがよい」
「それは・・・・ごもっともですが・・・・・具体的にどうするおつもりです?」
「ああ、まずは・・・・そこのピンク頭の娘、お前を治す。前に出て来い」
「治すってどうするつもりですかリシャール様?!精神科の医者でも治せなかったんですよ?!」
「煩い貴様は黙ってろオスカー。それと娘、早くしろモタモタするな!!」

強い声で言われて泣きそうになりながらも母に背を押されてルイセが恐る恐る前に出て来た。それをフン、と鼻息荒く
見咎めリシャールはルイセに近づく。ついこの間まで敵として戦っていた相手の行動に皆、警戒をしつつ見守る。
その視線に勘付いていながらもリシャールはまるで気にした風もなく、すぐ傍までやってきたルイセの額に手を当て、
目を閉じた。一体何をしているのか。誰にも分からなかったがただ固唾を飲んで見守る姿勢を崩さない。
不意に静かな室内に何とも言えぬ濃密な空気が巻き起こり始めた。何だと元を辿ればそれはリシャールからだった。
彼の身体を圧倒的な力が渦巻いている。何が起きてもいいように皆は待機したが、何も起こらなかった。
少なくともリシャール以外の者の目にはそう映っていた。だがしかし次の瞬間それは間違いだと露見する。

「・・・・・・・あ、あれ?何でリシャールさんとティピがここにいるの?!」
「!ルイセ、記憶が戻ったのですか?!」

ぼんやりとしていた瞳を見開き、声を荒げたルイセを見て一番初めに母であるサンドラが嬉々とした声を上げる。
そのままの勢いで駆け寄って少女の小さな肢体を強い力で抱き締めた。サンドラに続き、ウォレス、オスカー、
アリオスト、ミーシャも口々に良かったと喜びを露にする。ティピは来たばかりで事情が分からず困惑して
いたが皆が喜んでいるのでつられて騒いだ。そんな彼女を煩そうにリシャールは睨みつけている。

「え、え?何、お母さん??どうしたの??」
「・・・・・ルイセ君、君はヴェンツェルにグローシュを抜き取られて今まで記憶を失っていたんだよ」
「え、ええ!?そうなんですか!??でも何で・・・・」

私記憶が戻ったんですか?とルイセは誰にともなく尋ねる。それにはリシャールが返した。

「お前はグローシアンとしての力を失っていた。だから私が再びお前をグローシアンにした」
「・・・・・・え?」
「私は・・・ゲヴェルに創られた存在だというのはお前たちも知っているだろう。その材料には人間の死肉が使われている。
それにゲヴェルの力が融合し、私は二つの世界に干渉する力を得た。それを時空干渉能力と言う。
その力を使えばただの人間もグローシアンに変える事が出来る・・・・と最期に主様が教えて下さった」

私はこの力を使うためにこちらに来たのだと告げながら、少し顔色を悪くした少年はちらと周囲を一瞥してから
空いたソファへと座り込んだ。

「リシャール様、どうされました?」
「・・・・別に。どうやらこの力は大分体力を使うらしい。主様が討たれた今ではあまり無理は出来ないようだな」
「・・・・・・・・あ、リシャールさん有難う、ございます」
「礼など要らん。こちらとしてはお前たちに協力を求めるためにしたに過ぎない。それから羽虫、アーネストから
伝言を預かったと言っていたが何と言っていた、アイツは?」

振られて初めて気づいたようにティピはああ!と大声を出した。ふわりとリシャールの肩から舞い上がり、あわあわと
慌てながら言葉を吐き出す。

「そうだ、忘れてた!!ライエルさんとカーマインが大変なの!!」

そう言ってティピはアーネストたちと一緒に居て目にした事、耳にした事全てを時々言葉に詰まりながらも説明した。
ゲヴェルがヴェンツェルによって既に倒されたという事、彼らがある取引をしてヴェンツェルの下にいるという事、
ヴェンツェルが三国を支配しようとしている事、絶対にヴェンツェルを止めなければならないという事、それから言うな言うなと
本人から強く口止めされていたが、カーマインは後少しの命である事を知っていて皆を護るために裏切ったのだという事全てを。

「・・・・なるほど、ね」
「お願い、あの二人を助けてあげて!!」
「それには是が非でもヴェンツェルを倒さなければ・・・・」
「後は奴らがヴェンツェルの僕と大衆に知れる前でなければ、命を救ったところで裁かねばならんだろうな」

もし、奴の配下だと知れれば立場上極刑も免れない、と付け足しリシャールはもう一つ思い出したように口を開いた。

「それよりも、もっと大事な事がある」
「それよりって!何て事言うのよ!カーマインはともかくライエルさんはアンタの・・・!」
「まあまあ、ティピ君。怒る気持ちも分かるけど・・・今は情報収集が大事なのも確かだ。でしょう、リシャール様?」

今にもリシャールに飛び掛らん勢いのティピの首根っこを掴みつつオスカーが取り持つ。口元には穏やかな微笑。
しかし瞳は笑っていない。仲裁に入りながらもオスカーはオスカーで友を軽んじられた事に憤りを感じているのだと表に
出していた。二つの非難の目を間近に受けてリシャールは肩を竦めながらも続ける。

「別にあの二人を軽んじてるわけではない。ただあの二人を救ったところで世界が崩壊してしまえば意味がないだろう?」
「世界が崩壊・・・・というのはひょっとして時空の歪みの事かな?」

腕を組んで静観していたアリオストが口を挟む。

「魔法学院でグローシュの計測をしてるんだけど、その量が近年急激に増え、二つの世界を重ね合わせて存在している
この世界の均衡が崩れ、時空を歪めている。このまま歪みが大きくなれば重ね合わせた世界は元の形・・・つまり分離する。
そうなれば僕らは千年前の人間とフェザリアンと同じ結果を迎えるだろうね」
「・・・それを防ぐにはパワーストーンが必要になる。時空制御塔にある時空制御装置を作動させる原動力として」
「パワーストーンってカーマインがいつもしてる指輪にくっ付いてる奴?」

小難しい話についていけず、ティピは唯一分かる事柄に食いつき、リシャールの眼前に飛び立つ。
ねえねえとリシャールの鼻の頭を小さな手で叩くと煩わしそうに手で払われた後、肯定が返ってきた。

「それを使えれば楽なんだが・・・あれはもう殆ど使い物にならんだろうな。そうでなければヴェンツェルがとっくに奪っている」
「じゃあどうするの?」
「ないものは作るしかない」
「え、パワーストーンって作れんの!?」
「そうでなければお前たちなどと協力する意味がない。確か・・・仮面騎士どもの元になったオリジナル・・・ベルガーとか
言ったか?そいつに息子がいただろう?アイツを連れて来い」

非常に面倒くさそうに言いながら、リシャールは自分を取り囲む面々を見遣った。予想通り、きょとんとしている。
それを鼻で笑う。本当に何も知らんのだなと。まあ、自分の場合は全てゲヴェルからの遺言で知ったのだが。
仕方なく、説明をしてやる事にする。ソファに深く座り直して。

「パワーストーンの精製には、そうだな一国の人口ほどのグローシアンが必要となる。しかしゲヴェルがヴェンツェルを
通してこの大陸に現存するグローシアンは皆殺しにした。という事は新たにグローシアンを作らなくてはならない。
そのためには私の時空干渉能力が要る。しかし先ほども言ったがこれはかなり体力を消耗するんでな。一国の人間を
グローシアンに変えたりすれば死は免れない。だが、力を使うのが二人ならばどうにかなるかもしれない、だからだ」

矢継ぎ早に告げられた言葉にうーんと唸りつつもティピは自分が出した結論を述べてみた。
もし、それを言って笑われようものなら得意のティピちゃんキックを喰らわせてやろう!と密かに意気込みながら。

「???って事は何?ゼノスも時空・・・・なんとか能力が使えるって事?」
「まあ、そういう事だ。というわけでとっとと連れて来い。急がねば手遅れになるぞ」
「でもでも、どうやって皆をグローシアンにするの?まさか一人一人グローシアンにして回るつもり?」
「阿呆か。そんな事していたら何日掛かると思う。それ以前に死ぬわ。時空制御塔にある時空遠距離装置を使う」

呆れた口調にムッとしつつもティピはめげない。何なのよそれと問い質す事を忘れない。

「はぁ・・・本当に面倒くさい奴だな。時空遠距離装置とは・・・先ほど降伏勧告をヴェンツェルが求めてきた時、自分の頭に
直接語りかけてきただろう。装置を使えば指定した範囲の人間に自分の声を届ける事が出来る、そういう物だ」
「ふ、ふーん?」
「お前分かってないだろう。まあ、いい。おいそこの娘、テレポートが使えるんだろう?さくっと連れて来い」
「へ?私?!」
「そうだ、お前だ。今は迅速な行動が第一だ。お前が一番早いだろう。心配なら誰か共に連れて行けばいい」

早くしろと恰も王者のように、まあ実際彼は王なのだが、命令を下す。ついこの前まで倒すべき相手だと
思っていたのだから戸惑うのも致し方はなかったが、命令が的確なので何となく言う事を聞いてしまう。
ルイセはサンドラに断り、アリオストとミーシャを連れてゼノスたちを迎えに、彼らがいるラシェルまでテレポートする事にした。
その間もリシャールは色々と命を下す。それをオスカーとウォレスはやや遠巻きに眺めていた。

「おいおい、お前さんとこの坊ちゃん、すっかりリーダーみたくなっちまってるじゃねえか」
「・・・・・ですね。あの人、一度こうって決めるともう止まらない人なんで」
「まあ、いてくれて助かるっちゃあ助かるんだが。にしても人が変わっちまったみてえじゃねえか」

前に城で戦った時はもっと、狂気染みてなかったか?と義眼で覆われた目でウォレスはオスカーに問う。
対するオスカーもうーんと唸りつつ応えを返す。

「見る限り、以前のリシャール様のように感じます。これは推測ですが
ゲヴェルが倒された事によって本来の人格を取り戻したんじゃないかと・・・・・」
「これが演技という可能性は?」
「僕らを騙したところで彼にメリットがあるとも思えませんね。それに演技であんな風に自然と出来るとは思えませんし」

自らに言い聞かせるような響きにウォレスは気遣わしげにオスカーを見た。一度、失ったと思っていた友を
予想外の形とはいえ取り戻せたのだ。本当は周囲の目も気にせず喜びたいんだろうと。それは彼の口元に浮かぶ
笑みが語っている。こんな時でなければ背中を押してやりたいと思う。ただ、今は緊急事態の最中なのでそれは出来ないが。

「さて、降伏勧告を受けてからどれくらい経ちましたか?」
「もう後一時間くらい、ですね。猶予時間の終わりまで」
「・・・・・ではそろそろアルカディウス王の方も決断が決まった頃でしょうね。私は王城へ向かいます」

ふう、と一息吐いてサンドラはマントを羽織ると屋敷を出て行こうとする。

「あ、サンドラ様?」
「今ローザリアには将軍がいません。有事の際は私が将軍の代わりとして指揮をせねばなりません」
「・・・分かりました、お気をつけて。僕らは僕らで援護させて頂きます」

オスカーの言葉を受けてサンドラは小さく頭を下げ、今度こそ出て行った。屋敷に静けさが戻る。

「ま、僕らは事が起きるまで大人しくしてましょう」
「・・・・・そうだな」
「何事もないのが一番だと思うけどね!」
「何事もないわけないだろう。あの陰険ジジイが何もしないわけない」

は、と強い息で笑ったリシャールの額にティピの十八番が軽やかに決まった。やはり緊張感の欠片もない。
しかしそれも残り僅かな時間のものだった。




◆◇◆◇◆




「やはり勧告は受けられなかったか。愚かなものだ」

せっかく慈悲をくれてやったと言うのに、と笑う老人の顔はどう見ても愉快そうだ。
ローランディア城門前に立っていた王の言の代理人である文官からの応えを聞いてヴェンツェルは、一度引くと
パチンと指を鳴らし、待機していたアーネストを呼び寄せる。外壁に立って街の様子を窺っていた紅蓮の目立つ
井出立ちの青年はふわりと危なげなく飛び降り、着地した。

「・・・・この辺りが一番警備が薄い。攻めるならここだろうな」
「まあ、お前の好きにするがいい。儂は高みの見物とさせてもらおう。どれだけやれるかやってみろ」

危なくなったらこちらで退却させる、と言い残し、更に指を鳴らしてフライシェベルグからユングやレッサーデーモン
などのモンスターの中でも特に凶暴なものを召喚し、自身は黒い風を巻き起こし姿を消した。
残されたアーネストは鞘から剣を抜き放つと、前に突き出し、部下に指示するように出陣を促す。

「・・・・さて、修羅になりに行こうか」

例え恨まれても、憎まれても。これが自分の選んだ道なのだから。
紅蓮の長い裾が西日を受けて、華麗に舞う。それを見る者の目は潰れてしまいそうなほど、鮮やかな色彩だった。




◆◇◆◇◆




サンドラ邸にて談笑していた面々を悲鳴が打ち破る。ハッとしたように各々、自身の武器を取った。

「やれやれ、やっぱり来やがったか」
「そのようですね。って、リシャール様も行かれるんですか?」
「当たり前だ、リーダーがいなきゃ話にならんだろう」
「あ、やっぱりリーダーのつもりだったんですね」

そうオスカーが返せば他に誰がいるなどと言われて苦笑するしかない。
ともかくも緊急事態に無駄口を利いてる暇はないと皆いつになく真剣な表情でドアを開けた。
ティピが駆けていくウォレス、オスカー、リシャールを慌てて追いかけていく。

「ちょっとアンタたち、アタシを置いてくんじゃないわよー!!」
「早くしろ、羽虫!」
「きー!」

意気揚々と悲鳴の聞こえた方角へ駆けていく四人だったが、現場に着いた瞬間揃いも揃って眉根を寄せた。
確かにヴェンツェルが生半可な攻撃で済ませるわけもないとは予想していたし、ティピを除いたメンバーは
それなりに血生臭い経験もしている。戦場でそう簡単に顔色を変える事はなかったが、目の前にはそうせざるを
得ない状態が広がっていた。

「・・・・・・・・・・っ」
「俺は目が見えんが・・・・こりゃひでえ匂いだな」

やや鼻を覆うようにウォレスは呟き、それから惨事を引き起こしている張本人を探す。
至るところにローランディア兵の死体が折り重なるように転がっており、伝統ある煉瓦の床も民家の壁も血が飛び、
とても正気の者が見ていられるものではない。場慣れしてない者は悲鳴を上げて逃げ回るか、嘔吐するかの
どちらかだろう。辺りは狂気で満ちているため、なかなか中心地を見つけられない。しかし、点々とする死体を
辿っていけば漸く大分数の減った兵を指揮するサンドラとそれと向き合うように剣を振るう悪魔のような男の姿を発見する。

「な・・・あれってライエルさん?!」
「奴さん・・・・大分感じ変わったんじゃねえか?」
「・・・・・アーネスト・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

四者四様の反応が返る。アーネスト=ライエルといえば敵であっても筋の通った人間だという認識があったためだ。
それが今目の前にいる彼は白い制服の部分まで赤黒く変色させている。頬にも、髪にも人間の血液が飛んでいた。
冷たい容貌と相まって、悪鬼のような印象を受ける。おぞましいと感じるほどに。周囲にいるモンスターよりも
よほど恐ろしい。対峙する兵士も彼を恐れて近寄れずにいる。指揮官のサンドラはせめて民間人に被害が出ないよう
必死に指示を出し、宮廷魔術師として魔法を唱えていた。

「と、とにかくマスターを助けなくっちゃ!」
「・・・・・・ああ」

ティピの掛け声につられるようにウォレスは頷き、難しい顔をしているリシャールとオスカーを敢えて置いて
サンドラの元へと急ぐ。自分たちはまだ彼らほどアーネストと付き合いはない。故にショックは少なくて済む。
ティピは僅かに胸を痛ませていたが、空元気で乗り切る。

「マスター、大丈夫ですか!?」
「ティピ、ウォレス。遅いですよ!あの人は強い、けれど民間人には手を出しません。ですから貴方たちは
無差別に襲ってくるモンスターの方を相手して下さい」
「は!」

サンドラの言う通り、兵士に取り囲まれたアーネストはそこから抜け出して民間人を襲う、と言った動きは見せない。
向かってくる相手だけを容赦なく斬り捨てる。躊躇いない太刀筋のせいで、豪快に血飛沫が飛び、街並みを朱一色に
染めていく。彼の足元には既に血の池が出来上がっていた。どんなに援護しようと魔法を唱えても一太刀で
斬り伏せられてしまえば、回復も出来ず、意味のないものと変わる。サンドラは魔法の撃ちすぎで体力の限界が
来ていたがそれでも引かなかった。きっとアーネストは討ち取れない。けれどせめて撤退までは追い込みたい。
ただその思いだけでスペルを唱え続ける。けれど。

「サンドラ殿、何時まで無駄な事をし続けるのですか?」

何の感情も篭もらぬ低音が騒がしい戦場に掻き消される事もなく広く伸びる。サンドラは額に汗を浮かべながら
唇を噛んだ。無駄だという事は自分でも分かっている。本当は早々と撤退した方が兵の被害が少なくて済む事も
言われるまでもなく分かっていた。それでも、ここで引いてしまえば王城を攻められてしまう。それだけは避けなくては
ならない。王のいない国はすぐに荒廃する。そうなれば誰が一番大変な目に遭うかといえば国民だ。
だから譲れない。宮廷魔術師として絶対に。

「私は決して負けられません。貴方からすれば私は脆弱でしょう。それでも引くわけには行かないのです」
「・・・・・・カーマインは貴女に似たのでしょうね・・・・」

ふと、それまで表情を一切出さなかった青白い面に僅かに悲しげで優しい笑みが浮かぶ。それはとても人間らしい
表情。向かってくる敵は全く手を抜かずに討ち取っていく彼がこんなにも率先して戦う彼女に斬り込んで行かない
理由がそこに隠れていた。しかし、血色の眼を一度伏せ、開くと覚悟を決めたのか、一般兵を押し退け、
後方に位置するサンドラへと飛び出していく。振り抜かれた剣が美しい銀月を描いた。が。

「!アーネスト!!」
「・・・・・オスカー、また邪魔をしに来たか。それとも」

また斬られに来たのか?とサンドラを斬りつけようとした剣先を走り込んできたオスカーの鎌により受け止められた
アーネストは血の飛んだ頬を歪めて笑み、腕に更に力を込める。前に剣を合わせた時よりも増しているそれにオスカーは
眉間に皺を寄せた。そして弾かれる。

「・・・・ッ!」
「何だ、お前少し弱くなったんじゃないか?」
「そういう君は!不必要に人を斬るために剣技を磨いたわけじゃないだろう!?」
「不必要なわけじゃない。他人にとっては無差別な虐殺にしか映らなくても、俺には俺なりの意義がある」

強い口調。言う通り、彼は無意味に人を斬っているわけではない。こんなに穢れてもそれでも戦い続けようとしている。
覚悟を決めた彼がどれだけ強いか知っているオスカーは迷っていては怪我の一つも負わせられないと、何とか
落ち着こうと試みる。腕に出来うる限り力を込め、体重を乗せて立ち向かう。それでも余る。手だけでなく全身が
痺れるような圧倒的な力を受け、オスカーは思わず武器を取り落としてしまいそうになった。それだけアーネストの
精神力は大きい。そして同時に見るに耐えないほど彼は追い詰められているのが分かる。ティピが言っていたように、
彼には救いが必要だと。そう理解は出来る。しかし自分では彼を救えないというのも痛いほどに感じるのも事実。

「アーネスト、君はもう・・・止まれないんだね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「だったら、友として例え殺してでも僕が君を止めなくちゃならない!」
「お前には俺は殺せない」

実力的にも、精神的にもアーネストはオスカーに負ける気がしない。オスカーは確かに強い精神をしているが
同時に酷く打たれ弱い面を持っている事も知っている。再び交わった刃を弾いた。止めを刺そうと紅蓮に染まった
男は身を乗り出す。けれど。

「・・・・・・ぐっ・・・!」

弾かれて壁に打ち付けられた紫紺の制服の優男へ太刀を振り下ろそうとしたところで、背後から爆炎が巻き起き、
長い裾が煽られ、手元が狂う。ちらと背後を紅い瞳が睨みつければ、先ほど斬り損ねたサンドラが魔法を撃った後で。
舌打ちする間もなく、今度は漸く出来た隙をこれまで傍観し続けていた少年と、僅かに生き残っていた兵とに衝かれる。
両肩をリシャールの双剣が、脇を兵士の槍が貫いていた。

「・・・・・リシャール様、何故・・・こんなところに」
「ヴェンツェルのジジイに一泡吹かせ・・・・そしてお前を止めるためだアーネスト」
「なるほど。前者はともかく、後者は無理ですよリシャール様」
「・・・・何だと?」

リシャールが訝しい目でアーネストを見れば、アーネストは口端から血を流しつつ、強引に身体を捻り、自分に
突き刺さった刃を抜き去ると、後方に飛び退る。

「・・・・・今回はこれまでのようだ。だが、まあまあ仕事はこなしたぞヴェンツェル」

軽く息を乱しながら不敵に唇を持ち上げたかと思えば、アーネストの足元が淡く光る。何かと思う間もない。
あっという間に光が魔方陣へと変わり、彼の全身を包んだかと思えば次の瞬間には消えていた。
残されたのは倒し損ね未だに暴れているモンスターばかり。

「・・・・・・また逃げられて、しまいましたね」
「あの傷だ、当分は出てこない。それより残りを潰さねば」
「ええ、サンドラ様やウォレス殿の援護をせねば・・・・」

疲れたような、何処か安堵したような言葉には淡々としたそれが戻ってくる。やがて、辺りの悲惨な状況から
目を逸らすようにオスカーとリシャールは戦線に戻った。もう、決して帰らないであろう友を思いながら。




◆◇◆◇◆




「・・・・・・派手にやられたな」

テレポートで時空制御塔まで負傷したアーネストを帰還させたヴェンツェルはさも愉快そうに言った。
それに視線だけ返すとアーネストは無言で部屋へと戻っていく。さっさと身体中に絡みつき、染み付いた血を拭いたいの
だろう。歩きながらも乱暴に上着を脱ぎ捨て、鍵を掛けて出て来た部屋へと舞い戻る。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

ベッドではまだカーマインは眠っていた。それに安堵しつつ、アーネストは更に服を脱ぐ。そうすれば血に濡れたのは
服だけではなく、肌も同様なのだと知れる。不愉快そうに細い眉を吊り上げ、部屋の奥にあるシャワー室へと直行した。
何度も何度も力を込めて身体を、髪を洗い流す。当然負った怪我からは止め処なく血が流れ、痛みが走る。
それでもアーネストは身体を洗う。どれだけ血を拭っても、出血している事もあり、鉄錆びの匂いは消せない。

「・・・・・自業自得か」

まだ兵たちを斬り殺した感触が手に残っている。耳には人々の悲鳴。目を閉じて浮かんでくるのは自分を恐れる
人々の凍りついた顔、血、死骸。悪夢に魘されそうだなと他人事のように笑い、シャワーのコックを捻った。
ろくに怪我の手当てもせず、乱暴にタオルで身体を拭き、ローブを纏う。すぐに血が滲んで白かったローブは戦場で
嫌というほど見た色に染まった。自嘲が零れる。自分は最早修羅どころではない、悪鬼でもない、悪魔でもない。
そして人間でもない、ただの化け物だ。もしかすれば、それ以下かもしれない。

「・・・・・俺は一体何者だ」
「君は、アーネストだよ」
「!!」

突然声がして驚いたアーネストは唖然と眼も口もみっともなく開いてしまった。ベッドの上には寝ていると思っていた
カーマインが座ってこちらを見ていた。やや切なげな色を金と銀の瞳に乗せて。

「・・・・・カーマイン」
「ごめん、寝てるフリをしてた。置いていかれた、仕返し」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

ぽつぽつと謝罪し、ゆっくりと立ち上がってアーネストへと近寄ってくるカーマインに、アーネストは慌てた。
細く白い綺麗な腕が伸ばされれば、反射的に逃れてしまう。彼のそんな反応にカーマインは首を傾ぐ。

「どうした?」
「触るな、俺は穢れている・・・・」
「怪我してるじゃないか、早く手当てしないと」
「やめろ、俺は・・・・・多くの人間を虐殺した。それに・・・お前の母にも手を下そうとしたんだぞ?」

アーネストの苦々しい科白に、ピクリとカーマインの手が一瞬止まった。アーネストはそれでいいと自分から
後ろに身を引こうとする。が、その前に一度は動きを止めたカーマインによって抱き締められ失敗に終わった。

「カーマイン?!」

信じられない、そう告げるような声音を聴いて、カーマインの腕の力は益々強められる。
それは離さないと主張するかのように。アーネストは戸惑う。引き剥がさなければ、と思い抱きついてくる
小さな肩へ手を掛けるものの、押し返す事が出来ない。乾いた心が、込み上げる愛おしさに負けてしまう。
何度も何度も否定しながら、ついには理性を保ち切れずにカーマインの痩せた肢体を抱き返していた。

「何故だ、何故俺から離れない。俺を蔑しない・・・・」
「アーネストは、俺が人を目前で殺めた時、俺を蔑しなかった。恐れなかった。俺がフレッシュゴーレムだと
知っていながらいつも抱き締めてくれた。俺の事をいつも・・・・護ってくれた」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「それに君は言ってくれた。自分をあまり責めるなと。それは今の君にも言える事だ。あまり自分を責めるな・・・・」

責めないで、と微かに震えた言葉にアーネストの胸は更に締め付けられた。人を想うだけでこんなにも窒息して
しまいそうになるのは何故だろうと。身体を斬り付けられるよりよほど痛くて苦しい。涙を、零しそうになる。
身体が言う事を全く聞かない。アーネストは刻一刻と自分の理性の崩壊が差し迫っているのを感じた。

「・・・・・・カーマイン・・・・ッ」
「・・・・・・・・アー、ネスト・・・・?」

喘ぐように名を呼ばれて、カーマインは大きく目を見開いた。視線が合ったアーネストは今まで見た事もないような
表情をしている。まるで何かに追い詰められているような、とても余裕のないそれ。
そっと片手を腰から外して、カーマインの滑らかな頬へと触れさせる。

「・・・・アー・・・・ネスト・・・・」
「死ぬまで秘めていようと思って・・・いたのに、な・・・」
「・・・・・・・え?」

思ったより自制心が脆いらしいと、アーネストはカーマインの耳へと直接声を落とす。いつもは綺麗に隠されている
情欲と情愛が混じったそれの変化を敏感に感じ取ったカーマインは身体を強張らせた。しかし抱き寄せられ、
頬に当てられていた指先で唇をなぞられると途端に全身から力が抜け、腰が立たなくなる。

「・・・・ア、アーネ・・・ッ」
「もう、無理だ。これ以上自分を殺す事は・・・出来ない。殺せない」
「・・・・・・・んぁっ!」

呼吸が出来なくなるほどアーネストはカーマインを強く抱き寄せる。ミシミシと骨が悲鳴を上げているのが分かる。
それでもアーネストは腕の力を緩める事が出来ない。じっと色違えの瞳に涙を湛えているカーマインの双眸を逃さぬよう
捉えると再び黒髪から覗く小さな耳朶へと唇を近づけ、長きに渡りずっと戒めていた言葉を囁いた。

「俺はお前を・・・・愛している」
「・・・・・・・・・・・・ぁ」
「この髪も、瞳も、唇も、肌も、肢体も・・・・心も全て愛しく、全てが欲しい」

アーネストは何度も、何度も自分の心の内で押し込めてきた想いを堰が壊れたように一つずつ口にする。
低く甘い吐息に触れる度、カーマインの瞳は揺れ、身体中に震えが奔った。神経に直に触れられてるのでは、と
思ってしまうほど反応してしまう。ただの、気の迷いかもしれないのに。その言葉に縋り付いてしまいそうな自分を
発見してカーマインは青くなる。必死で胸の奥から込み上げてくるものを否定した。

「・・・・アーネスト、目を・・・醒ませ。君のそれはただの気の迷いだ・・・・」
「気の迷いであるはずがない。こんな激しい感情は未だ嘗て抱いた事はないが、分かる」
「・・・・・・な・・・・で、よりにもよって俺なんだ。俺は男で、人間ですらなくて、こんなに穢れてるのに・・・・」

非難するようなカーマインの言い様にアーネストは僅かに不機嫌そうに目を細めた。

「お前が穢れていると言うのであれば、俺はもっと醜く、穢れている。そんな俺に触れられるのが厭か?」
「違う、そうじゃない。だって、俺はもうすぐ死ぬのに・・・絶対に望んじゃいけないのに・・・・」

好きになっちゃいけないのに・・・。最後の呟きは蚊の鳴くように細く小さな声で。少しでも気を逸らしていれば
聞き漏らしてしまいそうな音だったが、アーネストの耳にはしっかりと届いていた。恐る恐る、カーマインの顔を
上げさせ、目を合わさせる。

「望んで欲しい。歯でも骨でも・・・何でも。お前が望むなら俺の全てをくれてやる」
「・・・・・後悔しても・・・・知らないぞ・・・・・」
「そんなもの、するくらいなら口になどしない。二人で共に・・・・・堕ちよう」

そうすれば、死後も傍にいられるだろうと小さな手に自分の指を絡めてアーネストは微笑う。
カーマインは逡巡しながらもその手を握り返し、微笑を返す。それから指先に口付けられ、引き寄せられるままに
熱を帯びた視線と唇が、柔らかに重ねられた―――






血が香る、悲しい夜。

初めて重なる二つの心。


血が香る、切ない夜。

貴方の存在がこんなにも愛しい。


血が香る、許し難き夜。

それでも想いは止まらずに。



―――どこまでも堕ちる、二つの影






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な、長かった・・・・。正真正銘今までで最長です。
そして本来のリシャールが初めて登場だったり、予定通り次回は
裏だったりと今回は色々波乱万丈です。
ギャグるのかシリアスなのかどっちかにせえというごった煮な回でしたが
どう、だったんでしょうね(聞くな)早く続き書きます、はい。

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