茨姫の棺








この目が、生きていれば気づいていただろうか。

英雄の名を背負わされた、犠牲者のような青年の機微な感情に。

苦しんでいる事は、知っていた。悩んでいる事も、知っていた。

それでも、彼が明かすまではと。

使い物にならない目を伏せていたのは間違いだったのか。



―――遠い過去、潰された視界は

いつも肝心なところを見落としている・・・。






Act:6 花霞の死角








雨が、止まない。

昨日から降り続けるスコールは勢いが衰える事なく。激しく地面を穿つ。世界を厚い雲が多い、昼間だというのに
薄暗い。時折雷鳴が轟き、大地を揺るがした。不気味な天候。これから何かが起きるとでも言いたげな。
事実、停滞していた二国間の争いが再び動き出そうとしていた。

「結局ティピ君からの連絡はなし・・・・。仕方ないですが、賭けに出ましょう」
「・・・・・・・やっぱりティピ、お兄ちゃんのところにいるのかな・・・・・」
「それをこれから確かめに行くんだろう」

リーヴスの一声にルイセが不安げな顔をすれば、ウォレスが嗜めるように低く呟く。
彼らは前の話し合いで決めたように、一日ティピからの連絡を待ったが、彼女からは何の音沙汰もなかった。
それは連絡が出来ぬほど彼女が衰弱しているか、連絡出来ないような場所、つまりカーマインの傍にいる事を
指し示している。前者でない事を祈るしかない。でなければ、今自分たちが覚悟を決めた意味がなくなってしまうから。

「・・・・・こんな悪天候の中、まさか僕らが現れるとは向こうも思わないでしょうし、彼らもこちらに攻めてくるとは思えない。
ある意味、天候に恵まれたかもしれませんね。一応、こちらは手薄になるのでジュリアンに部隊の補強を頼みましたが」
「・・・・・・・・・・・・・・補強?」
「ああ、はい。彼がローランディア側の先陣の指揮官ですから。もしバーンシュタインが攻めてくるとしたら
一番に当たるのは彼の部隊ですからね。というより僕らが城を開けてる間に彼の部隊が突破されたら・・・・・。
事実上、ローランディアは終わったと言ってもいいでしょう」

そうならぬように補強を頼みました、とリーヴスは淡々と恐ろしい事を言ってのける。ルイセは青褪め、ウォレスは
ほう、と一言思案気に頷くだけに留まった。

「まあ、ジュリアン将軍は優秀ですから。そんな簡単に突破されるわけないですけどね」
「・・・・・・でも、負けちゃったら・・・・・・・」
「大丈夫だ。こんな視界も利かねえ、悪天候の中に進軍してくる馬鹿はいねえよ。もしもの話だ」

まだ不安そうに震えている桃色髪を色黒な大きな手のひらが荒々しく撫でて宥める。それはまるで父親が娘にする
行動のようで傍近くで見ていたリーヴスは僅かに口の端に笑みを浮かべた。微笑ましくて。本当の父娘を見ているようで。
暖かな眼差しで見守る一方、何処か心の奥深く、一人取り残されたような寂しさが去来するのも確か。しかし、それには
気づかなかった振りをして意識して腹から声を出す。

「今は未来の事を話していても仕方ありません。どうなるかなんて誰にも分からない」
「そうだ。やるかやらないか、それを選ぶ事しか今の俺たちには出来ない」

やらずに後悔するくらいなら、俺は好きに動いて後悔した方がいい、と。ウォレスが口にすれば泣きそうになっていた
ルイセはこくりと大きく頷いて。いつもの少しだけ甘えた、けれど芯の通った強い碧眼を垣間見せる。

「うん。私も、後悔したくない!」

声高に告げられた決意は大人二人も気を引き締められるほどで。邸内には何ともいえぬ活気すら伺えて。
しかし。いざ、テレポートで敵陣へと乗り込もうとする三人へ新たな声が掛けられる。まだ、成熟しきらぬ年若い少年の声。
このサンドラ邸にいるはずもない人物のそれに驚き、ルイセ、ウォレス、リーヴス、それぞれの視線が少年に注がれた。

「エリオット陛下!何故此方に・・・・・ローランディア城にいらしたのでは!?」
「すみません。サンドラ様にお願いして此方へ来させて頂きました」
「貴方という人は・・・・・!今のご自分の立場をお分かりですか!?一人で出歩く事がどれだけ危険か・・・」

サンドラに頼んだとはいえ、見たところ供の一人も付けずにここまで来たらしいエリオットをリーヴスは常の穏やかな
相貌を崩して激昂する。それにびくりと肩を竦ませるのは、怒られている当人のエリオットだけに留まらず、リーヴスの
背後に立っているルイセもだった。その様子をちらと横目で見遣ってウォレスは内心息を吐いた。いや、笑っていたのかも
しれない。しかし他の三人は真剣そのものだったので何とか堪えるが。

「・・・・・まあ、いいでしょう。では質問を変えて。陛下、何故此方にいらしたのかをお聞きしましょう」
「・・・・・・・・あの、サンドラ様に皆さんがまたバーンシュタインへ行くと聞いて、僕もご一緒出来ないかと・・・・」
「・・・・・!駄目に決まっているでしょう。今回は正式な出兵ではありません。どれ程危険が及ぶか・・・・!!」
「・・・・・・・まあ、待てリーヴス。怒る前にエリオットの言い分も聞いてやれ」

付いて行きたいと申し出るエリオットに頭ごなしに否を告げるリーヴスを諌めるようにウォレスが口を挟めば、
リーヴスは幾らか冷静さを取り戻すものの、やはり否定の態度は拭えない。しかし、自分の眼下でキッと強い眼光を
放つ年若き、王となるべき少年の決意に満ちた表情を見遣れば流石に心を動かされる。はあ、と重い溜息を吐いて
エリオットと視線を合わせた。

「・・・・・・・・・何故、付いて行きたいのですか。今回は人を迎えに行くだけですよ?」
「・・・・それでも、貴方たちは命を懸けているのでしょう?なのに、僕は何もしてない。僕、守られてばかりで・・・嫌なんです」
「・・・・・・・・・・・・・違いますよ、陛下」
「・・・・違わない!結局僕は置いていかれて、城で安穏に貴方たちの帰りを待つだけなのでしょう!?」
「違います。貴方は、守られるために城にいるのではない。私たちの、留守を守るためにいるのですよ。
私たちがいない間、アルカディウス王を、レティシア姫を、サンドラ殿を・・・・世話になった方々を貴方がお守りするのです」

それは、貴方にしか出来ませんと。その場凌ぎの言い訳に聞こえぬよう、精一杯の誠意を持って告げれば、エリオットは
一度大きく顔を歪めるものの、瞼を強く閉じ、間を置いてからにこりと微笑んだ。

「・・・・・・分かりました。貴方たちの留守は僕が守ってみせます。だから、安心して・・・・行って下さい」
「陛下、有難うございます・・・・なるべく早く帰って来ますから」
「ええ、絶対に無事に帰って来て下さいね。オスカーもウォレスさんもルイセさんも・・・・彼も」

最後の彼、というのはカーマインの事だろうと理解すれば名を呼ばれた三人は柔らかに微笑んだ。約束した、と告げるかの
ように。口には出されなかったけれど、確かにそう言われた気がしてエリオットは安堵の吐息を漏らした。

「では、僕はここで皆さんをお見送りしますね。心配しなくても皆さんが行かれたら城に戻りますから」
「うん、じゃあエリオット君は待っててね。お母さんの事、よろしく」
「頑張れよ、エリオット。お前の頑張り次第でローランディアとの友好も取り戻しやすくなる」
「・・・・・・はい。頑張ります」

エリオットの見送りの言葉に、ルイセとウォレスは激を贈るようにして、リーヴスは毅然とした様子のエリオットに
微かに昔のリシャールを重ねながら、瞳を閉ざした。追憶に持っていかれそうな自分を叱咤するように。瞳をこじ開ければ
いつもの彼がそこにいる。穏やかな笑みで自分の内情を全て覆った、常の自分に。

「では、そろそろ行きましょう。ティピ君の事もあります。あまり悠長にしている時間はない」
「はい!じゃあ、テレポートするから皆掴まって!」

ルイセが詠唱を始めたので、エリオットは下がり、ウォレスとリーヴスはルイセの元へと集う。詠唱も架橋に入ると
三人を大きな魔方陣が包み込む。中空でルーン文字が渦を巻く。大気中のグローシュがルイセのロッドへと吸収され、
次の瞬間、三人の姿は強い光の中へと消えていた。

「・・・・・・行ってらっしゃい」

ひっそりとした邸内で一人残った少年の親しみの篭もる声だけが小さく響いた。





◆◇◆◇





「・・・・・カーマイン、陛下からお前に召集令が掛かっている」

コンコンとドアを二回ノックした後、ドアを開けてアーネストは言い放つ。その顔は何処か憮然としている。その理由が
よく分からぬ部屋主のカーマインと、彼の肩に座っているティピは小さく首を傾ぐ。しかし、昨日の今日だ。きっと心配性な
アーネストの事、体調を崩して間もないのに呼び出しを受けた事を案じているのだろう、とカーマインは勝手に納得して
今まで腰掛けていたベッドの縁から立ち上がる。そうしてアーネストの横を通り過ぎようとして、パシと肩を掴まれた。

「・・・・・・何だ?」
「体調は・・・・・?」
「大丈夫、そう悪くない」

にこりと微笑むカーマインを一瞥して、アーネストはすぐに紅い視線を彼の肩に座っているティピへと移す。
基本的にカーマインは不調を顔に出しはしない。しかし、この妖精はそうではないだろうと踏んで。カーマインが隠している
であろう事をカーマインから探るより、彼の傍近くで一部始終を見ているだろうティピから探る方がよほど楽で確実な
方法のはずだ。じっと眼を凝らせば、アーネストのそんな考えが分かったのだろうか、ティピは顔を見られぬようサッと
カーマインの背後へと身を隠す。それが逆に何かあると確信させる事とは知らずに。

「・・・・・・・いいか。何度も言うようだが、何かあったら俺に全て言え。大方の事は俺が何とかしてやれる」
「ああ、何かあったらな」

念を押すように言っても、はぐらかすような微笑が返ってきてアーネストの表情は憮然から不機嫌へと露骨に変貌する。
眉間の皺が深く深く刻み込まれた。それでもカーマインは相好を崩さない。意地の張り合いならば、アーネストに勝ち目はない。
暫し瞳を細めていた彼も諦めたように息を吐き出し、顔を上げるとカーマインの肩に乗ったティピを摘み上げた。

「ぎゃ、ちょっと何すんのよぉ!!」
「お前が付いていったら話がややこしくなる。俺と一緒に残っていろ」
「あれ、アーネストは行かないのか?」
「ああ、呼ばれたのはお前だけだ。お前だけで来いとも言い付かっている」

そう?とカーマインは首を傾げ「じゃあ、ティピの事よろしく」と言い残し、部屋を出て行こうとするが、一度振り返り、ちらと
ティピへ一瞥をくれる。それはきっとアーネストと二人きりになっても例の事は言うなと口止めしているかのよう。
目が合ったティピもそういう事だろうと納得し、なるべくアーネストと話さないようにしようと心掛けるがそうも行かず。
カーマインが外に出て、足音が遠ざかると狙い済ましたかのように、アーネストはティピを自分の眼前へと固定し、目を
逸らせないようにする。

「さて、お前とカーマインは何を隠している?」

低く問えば、ティピはぎくりと小さな肩を揺らすが、カーマインとの約束を破らないようにと必死に唇を引き結ぶ。
歯を食いしばっているので、正面から見るアーネストにはそれが酷く愉快な顔に映るが、それを口に出せばきっと
噂のティピちゃんキックをお見舞いされるだろうから黙っていた。代わりに彼女を見る目を更に訝しむそれへと変える。

「・・・・・もう一度問う。お前たちは何を隠している」
「・・・・・・・・・言わないもん」
「黙秘でもする気か?アイツとはともかく、お前となら耐久戦は自信があるが?」

いつまで睨めっこする気か、と何処か愉快そうに質されれば、負けん気の強いティピは反発するかのようにキッと表情を
更に引き締める。何処までその態度が続くか内心愉しんでいたアーネストだったが、次第に彼女の必死さと真剣さが重みを
増してきたため、溜息を吐く。

「・・・・・・・お前はおしゃべりだと聞いていたんだがな」
「・・・・・・・・・・な、誰に!?」
「カーマインに。しかし、責任感が強いというのもまた事実のようだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

恐らく、ティピはカーマインと何らかの事を隠している。しかし、カーマインに口止めされている以上、おしゃべり好きな
ティピといえど簡単に口を割りそうにない。それ以上に泣きそうなほど必死な彼女にこれ以上追求するのは可哀想になって
きてしまった。アーネストはどうしたものかと逡巡するが、ここは仕方なく譲歩する事にする。

「・・・・・・分かった。お前にはもう聞かん。だから、そんな顔をするな。アイツに俺が苛めたと思われる」
「・・・・・・・・・・・ライエルさん」
「本人に聞く。それより、カーマインにはああ言ったが・・・・お前は彼について行ってくれないか?」
「・・・・・・・・・・・はあ?」

今更、付いていけとはどういう事かとティピはアーネストを見上げる。血の気の薄い真っ白な顔は何処か物憂げで。
アーネストも何か、隠しているように感じた。その直感の侭に口を開けばアーネストは微かに表情を歪める。

「・・・・ライエルさん、ライエルさんこそ何を隠してるの?」
「・・・・・・・・・別に、隠してるわけじゃない。俺は・・・・今の陛下にカーマインを会わせるのが嫌なだけだ」
「・・・・・・・・何で?」
「今の陛下は・・・・・・狂っている。人の傷を広げて愉しむような・・・・無垢ゆえに残酷な真似をする子供のように」

今のリシャールは、例えば命の重さを知らない子供が小さな蟻を踏み潰す事に何の罪悪感も抱かぬような、そんな
無邪気ゆえの残酷さを持っている。むしろそれより酷い。狂気に冒された彼は、何をするか分からない。昨日の自分に
したように、傷を抉って己への忠誠心を推し量ろうとしているのかもしれない。大事な者を盾に取られて、苦痛を押し付け
られているかもしれない。悲しい思いをさせられているかもしれない。それを考えるだけでアーネストの胸は痛む。
自分が知らぬところで、傷ついて欲しくなどない。しかし、自分が出て行けば、リシャールは確実に自分の、カーマインへの
想いに疑いを深める。そうなれば、カーマインの事を殺そうとするかもしれない。それだけは避けねばならない。
だから、迂闊に自分が出て行って守るわけにはいかないわけで。

「・・・・・お前ならば、誰にも見咎められずに彼に付いていく事が出来るだろう。俺は出て行くわけにはいかないんだ」
「・・・・・・・・・・・どうして?」
「・・・・・・・・彼の命を守るために、としか言いようがない。とにかく、今は何も聞かずに言うとおりにしてくれないか?」

懇願するような響きにティピは、何が起こっているのかさっぱり分からないが、きっと凄く大事な事なのだと解して、
こくりと一度大きく頷く。

「・・・・・・よく分かんないけど、アタシもアイツに死んで欲しくなんてないから・・・・・行くね!」
「ああ、気をつけてな。・・・・・・羽虫」
「羽虫じゃなーい!!ティピよ!!」
「・・・・・・・・・・分かった、頼んだぞ・・・・・・・・・・・・・・・・・ティピ」

やたらと長い間は聞かなかった事にして、ティピはカーマインが向かった謁見の間へとなるべく人目につかぬ天井際を
飛んで行った。室内に残ったアーネストは扉を閉めると、額に手のひらを当てて深く深く何もかもを吐き出すように
溜息を吐く。その表情は大きな手のひらに隠されて窺えない。

「・・・・・・・・俺は、本当に能無しだな・・・・・・・・・」

想いが深くなればなるほど、何も出来なくなる。何かしてあげたい、力になってあげたいと思っていても、恋慕を
抱いている限り、風除けになる事すら赦されないで。あの小さな少女の方がよっぽどカーマインの役に立つ事が出来る、
それはとても、羨ましくて・・・・。唇を、血が出るほどに強く噛んだ・・・・・・・。





◆◇◆◇





「お呼びでしょうか。陛下」

謁見の間で、優美に足を組むリシャールへとカーマインは頭を下げる。その様をティピは飛び回って見つけた隙間から
入り込んで上から見下ろしていた。羽をしまったので、光でばれる事はないだろう。しかし、二人から遠い場所にいるので
話が時折よく聞こえない。もう少し近づけないかと物陰に隠れながらこっそりと飛んでいく。その間もそれを知らぬ二人は
会話を続けた。

「・・・・・・カーマイン、お前は今までよく働いてくれた。しかし、これからはより以上に働いてもらいたい」
「・・・・・・・・はい、それはそのつもりですが・・・・・・・?」
「それを聞いて安心したよ。何やらローランディアの連中に動きがあったようだ。恐らく奴らは何か仕掛けてくるだろう」

気を引き締めてくれ、と。穏やかに告げられてカーマインは若干違和感を覚える。

「・・・・・それだけですか?」

それだけの事なら、自分一人だけを呼んだ意味が分からない。アーネスト伝に聞いても差し支えのなさそうな事だ。
なのにここには彼すら置いて一人で来いと言われた。何かあるのではとカーマインが疑って掛かっても仕方のない事。
リシャールもそれは承知なのか唯、笑っていた。

「そう急くな。お前だけ呼んだのにはちゃんと意味がある」
「・・・・・・・・・・・・何でしょう?」
「先ほど言った仕掛けだが。お前の嘗ての仲間が来る可能性が高い。故に、お前には餌になって貰おう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・俺が、ですか」

心底意外そうにカーマインが応えれば、リシャールは更に笑みを深める。

「お前以外に誰がいよう。奴らに気を許したフリをして確実に討て」
「・・・・・・・・それは・・・・・何故、アーネストには言わないのでしょうか。彼は・・・・俺の上官ですよ一応」
「アイツは、この事を言えば変に情をかけるだろう?それでは上手くいく事もいかなくなる」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

確かに。あのアーネストならばきっと彼らの命は取れない。それは自分も一緒なのだが。しかし、それをリシャールに
気取られるわけにはいかないとカーマインは平静を保つ。今まで、信用を得る為に人々を斬ってきた。余計な犠牲を
出さぬようにと最小限で。こうして彼らの命をいざという時守れるようにと。今がその時だ。ここで失敗すれば自分は
此方にいる理由の半分は失う事になる。失態は許されない。

「・・・・・・・・分かりました。一応、出撃の準備をしておきます」
「ああ、頼むぞ。不安要素は全て排除しておきたい」
「はい、御心の侭に」

恭しく頭を下げてカーマインは踵を返す。その背中にぼそりとリシャールは呟いた。

「さて、命令反故を犯すのは・・・・・・どちらかな」

どちらが命令違反をしても愉しそうだがな、とリシャールはカーマインに聞こえぬように咽喉を鳴らした。
しかし、二人の話をよく聞くために、とすぐ近くまで身を寄せていたティピには聞こえていた。それを聞いたティピは
何やら嫌な予感がし、リシャールに気づかれぬよう、初めに室内に入ってきた隙間から出て行く。
シンと静まり返る王の間には主一人。組んでいた足を元に戻してゆっくりと大きな椅子に身を寛げる。
蒼い瞳は鋭く細められ、ティピが出て行った方角を睨み据えていた。実を言えば、リシャールには初めからティピが
この部屋で盗み聞きをしている事が分かっていた。誰の差し金かも含めて。しかし、放っておいたのは逆に都合が
いいと思ったから。

「どうやら、命令反故を犯すのは・・・・あの男の方になりそうだ」

この捕り物は上手くいきはしない。必ず、アーネストがカーマインの気持ちを汲んで邪魔をするだろう事が手に取るように
分かるから。命令違反はどちらがしてくれても良かった。どちらがしても、同じ結果にしかならないから。唯、昨日の今日だ。
あれだけ脅しておいたアーネストがカーマイン一人だけ呼び出された事に不審を感じないわけがない。だから、これは
初めからアーネストもしくはカーマインの裏切りを想定した罠だ。どちらが裏切っても悲劇しか起こらない。
苦痛に歪む人の顔ほど愉快なものはないと、狂気の渦の中に身を浸したリシャールは刻一刻と近づく宴の始まりに
咽喉が枯れるほど哂い続けていた―――






◆◇◆◇






ザアザアと。突き刺さるような雫が何度も何度も肌を打つ。雷鳴が轟き、轟音と共に世界の色が反転する。
激しい嵐の中、鮮やかな三色が雨に打たれながら、眼前の城門を睨み据えていた。一人は紫髪の青年、そして
桃色髪の小柄な少女と義眼の巨漢、妙な組み合わせ。しかし共通の思いを持った三人だった。吐く息が白い。
雨水が礫のように痛めつけてくる。身体の熱を奪う。それでもただそこに立っていた。思いがあるから。

「・・・・・さて、ここまで来たはいいけど、次はどうしますかね」
「正面突破、なんて頭の悪い事はさせんでくれよ?」
「そうですね〜、流石に三人で突入なんて集団自殺に来てるようなものですからね〜」

ハハハと笑えない状況の中、リーヴスは笑う。

「・・・・・・・・出てくるのを待ってるってのも・・・・・勘弁だぜ。この雨の中立ちっぱなしじゃハゲる」
「うわあ、それは頂けないですねー。僕、美しいのが売りですからー」
「ほう、そうなのか。生憎俺にはお前さんの顔が見えんがな」
「あっはは、それは物凄い損をしてますよウォレス殿ー」

何にも先を考えていなかったのか、リーヴス、ウォレス双方ともアホみたいな話に花を咲かせる。当然一人取り残されている
ルイセは沸々と怒りを込み上げさせていく。文句を盛大に口にしようとしたところで一際大きな雷が鳴った。どうやら近くに
落ちたらしい。そこら中の外灯や、目前の城の中の電気が消えた。この周辺は停電したようだ。

「お、これはツイてるっぽいですよ」
「・・・・・・・・・・・・だな。侵入しやすい」
「・・・・・っていうか・・・・・二人とも本当に何も考えないで来たの・・・?」

あまりに暢気な事を言う大人二人にルイセが呆れたように言えば、二人とも悪戯っ子のように笑って。

「「未来の事は考えない主義なんだ」」

仲良く声をハモらせて、言う。ルイセは頭痛を覚えた。こんなんで上手くいくのかと。否、上手くいくはずもない。
どうやらエリオットとの約束は果たせなそうだとルイセが深々と溜息を吐いた瞬間、また近くに雷が落ちる。視界が反転し、
周囲のものが光のせいでよく見えない。しかし、その強烈な光の中に人影のようなものを見つけてルイセは口をパクパクと
開いては閉じる。彼女のそんな様子に気が付いてリーヴスとウォレスの視線も注がれる。といってもウォレスにはシルエット
程度しかものが見えていないが。

「・・・・・・・・あ、お兄・・・・ちゃん・・・・?」

呆然とルイセが呟いた人物が、雷鳴に照らし出される。降りしきる強い雨の中、視界もろくに利かぬ中だというのに、
その匂い立つような美貌も、金銀に煌く異彩の双眸もはっきりと見える。そしてその綺麗な瞳には一切の感情が込められては
いなかった。無機質な人形の瞳。真正面で受け止めるルイセは震えが止まらずにいた。

「あ・・・・あ・・・・お兄ちゃ・・・・・」
「ルイセ君、しっかり!」

ガクガクと目に見えて震えだした小さな肢体を受け取りリーヴスは肩を掴んで揺らす。気を取り戻させるように。
そしてルイセに代わり、城の前に立っているカーマインへと問うた。

「カーマイン君、どうして君がここに・・・・」
「・・・・・・・急に、主の気が弱まった。それはグローシアンが近くにいる事を意味する」
「だから、のこのこと姿を現したってわけか、カーマイン。いくらお前でも・・・・三対一は分が悪いんじゃねえか?」

話し合いでは済まないだろう事を想定してウォレスは義手をかちりと回し、臨戦態勢を取る。リーヴスもまたルイセを背後に
庇うように鎌を取った。

「・・・・何だ、お前たち。俺を潰しに来たのか。ティピの話とは随分違うな・・・・・」
「!ティピ君、やはり君のところへ来ているのか!」
「・・・・・・・・目的はティピの奪還か?それなら悪いがあいつは今はいないぞ」
「違う!彼女の事もそうだが・・・・僕たちの一番の目的は君を連れ戻す事だ!」

ぱしゃりと、地面に築かれた水溜りを踏んで、カーマインが一歩近づく。表情は相変わらずない。何を考えているのか
分からず、知らず三人は一歩下がる。いたちごっこのようだ。

「・・・・・・俺を、連れ帰る・・・・・ね」
「そうだ、君は僕たちには必要だ。君に、帰って来て欲しいんだ」
「・・・・・・・・・ふぅん。悪いが、俺は帰るつもりなど毛頭ない」

カーマインも腰に帯びた鞘から愛剣を引き抜き、構えを取る。つまりは交渉は決裂という事だ。

「・・・・・・やっぱり、そうくるかい。でも僕たちはそれでも君を連れ帰るつもりだから」
「ほう、力尽くというわけか。謀反のインペリアルナイト殿も随分と粗野な真似をなさる」
「・・・・・その名は今は捨てている!新たな王を迎えるその時まで僕は・・・・その名を捨てる」

それはオスカー=リーヴスの決意の現れた言葉だった。しかし、カーマインはそれを軽く流す。元々話すためにここへ
来たわけではない。彼らに、全てを諦めさせるために、ただそれだけのために自分はここに来たのだ。心を揺るがされては
ならない。カーマインはここで漸く表情といえるものを浮かべる。それは、酷薄な笑み。

「・・・・・・・ならば、永遠にその名を捨てさせてやろう。新たな王など・・・・立たせはしない」

雷鳴を背後に、武器を煌かせ、黒い影が大きく斬りかかる。




かくして最も最悪で、最も悲愴な戦いが始まった―――









雷鳴轟く嵐の中、始まった戦いは。

それぞれの足元の溜りを紅く染め、血の海を築く。

奪われるもの、失うものは多く。

得るものなど一欠けら程もない。

それでも戦い続ける様は、滑稽で。

決着が付いたその時に、涙するのは誰か。

血の海に沈むのは誰か。



―――全ては霞んだ死角に消え失せる。







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えー、今回非常に中途半端なところで終わっております。
続けて書くと物凄く長くなるので一度切らせて頂きました(汗)
アニーは何してるんだって話ですが、次回ちゃんと序盤から出てくるかと。
そしてボロボロになったり、美味しいところをポッとでのXXさんに取られたりと
踏んだり蹴ったりな目に遭うと言う・・・・(ネタバレしまくりですよー)
でも知らないところでいい思いもしたり。次回はえー(と自分でいいそう)な展開です!

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