茨姫の棺 吐く息は白く、冷たい雨が肌を穿つ。 轟く雷鳴が、身代わりのように叫び、吼える。 もしもこの身が朽ちる事がなければ。 紅い雨が降り注ぐ事もなかったろうに。 どんなに嘲笑おうと、悔やもうと。 一度崩れた歯車は、二度と元には戻らぬけれど。 ただ、願わくは・・・・・・・・。 Act:7 血の海に沈むのは。 雷鳴を背負った、黒き騎士の振り下ろす剣閃が周囲の飛沫を弾く。 鋭く、躊躇いすら感じさせずに打ち込まれた銀の刃を、長い鎌の柄でリーヴスは受けた。 刃と柄がぶつかり合った瞬間、両者の腕に痺れを齎すほどの負荷が掛かり、受けたリーヴスは弾き返すだけで 精一杯だった。擦れた金属同士が摩擦で火花を散らす。地面の水溜りに足を取られながらも、弾き返されたカーマインは 持ち前の素早さと獲物の軽さが手伝い、すぐさま体勢を整え、リーヴスの鎌を振り下ろすまでにかかる時間を考慮に 入れた上で、身を低くして足元を狙った下段攻撃を繰り出すがしかし。それよりも早く、リーヴスの隣に立っていたウォレスが 動く。普段あまり使わぬ、ブーメラン形状の両刃剣をカーマインの眼前へと打ち落とした。 「・・・・・・・っと」 カーマインの人並み外れた反射神経がなければ、確実に身を貫かれていたであろう、それをカーマインはやはりギリギリで 後方に飛び退る事で回避する。地面に深々と剣先が突き刺さった。そんな事は始めから承知だったウォレスは地面に刺さった 武器を拾いもせず、予期せぬ場所からの攻撃に若干体勢を崩し、地面に片膝ついたカーマインに直接拳を穿ちに出る。 金色に輝く義手が眼前に迫ってくると、カーマインは特に慌てもせず、それどころか不敵に笑った。 「迂闊に腕を振り上げない方がいいよ・・・・?」 「・・・・・・・何っ!?」 今、周りがどうなってるか考えてごらん?と微笑を浮かべつつ告げるとカーマインは今も雨が降り注ぎ、尽きる事なく 波紋を描いていく水溜りに素早く印を描く。目の不自由なウォレスには微かにカーマインが地面に指先を彷徨わせたように しか映らない。何をしているのか、そんな事を考えつつも自身の拳の動きを止めずにいた瞬間、黒雲が青白く光り、そして 振り上げて高く聳えたウォレスの義手へと目掛けその光が降ってくる。落雷だった。 「危ない、ウォレス殿!!」 リーヴスの強い声が背後で響き、ウォレスは咄嗟に身を引かせたが、僅かに遅くその身に自然の脅威を受ける。 苦悶の声がその場に落ちた。しかし、何とか直撃は免れたので命に別状はないようで。息を弾ませ、落雷を受け部分的に 焦げ付いた義手を抱え込みながら黒衣の巨漢は蹲った。 「・・・・ウォレス殿、大丈夫ですか!?」 「・・・・・・・ああ、何とか。しかし、腕が・・・・・・」 「・・・・・・!ルイセ君、早く治療を!!」 「!!・・・・は、はい」 未だに放心状態にあったルイセへ回復を命じながらも、リーヴスは傷を負ったウォレスを庇うように立ち、ゆっくりと片膝を 着いていたカーマインが立ち上がる様を見咎めた。雨に濡れ、ぼたぼたと雫を滴らせる黒い前髪を掻き上げて、カーマインは 全く感情のない白皙の面を、鋭い視線を寄越してくるリーヴスへと向ける。 「・・・・・君は、わざとウォレス殿に雷を落としたのか!?」 落雷前のカーマインの意味深な言葉、そして行動から導き出される結果を問えば、それまで無表情だったカーマインは ふんわりと、一番初めにリーヴスに斬りかかる前に向けたものとも、先ほどウォレスに向けたものとも違う、蕩けるような 微笑を返した。それはとてもこの場には似つかわしくなく、美しい笑みだというのに逆に背筋を凍らせるような衝撃を受ける。 氷の微笑だ。目前でそれを見遣ったリーヴスは思う。触れたらそこから凍りつくような危険な表情。無表情よりも性質が悪い。 何事も口にしていないのに、その通りだと言わんばかりの微笑にリーヴスは底知れぬ恐怖と、怒りを覚える。 「・・・・・・雷が落ちたのは不運だったな、俺はただ、雷雲をここに集めただけ。それに忠告はしたよ・・・・?」 「・・・・・・・・・忠告・・・・・・・・・?」 「ああ、迂闊に腕を振り上げるんじゃないって。金属を空に掲げればそこに落としてくれと言ってるようなものだ」 「・・・・・・・・ッ、君は、分かっていて・・・・・・!!」 自分が低い姿勢にある時に、ウォレスかリーヴスが武器を掲げればそこに雷が落ちるように雷雲を呼んだ。 そんな真似が出来るとはと一瞬驚いたが、魔法のサンダーを応用すればさほど難しい事でもない。驚くべきは、嘗ての仲間に 雷が落ちるであろう事が分かっていながら躊躇いなくそれをしたという彼の行為そのものだ。向かってくる者は容赦なく 斬り捨てるといっているようなもの。ルイセに治療を受けているウォレスを庇いながら、リーヴスはカーマインに疑念を 抱き始めていた。 「・・・・・・カーマイン君、何故・・・・こんな事を・・・・・」 「何故・・・・?物分りが悪いな。言ったろう、貴方にインペリアルナイトの名を永遠に捨てさせると」 「・・・・・・・・・それは、僕を殺すという風にとっていいのかい?」 「好きに取ればいい。俺の任務は・・・・邪魔者を排除する事だ」 言いながら、カーマインは考える。何を言い、何をすれば彼らは諦めるのかと。ウォレス、ルイセは分からぬが、少なくとも リーヴスはカーマインに対し、迷いを抱いている。切り崩すならば、やはりここからだろうか。剣を構えつつも、思案を巡らす。 今のように、命を奪わずとも戦力を削ぎ、尚且つ自分を恨ませる方法を。落雷を起こしたのは、咄嗟とはいえ、中々上手く いった。リーヴスは戦いの最中で少し冷静を失いかけているため、気づかないのだろうが、金属類は確かに雷を集める。 しかしそれ故にそれを身に付けた者が落雷を受けた時、逆に金属へと熱エネルギーは集中し、人体の身を守るのだと。 つまり、命が助かる事が分かっていてカーマインは多少手荒いが雷が落ちるように仕向けたという事だ。決して命を奪うために 戦っているのではない。彼らの命を守るために、自分の事を諦めさせ、恨ませ、自分たちの回復のために撤退させようと しているわけで。そうするには、まず戦える二人を戦闘不能にしなければならない。そして残るルイセに二人を連れて 撤退するように仕向ける。殺さずに生かす、というのはただ殺すよりも遥かに難しい。カーマインはそうとは気づかせぬよう 頭を悩ませつつも、僅かに殺気立つリーヴスを煽る事にした。 「さて、次は貴方の方を排除させてもらおうか・・・・・リーヴス卿?」 「・・・・・・・君は、本当に帰ってくるつもりはないのか!?」 「・・・・・・・・・・・くどい」 説得などさせるつもりはない。そう、告げるようにカーマインはリーヴスへと向かい、再度斬りかかる。彼が受け止められるよう、 わざと身のこなしを派手にして。脚を大きく開き、上体を捻り上げ、顔面辺りへと剣を凪げば、思惑通りにリーヴスはそれを 今度は鎌の刃で受け止めた。柄とぶつかった時と違い、剣と鎌では刃の大きさが違う。力で圧せばリーヴスに有利だったが しかし、リーヴス側としては、こうして戦うのではなく説得へと話を持って行きたいたいがため、反撃に出る事なく、そのままの 姿勢で堪える。 「カーマイン君、よく考えるんだ。本当に君はそのままでいいのか!?」 「・・・・・・・悪ければとっくにそちらへ戻っている。というか初めから裏切りはしないと思わないか?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ッ」 「それとも、そんな簡単な事すら理解出来ぬほどお前たちは愚かなのか・・・・?」 酷薄に、笑む。侮蔑の表情をまっすぐに受けてリーヴスは僅かに眉を顰めた。降り注ぐ雨が目に入りそうになって、 思わず目を瞑ればその瞬間にカーマインの容赦ない蹴りが上段で鎌を構えているためにがら空きな腹部へと入った。 油断している中、細い見た目のどこにそれだけの力を秘めているのか不思議で仕方ないカーマインの蹴りを、躱す事も 出来ずダイレクトに食らってしまったため、リーヴスは数メートルほど後方に吹き飛ばされた。蹴られた腹を片手で押さえ、 地面に蹲りながら何度か咽る。その隙を突いて、無慈悲な剣先が振り下ろされる。リーヴスはかなり不味い体勢ながらも 何とか片手で鎌を繰り、剣を受け止めた。しかし押し返す力はない。ギリギリと上から圧力が掛かってくる。鋭い銀の刃が 刻一刻と自身の顔へと迫ってきた。これまでかと、リーヴスが諦めにも似た笑みを口の端に浮かべた瞬間、カーマインの 剣が空中に弾き上げられた。突然の事に金銀の瞳と青灰の瞳が背後を向く。 「・・・・・・・まだ、動く力があったか・・・・・・・・」 「・・・・・ルイセ君、ウォレス殿・・・・・・・・」 「・・・・・勝手に、戦闘不能者にするのは・・・まだ早いぜ」 感嘆したようにカーマインが呟いた先にはルイセに回復してもらい、多少動けるようになったウォレスの姿。しかし、ルイセに 支えてもらって立つのが精一杯というところ。今、カーマインの剣を弾いたのは先ほどまで地面に突き刺さっていた彼の武器、 レイスラッシャーだったようだ。そちらに気を取られていると、カーマインの下で蹲っていた筈のリーヴスが鎌を上向きに 振り上げた。完全に余所を向いていたカーマインは反応が遅れる。おまけに武器は弾かれてしまった。何とか体捌きで躱そうと しても泥濘に脚を取られ、体勢を崩す。 「・・・・・・・ちっ」 どうやら避けられそうにない、とカーマインは舌打ち、自らの肢体に刃を受ける覚悟をした。対するリーヴスはカーマインが 避けるだろうと思って鎌を振り上げたため、彼にその様子がない事に戸惑う。しかし、一度振り上げた武器は止まらない。 雷鳴が轟き、肉を断つ嫌な音と共に空中に緋色が舞い、足元の水溜りまでも紅く染めていく。しかし苦痛の声はカーマイン からは上がらず、彼よりももっと低い呟きがその場に落ちた。 「・・・・・・・・くっ」 「・・・・・・・・・・・え?」 間抜けた声を上げたのは武器を振り上げたオスカーだった。青灰の瞳をしきりに瞬く。額から、汗とも雨水とも取れぬ 雫が伝ってきた。また瞳を閉じる。そして開けばそこに立っているのは、本来傷を負っているべき黒髪の青年ではなく、 彼と相反する色合いをした長身の男性――アーネスト=ライエルだった。 「・・・・・アーネスト!?」 リーヴスが叫ぶ前に、アーネストの右腕に抱えられたカーマインが声を上げる。どうやら彼は、アーネストによって 庇われたらしい。腕の中に納まっているカーマインには傷がなく、前に突き出されたアーネストの左腕からはぼたぼたと 雨に混じって血が滴り落ちていた。真っ白な制服が急激な速さで緋色に染まっていく。破れた布の下からは抉るような深い 一筋の傷痕。肘から肩口に掛けて大きな裂傷がそこにはあった。見ている者は思わず目を逸らしたくなるほど酷い傷。 それを受ける筈だったカーマインが蒼白になるのは仕方のない事で。 「・・・・・・アーネスト、何で・・・・っ」 「・・・・言ったろう、一人で戦うなと」 傷の痛みを面にも出さずに、アーネストは息を白くしながらカーマインを抱えて数歩下がる。リーヴスは呆気に取られながらも 何とか立ち上がった。銀の鎌から緋色の血が滴っていく。雨足がより強くなった気がした。足元の紅い溜まりが益々広がり、 血の海に浸っているような錯覚を起こす。かなり酷い傷を負ったアーネストの絡んでくる腕を外そうとカーマインは身じろぐが、 逆に引き寄せられ、耳元に低い音を囁かれる。 「・・・・・お前は下がれ」 「な、何を言って・・・・まさかそんな傷で戦う気か!?」 「・・・・・顔色が悪い。こんな雨の中に長時間いれば命を縮めるぞ」 「それは君も同じだ!出血がひど・・・・ぐ、ごほっ」 叱咤する前に、自分の身体の方が持たず、カーマインは蹲って咳き込む。血だけは吐かないように、と懸命に堪えるが、 咳を無理に飲み込もうとすれば逆に吐き気が込み上げてくる。激しく上下する背を、無傷な方の腕でアーネストは擦り、 落ち着いたところで背後に細身の身体を押しやる。 「ちょ、アーネスト!」 「俺はこの程度の傷でどうにかなるほど柔じゃない。お前たちの相手は俺が引き取ろう」 リーヴス、ウォレス、ルイセへと向き直ってアーネストは笑う。左腕には血を纏わせているというのに、痛みを感じさせぬ 毅然とした態度に他の四人の視線が集まった。それらの視線を全く気にせず、アーネストは二振りの剣を取り出す。 通常のものよりも長いそれをゆっくりと鞘から引き抜き、膝を屈めて臨戦態勢に入る。 「さて、誰からかかってくる・・・?俺はあいつほど甘くはないぞ」 「・・・・・そんな傷でどうやって戦うって言うのさ。いくら君でも不利な事くらい分かるだろう?」 「分からん奴だな。この傷があってもお前たち相手に困りはせん。いわば、ハンデみたいなものだ」 「・・・・・・・ウォレス殿、ルイセ君、下がっててくれますか?」 「おい、リーヴスまさかそんな挑発に乗る気じゃないだろうな」 身構えるアーネストと対を成すようにリーヴスも腰を落として構えた。まだ全力で動く事の出来ぬウォレスはそんな リーヴスを嗜める事しか出来ず。その間も雨は止む気配なく降り続いていく。ウォレスの言葉にリーヴスはただ笑った。 子供のように。 「お互い、長期戦は出来ません。それに彼は倒されるまで譲ってはくれなそうだ」 「・・・・・・・・そういう事だ。カーマインに用があるなら、先ず俺に通してもらわねばな」 「・・・・・・・・・・・・・・・・アーネスト」 リーヴスと話している間に、背後からカーマインが心配そうに声を掛ける。 「・・・・・カーマイン、上官命令だ。絶対にお前は手を出すな」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 「へえ、随分と面倒見がいいじゃない?」 「・・・・・・・・・お前の知ったところではない」 これ以上の与太話は許さないとでも言うように、アーネストはリーヴスへと剣を凪ぐ。甘くはないと言った通り、その剣の 鋭さと迅さは常人ならば一刀両断にされていたろう。鎌で受けるには迅すぎた剣閃をリーヴスは仕方なく身を引いて 躱す。しかしアーネストは二刀流だ。一撃躱しても次がある。むしろ二撃目が問題だ。初撃よりも重心が掛かっている分、 スピードが増す。今まで何度も打ち合いをしているリーヴスは眉間に皺寄せてタイミングを合わせて身体を大きく回転させ、 鎌を振り切る。ガチリと互いの刃が交じり合う。押し返されぬよう、アーネストは左右の剣をクロスして力を込めた。 左腕から血が噴出す。裂傷が広がった。それでもアーネストは呻き声一つ上げず、リーヴスごと弾き飛ばす。一度体勢を 崩されれば獲物がでかい分、立て直しに時間を食う。リーヴスが体勢を完全に立て直す前にアーネストは防御の構えを 取ったリーヴスの鎌を怪我をしていない方の腕に握られた剣で、下から突き上げ、鎌が浮いたところで左腕の剣を 急所を避けた肋目掛けて薙ぎ払った。 「ぐぅっ・・・・・!」 「リーヴス!!」 「リーヴスさん!?」 鮮血が舞う。リーヴスが紫紺の長い裾を翻し、地面に倒れこむ。以前にも遭った状態。傷口を押さえながら、彼は自分を 冷たく見下ろす親友を見上げた。その表情は何処か朦朧としている。態度には表さないが、左腕の夥しい出血で彼はもう 限界なのだ。きっと立っているだけで精一杯なのだろう。そこまでしてカーマインを守ろうとする彼にリーヴスは戦意を 喪失してしまった。ああ、きっと何もかも手遅れなのだと。彼らの信頼は自分たちが思っていた以上に厚いのだと。 互いを裏切る事など出来ないのだと、思い知って。 「・・・・・・アーネスト、君・・・・は彼を・・・・・・」 好きなのか、と続けようとすればリーヴスの眼前にドスッと剣が突き立てられた。黙れと、緋色の瞳が言っている。 行動は怒りに満ち溢れているのに、雨を浴び、いつも以上に白い面はどこか悲しげに歪んでいた。リーヴスは突き立てられた 剣よりもそちらに気圧され、口を噤んだ。 「馬鹿な事を言っている暇があったら、命乞いの一つでもしてみたらどうだ」 「・・・・・・それこそ、ナンセンスさ。命乞いなんて恥を晒して・・・・僕が耐えられると思うかい?」 「いいや。お前は格好付けだからな。そんな事する前に自害でもしそうだ」 「・・・・・・・・・・・よく分かってるじゃないか。流石、親友だね」 蹲った姿勢でリーヴスがにっこりと微笑む。これはもう一太刀は浴びせなければ幾らでも噛み付いてくるな、と。 そう本能で察したのか、命を奪うためでなく、相手の動きを奪うためにアーネストは蹲りながらも一度たりとも目を逸らさぬ リーヴスの鎌を握る腕へと、残る銀刃を振り下ろそうと掲げるが、そこでピリと空気の中に焼けるような気配を感じ、 身を引いた。咄嗟のその判断は正しく、アーネストがついさっきまで立っていたその場所に轟々と燃え立つ炎が雨の中で あるというのに地面を焦がしていた。そこだけ築かれた水溜りは蒸発し、地面は乾いた。相当な威力の魔法。 皆の視線が唯一の魔導師であるルイセに集まるが、彼女は回復魔法を唱えている真っ最中だ。彼女の魔法ではない。 では一体誰のものかと視線を彷徨わせれば、リーヴスの背後からコツコツと高い靴音が響く。そこには雨を掻き分けるように して歩む白い導師服の老人がいた。ルイセがリーヴスへと回復魔法をかけ、現れた老人の名を叫んだ。 「ヴェンツェルさん!」 彼女が言うとおり白いローブを纏った老人は、初代シャドーナイツマスターであり、数ヶ月前までバーンシュタインの 宮廷魔術師であったヴェンツェル老師だった。彼はゲヴェルから真の王であるエリオットを庇護していた人物で先日の 王位奪還の際にも協力してくれたルイセたちの恩人だ。今こうしてアーネストへ向けて魔法を放った事から、どうやら 満身創痍な彼女たちを助けに来てくれたらしい。 「随分てこずっておるようじゃな」 「・・・・・・・面目ありません。ヴェンツェル様」 「何、アーネスト=ライエルといえば歴代のインペリアルナイトの中でも 最強と謳われる者、命があるだけでも誇るがいい」 足元でルイセの回復魔法により、いくらか具合の良くなったリーヴスが身を起こす。対してヴェンツェルは僅かに身構える アーネストへとロッドを向け、魔法の詠唱を始める。敵にロッドを向けているという事は恐らく攻撃魔法の筈。先ほどの火炎系 魔法の威力を見れば直撃しようものなら命に関わる。しかし、アーネストはあまり魔法が得意ではない。レジストを唱えた ところで大して意味もないだろう。ならば相手の魔法が完成する前に術者を倒すしかないと駆けようとするが、今まで血を 流しすぎた上に、雨に打たれ続け身体を冷やしたため、一歩踏み出そうとするだけで激しい頭痛と眩暈に襲われる。 アーネストはヴェンツェルと距離を縮める前にガクリと地面に沈んだ。 「アーネスト!」 気づけばすぐ近くまでカーマインが駆け寄っていた。その顔色は今やアーネストよりも青白く、ともすれば今にも死んで しまいそうで。「来るな」と叫ぼうとしたアーネストだったが、もう声を絞り出す気力もなく、また地面に倒れそうになった 身体をカーマインが受け止めるが、その瞬間ヴェンツェルの魔法が完成し発動される。雨雲を割って、空に大きな 魔方陣が出現した。その陣に見覚えのあったカーマインはぎゅっとアーネストの肢体を抱きしめる。自分の身体で 覆い、庇うようにして。衝撃に耐えるように深く目を閉じる。辺り一面が白い光に覆われ、地面に光の束が降り注ぐ。 それは、攻撃魔法では最強のソウルフォースだった。ブスブスと地面だけでなく、空気すら焦がす匂いが充満する。 幸い雨が降っているため、炎が燃え広がったりはしないが。土煙が舞っていて中心にいる二人の様子が分からない。 しかし、きっと酷い有様だろうと誰が見ても分かるほど周囲は焦げ臭かった。ひょっとしたら焼け焦げているかもしれない、 そう思うとそんな恐ろしい光景を見たくはなく、ルイセは隣にいるウォレスにしがみ付く。 「ウォレスさん・・・・二人とも、どうなっちゃったの」 「・・・・・・・いや、俺からは見えん。しかしこの匂いは・・・・・」 震える小さな身体を受け止めつつ、ウォレスは視覚が不自由な分、よく利く鼻で周囲の異変を感じ取るものの、やはり 姿は見えない。ちらとリーヴスとヴェンツェルの方へ視線を寄越すが、向こうも此方と同じらしい。伺うようにカーマインと アーネストがいた方向へ目を向けている。しかし、今の騒ぎを聞きつけ、城内から兵士が出てくる。一人がヴェンツェル たちの姿を見咎めると警笛を鳴らし、仲間を呼び集め始めた。怪我も負っているのにこれでは分が悪い。アーネストたちの 様子は気になるが、残っていれば確実に捕らえられ殺される。そう判断し、一番冷静なヴェンツェルがルイセにテレポートで 離脱するよう命じた。 「おい、ルイセ。このままでは不味い。お前のテレポートで脱出だ」 「でも!お兄ちゃんとライエルさんが・・・・!」 「敵の心配をしている場合か。それにあやつらは何かあっても今出てきた兵士たちに手当てされるだろう」 「・・・・・そうだ、ルイセ君。ここは・・・・ヴェンツェル様の言う通りにするしかない!」 「・・・・・・・・でも、でも!!」 「陛下と約束したろう!?今ここで撤退しなければ全員死ぬ事になる。君はそれでいいのか!?」 初め、カーマインに投げかけた言葉を今度はルイセに浴びせながらリーヴスは何とか立ち上がる。ウォレスはまだ迷っている ルイセを担ぎ、リーヴスとヴェンツェルの元へと走る。 「ウォレスさん!?」 「ルイセ、あいつらはそう簡単に死にゃしねえ。それよりも今は自分たちの事を考えろ!」 皆を死なせてえのか!?と誰が聞いてもビクリと震え上がりそうなほどの大音量で叫ぶ。当然泣き虫のルイセは震え上がった。 しかし、真剣で重い響きに担がれながらもテレポートの詠唱を始める。彼らがリーヴスたちの元へつく頃には詠唱が終わって。 敵兵が駆けつけてくる前に四人はグローシュに包まれ、転移した。敵が目前で消え、駆けつけてきた兵士は、一瞬混乱しつつも 魔法の直撃を受けた二人の救命措置を最優先事項にした。 ◆◇◆◇ 「ライエル様、フォルスマイヤー様ご無事ですか!?」 一人の僧兵がヒーリングをかけながら声を掛ける。雨によって大分土煙が晴れてきて、現れた二人は実に意外な状態で あった。と言っても今駆けつけてきたばかりの兵には分からぬだろうが。魔法が降ってくる数瞬前までは確かに倒れ伏した アーネストを抱きしめて庇うような体勢だったカーマインは、今兵士たちによって救出される頃にはすっかり立場が 逆になっていた。抱きしめられていた筈のアーネストが、その大きな肢体でカーマインを覆いつくしている。腕の傷口は 見事に焼け、血が止まっていた。そして大きな背中は見るも無惨なほどに焼け爛れている。手当てに当たっていた僧兵が 悲鳴を漏らした。ガチガチと震えながら再度ヒーリングを唱える。何度も何度も回復魔法を行使して漸く焼け爛れた背が 微かに跡は残るものの、見れるほどに回復し、僧兵は安堵の息を吐く。そして回復の済んだアーネストの方を医務室に 運ぶよう指示し、彼の下敷きになって守られていたカーマインの手当てに移るが、彼の方は殆ど無傷だった。 それはアーネストが必死に庇ったおかげでもあるが、もう一つ彼の指先で光る古ぼけた指輪の力も起因していた。 「・・・・・・フォルスマイヤー様、ご無事ですか?」 声を掛けられ、カーマインはぼうっとしていた瞳をそちらに向け、すぐに運ばれていくアーネストを追った。 「・・・・・・アーネスト、は・・・・無事なのか・・・・?」 「いえ、まだ何とも・・・・・。それにしてもフォルスマイヤー様よくぞご無事で」 「・・・・・・・・・アーネストがまた・・・・俺を庇ったから・・・・・・・」 呟いてぽろとカーマインは涙を流す。慌てたのは僧兵だ。 「ふぉ、フォルスマイヤー様、どこか痛むのですか!?」 「・・・・・・・・何で・・・・・・あんなボロボロな身体で俺なんかを庇ったんだ・・・・・」 「はい!?」 蚊の鳴くような小さな声で囁かれた言葉は慌てふためく僧兵の耳には入らず、カーマインは「大丈夫だ」と一言言い残し、 自力で立ち上がるとアーネストが運ばれた医務室へとよろよろと歩いていく。彼の背後では指輪を行使した代償として 今の今まで降り続けていた雨が突然季節外れの雪へと変化していた。 ◆◇◆◇ カタカタと物音がし、薬品の匂いが漂う医務室の前でカーマインはひたすら医師が出てくるのを待っていた。 どうやらアーネストの怪我は酷いものだったらしい。医務室に運ばれて四時間あまり、未だ部屋から医師は出てこない。 早く容態が知りたいのにと、カーマインはドアの近くで小さく蹲るように腰掛け、息を殺しながら入室許可が下りるのを 待ち続ける。そこでようやくドアが開き、白衣に身を包んだ中年の男性が出てきた。 「あ、あの・・・・アーネ・・・ライエル卿は?」 医師の姿を見咎めてカーマインは勢いよく立ち上がり、問い詰める。ドアに押し付けられるようにして迫られた医師は 落ち着くよう促してから、小さな声で告げる。 「命に別状はありません・・・・ただ数日は動く事は出来ないでしょう」 「・・・・・・・そ、そうですか」 「様子を見たいのならどうぞ。私は少し席を外しますので」 「・・・・・・あ、すみません」 軽く会釈し、回廊へと姿を消す医師にカーマインも頭を下げ、そして医務室のドアをノックし、中へと入った。 奥の窓際にカーテンで仕切られたベッドにアーネストは横たわっていた。左腕と上半身に包帯を分厚く巻かれている。 血を流しすぎて顔色が優れない。それでも寝息は安定し、胸も呼吸の度に上下しているので、カーマインは我知らず 安堵の息を漏らす。それから、アーネストの血の気の失せた頬へとゆっくりと手を伸ばす。雨で冷え切った体温を 暖めるように撫で、怪我を負った左腕をそっと抱きしめる。力を抜いて抱きしめた筈なのにそれだけの刺激で大分 痛むらしくアーネストは小さく呻いた。カーマインは慌てて抱きしめた腕を元に戻し、いたたまれぬ表情で苦しげに 眉根を寄せるアーネストを見下ろした。 「・・・・・・・どうして・・・・君だけがこんな・・・・・・・・・」 ぽと、とまた頬を涙が伝った。自分は無傷なのに、アーネストだけがボロボロに傷ついている事が耐えられなかった。 カーマインは密かに涙を流し続ける。もしも、アーネストに意識があれば、逆に申し訳ないと思うほどに。視界が涙で ぐちゃぐちゃになったカーマインは自分の心もぐちゃぐちゃになっていくのを感じる。傷に障らないよう、細心の注意を 払って、包帯で覆われた上半身に触れる。指先が力強く鳴り続ける心音を捉えた。それに意識を集中させれば、揺れ動く 心中が少しだけ安定していくような気がした。 「・・・・・こんな、怪我させてごめんね・・・・・・・?」 謝りながら、カーマインはまたアーネストの冷たい頬を擦った。それから、感謝の意を込めるように頬と傷口に柔らかな 唇を押し当て、口付けていく。それはアーネストに意識がないからこそ出来る事だった。以前ならば、意識がある時でも 出来たかもしれないが。今は、気づいてしまったから。この、不器用で優しすぎる人を、愛しいと、恋しいと思ってしまって いる事に。それは、間もなく死ぬ人間が抱いていい感情ではない。おまけに、こんな酷い傷を負わせてしまった。 言える筈もない。カーマインは新たに気づいてしまった事実に蓋をし、瞳を伏せる。せめてアーネストが目覚めるまでは 彼を想っている事を隠さずにいられればと、そんな矛盾した事を考えながら――― 願えば、願うほど。 愛しい人は傷ついていく。 紅い雨など降らせたくないのに。 ただ、守りたいだけなのに。 それでも血の海へと多くのものが沈んでいく。 ―――どうしたら愛しい人たちを守れますか? ≪BACK TOP NEXT≫ あれ、アニーの出番中盤だったよ(アレー?) そして突然現れたのはヴェンツェルさんでした。王位奪還で姿を現しませんでしたので。 というかこの後の展開のために一度はルイセたちの味方として出しておかねば ならなかったので今回無理やり出してみました(おい)予告通りに、予告通りに!と 注意して書いてたらひたすらアニーが可哀想でしかも随分と長くなりました(泡) 次回はまたティピたんとか出てくる・・・んですかね。アニーが助っ人に来た経緯などとか 補足的な話になるかもです。よ、予定です、そして未定です(沈)戦闘シーンはもう 書きたくないですが最低後一回は書かなくては・・・・あわわ。 |
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