ねえ、知ってる?
何かを得るためには何かを失わないといけないんだよ。
人魚姫が足を得るために声を失ったように・・・・・。





黒衣の人魚姫:第一話







ヴェンツェルを、倒した直後に俺はもう全て終わったと思った。
手に握った剣がするりと指の隙間から零れ落ち、硬い床に落ちて大きな音を立てるのも何処か遠い。
視界が全く定まらず、地面もグニャリと歪んで見える。あまりの苦しさに、息をする事すら忘れてしまいそう。
眩暈がして、耳鳴りが聞こえてきて、身体を支える事も侭ならなかった俺は、そこで力尽きた。
床に倒れこむ。皆が叫ぶ声が辛うじて聞こえたけどとても眠くて瞼を上げる事は出来なかった―――





◆◇◆◇






それから暫くして。
深い、深い水底のようなところで俺は目を醒ました。
辺りは暗く、何も見えない。
けれど、怖いとは思わなかった。逆に何処か安心出来る感じがする。
何でだろうと考えてみれば、この場所には自分にとても馴染み深い香りが満ちていた。
何の香りだったろう。思い出そうとしてみるが思い出せない。
血のように甘く、花のように切なく、腐った果実のように残酷な香り。
そこでようやく思い出す。


―――ああ、そうだ。これは地に還った兄弟たちの香。


ならば、俺は死んだのだろうか。
この、暗く静かな場所は死後の世界か何かで。
そう思えば納得がいく。
たった独りの事も、恐ろしくない事も。
でも、何処か落ち着かない。何でだろう。胸が騒めく。
ふと、痛む胸を押さえれば、何も無かった世界に僅かに光が差し、声が聞こえてくる。


『・・・・・・ユリア』

ユリア、それは俺の名前。
でも、誰が呼んでいるのだろう。思い出せない。
誰だと問い返したくとも、声が出なかった。
また、名を呼ばれる。

『・・・・ユリア!』

先程よりも強い、その声。
今度は複数聞こえた。誰の声か分からなかったのはそのせいか。
とても必死な声。ただ呼んでいるだけとは思えないような。

『ユリア!!』

声が、どんどん大きくなる。
それにつれて遠くで微かに灯る光も強くなっていく。
まるでこっちへ来いと、導くような。
つられて一歩足を前に出す。

『ユリア、帰っておいで』

ああ、やっぱり。
誰かが、皆が俺を呼んでいる。
行かなければ。
俺を呼ぶ声の方へ。
だって、さっきの胸の騒めきはそれだったから。
行かねばならぬところがあるのに立ち止まっていたから不安になったんだ。
また一歩前に足を踏み出す。
しかし、今度は後ろから誰かが俺を呼ぶ。

「待て、ユリア」

・・・・・・・・誰だ?
頭だけ振り返れば、そこには紅蓮の衣を纏った蜜色髪の少年が立っている。
それは、俺が殺してしまったとも言える、人。
リシャール。やはりここは死後の世界なのか。
俺は身体ごと彼に向き直った。

「お前は、死んだ」

ああ、やはり。
無感動にリシャールが告げた言葉に淡い笑みが漏れた。
何処かで落胆し、また何処かで安堵している自分がいる。

「けれど、皆がお前の事を呼んでいる」

そうだね。
でも、今の俺は彼等に応える事すら出来ない。
口に出す事は出来ず、心の内で思った言葉が聞こえたのか、
今まで無表情だったリシャールが微かに口の端を上げる。

「・・・・・・・戻りたいか?」

・・・・・・・・・・・・・・。
考える。自分がどうしたいか。
死人が何を望んだって叶いはしないけど。
でも、望むだけなら、構わないだろうか。
どんなにそれが贅沢で傲慢な望みでも。
また、あの場所に帰りたいと。
そんな事を望んでも。

「・・・・・・・・・・叶えてやろうか?貴様が代償を払うなら」

代償?
それを払えば、望みは叶うのか?
声が出ないのを承知で唇を動かせばリシャールははっきりと笑う。

「叶うさ、代償さえ支払うならば。声を引き換えに足を手にした人魚姫のように」

だったら俺は代償を払ってでもあの場所に帰りたい。
皆の呼ぶ方へと行きたい。そう、強く思えば、自分の身体が淡く光る。
足の先から光の珠が立ち上っていく。
懐かしい、兄弟の匂いが風にかき消されるように薄らいでいった。

「ユリア、お前は新しい命を手に入れた。だが、その代り―――」

その代り、何?
リシャールが何か呟いているが聞こえない。
真っ暗な世界が段々明るくなっていく。
完全に光が差すと彼の姿は消えていってしまった。
そしてまた俺の意識は遠のいていく。
とても強い力に引き摺られていくような気配がした―――





◆◇◆◇





「ユリア!」

大きな声で呼ばれて目を開けば、とても強い光が差し込んでくる。
眩しくて咄嗟に手を翳した。そうすれば顔に影が落ち、どうにか視界が甦ってくる。
逆光の奥に誰か立っていた。それは、17年前、災いの予言を受けた俺を優しく腕に抱いてくれた人。
宮廷魔術師サンドラ、俺の母だ。何だかとても懐かしい気がして俺は微笑んだ。

「・・・・母さん」
「ユリア、本当に目覚めたのですか・・・・?」
「・・・・・・・?俺は、寝ながら喋るなんて器用な真似は出来ないけど?」

何だかとても驚いたような顔をしている母にそう返せば、碧眼が更に見開かれる。
いつも冷静な母がそんな顔をするのが珍しくて俺は首を傾ぐと、17年前初めて抱き上げてくれた腕と
変わらぬそれでもって抱きしめられる。突然の事に目を白黒させていると母は言う。

「お帰りなさいユリア」
「・・・・・・・・?えっと、ただ、いま?」

何でお帰りなさいと言われるのか分からなかったが条件反射でただいまと返してしまった。
俺のその言葉に母は何故か目に涙を湛える。本当にわけが分からなく呆然としていると母は驚くべき事を口にした。

「・・・・ユリア、貴方はもう一年も眠り続けていたのですよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・は?」
「・・・・・貴方はヴェンツェルを倒して直ぐに意識を失ったのです。ルイセたちに連れられてきた時には・・・・瀕死状態でした」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「けれど、貴方の功績を皆が称え、アルカディウス王を初め三国の重鎮による決定でパワーストーンによる延命をかけたのです。
しかし、如何に奇跡の石といえど人の命を、運命を変えるには大分力を使うようで・・・・仮死状態を保つので精一杯だった
ようなのです。それで貴方は仮死状態のまま、今の今までずっと眠り続けていたのですが・・・・・良かった目覚めてくれて。
ずっと待っていたのですよ」

にっこりと本当に嬉しそうに母は笑う。大好きな人のその笑みが嬉しくて俺も笑い返す。
しかし、パワーストーンと聞いて一つひっかかる事があり、そっと目じりの涙を拭う母へと尋ねてみた。

「・・・・・あ、の母さん。パワーストーンを使ったって事は何か反動があったんでしょう?皆は大丈夫なんですか?」
「・・・・・・・・・・それですが・・・・・非常に言いにくいんですが・・・・その・・・・・・・」
「・・・・・・・何?何かあったんですか!?」
「・・・・・・ユリア、落ち着いて自分の身体を見て御覧なさい・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・え?」

ふるふると震えながらの母の言葉に首を傾げつつ、ベッドの上に横たわる自分の身体を見下ろす。
別に何処かを怪我しているわけではない。身体もちゃんと動く。けれど、何か見慣れぬものがあり、瞬きする。
ごしごし、目を擦り再度自分を見下ろす。するとやはり、自分にあってはならぬものがそこに存在している。
男の筈の俺の、本来平らであるべき胸にふっくらと豊かな膨らみが・・・・・膨らみ?

「!!?」
「・・・・・・・分かりましたか、ユリア」
「・・・・・え、ちょ、な、なに、えええっ!?」
「実は、パワーストーンの使用による因果律の歪みの反動が・・・・どうも天変地異という形でなく、
貴方に起きてしまったようなのです」

それは、つまりパワーストーンによる反動で俺は男から女になったという事だろうか。
いや、確かに大災害が起こったり、世界が滅亡したりしなかったのは良かったとは思うが自分の知らぬところで性別が
変わっているというのもどうだろう。頭の中が真っ白になってしまう。不意に眠っている間に見た恐らく夢の中でのリシャールの
言葉を思い出す。


『・・・・・・・・・・叶えてやろうか?貴様が代償を払うなら』

『叶うさ、代償さえ支払うならば。声を引き換えに足を手にした人魚姫のように』

『ユリア、お前は新しい命を手に入れた。だが、その代り―――』


その代り、のところで目が覚めてしまったが。
恐らく彼が言っていたのはこの事だろう。俺はリシャールに願った通り俺を呼ぶ人の元へ帰ってこれた。
しかし彼は代償を払えと言った。ではその代償とは・・・・・・

「・・・・・・今までの俺・・・・・?」
「・・・・・・?どうしました、ユリア。ショックなのは分かりますがしかし・・・・・」
「いや、ショックと言うか・・・・驚いてるのは確かだけどでも、うん。頭がついていかないというか・・・・・」
「・・・・そうでしょうね。元に戻る方法は何とか探している最中なのですが、けれど生きているだけでも奇跡なのを忘れないで下さい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「とにかく、今はもう少しだけ休んでおきなさい。貴方の目覚めは私が皆に知らせておきますから」
「・・・・・・・・・・・・・はい」

パタンと軽い音を立て、母は部屋の外へと出て行く。
そして当の俺はといえば、信じがたい出来事にどうやら熱を出してしまったらしく。
眩暈を引き起こしながら、何を考える事も出来ず、シーツの海へと逆戻りした。
取りあえず、事の顛末はもう一度目を覚ますまで保留、という事でどうぞよろしく。








ねえ、知ってる?
何かを得るためには何かを失わないといけないんだよ。
人魚姫が足を得るために声を失ったように・・・・・。





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はい、女性化1主導入編です。
相変わらず物語の初めはあれですね。似非シリアスみたいな。
ヴェンツェルとの戦いから既に一年経過と言う事は彼は起きたら直ぐまた戦いに
赴かなければいけないわけなんですが、次からは各々の反応とかを書いていければいいですね。
予定ですが、予定(コノヤロウ)


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