やっと見つけた、幸せ一つ。

大切だから、失いたくないから最後まで戦い続けようと思う。

例えこの先どんなに辛くて生き難くとも。

貴方と、貴方との約束のために。


だから、約束を果たせたその時は。

大好きな腕の中で、

ただいまと言わせて―――






安堵のただいまを





「随分と遅いお帰りですね、ギャリック?」

二日に渡る無断欠勤―という事になるのだろう―をしたギャリックは出来うる限りそぉっと抜き足差し足しながら
王城へと戻ってきたのだが、自室のドアを開けた瞬間、非常に爽やかな笑みを浮かべる同僚の姿があり息を飲んだ。
いつもならば人の部屋に勝手に入るななどと文句も言えただろうが、後ろめたい思いのあるギャリックは冷や汗を
滝のように垂れ流しながらその場に立ち尽くすしかなかった。何せにこにこと微笑んでいるルーファスの手にはお得意の
鞭が握られ、先ほどからそれをぱしぱしと叩き、今にも獲物に向かって強靭な一撃を繰り出そうとして見えるからだ。

「る、ルーファス・・・い、いたのか」

故に常ははっきりとした物言いをするギャリックの声は裏返り、どもっている。明らかに動揺した言動。恐らくギャリックが
留守にした間、彼の仕事は全て同階級を持つルーファスに移行されたのだろう。それを証明するかのように彼の目元には
その穏やかな相貌には似つかわしくない薄黒い隈が出来ている。という事はだ、相当に怒っているはず。何せ彼は
美容のために睡眠時間を削られる事を激しく厭うのだから。しかも帰らなかった理由まで知られようものなら命はないに
決まっている。自分に待ち受けている未来を思ってギャリックの顔色はこれ以上なく青褪めていた。

「おや、ギャリック顔色が優れないようですがどうしました?何か良くない事でも・・・?」

目敏くルーファスは問う。その間も手元の鞭をリズムでも取るかのように叩いている。返答次第ではすぐさまその鞭を
振り抜くに違いない。今まで彼から受けた仕打ちを思ってギャリックは床にしっかりと縫いつけられた足をそれでも
気合で動かし後退る。こんな風に彼が怯える相手はルーファス以外にこの世に存在しない。クイーンスクリーパーだって
ルーファスに比べれば可愛いものだ。ギャリックは真剣に思った。更に一歩足を後ろに引こうとした、その時。

パシン

ギャリックの立ち位置のすぐ真横に鋭い鞭の痕が走る。硬い硬い大理石で出来たはずの床に、大きな引っかき傷。
もしもこれが人体に当たっていようものなら深く皮膚を穿ち肉を切り裂いていただろう。想像するだけで背筋が凍りつく。
本格的に逃げたい。そんな願望が脳裏に幾重にも浮かぶが、今の一打はどう見ても牽制だ。これ以上
逃げる姿勢を取ろうものなら絶対に当てに来る。悟ったギャリックはブンブンと首を振った。

「待て待てルーファス、落ち着け。俺の話を少しは・・・」
「話、ですか。勿論二日に渡る外泊の然るべき理由を聞かせて頂けるのですよね」

嗜めようと発した言葉に被さってきた声は落ち着いたトーンではあるがその内容は下らない理由だったら覚悟しとけよと
ギャリックの耳には響いた。言えない、言えるはずもない。一日目はゼオンシルトに押し倒されて身動きが取れず、
二日目に至っては逆に押し倒してしまったからなど。俗に言う朝帰りという奴だ。そんな理由がまかり通るはずもない。
あわあわと口を開閉しているとルーファスは何かに気づき小首を傾いだ。

「・・・・?ギャリック、貴方ピアスを片方どうしました?」
「あ?」
「ですからピアスです。左側、無くなってますよ?」
「・・・・!」

興味が逸れた事に喜ぶ暇もなく、今度はそれについてどう言えばいいのかギャリックは悩む。ゼオンシルトにやったと
言えばいいのか。しかしそんな事を言えば何故だと聞かれるに決まっている。となれば芋蔓式に知られたくない事まで
根掘り葉掘り聞かれる事になる。非常に拙い。かと言って何も答えなければ疑われるだろう。迷った末、ギャリックは
あらぬ方向を向きながら口を開いた。

「あ・・・ど、どっかで落とした・・・みたいだ」
「ピアスが耳から外れて気づかない事なんてあるんですかねぇ?しかもそんなに大きなものが」
「・・・・・・・いやそのあの・・・帰って来るのに必死で・・・・な?」

じとりと細められた蒼い瞳に見つめられ、対照的な緋色の瞳は不安げに揺れている。何が悲しくて年下にこうも
追い詰められねばならぬのか。内心で涙を湛え、大きな溜息をつけばルーファスはぴくりと眉間に皺寄せ、
何を思ったか一気に距離を詰めて来た。更に予期せぬ事態に右往左往するギャリックの頭を鷲掴むと引き寄せ。

「・・・・・ギャリック。貴方、香水でも付けてますか?」
「はい?!」
「・・・貴方からいつもと違う匂いがします。しかも何処かで憶えのある・・・・」

質問というよりは尋問に近い問いにギャリックは頭が白くなる。浮気調査されている亭主みたいだ。そんな馬鹿げた
考えさえ浮かんでくるほどパニックに陥っていた。ルーファスはギャリックがゼオンシルトを好きな事を知っている。
そして二日帰らなかった事と身体から香る別の匂い。普通の人間ならともかくルーファスは気づいただろう。
眉間の皺が更に深まった。

「・・・・ギャリック・・・頑張って来いとは私も確かに言いました。が、しかし」
「・・・・・・・〜〜ッ」
「誰がそこまで頑張れと言いましたか!!」

ピン、と至近距離でルーファスが鞭を構える。来る、と頭では分かっていた。分かってはいたが動けない。
ギャリックは引き攣った笑みを口元に湛えた。不思議な事に人間とはあまりに恐怖が過ぎると笑ってしまう事がある。
今が正にそれだ。しかしそれは怒っている側から見れば憤りを増加させる材料にしかならず。

「ほう、この状況で笑っていられるとは流石はグランゲイル軍大尉といったところですか」
「いや、待て違う!これはそうじゃなくて・・・そもそもこうなったのには色々訳が・・・・」
「問答無用!百叩きの刑!!」
「ちょ・・・まっ・・・話せばわか・・・ぎゃああああああ・・・・!!!」

城内に響き渡る切り裂き音と甲高い悲鳴。半ばいつもの事扱いされている事態に誰もが気づいていながら
気づかないフリを決め込み、ルーファスの独断で百叩きの刑に処されているギャリックを救いに来るような勇気ある
馬鹿は一人もいなかった。



◆◇◇◆



「・・・・・・ってぇ〜、あんの野郎思いっきり打ちやがって」

至るところに蚯蚓腫れを作った男の恨み言が空しく室内に響く。あれはもう、指導でも注意でも罰でもなく、
紛れもない暴力だ。服を脱ぎ腫れ上がった傷口に薬を塗りながらギャリックは思った。

「あーあ、薬品くせえ・・・・ま、殺されなかっただけマシか」

そっと首の痣に手を乗せる。これを見た瞬間怒り狂っていたルーファスも興が削げたように眉間を顰めた後、
仕事を終わらすようにとだけ言い残し部屋から出て行った。が、これだけ全身に傷を負っているというのに仕事を
しろというのもかなり無謀だ。相変わらず無茶難題を寄越してくれる、と溜息を吐き服を着込むと机の上に
びっしり敷き詰められた書類の山と向き合う。二日留守にしただけでこんなにか、と呆れるほどの量。
なまじ軍事国家なだけに部隊編成案やら出軍許可出しやら武器の管理やらと仕事は有り余るまでに転がっている。
それに付け加え食糧難に悩むグランゲイルでは兵糧の管理にも気を割かねばならない。

「・・・・・だが、クイーンスクリーパーがいなくなれば少しは仕事も減るか」

上記の仕事も勿論大変だが、一番厄介なのは大尉としての仕事よりもスレイヤーとしてスクリーパーと戦う事だ。
肉体を鍛える事を忘れた事はないが、それでも人間がスクリーパーと戦うのは過酷と言わざるを得ない。
そこまで考え、ギャリックはたった今その過酷を強いられているだろう人物を脳裏に思い浮かべる。

「・・・・あいつ、ちゃんとやってんのかねぇ」

机上のファイルを手にしてパラパラと資料に目を通すものの、あまり内容が頭に入って来ない。
代わりにゼオンシルトの事ばかりが気にかかる。今朝も本当ならば見送りくらいはしてやりたかった。
が、無断で二日も帰らないとあらばルーファスが鬼の如く憤慨するだろうと泣く泣く戻ってきたのだギャリックは。
気がかりをそこに残したまま。流石に身体を拭いてやったり服を着せてやったりリネン類を整えてやったりなどの
最低限すべき事はやってきたのだが、何も言わずに出て来てしまった。それが気になってしまう。

「・・・・・・・・・・・・」

ここで自分が心配してもどうにもならない事など分かっているし、普段はぼうっとしているゼオンシルトも
戦闘に入れば誰よりも集中しているし、強い事も知っている。簡単にはやられたりしない。例え相手があの
クイーンスクリーパーであろうとも。分かっている。約束もした。必ず生きて帰って来ると。死なないと。
それが彼の償いの形なのだから。理解していても、心配になってしまうのは自分の気性のせいなのかそれとも・・・?
様々な思いが自分の心の中を駆け巡っているのを感じながらギャリックは今一つ腑に落ちずにいる。
カツカツと机の上を指で叩く。苛ついていると自然と取ってしまう仕種。一体自分は何に苛ついているのか。
自分自身の感情なのによく分からない。けれど一つ、思い当たった。

「あいつの寝言だ」

それを聞いてから、自分は苛立っている、とギャリックは感じた。別段ゼオンシルトが何か腹の立つ事を
言ったわけではない。そうではなく、彼の言葉を受けて自分自身に対し憤りを感じているのだ。
目を伏せ、昨晩の事を思い出す。ゼオンシルトを腕に抱いて眠りに落ちた後、彼の魘される声に一度目を覚まし、
聞いてしまった。青白い顔で、ただただ悲しげに。

『置いて行かないで・・・・』

どんな夢を見ているのかなんて分からない。それでも瞳に涙を浮かべて小さな小さな声で漏らしたその言葉は
痛いくらいに胸を締め付け、脳裏に刻まれた。堪らず強く抱き締めてやれば安堵したように笑っていたけれど、
翌朝早くに出なければならなかったギャリックは結局ゼオンシルトが何の夢を見ていたのか知る事も出来ず、その上
一人になる事に怯えていたゼオンシルトを置いて来てしまった。恐らく、彼が目覚める頃にはクイーンスクリーパーを
倒しに行くのだから彼の妖精と仲間―というよりは同志、だろうか。ともかくクライアスらが傍にいるだろう。
一人きりになんてならないだろう、思うのに何故か心臓の辺りが棘で刺されているかのように痛む。

「胸糞悪い・・・・」

呟いて椅子の背もたれにだらしなく四肢を預けたその時、ギャリックの耳に取り付けられていたピアスが突然
チリンと軽い金属音を立てて揺れたかと思えば重力に逆らう事なく硬い床目掛けて落ちた。止め具が緩くなっていたのか
疑問に思うよりも先に何か嫌な予感がし、緋色の瞳が見開かれる。

「・・・・・勝手に・・・落ちるもんか・・・コレ?」

そっと何もなくなった耳朶に触れてみる。穴の感触が手袋越しにも伝わり、いつもあるはずの重みが急にそこから
なくなった違和感だけが居残り続けていた。不審に眉間を顰める。それから寄りかかった椅子から背を離し、
床に転がったピアスを拾う。何の変哲もない、金属の欠片。それでも、このピアスの片方をお守り代わりとして
ゼオンシルトに持たせている。故に、妙な気分になってしまう。

「虫の知らせ・・・って奴か・・・?」

偶然かもしれない、けれど気にかかる。ゼオンシルトの身に何かあったのではないか。実際、何かあっても
おかしくない相手と彼は今頃戦っているはずなのだ。一瞬だけ、机の上に溜まった書類に目を留め、それから
振り切るように目を逸らすと見えはしないだろうが窓を開けてカイザリス島の方角を確認する。やはり何も見えない。
次いで時計を見遣った。ここからカイザリス島へはどのくらい掛かるだろう、頭の中で計算する。

今から行っても間に合わないかもしれない、これ以上職務を放棄するわけにもいかない、重い過ごしかもしれない。
逡巡して、結局ギャリックは自分の直感を信じ、廊下から外に出ればルーファスに捕まってしまうかも知れぬと
目前の窓から身を乗り出す。ここ―自室は三階に位置するが構わない。怪我をしようが責められようが。
一度決めたら梃子でも動かない、そうルーファスに言い放った事もあるギャリックは自分自身もそれに当て嵌まるのだと
たった今知った。何とも言えず口元に曖昧な笑みを刻んだ。そして、十数メートルは離れた地上に向かって飛び出す。
耳元に自分自身が落下する風切り音が届く。肢体は落ちていくのに、マントや髪が中空に巻き上げられ
浮遊にも似た感覚を味わいながらも背中に背負った斧を取り出し地面に向けて振り下ろし、落下の衝撃を和らげ
事もなげに地に足を着けた。

「っつー・・・流石にこりゃ手が痺れるな・・・」

握り締めた柄から伝ってくる振動をもろに受け、指先が震えている。

「・・・・だが怪我しなかっただけ儲けもんか」

ブンブンと痺れた手を振り、地面に突き刺さった斧を抜き取ると所定の位置へと戻し、今の音を聞きつけて誰かが
やって来ないうちに見張りも立たない抜け道を通りギャリックは城から外へと出た。気のせいならばいい。
何事もなければそれでいい。言い聞かせ、しかしゼオンシルトの身が心配でルーファスを恐れて急いだ帰路よりも
早く、クイーンスクリーパーと戦っているゼオンシルトの元へとその足は駆けて行った。



◆◇◇◆



コンコン、とノックを一つして返事のない事を不審に思い念のためもう一度ノックをするもやはり返事がないのを
確認するとルーファスは溜息を零し、無意味だろうと思いながらもドアを開けた。案の定鍵も掛かっていない。
おまけに部屋の中にいるべき者はおらず、開いた窓から吹き抜ける風にカーテンが生き物のように揺らめいている。
普段は片付いているはずの机の上には書類の山。見かけによらず几帳面な部屋主なのだが、椅子は引かれず
座った時の状態で放置され、ファイルも開いたままになっていた。

「何処に行ったか・・・なんて考えるまでもないんでしょうね」

開け放された窓を閉めようとルーファスは断りなく室内に踏み入ると窓枠に靴の痕がくっきり残っているのを見た。
何となく下を見てみる。あの馬鹿でかい斧で斬り付けたようなひび割れが地面に出来ていた。実際に見ておらずとも
何があったかなんて想像に容易い。

「ここは三階なんですが・・・相変わらず無茶をしますねぇ」

ぼやいて、窓を閉める。それから少し荒れた机の上の整理をして椅子も元に戻す。言われた通りちゃんと仕事を
しているだろうか様子を見に来たというのに、全くの無駄足となってしまってルーファスは再度息を吐き出す。
元来は仕事に生きる真面目人間であると認識しているギャリックだが、それと同時大事なもののためなら職務すら、
それこそ自分の命すら顧みない事も知っている。そういうところが彼らしいのだろうが同僚として、親友として
心配になってしまう。

「本当に・・・しょうがない人ですね、ギャリックは」

呆れと多少の憧憬を込めた声。小さく首を振ってルーファスはここにはいない、親友に思いを馳せた。
それから何処か遠くを見て。

「でも、彼を見て見ぬフリをするような貴方を好きになれない私も・・・相当馬鹿なのでしょうね」

呟き、手付かずのまま放置されている書類に手を伸ばすと仕方ないと言わんばかりに肩を竦め、目を通しだす。
帰ってきたら今度こそ百叩きにしてやると強く意気込み、文句を言いたいのを我慢してペンを取る。
この借りはどうやって返させようか、考えるだけで何処かわくわくしている自分に苦笑してルーファスは手と視線を
絶え間なく動かす。ギャリック本人のサインがいる書類は分け、編成案を優先的に処理していく。
疲れは溜まっていたが、ギャリックはギャリックで頑張っているのだ。自分も頑張らねばと自らに言って聞かせ、
しかしふと気になったのか窓の方へと視線を飛ばすと、

「・・・・・ご武運を」

親友とその思い人の優しい明日を願って密やかに祈りの言葉を口にしていた。
その言葉が届いたのかどうか知る由もなかったけれど、閉め切った窓の外を強く吹き抜ける風にルーファスは何かを
思わずにはいられず、暫しその名残を見つめた後、書類へと意識を戻した―――






NEXT



安堵シリーズファイナルという事で書いてたんですがまた前後編になりました。
前編はギャリックsideの話にしてみました。後編の方がきっと長くなります。
初夜の翌朝とかの様子もゼオンシルトsideに持ち越しです。
それにしてもギャリゼオだと比較的ルーファスがまともな人だ・・・(笑)
ギャリックとルーファスには信頼関係があるのに、何故アーネストとオスカーには
それがないのか・・・。永遠の謎です。続きは早めにUP致しますー。


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