・・・幸せだった。 あまりにも幸せな時が続いていた。 だから俺は、忘れてしまっていたんだ。 ―――自分が、皆とは違う化け物だって・・・。 その事に改めて気づいたのは、クイーンスクリーパーを倒してから数ヶ月ほど経った頃。 会議室に呼び出され、ある提案をされた時だった・・・。 君がため 「母さ・・・ロミナを解剖する・・・?」 あまりにも衝撃的な言葉だった。口にした瞬間、頭の中が真っ白になる。手にしていた資料が指からすり抜け、 ひらひらと机上に落ちた。拾うという選択肢は浮かばなかった。ただ、自分と向き合った上司―クライアス総司令を 凝視するしか出来ず。俺と、彼と彼の補佐官だけしか居ない会議室内に妙な沈黙が落ちる。 今後を揺るがしかねない大事な会議だと聞いていた。その内容がまさかこんな事だとは夢にも思わず、 醜態を晒している。クライアスはそんな俺をひたと見つめていた。二の句を継げずにいると、真正面から溜息が落ちる。 「ゼオンシルト・・・辛い選択を迫っている事は分かる。だが・・・そうでもしなけりゃお前の身体は・・・」 「俺の、身体・・・?」 「お前だけじゃない。お前の他にも何人も例の手術を受けた人間がいるだろう?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 言われて、はっとする。自分が皆と距離を開けた、理由を。あまりにも、あまりにも幸せな時間を過ごしすぎていて、 いつの間にか忘れていた。自分が一体何者であったのか。自分の身体に一体何をされたのか。忘れて、いた・・・・。 そんな大事な事を忘れてしまうくらい、大切にされていたから、あの人は抱きしめてくれたから。 俺がどれだけの人の命を失わせて今ここに存在しているのかを・・・。忘れては、いけなかったのに。 「ゼオンシルト?」 「・・・・え?」 考えに耽っている間に何度か呼ばれていたらしい。自然と下がっていた顔を上げると訝しむクライアスの表情が見えた。 何でもないと首を振ると、彼はそうかとだけ零して話を進める。俺にとっては憂鬱でしかない、話を・・・。 「話を続けるぞ?」 「・・・・ああ」 「お前にはコリンがいるからいいが・・・他の奴らはそうはいかない。ペルナギ博士の残した薬にも限りがある。 もっと根本的な解決をしなければ・・・かつてのジークヴァルトのように身体ごと封印しなけりゃならない」 「・・・・・それで・・・ロミナ?」 スクリーパー細胞の移植を、誰よりも先に行われた被検体であるロミナ=エレイ・・・俺の母親。 俺とは違い、彼女は自らその身体を維持軍に差し出した。そんな彼女ならば・・・皆のためになるなら再びその身体を 差し出すのだろうか。死して、なお・・・。あんな、少女のような姿で。母と、言うよりは姉のような彼女。 俺にスクリーパー細胞が移植されたその日から、フラフラと目の前に現れた彼女。今思えば、彼女はずっと俺を 見守ってくれていたのだろう。母として。俺は彼女の顔すら覚えてはいなかったのに・・・。 「・・・・・・・・・・・」 「・・・ゼオンシルト。気持ちは分かるが・・・理解してくれ。最初の被検体である彼女を調べれば 何か分かるかもしれない。それに・・・今もなお、その身が保存されているという事はそれだけ重要という事だ。 お前たちの身体を治す何かが分かる可能性は高い」 「でも・・・・・」 クライアスの言っている事は分かる、つもりだ。彼女はもう、死んでいる。死人よりも、生きている人間の方が 優先すべきだという事も頭では分かっている。だけど、自分の感情がついていかない。幾らもう、彼女が痛みも 感じられない身体だとしても・・・・その身に刃を突き立てたくはない。そう思ってしまうのは、傲慢なんだろうか。 でもこれは俺一人の問題ではなくて、俺と同じ思いをしている人が何人もいて。苦しいだろう、辛いだろう、 死んでしまいたくなるだろう。自分が他人の命を犠牲にして存在していると知ってしまったら。 エイミーも・・・あの強い彼女も死を望んだ。苦しみから解放されたくて。その気持ちは、誰より分かる。あの時、 出来る事なら殺してくれと泣き喚きたかった。結局、出来なかったけれど・・・。胸が、痛くて寂しくて苦しくて・・・とにかく 誰かに傍にいて欲しくて。神様とか、そういう類のものを酷く恨んだ。だけど今はあの日、蘇生してくれた維持軍に 感謝もしている。彼らが生かしてくれたおかげであの人に会えたから。あの日死んでいたら、出会う事はなかった人。 でも、他の人はどうだろう。俺のように、誰か特別な人に出会えたろうか。その存在を否定しないでくれる、誰か。 いなかったらどんなに寂しいだろう。どんなに辛いだろう。どれだけ、元の身体に戻りたいだろう。 目を閉じて想像するだけで、涙が込み上げてきそうになってくる。 「・・・・ゼオンシルト、頼む。皆のためなんだ・・・」 「皆の、ため・・・」 「お前だって今のままじゃ辛いだろう?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 少しも辛くないわけじゃない。元に戻れるものなら戻りたい。それでなかった事にはならないだろうけれど。 それでも、自分以外の誰かの事を考えれば戻った方がいいに決まっている。分かってはいる、俺一人が目を瞑れば 皆が救われるかもしれない。あれほど、辛い思いをしている人が他にもいるなら助けてあげたい。その気持ちは 紛れもなく本物なのに・・・・揺らぐ。 「・・・・・・少し、考えさせてくれないか」 結局、この場で俺はそれしか言えなかった。クライアスはいいと言ってくれたけれど・・・時間を空ければ逆に 断りづらくなる事を後ほど思い知る事になる。 ◆◇◇◆ あれから三日経とうとしている。未だに答えは決まらない。本当はただ一度、頷けばいいと分かっている。 けれど、子としての本能か認められずにいる。死んだ母の身体を、資料のように扱えるわけがない。 それが誰かのためになる事でも、生理的に嫌悪感が込み上げてくる。その腕に抱かれた記憶もない。 母というよりやはり少女のようにしか見えないその姿。それでも、愛してくれていた事は分かる。 一号細胞を封印して姿が見えなくなった時の喪失感と寂寥は今でも忘れられない。大切な人。大好きな人。 傷つけられたくない。そう思うのは贅沢な事なのか。死んでしまってから、守りたいと思うのはおかしな事なんだろうか。 そんな力が俺にあるだろうか。そんな権限が俺にあるのだろうか。誰かが救われるかもしれない手段を、 自分一人の感情で無くしてしまっても。 堪え切れず会いに来てしまった彼女に、ガラス越しに触れる。彼女の子供なのに、彼女に触れる事が出来ない。 ただ薄緑色の培養液に浸かった、眠っているかのような死に顔を見つめる事しか。その身に宿っていたはずなのに。 今はこんなにも遠い。まるで赤の他人のように・・・遠い。 「母さん・・・」 貴女はやっぱり、人の役に立ちたいですか? 維持軍に若くしてその身体を差し出したように。自分の命で誰かが救われるのなら、何も省みませんか。 痛みにも苦痛にも耐えてしまいますか。自分がどんな扱いを受けようと、その穏やかな相貌に微笑みを浮かべますか。 たった独りで、こんな寂しい場所で眠り続けますか。 「俺は、嫌だよ・・・こんなところに独りぼっちでいるのは・・・・」 寂しくて寂しくて泣いたって誰も気づいてくれないよ、こんなところじゃ。大好きな人に会う事だって叶わない。 俺は、どんなに自分を投げ捨ててしまいたくなるほど辛い事があっても、あの人に会えるから大丈夫だけど。 もし、こんなところに独りにされて、あの人にも会えなかったら・・・・死んでも死に切れない。例え自分の犠牲で 多くの人の命が救えたとしても。 「俺は、我侭・・・?」 今持ってる全部を守りたいなんて。あの人も貴女も、守れるものなら守りたい。もう何も失いたくない。 それが誰かに恨まれる結果になっても・・・。 「どうしたらいい・・・?」 何を諦めたらいい?自分の思いか、誰かの思いか、貴女の思いか。どれを取っても、後悔しそうな弱い俺が嫌だ。 全てを叶える理想的な結論なんて何処にもないって知ってるけど、訊かずにはいられない。どうすればいいか。 考えても考えても息が出来なくなるだけ。心臓が誰かに握り込まれているように、痛い。これ以上はきっと クライアスも待ってはくれない。答えを要求されるだろう。苦しい、苦しい・・・・。 「・・・・す・・けて・・・ャ・・リック・・・」 大好きな人。俺とは違ってとても強い、導きの灯のような人。いつも不器用に、でも確かに俺の事を優しく守ってくれる。 言葉の一つ一つがまっすぐで、この人の言葉なら何でも信じられる、そう思える人。出来る事なら、いつでも会いたい。 その姿が見れるだけでも幸せだから。幾ら感謝しても足りないくらい支えられている。助けられている。 重荷になりたくない、思うのに助けを請うてしまう。 「・・・・こんなんじゃ・・・駄目なのに・・・強くならなきゃ・・・・」 どんなに彼が優しくても、俺がこんなに弱いんじゃいつか重荷に思われてしまう。邪魔だと、思われてしまう。 彼にいらないと口にされたら俺はもう生きていけない。冗談でもなんでもなくて本当に。だから強くなりたいのに。 甘えてしまいそうになる。その手を掴んでしまいたくなる。こんな事を続けていたら、いつか自分一人の力では 歩けなくなってしまうかもしれない。そんな事にはなりたくない。いらないなんて思われたくない。 大好きな人には必要とされていたい。 「・・・でも・・・会いたいよ・・・」 煩わしく思われるかもしれないけれど、あまりの弱さに呆れられるかもしれないけれど、それでも。 こんなに苦しい時は、まるで逃げ場所にしているみたいだけれど・・・会いたい。縋って、泣けたらどれだけ安堵するか。 明確な答えなんてもらわなくても、その声を聞ければどれだけ・・・・。 『・・・・・・・・・・・・・』 「・・・え?」 泣きそうになるのをなんとか堪えると、向き合ったガラス越しに声が聞こえた気がした。自分以外には誰もいない。 母の躯だけ。以前は他にも培養液に保存されていた人たちがいたけれど、アレッサの研究によりそのほとんどの人が 命を救われた。未だに保存ケースに入れられたままなのは、彼女だけ。なら、今聞こえた声は――― 「会いに・・・行けって言うの・・・?」 尋ねても返事が返るわけがない。彼女はもう死んでいるのだから。 ―――でも・・・・・。 「貴女はいつも・・・俺を想ってくれるね・・・」 その想いは淡く優しくて・・・でもほんのりと痛みを齎してくれる。悲しくて嬉しくて俺は暫くその場から 立ち上がれずに、いた。 NEXT 前半だけだと多分リクに全く添えていないかと思われます。 後半で巻き返し出来るといいのですが(巻き返そうよ) 今回前編と後編で分けるのはまあ長くなるだろうという事もあるんですが 視点を変えたいのでこんな中途半端なところで切ってみました(殴) 最近の裏テーマは如何にギャリさんを格好よく書くか、になってます。 彼ファンのお方が多いので・・・(コノヤロウ) |
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