夢を見る。

遠い遠い、いつかでもいい。

ヒトとして扱われる、その日が来ることを―――。




壊れた鳥籠、折られた翼




小鳥の囀りが聞こえる。

高かった陽はいつの間にか、中天を過ぎ、少しずつ傾き始めていた。
そよぐ風が肌を擽り、それと同時に舞い落ちた葉がからからと地面を転がっていく。
秋から冬へと移り変わろうとするこの時期は、昼を過ぎると大分冷える。
ふるりと躯を震わして横たわっていた少年は目を覚ました。

「・・・?」

意識が途切れる寸前は、横を向いていたはずだったがいつの間にか正面――うっすらと茜に色づき始めた
空と向き合っていた。単に寝返りを打ったのかもしれないが、それにしても地面の上に寝そべっているにしては
妙に頭の下が柔らかい気がする。きょとりと、茜空よりも赤々しい瞳が白銀の睫と共に瞬く。

「あ、気がついた?」

ほうっと安堵の溜息が上から落ちてくる。少年は慌てて身を起こそうとして、
自分の額に濡れた何かが乗っていることに気づいた。何かと思うと白い布であることが分かる。
恐らくハンカチであろう。断定出来ないのは少年の視力が弱いせいだ。
何故そんなものが乗っているのか。考えるまでもない。上から届いた吐息の持ち主によってだろう。

つまり、介抱されていたということだ。少年はそれに思い至るとはっとして元々白い頬を更に青褪めさせた。
素早い動作でフードを手繰り寄せて顔を隠すがもう遅い。少年を介抱してくれていたらしい人物は
そんな少年の動作が不思議だったのだろう。ぎゅっとフードの裾を握り締める指先の上に手が重ねられる。
紅葉のように小さく、柔らかい手。そこで初めて少年は目前にいる相手が少なくとも自分よりも幼いことを知った。

無駄と思いつつ、視線を声がした方に送ってみれば、ぼやけた小さなシルエットが映る。
少年よりも頭一つ分ほど小さそうな。短い黒髪に、品の良さそうな服を着ているのは分かるが、
それ以上のことはピントの合わない視界では判別しがたい。

男か女かも分からず・・・分かったところで何がどうなるわけでもないが。
少年はどうしたものかと眉間に皺寄せると、幼いシルエットは慌てた様子で少年の手に重ねた自分のそれを離した。

「あ・・・ごめんなさい」
「いや・・・。その・・・瞳を見られたかと思って・・・な」
「瞳?綺麗な紅い色だったよね。初めて見た」
「!」

危惧していた通り、気がついた瞬間に少年の目は見られていたらしい。
会う人会う人に気味が悪いだとか怖いだとか囁かれていた禍々しいアルビノの瞳を。
元来アルビノとは突然変異といっても過言ではない言ってみれば病気の一種で。
あまりいいものではない。更に人によるが一般的に紫外線に弱く、瞳が紅ければ紅いほど、
その生まれ持つ視力は弱い。

年齢を重ねれば徐々に回復する場合もあるにはあるが、少年の場合は齢が九つを超えた今でも
その視力は限りなく弱く、物の輪郭と色が分かる程度のものだ。ただそのおかげで自分を見る時、
眉を顰める他人の顔が見れず良かったとも少年は思っている。

はっきり見えてしまえば、心につく傷はより深く大きなものとなるだろう。
同年代の他の子供に比べれば我慢強い自信が本人にはあるがそれでも限度はある。
幾ら精神が強くとも、少年は所詮九歳の子供なのだから。痛めつけられれば当然痛い。
かといって反抗することも出来ない。

家柄で言えば、バーンシュタイン屈指の名家。その家に生まれてくる者は男も女も皆美しく、賢く、全てに於いて
秀でている。王家にも長年尽くしており、その点で実質的な――肉体への暴行を受けることはない。
そんなことをすれば喩えもし少年の方に過失が有ったとしても、家柄の大きさでその罪は相手の方へと移行する。
本人がそれを望まなくとも。それほどの権力が少年にはあった。だから躯に傷を負うことはない。
代わりに言葉による暴力は尽きなかった。侮辱罪が適応されるために面と向かって口にされることはないけれど。

しかし、だ。この目の前の少女なのか少年なのか・・・それすらも分からぬ幼子は、今まで出会った人間とは
違う反応を返してきた。少なくとも怯ている様子はなく、馬鹿にしているわけでもない。ただただ綺麗と純粋にそう言った。
まるで自分の容姿に悩む少年自身を、いつも大丈夫だとおかしなことはないと優しく諭していた両親のように。
もう二度とそんな人間が現れるわけもないと、諦めていただけに少年は嬉しさよりも驚きの方が勝っていた。

ただ、一体そんなことを口にする幼子はどんな表情をしているのだろうか。それだけが気になった。
気を遣ってお世辞を言ってくれたのかもしれない――自分よりも年下らしい幼子が?
それとも自分の家柄を知っていて媚を売っているのか――ローランディアには教会に訪れる時しか寄らないのに?
下手に浮かれて後ほど真実を知り落胆するのが嫌で少年は必死に期待しないように心がけるものの。
どれも否定するには無理があった。つまり、顔も分からぬその相手が本音で言っていることになり。

血色の悪い頬に一気に熱が篭る。容姿のことで褒められることなんて身内以外からは一度だってなかった。
勿論貴族同士の暗黙の了解というか、『ご挨拶』として薄っぺらい賛辞を放られることはあったものの。そのどれもが
ご機嫌取りに述べた嘘偽りで。心の全く篭っていないそれは目前で罵詈雑言を投げつけられるのと同じくらい、
少年の気に障った。そういう扱いを受けてきたばっかりに少年はとことん褒められ慣れていない。
故に、自分でも驚くほどに照れた。真っ赤な顔を隠すようにフードを目深に被り直す。

「・・・どうしてお顔を隠すの?」
「・・・ッ、それ、は・・・」
「せっかく御伽噺の王子様みたいに綺麗なのに」
「!!?」

紅い瞳が大きく見開いた。驚愕のあまり、一瞬まだ細い喉が絞まり息を止める。
何てことを言うのだろう。あまりに非現実的なことを言われて少年の思考は真っ白に染まり上がった。
その間、動けずにいると小さな手が、顔を覆い隠す黒衣へと伸びてきて。

「!」
「やっぱり綺麗なおめめだね」
「み、見るな!」

淡く色づいたような吐息を零して告げられた言葉に反射的に少年は叫ぶけれど。
幼子は気にした風もなく、繁々と緋色を覗き込み。

「どうして?」

小首を傾げる。顔は分からないが僅かに見える相手の動作は如何にも可愛らしく。少年は戸惑った。
どうしてこの子供は自分に構うのだろう。どうしてこの子供は俺を喜ばすようなことを言うのだろう。
どうして逃げないのだろう。どうして、どうして。疑問は幾重にも広がって何と返せば良いのか分からなくなる。
結局、逃げ出そうと立ち上がりかけたものの、外套の裾を抓まれて転びそうになる。

「な、何をするっ!」

とっさに踏み止まったとはいえ、危なかった。ただでさえ少年の目は悪い。そんな状態で転んだら怪我どころでは
済まなかったかもしれない。しかし、引っ張った張本人に悪びれた様子はなく。きょとり。そう表現するのが一番
しっくりくるような様相をしていて。思わずむっとしかけて・・・小さな手に込められた力の強さにはっとする。

「・・・行っちゃうの?」
「・・・ッ」
「君も・・・」
「何・・・?」

見捨てるのかと、言われた気がした。
出会って間もない、名前も顔も分からぬ子供に。
けれどその切なげな声が、酷く胸に突き刺さる。

「お前・・・?」
「・・・あっ。ごめんなさい・・・つい」

反射的に離された手が、何処か惜しく感じた少年はぼんやりと映るシルエットを追う。
定まらぬ視界でもその身の華奢振りが窺えた。酷くか細く頼りない、籠の中で震える小鳥のような。
腕の中に掬い上げて抱きしめてやりたい――そんな衝動を呼び起こす・・・。

「・・・ぁ」
「少し・・・少しで良いから落ち着け。勝手に行ったりしないから・・・」
「・・・・・うん」

ぽんぽんと節くれをつけて、薄い背中を幼子より少し大きな手が撫でる。これは自分よりも弱い生き物だと、
少年は感じたのかもしれない。守ってやらなければ、と。

「・・・・・俺を、」
「?」
「介抱してくれたのだな・・・礼が遅れた。ありがとう」
「ううん・・・偶々、ここが僕の自由に出歩ける場所だったから・・・」

変なことを言う。視力の悪い少年にも、幼子の身なりがいいのは分かる。それこそ貴族か何かのような。
逆ならば分かる。権力を持たぬ者が出入り出来ない区域というのは少年の祖国でもあるバーンシュタインにも
少なからず存在するからだ。なのに、この幼子の口ぶりでは出歩ける場所はごく限られている、そう聞こえた。
違和感に少年は首を傾げる。

「お前は・・・何者だ?」
「え・・・?」
「市井の人間にしては妙に身なりがいい。
かと思えば行動に制限がある・・・それは少し、変だ」
「・・・・・・・・」

バーンシュタインだろうがローランディアだろうが、何処の国でも権力者には甘い。そういうものだ。
なのに何故この幼子にはそれが許されないのか。多少の好奇心と、疑念が少年の心中に沸く。
もしかすれば、ある意味で自分と同じなのではないのか、と。

「・・・僕は」

微かに震える囁きが確信に変える。

「・・・世界を滅ぼす闇なんだって」

縋るように、懺悔するように耳に届いた言葉は。
少年に『同類』を見つけたと、そう感じさせた。

『なぁに、あの紅い瞳。血の色みたい』

『悪魔の眷属』

『いやだ、目が合ったわ。気味が悪い』

『陽の下に出れないなんて、まるでヴァンパイアだな』

『近寄るな、血を吸われるぞ』

―――どんな暴力よりも怜悧に突き刺す悪意たち。

それに晒される者の気持ちを一欠けらも理解せず。静かに、深く深く心の脆い部分に傷を刻んでいく。
痛いと口にしたら負けな気がして、誰にも言えなかった・・・。そんな思いを、目の前の小さな存在も味わっている?
少年は初めて見つけた『同類』に、堪えきれず、一筋の涙を・・・零した。


―――少年の小さな小さな箱庭に『小鳥』が一羽迷い込んだ。




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まだ名前が出てこない(笑)
目が不自由な人から見た視界の表現は難しいですね。

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