胸壊 −ambivalence−





「カーマイン!」

何とか手伝いを終え、夕食も終えた後、すぐには部屋に戻る気になれず、窓際で涼んでいると
耳元に随分と威勢のいい声が響いた。この、鼓膜すら破りそうな大声の主の心当たりは一人しかいない。
そっと視線を移せば、思った通りの小さな少女の姿がある。

「ティピ・・・?」

存在の確認ではなく、何だという意思を乗せて語尾を上げれば、彼女はやや憤慨したように口調を強め
俺の眼前へと背中の羽を羽ばたかせ飛んでくる。淡いオレンジ色の光が目を灼く。

「〜〜〜ッ、アンタねえ。このアタシが何度も呼んでるってのに・・・!一回で返事しなさいよね!」
「・・・・呼んでた?何回も・・・?」
「少なくとも十回は呼んだわよ。いつにも増してぶぉーっとしちゃってさ!」

唇を尖らせているせいか、妙に強い発音で指摘された内容に我ながら苦笑が漏れる。
十回も呼ばれて気づかないなんてそれは確かに怒られても仕方ない。というかよくもそこまで
聞き流せたというか。ともかくも見た目はとても可憐な少女に一言詫びた方がいいだろう。

「・・・ごめん。今度から気をつけるから・・・」
「・・・・・いいわよ、もう。それより何かあったわけ?ライエルさん来てから元気ないわよね、アンタ」
「・・・・・・・・」

流石に気づかれているだろうとは思っていたが、本当にその通りになると僅かながらに動揺してしまうのは
何故なのだろう。しかし、とてもではないが今抱えている悩みなどティピに言えない。
元の世界の『アーネスト』と自分が浅からぬ仲なのは知っているだろうが、まさか別の世界から現れた
『ライエル』に手を出されそうになっていて困っているなど。むしろ出されそう、というか出されたのか?
その上、接触される度に抗えなくなっている自分がいるなど。絶対に言えない。

「・・・別に、何でもないよ。ただ、彼が自分の世界の『彼』とは違うから・・・少し戸惑っているだけ、だ」
「あっそ。ま、別に言いたくないならいいけど。この世界じゃマスターに報告も出来ないし、さ」
「皆して過保護すぎるんだ・・・」

もう、躯に異常はないし、以前のように俺を縛る柵はなくなった。なくなったと思いたい。
二度と仲間を傷つけるような真似はしたくないし、誰かを悲しませたくもない・・・誰かを犠牲にしたくもない。
今の俺が在るのは数多の犠牲の上なのだと分かっている。だから、足元に流れる血の河がこれ以上
肥大しないように。祈るように生きるだけ。でも生きている限り誰も傷つけずにいられるわけもない、
それも分かっている。分からないほど、愚かじゃない。

日々、血の河は広がっている。

「・・・・に、逢いたいな」
「え、アンタ何か言った?」
「・・・いや・・・何でも、ない」

つい呟いてしまった弱音はティピの耳には届かなかったようだ。早く元の世界の『彼』に逢いたいなんて。
母親とはぐれた幼子でもあるまいに。逃げ場にするなよ、大事な人を。目の前の痛みから逃げるなよ。
自分が弱いのも愚かなのも知っているけれど、逃げるのは違う。弱いから、では済まされない。

「ちゃんと・・・向き合わなきゃ、な」
「ん・・・?」
「・・・こっちのライエルとも上手くやれたらな、って」
「アンタなら大丈夫でしょ?」

何の根拠もない後押しに、救われる。彼女は素直ではないけれど、嘘は決して吐かない。
だから彼女の言葉は無条件に信じられる。思いもかけず貰った勇気がほんの少し、肩に圧し掛かった何かを
払ってくれたようで口元が綻ぶ。

「・・・頑張るよ」
「うん!頑張んなさいよ!」
「ところで、何か用があったんじゃないのか?」

元はと言えば、話を聞いていないと咎められていたはずだ。

「・・・別に、アンタのゴタゴタが済むまでコリンのとこにでも行ってるわってだけよ」
「・・・・コリンたちに迷惑掛けるなよ?」
「誰がよっ!!失礼ね!!」

また気を遣ってもらったことに申し訳ない思いを抱きながらも、茶化すような口を利いてしまうのは
自分の悪い癖だろう。素直な奴だと言われることもあるが、全然素直なんかじゃない。
心中で思っていることの半分もきっと伝えられてはいないだろう。そういう性分なのだと言ってしまえば
それまでだが、本当はもっと素直でありたいと思っている。思うだけでは何も変わらないというのに。

「・・・・・ティピ」
「何よ、まだ何か文句あるわけ?」
「・・・・あり、がとう」
「・・・フン。そうやって素直にお礼言ってればアンタも可愛いのにね」

そう言い残すと彼女はひらりと、恐らく言葉通り妖精仲間―厳密に言えばティピは違うのだが―のコリンという
少女の元へと、向かったのだろう。自分としてもそれは有難かった。そうでなければ、俺はきっと彼から
逃げることばかり考えてしまっただろう。自分の心を守るために。これ以上、揺らさないで欲しい。
聞こえてくる、破滅の音に誘われそうで身が竦む。

怖い、怖い、怖い。

俺が好きなのは、愛おしいのは『彼』なのだと。

必死に唱えていないと、足元が砂上の城のように崩れてしまいそうで。

「・・・頼むから、これ以上・・・」
「これ以上、何だ?」
「!!」

つい漏らしてしまった独り言に返事が返って来たことに、況してやその声主に背筋が凍る。
自分が恐れているもの。愛しい人と同じ顔、同じ声、同じ立ち居振る舞いのその人。
違うのは歩んで来た道くらいのもの。だから怖い。もっと劇的に何かが違っていればこうして引き摺られることも
なかっただろうに。

「・・・ライエル」

振り返ることすら出来ずに応えを返せば背後から伸びる腕。逃げ出す暇もなく、抱き竦められる。
触れる吐息が、体温がそれだけで俺から自由を奪う。嫌だと何度口にしたところで説得力など微塵もない。
本当はこうして触れられることを何処かで喜んでいる自分がいるのだから。

「・・・逃げられはしないと、言ったろう?」
「・・・・・・・・・」
「この世界そのものが、途切れることのない檻なのだから」

言われずとも、分かっている。この世界にいる限り、逃げ場所はない。
だから逃げないと。決めたはずなのに。

「カーマイン」

低い吐息に背筋が凍る。指先に力が入らない。気を抜けばそのまま倒れてしまいそうなほど。
緊張に、自分が今息をしているのかどうかすら、自覚する術もなく。

「・・・最後の忠告だ」
「!」

首を覆う薄布を指先で引き下げられる。隔てるものがなくなった首筋に触れる風が冷たい。
むき出しの首筋に無骨な指が這う。生暖かい感触が伝う。舐められている、と。自覚した瞬間、肌が粟立つ。
次いで、食い込んでくる鋭い牙にも似た、歯。縊られるのとは別の鬱血の跡が刻まれる。
動物で言うところのマーキングのような。

「・・・そろそろ、この状況にも飽きてきた」
「う、・・・ッ」
「もう猶予はやらん。次に捕まえたら終わりだ」

この下らない鬼ごっこは。
吐き出された言葉の冷たさに心が痛む。

「嫌なら、全力で逃げろ。二度と捕まらぬように。卑怯な真似でも姑息な真似でも何でもすればいい」
「・・・・・・ッ」
「けれどもし、次もまた捕まるようであればその時は・・・」

敢えて切られた言葉の先。珍しい、蕩けるような微笑に目を塞ぎたくなる。
この人は本来こんな風には笑わない。それほど長い付き合いではないけれど。
奇麗だけれど、何処かに狂気を感じるその表情は。本当に鬼にでもなってしまったのではないかと思うほど。


―――君は何処へ行こうとしている


問い掛けた言葉を、寸でのところで飲み込む。答えなど聞きたくなかった。
例え返ってこなかったとしても。・・・聞きたくなかった。

そうして止まることなく確実に時は刻まれていく。明るさを失わぬ、月のない世界で。
中心に聳える太陽が、皮肉なほど煌いて。




俺が俺でいられる最後の夜が、静かに静かに近づいていた・・・。


to be countinude...


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カーマインさん、袋の鼠。
次で恐らく終わります。そして次回は裏です←

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