胸壊 −ambivalence−





失ったものが大きく大切なほど、人の心は捩れるものだと。

もう随分前から識っていたのだろう―――自分は。

傷つけることで必死に愛を謳っていた気がする。


「・・・・ッ」

一月前、まだ何も失っていなかった頃。真綿で包むように、優しく、愛そうと。
今思えば随分と無茶なことを・・・愚かなことを考えていた。
優しさと愛情がイコールで結ばれているなど酷く短絡的に。

優しさでは、何も救えやしないのだと全てが終わってから気づくなど滑稽の極みだろう。
だから、きっと無意識に・・・心の何処かで決めていたのだと思う。
もしも、次があったなら。どんな姑息な真似をしてでも、欲しいものは奪うのだと―――。

「・・・・ん・・・っふ、ぅ・・・」

距離を開けたところで、一度視界に入ってしまえば放っておくことなど出来ず。
見つけてしまった彼を追い詰め、近くの木へと押し付けて口を塞ぐ。強く、息も出来ないように。
もう、とっくの昔に深みに嵌ってしまっていた自分には、彼を道連れにより冥く冷たい水底へと堕ちることを
選択する道しか残っていなかった。震える唇を割り開き捩じ込んだ舌で口腔を犯す。三度目の口付け。

逃げ惑う舌に絡み付いて踊り、混ざる唾液を啜れば、甘い毒が躯を駆け巡る。頭が可笑しくなりそうなほど濃密な空気。
何が遭っても死ぬなと言いつけておきながら、このまま窒息死させるのも悪くないなんて愚かなことを思う。
息をしたいと訴えてくる唇を、角度を変え更に貪る。塞いだ口から漏れる熱い吐息に高揚を隠せない。

「ん・・・む、・・・っ、ん・・・」

鼻に掛かった啼き声に煽られる。このまま、犯してしまおうかと。ろくでもない考えが浮かんだ。
愛されたい。そう希っていながら、嫌悪されるだろうことをしようとする自分。何がしたいんだか。
己に呆れてフッと小さく苦笑が漏れた。瞬間、緩む拘束。その隙を逃がすものか、と押さえつけていた青年が身を捩る。
手折ってやりたくなるほど健気な抵抗に、益々熱を煽られるのが分かった。次第に思っただけ、のことを
現実にしてやろうという気になる。細い四肢の両脇に突いた手を片方動かして、腰骨に触れてやれば
いっそ愛らしいほど分かりやすく、追い詰めた躯が跳ねた。

「・・・ッ、や・・め・・・ライエ・・・」

文句を言う口をより深く塞ぎ、四肢に張り付く薄い生地のインナーの裾に指先を忍ばせる。
肌理の細かい滑らかな肌に迎えられ、ここが異世界であることも野外であることも白昼の下なのも忘れて先を望む。
臍の窪みからわき腹をなぞり、肋骨、胸へと。侵食を進めていくと、ビクリと揺れる痩身。
胸の淡い色づきに触れる瞬間、強い力で押し返された。細く見えてもやはり男なのか。突き飛ばされて
そんなことを何とはなしに思う。

「・・・何だ。出来るのか、抵抗」
「・・・・・・ッ」
「まあ・・・いい。どうせこの世界にいる限り、お前は逃げられはしない」

今のところ、帰れる保証は何処にもない。この世界に呼び寄せられた者の殆どが、随分と気楽に
構えているようだが、ことの重大さに気づくのもそう遠い未来ではないだろう。この異世界という広大な檻の中に
自分達が閉じ込められているということに。今はただ、その強固な檻に感謝するとしよう。
避けたくとももう避けることなど彼には出来ない。時間を掛けてゆっくりと羽を?いでしまえばいい。

「・・・取り敢えず、そのお使いを果たしてきたらどうだ?」
「・・・・・・・!」

すぐには頭が働かなかったのか、釈然としない様子だった青年は数秒間を置いてからはっとしたように
佇まいを正す。真っ赤な頬で、濡れた強い瞳で睨みつけながら。狩られることを良しとしない気高い獣のような。
見つけてしまった。『彼』とは違う、彼だけの良さ。消えてしまいそうな儚さが美しかった『彼』とは違う、
近づいてくる獣を逆に食い殺してしまいそうな強さが美しい彼。奪いたくなる、のめり込む。底のない奈落へ。
音を立てて崩れていく、音を立てて堕ちていく。

―――狂気の旋律が聞こえた。

荷を抱えて駆けていく黒い後姿が視界を掠めていく。守ることが優しくすることが、愛情の示し方だと
思っていたのに。捩れていく。傷つけて足枷を嵌めて自由を奪ってしまいたい。それが今の俺に出来る
最大限の愛の形なのだと訴えたなら彼はどんな表情をするのだろう。嫌悪するだろうか、軽蔑するだろうか。
憎むだろうか。それでも構わないけれど。もし、叶うなら。

「・・・一緒に狂ってくれればいいのに」

狂気に染まり、他に何も見えなくなってしまえば。嗚呼、それだけで。
まだ余韻の残る唇を指で辿ると走る甘い痺れ。
心臓の奥から疼くこの感覚が、久しぶりに生きている実感をさせてくれる。

「・・・・・夜がない世界、か・・・」

こんなに明るい世界で、色欲ばかりが込み上げてくるのは、よほど溜まっているのか。
笑ってしまう。こんな自分が彼を手に入れたらどうなってしまうのか。考えるだけで愉快になる。
未だ消えぬ余韻を引き摺りつつも投げつけた剣を回収し、ゆっくりと彼の後を追った。


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