茨姫の棺







―――夢を見る。

絶えず、終わらぬ悪夢に程近い哀しい夢。

真っ白な美しい籠の鳥が、緋色に染まっていくのを。

鍵の開け方も知らぬこの腕は何も出来ず、ただ見守るだけ。

夢中で伸ばした指先に触れるのは、せいぜいはらりと舞った羽根一枚。

手折られた翼にすら手が届かない。



疵はどこまで拡がるのか・・・・・・?







Act8: 疵跡








ぽつりと何かが頬を濡らした・・・・・・・。

薬品の匂いが漂う白い室内で、アーネストは目を開けられはしないものの、意識だけは浮上するのを感じた。
開いた窓からひやりと髪を撫でる風と頬を生暖かな雫が濡らしていく感触を混濁した意識の中でも掬い取る。
自分の身に何が起きているのか、視覚における情報を得る事が出来ない彼には判別し難かったが、ゆっくりと
今の状態に至るまでを真っ暗闇の中で考える。

―――辺りが暗い。それは何故か。それは俺が眠っているからだ。何故眠る。眠いから?それは違う。
意識ははっきりしてきている。では何故眠る。身体は動かせるか?動かない。それでは何故。ああそうか・・・・・、
俺は怪我をした。血が足りない。だから身体が動かせない。意識はある。だが肉体は疲れきっている。それで動けない。
どうして俺は怪我をした・・・・・・・?

答える者が自分しかいない精神世界で矢継ぎ早に浮かぶ疑問に自身で答え、更なる疑問を問いかけながら
アーネストは自分の身に降りかかった出来事を一つずつ思い出していく。しかし頭は働くのに身体はぴくりとも動かせない
落差に苛立つのか、次第に呼吸に乱れが生じる。荒れた吐息を鼓膜に捉え、アーネストは知らず眉間に皺寄せた。
すると、まるでそんな自分を宥めようとするかのように、頬に微かな温もりが添えられて。何かと思うまでもない。細い
指先が触れている。肌理の細かい・・・・その感触は以前から知っていた。だから、アーネストは弾み乱れる呼吸を
落ち着かせる。それは自身が最も好む温もりだったから。

しかしその温もりは硝子細工を扱うかのように優しかったが、何処か哀しさを感じさせるほど震えが奔っていた。
先ほど感じた頬を伝う生暖かな雫といい、温もりを与えてくれるその人が泣いているのだと分かる。アーネストは
すぐにでも瞼を抉じ開けたかった。泣いているその人を慰めてやりたいと。癒す事など出来やしなくとも、抱きしめて
やる事くらいは出来るから。それはただの自己満足かもしれないし、触れたいだけなのかも分からないけれど。
それでもと、想う気持ちは例え偽善だなどと言われても決して変わりはせず。動かぬと分かっていながら腕に力を
込めようと意識する。だが、やはりそれは徒労に終わった。意思があるのに動かぬ腕はまるで枷のようだと内心で嘲笑う。
指先が離れ、気配が遠のいた。それを惜しむ自分に気づき、アーネストは何とも言えない気持ちになる。
ただ、泣いている彼の人が誰にでもいいから、救われる事を祈って―――






◆◇◆◇






「ライエルさん、どうだった・・・・?」

カーマインが自室に戻るとベッドの上にちょこんと座った小さい少女が心許なげに問うた。いつも元気な彼女にしては
随分としおらしい声音にカーマインのオッドアイが僅かに伏せられる。ふわりとベッドの上からティピが飛び立つ。
そしていつもの定位置である細く繊細な肩の上に座り直した。殆ど重みを感じさせない、けれど確かにそこに在る熱を感じ
ティピの椅子代わりの青年は微かにだが微笑んだ。

「・・・・・・命に別状はないって・・・・でも・・・・・・・」

喜色の浮かんだ言葉。しかし、すぐにそれは萎んでいく。きっと命に別状はなくとも酷い状態だったのだろうとティピは
感じ取る。そしてそんな残酷な結果をカーマインに言わせるのは庇われた身の彼からすれば、とんでもない痛みにしか
ならないだろうと、ティピは遮るように口を開く。

「よかった、ライエルさんが・・・アンタが生きてて・・・・・」
「え?」
「アンタ、リシャールに呼ばれてすぐ外に行ったから知らないんだろーけど、ライエルさん凄かったんだよ?」
「・・・・・・・・・・・凄かった?」

興味を示したカーマインにティピは内心でほっとしながら少しだけもったいぶるように続ける。

「そー。ライエルさんがいない時に言うのもあれなんだけどさー・・・・・・まあ別に口止めされてないし」
「何だ、はっきりしないな」
「何?知りたいの?」
「・・・・・そりゃ・・・な・・・・・途中で話切られるなんて・・・・気持ち悪いじゃないか」

僅かに歯切れの悪い声。気のせいか頬に熱が灯っているような態度。明らかに気にしている。しかもそれはどちらかと
いうと好奇心というよりは好意を感じさせる反応で。ティピは胸の辺りがほんの少し締められるような、息苦しさを感じた。
けれど、いつまでも沈んだ顔をしたカーマインを見ているのはもっと偲びない。だから、少しでも彼の気が逸れるなら、
苦痛から離れられるのならと応える。

「・・・・ライエルさんね。アンタが呼ばれて部屋出てった後、アタシにアンタの後を追ってくれって言ったの」
「・・・・・・・・・・・何」
「アンタの事、心配だったんだよ多分。凄く、苦しそうな表情してたもん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「だから、アタシはアンタとリシャールの話聞いて、その内容を全部ライエルさんに話した・・・」

その時の事を思い出したのか、ティピは普段は明るい笑顔を乗せる顔にやや苦味を湛えて。しかしフルフルと首を
大きく振って気持ちを切り替え、続ける。カーマインはどう反応していいか分からず、ただ黙って耳を傾けた。

「そしたらね。ライエルさん、眼を見開いて・・・・・・アンタの事探し出したのよ」
「そう・・・・・なんだ」
「その時のあの人の事アンタに見せてあげたかったわー。もう、普段の冷静さなんて欠片もなくってさー。
しかもあれじゃない。雷落ちて停電したでしょ?その時にこっそり見ちゃったんだけどあの人一回柱に頭ぶつけたのよー」

おっかしーでしょー?と首を傾がれ、その様を浮かべたカーマインは確かにそれは笑えるなと思った。けれど、彼本人は
それだけ必死に自分の事を探してくれていたという事だ。何だか申し訳ないような、それでいて何処か嬉しいような複雑な
気分になる。それからふと思いついたように。

「・・・・・話を聞いてるとお前はアーネストと一緒にいたように聞こえるが」
「あー、途中まではね。ライエルさん、急に何かに気付いたような顔して凄い迅さで走ってちゃったからさ。撒かれちゃって」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「多分、アンタの事見つけたからだろうけど。アタシは見失ったライエルさんの事探してて・・・・その後の事は知らないけどさ」

ティピの声が急に拗ねたものになる。だが、それでよかったとカーマインは思う。もし、あの場にティピがいればもっと話は
ややこしくなっていただろうし、身体が頑丈なアーネストですらヴェンツェルの魔法を喰らってあの様だ。ティピが巻き込まれて
いたら確実にその小さな身体では命がなかった筈。だから、それで良かったのだ。カーマインは安堵したように微笑う。

「・・・・お前も心配してくれたんだろう?俺は、それだけで充分だと・・・・そう思うよ」
「でも、アタシは・・・・アンタやライエルさんについていたかった。ルイセちゃんたちと気まずくなっても・・・・」
「よした方がいい。お前は・・・・・なるべく顔を出さない方がいいだろう。お前のためにもルイセたちのためにも・・・・」

そう言うカーマインの顔はまた何処か青褪めている。それは心的な事が原因か、それとも体調が悪いのか判別し難い。
もし、体調が悪いのだとしたらティピは迂闊に人を呼びに行く事も出来ないし、唯一の味方であるアーネストも今は到底
起き上がれる状態じゃない。どうするべきかと頭を悩ます。

「・・・・アンタ、顔色悪いよ?まさかまた血ぃ吐きそうになってんじゃないでしょうね」
「・・・・・いや、大丈夫だ。少し、雨に打たれて身体が冷えた・・・・・それだけだ」
「それだけだ、ってアンタねー。今のアンタは虚弱体質みたいなもんなんだから見栄張ってないでさっさと寝なさいよ」
「・・・・・・・・・知ってるだろう?今の俺はもう・・・・休んだところで回復しやしないよ・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・アンタ!!」

ぱしんと頬を小さな手で叩く乾いた音がした。痛くはない。だからこそ余計に胸が痛む。金と銀の両目が伏せられた。

「・・・・・・・悪かったな。でも、自暴自棄になってるわけじゃない。事実をそのまま伝えただけだ」
「何でアンタが謝るのよ。・・・・・・何でアンタはそんな淡々としてんのよぉっ・・・・」
「足掻いてどうにかなる時期はもうとっくに過ぎた。・・・・だから今の俺はたった一つの願いのためだけに生きてる」

とうに死を受け入れてしまっているカーマインが唯一、この世界に留まろうとする理由。ティピにはそれが何か分からなかった。
いや、何となくは分かる気がするのだがはっきりとは断定出来ない。きっと仲間絡みだろうとは思う。以前の彼は自分のためと
いうより仲間のために生きていたから。けれど今の彼の様子を見ているとそれだけではないような気もする。ずっと様子を
見ていたわけではないから確信も何もなかったが、ただティピの目から見ればカーマインは仲間―ルイセたち以上に
アーネストに気を許しているようで。彼に直接聞いたわけではないし、聞いたところで答える筈もないから推察するだけなのだ
けれども。しかし、もしそうだとしてもカーマインの性格上特別な感情があっても自分の命が残り少ないのを知っていて、
相手を傷つける事が分かっていて、それを言葉にするとは思えない。死ぬ瞬間まで心は秘めたままに違いない。
不意にティピは泣きたくなった。けれど自分が泣けば、カーマインは益々苦しむだろうと何とか堪える。

「・・・・・・アンタの願いってさ、どうせ聞いても教えてくれないんでしょ?」

泣きそうな顔を、拗ねてるものに見せるよう、そう聞いてみればカーマインは苦笑して小さく頷いた。

「願いは、人に話してしまうと叶わないんだってさ」
「・・・・・・・じゃあ、心優しいティピちゃんはアンタの願いが叶うように聞かないでいてあげる」
「・・・・・・・・・自分で言うか?でも、有難うティピ・・・・・・・」

苦笑が、心からの笑みに変わる。綺麗な表情だった。けれど白皙の面は不健康極まりなく青白い。息絶えてしまいそう。
一度は寝る事を勧めたティピだったが、もしそのままの顔色でベッドに横たわろうものなら、眠ったまま二度と目を醒まさない
ような気がして。再度咎める事は出来ずにいた。代わりに。

「アンタさあ、休む気がないんだったらライエルさんのトコ行けばぁ」
「・・・・・・何で急に意見が変わってるんだお前は」
「時間を有効活用しろって言ってんのよ!ただ起きてるくらいなら怪我人看てる方が有意義デショ」
「・・・・・それは、そうだが・・・・・・・しかし」

出来るだけカーマインの気持ちを汲むようにして言った言葉だったが、当人は何故か物憂げな表情をする。確かに
自分を庇ったせいで怪我をした者の傍にいるのは良心が咎めるのかもしれないが、普段の彼なら責任を感じてティピに
言われるまでもなくアーネストを看ているように思う。ならば何故、今彼は自室に留まっているのか。答えは見つからない。
けれどカーマインは、一度大きく溜息を吐くとドアノブに手を掛けた。恐らくアーネストの元へ戻るのだろう。

「・・・・で、行くの?」
「・・・・・・・・ああ。俺の責任だし、それに・・・・・何だか胸騒ぎがする」
「胸騒ぎ?」
「何か、とても悪い事が起きるような・・・・・・。大体、俺たちは元よりそのつもりだったとはいえルイセたちを逃がした」

その咎も間もなく問われる事になるだろう、と低く呟いて。カーマインは廊下へと出て行った。ざわざわと雑踏を歩いている
ような落ち着かない気配に眉間へ皺寄せながら。その彼の予感は違える事なく、形になるのだけれど。音もなく、突然に。
誰もが予想していなかった形で起こり得るそれへ不安を抱えながら漆黒の影は回廊に小さく、小さく消えて行った―――





ざわざわと。

胸を過ぎる悪い予感。

確実に未来へと伸びる胸騒ぎ。

ただでさえ、深い疵を抉るような・・・・・・。

やっと掴んだ羽根一枚を取り溢すような。


―――疵は何処まで拡がって、何を奪う・・・・?








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前回、前々回と長い話が続きましたので今回は短めに。
しかしこれだと次回がまた長い話になりそうな気が・・・・。
ローランディアSIDEに戻ろうかと思いましたが、テンポの都合上
バーンシュタインSIDEで行こうと思います(何)多分またリシャールが
ちょろっと出てきそうです。んで悪い予感が現実になると。
いつもここに書いた事を基にしてるので滅多な事が言えません(改善しろよ)
まあ、次回はアニーちゃんと起きますよ(そんな纏めか)

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