茨姫の棺




願っている。

自分がこの世からいなくなった時。

ただ、全てが平穏であるように。


祈っている。

この身体が地に還っても。

悲しみにむせび泣く人がいないように。


どうか、どうか。

大好きな人たちが、

微笑っていてくれますように。


何度も何度でも強く願い、祈る。

けれど、何処かでそれが叶わない事だと知っていた。

向かうのは、総ての破滅だと。



―――知って、いたんだ・・・・・。







Act.9:破滅の足音








刻一刻と、近づいてくる。
破滅へと向かう、重く響く足音がゆっくりと、けれど確実に。
カウントダウンは、もう既に始まっている―――





「・・・・退屈だな」

仄暗い廷臣すら配されぬ王の間に、年齢にそぐわぬ少年の重い声音が響く。
優雅に玉座の上で足を組み、頬杖をつきながら、目下に跪く黒い影へと同意を求めるように愉悦の笑みを履きつつ見下ろす。
視線を受けた影が面を上げれば、白色の仮面がうっすらと闇の中に浮かび上がった。そして顔を上げた勢いのままに
身を起こし立ち上がると、王たる少年へと仮面の下に淡い微笑を乗せ、それが答えだとでも言うように返す。

「そろそろお前たちに活躍してもらう事になるだろう」
「それは構わぬが、お前の手持ちの駒はどうする気だ・・・?」

少年が尚も愉しげに声を上げれば、仮面の男も頷きながら少年同様に面白がるような、そんな口調で聞き返した。

「駒・・・?ああ、アーネストの事か。アレはもう要らないな」
「容赦がないな。親友、なのではないのか」
「ハッ、笑わせてくれる。【私】に人間が必要だと思うか?【私】には同胞と主がいればそれでいい」
「そうだな。人間は我々の世界を奪った奪略者だ。この世に一人たりとも必要ない」
「・・・・そうだ。我々から全てを奪った人間など要らぬ。【私】の中の【リシャール】も早く消さねばな」

煩いだけだ、と忌々しげに蜜色髪の少年が舌打てば、仮面の男はマントを大きく翻らせて踵を返す。
その足取りで数歩扉の方へと歩んだかと思えば肩越しに玉座を振り返る。薄い唇にはやはりシニカルな笑みが
湛えられていた。

「・・・・・参考に聞いておこう。どうやってお前の中の【人間(リシャール)】を殺すつもりだ?」
「簡単な事。【奴】がまだ【私】の中に生きているのは【親友(アーネスト)】という希望があるからだ」
「・・・・・・・・・ほう?」
「アーネストは有能で忠義深いからな。今までは役に立つだろうと生かしていたが、アレは【私】に背いた。
おかげで殺すいい口実が出来たよ。アレさえいなくなれば【リシャール】の味方はもういない。そして人間は弱い。
味方がいなくなればその孤独に耐え切れずに自ら消滅する事だろう。その時こそ、この体は全て【私】のものになる」
「そうか。そうなれば主様のご意向もより叶え易くなる。では、その男、いつ殺す?」

仮面の男が問うた言葉に少年はうっとりするほど美しく、同時に目を逸らしたくなるほど醜悪な笑みを浮かべる。

「そうだな、早くて一週間後だ」
「一週間・・・・?何故そんなに間が空く」
「仕方ないだろう?人間の世界では立場のある者を殺すには色々と手順を踏まねばならんのだよ」
「ふん、面倒なんだな人間とやらは。我々の世界ならば主様の一声で全て片がつくのに・・・」

嘲笑混じりに仮面の男は呟くと今度こそ扉を開け放ち、城外へと出て行った。その長く伸びる影を見送っていた少年は
扉が閉まると同時に、糸が切れたかのように哂いだした。狂いに狂ったそれは到底聞けるものではない。耳を劈くような
地獄から響くような、気味の悪い不協和音を奏でる。暫く続くかと思われたそれは急にぴたりと止んだ。少年の濁った碧眼が
高い天井を仰ぐ。その顔には特にこれといった表情はなく、却って不気味さを増す。けれど。

「・・・・やはり【ここ】は退屈だ。早く貴方の元へと帰りたいよ【父様】・・・・・」


最後に、何処か幼く漏らした言葉は異形の神に創られし子供のそれでしかなかった―――






◆◇◆◇






トントンと、軽いノックの後に扉が開かれた。白で統一されたその部屋は一歩踏み入ればツンと薬品の匂いが鼻をつく。
ところどころに止血に使ったと思われる赤茶けたガーゼや包帯が置かれていた。それらを軽く目に留めつつ、漆黒のシルエットは
部屋の奥へと突き進む。そして患者の様子を診ていた医師に伺いを立てれば、気を利かせた彼は青年に後を任せて軍医の寮へと
戻っていく。去り行く白衣の男に頭を下げた青年は踵を返し、ライトグリーンのカーテンで仕切られた患者の元へ椅子を引いてきて
ベッド脇に掛ける。金と銀の色違いの視線が目下の不健康な青白い面へと注がれた。

先ほど様子を見に来た時とさほど変わらぬ状態に小さく息を吐いて、それからそっと、分厚い包帯を巻かれた腕に羽のように
軽く触れる。自分を庇ったせいで負った、本来ならば必要のなかった傷。今は手当てされているから見る事は出来ないが、
この白い布の下には肉を抉った傷を爛れるまでに焼いた火傷が拡がっている筈だ。きっと生涯残るだろう、その酷く醜い痕に
どう償えばいいのか。捧げられるものは自分の命くらいしかないのに。しかし、もう死に掛けのそれをわざわざ奪おうなどとは
このベッドに横たわった人は思わないだろう。ならばどうすればいいのか。漆黒の青年には考えも及ばなかった。

「・・・・・・アーネスト」

意図して呼びかけるつもりではなく、自然と口の端から漏れ出たささやかな音にしかし、今の今まで昏睡状態にあった男の
隠されていた緋色の双眸がゆっくりと、だが確実に開かれていく。初めはぼんやりと焦点の定まっていなかったそれが、金と銀の
稀有な彩を捉えると、一瞬驚いたように瞠られ、それから満足そうに柔らかに細められた。

「・・・・・・アーネスト・・・・?」
「・・・怪我は、ないようだな・・・・・良かった」

本当に安らいだ声でアーネストは告げると、腕を伸ばして心配そうに自分を見下ろしている青年の白い頬へと触れようとするが、
その途中に痛みでヒクリと腕が引き攣った。いくら力を込めても、それ以上腕は上がらない。まだ身体を動かすには休息が全然
足りていないという事か、とアーネストは理解はしたが、脳で理解するのと心が納得するのとでは全くの別物で。納得しきれない
心は諦めきれずに腕を上げようと意識するが、無理を強いれ続けたために額にはうっすらと汗が浮いていく。それを目敏く視界に
入れた青年は、痛ませないように優しく、小さな震えが奔っているアーネストの中途半端に浮いた腕を白いシーツへと押し戻した。
けれどまだ持ち上げようと力が入った腕に青年は困ったように苦笑を浮かべ、彼に負担を掛けずに望みを叶えるために自らの
顔をベッドに貼り付けている硬い手のひらへと寄せる。青年の行動が意外だったのかぴくんとアーネストの腕は一瞬跳ねるが、
すぐに寄せられた滑らかな頬に指先を滑らせた。まだ微かに残る涙の跡を辿るように。

「・・・・・・何故、泣いていた?」
「・・・・気づいていたのか・・・・?」
「気配は・・・・感じていた。それに目が、紅い」

うさぎかと思ったぞ、とわざと揶うように語調を上げるアーネストを咎めるように青年が見上げるが、目が合った途端に飄々と
していた彼の顔が僅かに愁いを帯びて、何か文句を言ってやろうと思っていた青年は黙る他ない。妙な沈黙が医務室に篭もる。
いつもの優しい静寂と違うそれに気まずくなり始めた頃合に再びアーネストの低い声が落ちた。

「・・・・・・これは、自惚れかもしれんが・・・俺が、お前を泣かせたのか・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・ッ・・・・・・」
「・・・・この傷を気にしているのだとしたら、それは無用だ。俺が勝手にした事だ」
「だけどっ、俺を庇わなければそんな・・・・・そんな一生残るような怪我はしなかった!」
「残る、一生・・・・?ならばそれは幸せな事だな、カーマイン」

今にも泣きそうな、青年―カーマインにアーネストは笑いかけた。気休めではなく、心からの言葉を告げているのだというかの
ようなそれで。言われた言葉の意味もアーネストの表情の意味も理解出来ず、カーマインは金と銀の瞳を揺らす。
漆黒の髪の筋が、宥めるように長く細い指先に絡めとられ、動けないアーネストはカーマインに傍に来るよう告げた。

「・・・・・・・何?」
「今一度確認する。お前に怪我はないな?」
「・・・・・・ない。君が、俺を庇ったから・・・・・」
「良かった、ならこの醜く残るだろう痕も、お前を守れた『証』になるな・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・!」
「こんな、無様な姿で・・・・お前を守れていなかったら俺はただの馬鹿だが、お前を守れたのなら・・・それでいい」

穏やかに、静謐の中で眠るように瞳を伏せながらアーネストは言う。そんな彼にカーマインは怒りにも似た何とも言い難い感傷を
抱くが、それを面に出す事はなかった。ただギリと自分の拳を色が白くなるまで握り潰す。あともう一歩で薄紅の爪が柔らかな皮膚を
破り血を流させるところだったが、そうなる前に話しかけられたので、カーマンは意識をそちらにやった。だらりと指先の力が抜ける。

「・・・・・悪いな、本当は・・・庇われてお前が怒っている事も、悲しんでいる事も全て知っている・・・・」
「・・・・・・・・・アーネスト?」
「俺は自分勝手な男だ。お前が悲しむのを知っていて、お前が庇われる事を厭うのを知っていて、それでも自分のエゴを通した」

呆れを交えた低音は何処か痛々しく、聞いていられない。カーマインの眉間に皺が刻まれた。

「お前の気持ちを無視して、お前を傷つけて・・・・・俺はな、カーマイン・・・お前さえ無事なら他はどうでもいいと思ってしまった」
「・・・・・・アーネスト、もういい・・・・もう・・・・・・」
「お前が無事なら、お前の気持ちも今まで自分を支えてくれた者たちも頭から追いやって・・・・。
最悪だ。俺は何も分かっていない。何も・・・・だから、この先に待ち構えている事も全て当然の報いなんだ・・・・」
「・・・・・・・・・・報い・・・・・・?」

どういう事だと、食い入るようにカーマインはアーネストを見遣る。苛烈な異彩の眼差しにアーネストは酷薄に口元を
歪める。それは諦めにも似た表情。カーマインはふと先ほど感じた胸騒ぎを思い出す。ドクドクと血脈が激しく脈打っているのが
分かる。心臓が見えない大きな手のひらに掴まれた気がした。

「・・・・俺は、所詮あの方の単なる手駒に過ぎない。使えないと分かればすぐに切り捨てられる、な・・・・」
「・・・・・・・・なっ、まさか!?」
「忠告は、受けていた。まさかこうも早くそれが現実になるとは思わなかったが・・・・俺は恐らく『公開処刑』に処されるだろう」

そしてきっと、今の狂気を露にしたリシャールならば『処刑人』にカーマインを選ぶであろう事も予測するのは容易い。本当は
前バーンシュタイン陛下が崩御され、あの方が狂い初めてから、ずっと予感はあった。あの方は、俺とオスカーを邪魔に思っていた。
自分に逆らおうものなら、切り捨てようと構えていた事など、もうずっと前から知っていたんだ。それでも気づかぬフリをして、
従順な駒を演じていた。謀っていたのは自分なのか、それともあの方なのかもう分からない。何もかも、破滅へと向かっている。
そこまで思ってアーネストは乾いた声でカーマインの名を呼ぶ。彼の存在を確かめるように何度も、何度も。それに戸惑いながらも
応えてくれるカーマインに満足してアーネストは言うか言うまいか悩んでいた言葉を吐き出した。

「・・・・・・カーマイン、恐らく俺はもう二日もすれば牢屋に移される。お前との約束は・・・・果たせそうにない」
「・・・・・・・・約、束・・・・・・?」
「何だ、自分からしておいて忘れたのか?お前が狂ったら、俺がお前を手に掛けると、誓ったろう・・・・?」
「それは・・・・でも、今は自分の事を考えろ。君はいいのか?このまま死ぬ事になっても」

カーマインのその問に返ってくるのは得も言われぬ、とても艶やかな笑顔。言葉で肯定されるよりもずっと胸を締め付け、
脳裏に強く焼き付けられてしまう。

「・・・・・言ったろう、俺は勝手な男だと。お前さえ、生きているのならそれでいい」
「俺はっ、もうすぐ死ぬ人間・・・・化け物だ!でも君は違う。君は生きようと思えば生きられるんだぞ!?」
「・・・・・俺が、裁かれなければ、あの方はお前を殺すだろう。そんな事、俺は耐えられない。
俺があの時、お前を手に掛けると誓ったのは、お前を自分以外の者の手に掛けさせたくなかったからだ」
「・・・・・・・・・・・・な・・・・・に・・・・・?」

意味が判らないとでも言いたげな響きに乾いた笑いが応えとして返され、空気は重く湿ったものへと変わっていく。
アーネストの緋色の目がカーマインのそれにはまるで血の色のように見えていた。

「・・・・・お前を誰か別の者に殺されるくらいなら、俺の手でと・・・・・歪んだ想いが確かにここに在るんだ」

言いながらアーネストは自分の胸の中心へ、怪我を負っていない方の腕、右手でそっと触れた。

「・・・・カーマイン、俺はお前が思っているような出来た人間じゃないんだ。ともすれば化け物以下だ。
だから・・・・もう見限ってくれ。あの妖精を連れて逃げろ。このままここにいればそのうちお前も殺される」
「・・・・・・・何で、今になってそんな事を・・・・・・遺言のつもりか!?」
「さあ、どうだろう。そんな綺麗なものではないと思うが。まあ、遺言だとしたら最期に一つ言っておこうか」

クツクツと喉を鳴らして、言の葉を紡ごうとするアーネストの姿は、彼の言う『あの方』と大差がない。何処か狂気を潜めている。
カーマインは緊張に息を詰めた。そんな彼を横目にアーネストの瞳には強い、殺気にも似た強さが込められる。ゆっくりと
薄い唇から音が零れ、声としてカーマインの耳に伝わっていく。しかし。

「・・・・・・カーマイン、俺は・・・・お前の・・・・・・・・・・・・・」

噛み締めるように紡がれたそれは次第に弱々しいものとなる。それはカーマインがアーネストを見る瞳がとても悲しそうな
ものであったから。全ての気力が失われたように声は霧散し最後にはなりを潜めた。アーネストは結局一番言いたくて、一番
告げてはならなかった言葉を飲み込んでいた。後がない、という狂気に呑まれた奥底にあった理性を何とか取り戻して。
けれど、既に充分言ってはならない事を口にしてしまっている。いたたまれずにアーネストは自分をじっと見つめている視線から
顔を逸らす事で逃れた。ぎゅっとシーツを握り締め、声が震えぬように気をつけながら、言う。

「とにかく。もう俺は初めからいなかった者だと思って忘れてくれ・・・・・」
「・・・・・・・・・どうして」
「・・・・・これ以上、お前を苦しめたくない。違うと言ってもどうせお前の事だ、俺が死ぬ事になるのは自分のせいだと責めるだろう」
「だって、事実じゃないか。俺が、君と関わらねば、あの時君が俺を庇わなければこんな事には・・・・!」
「・・・・・だからだ。俺は自分が好きでした事をお前にそんな風に否定されたくない」

これは、俺の我侭なんだと寂しげに呟いてアーネストはカーマインの応えを待たずに追い出す。何事かを叫ぶ彼の言葉には
毛布を被る事で拒絶した。それでもカーマインはなかなかその場を離れる事が出来ずに立ち竦む。しかしいくらそこに立ち尽くしても
アーネストがカーマインを振り返る事はない。仕方なく、カーマインは名残惜しげにアーネストを振り返りつつも医務室を
後にする。パタンと扉を閉める音が響き、カーマインのゆっくりとした足音が耳に届かなくなってからアーネストは漸く扉の方を
振り返った。その目には余りに色々な感情が込められていて何を思っているのか一目では判別出来ない。
破滅へのカウントダウンは最悪の形で始まっていた―――








知っていても、どうにもならない事がある。

伝えなければ、どうしようもならない想いがある。

何もかも分かっていても、封じられた言葉は。

茨のように深く、深く胸に棘を残して。

奪われる事よりも、失う事よりも、もっと辛い。



深く深く、痛みが侵食していく―――






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結局やや短めです。凄く展開どうしようか悩んだ結果こうです。
カーマインとアーネストは今までラブラブ(死)してた分、今回物凄い
すれ違いを見せております。次回も恐らくバーンシュタインSIDEです。
アーネストの公開処刑編、という事で(よ、予定ですがね←疑わしい)

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