茨姫の棺






声が聞こえる。

苦しそうに、辛そうに。


けれどそれ以上に。

愛しげに俺を呼ぶ、誰かの声―――






Act11:反逆者たち





「・・・・・・・どうすればいい」

城内の混乱に乗じて、泣きじゃくる少女に見守られ、青白い顔で眠り続ける青年を奪還してきたアーネストは自分に
そうするよう命じた新たな主に向けて問う。その間も腕に抱いた、ピクリとも動かぬカーマインと彼についてきたティピを
気にしている。けれども、新たな主、ヴェンツェルからは何の返事も返ってこない。ただ、無言で振り返り、手にしたロッドを
アーネストらに向けて翳す。

「先に行っていろ、儂にはまだやる事がある」
「やる事・・・・?それは一体・・・・」

何事かとアーネストが問い質す前に彼らの足元には転移魔法の魔方陣が出現し、そしてそのまま強い光を
放ったかと思えば一瞬の間に光に包まれ、別の空間へと飛ばされていた。

「・・・・さて、もう一人の駒はどうしているかな?」

一人残ったヴェンツェルは一言漏らすと、用事を済ませるために踵を返し、部屋から出て行く。
誰もいなくなった室内ではカーテンが僅かに風に吹かれて揺れていた。





◆◇◇◆





常ならば、花の香が香るローザリア髄一の大屋敷の中では、薬品の匂いが漂っている。特にリーヴスが重症だった。
そのため彼は、部屋主である青年―カーマイン―のいない空き部屋でじっと身を横たえる生活を送っている。
そして騎士にしては細い身には、先日ライエルによってつけられた傷ともう一つ、真新しい焼け跡が見受けられた。
リーヴスは苦笑気味に火傷を見つめる。痛みよりも先に悔しさが柔和な顔全体に広がっていく。

「全く、大変な事になったものだ・・・・」

溜息混じりに思わず呟く。ピクンと傷口が引き攣った気がした。それは傷をつけられた瞬間を思い出したからに
他ならない。親友につけられた傷の事は別に気にはしていない。元より覚悟の上だったから。それよりも悔しいのは
火傷の方。全く予想もしない傷だった、これは。本当に思いも寄らない・・・・。

「でも、ルイセ君に比べればなんて事はないか・・・・」

そっと壁一枚隔てた、ルイセの部屋へと視線を送る。見えはしないが。しかし微かに声は届いてくる。
心配そうに彼女へ話しかける彼女の母親であり、この屋敷の主でもあるサンドラ師のそれが。初めは落ち着いたもので
あったのに日に日に感情的になっていくその声。しかし無理もない事。大事な娘が、記憶喪失に陥っているのだから。
心配しない筈がない。むしろとても痛ましい。リーヴスは視線を天井へと移し、ラベンダーの瞳を曇らせた。

「・・・・まさかあんな形で裏切られるとは、思いもしませんでしたよ・・・・・ヴェンツェル殿・・・・・」

侮蔑とも、感嘆とも取れる呟きを零し、リーヴスは毛布の上に重ねられた手のひらを力の限り握り締める。
暫くそうしていたが、やがて怪我による体力の消耗に打ち勝てなかったのか、ゆっくりと空気の抜けていく風船のように
重くなっていく瞼を下ろした。





◆◇◇◆





「・・・・・・何の、用だ・・・・・」

厳重に警備されていた筈の王の寝室に紛れ込んだ異質な影に向かって、声も掠れ掠れに部屋の主は質す。
顔面は蒼白、額には脂汗が浮き、口から零れる言の葉は無様に潰れている。それなのに、ベッドに寝たきりとなった
少年王には何人をも跪かせるかのような器量が窺えた。影が一歩前に足を踏み出す。それと同時影の纏う、
警備兵を一掃した時に浴びたのであろう返り血が何とも言えぬ醜悪な匂いを放った。横になりながらも不敵に笑む
少年王―リシャール―も流石にその腐敗した匂いには僅かに眉根を寄せる。

「・・・・・酷い様だな、リシャールよ」
「貴様に、言えた事か?まるで悪鬼のようではないかヴェンツェル・・・・いや、愚かなる反逆者よ」
「反逆者・・・とな?それは違うな。儂は元々あの化け物に忠誠を誓ったわけでもなんでもない」
「・・・何を言う、あのお方に生かされていただけに過ぎぬ人間風情がっ!よくも我らの主を殺してくれたな」
「フン、何だ知っているのか。あの化け物の差し金か・・・?」

トン、とロッドで床を叩きながらヴェンツェルは言う。リシャールはただただ、その蒼い瞳に憎悪を浮かべ、
ヴェンツェルを睨み据える。両者とも一歩も譲らない。しかし、ふっとヴェンツェルが小さく笑みにも似た吐息を
漏らしたためにリシャールは調子を崩された。

「・・・・な、んだ一体・・・・・」
「いや、どれだけ粋がっても所詮貴様は動力の切れた人形に過ぎん。何て無様なものだろうなリシャール」
「・・・・・・・貴様っ!」
「まだ喰らいつく元気があるか。まあ、それくらいでなくては詰まらん。我が駒候補なのだからな」
「・・・・・・・駒、だと・・・・・」

プライドを揺るがすかのような単語にリシャールは益々眉間の皺を深め、不機嫌そうな表情を垣間見せる。
それにヴェンツェルはゆっくりと目を細めるだけ。床につけていたロッドを動けずにいるリシャールの顔面へと
避けようがないほどの速さで突きつける。

「そう、駒だ。儂がこの世界の君臨者として返り咲くために必要な、な」
「・・・・・貴様如き人間にこの私を操るに足る器があるとでも言うのか?主様を恐れ屈していた貴様が」
「ゲヴェルを恐れ?馬鹿を言うな。儂はただ機会を窺っていただけに過ぎん。喪失した力を取り戻すまでな」
「喪失した力を取り戻す・・・・?一体何の事だ」
「儂が本来有していた、グローシアンの王としての力だ。ゲヴェルが私兵やシャドーナイツを使って現存する
グローシアンを殆ど殺しおったからこんなに遅くなってしまったがな」
「・・・・現存する・・・・そうか。あの小娘の力を奪ったのか」

忌々しげな口調で語るリシャールの脳裏には桃色髪の少女、ルイセの姿が過ぎっていた。次いで連鎖反応の
ように彼女の兄であるカーマインの姿も浮かぶ。そして気づく。自分と思念がリンクしている筈の彼の気配が
この城内に微塵も感じられぬ事に。

「・・・・・おい、ヴェンツェル貴様、どういう・・・事だ・・・・」
「何がだ?」
「先ほどからカーマインの気配を感じられない。まだ死んではいない筈なのに、だ。貴様が何かしたのではないか?」
「なるほど。創り物同士は思念を共有しあっているわけか。彼奴ならば儂が預かっている」

淡々と答えるヴェンツェルの言葉にリシャールは強い口調で疑問を投げかける。

「何故だ。奴も貴様の言う駒候補か?」
「そうだな、それもいい。もう一人の駒の釣餌として生かす事にしたが、そういう使い方もあるな」
「・・・・・・・・・もう一人の駒・・・・?」
「流石に其方の方は分からなかったか。もう一人の駒とは、貴様が捨てた駒の事だ」
「・・・・・!アーネスト」

親友の名前が出てきた事に、ろくに身体を動かす事の出来ぬ状態の筈のリシャールが身を起こす。
しかしすぐさまベッドへとそのより細くなった肢体を沈み込ませた。それには流石にリシャール本人も無様だと
唇を噛む。しかし、屈辱をヴェンツェルに知られたくはなかったがためにキッと眼差しを強くした。
ヴェンツェルは知ってか知らずか、目が合うと飄々と肩を竦める。

「そう睨むな。第一、お前は奴を捨てた。そして彼奴は自ら進んで儂の元へ来ると言った」
「・・・・・・・そんな、馬鹿な。アーネストがそう簡単に貴様などに靡くものか!」
「・・・・哀れなものだなリシャール。捨てた筈の駒に捨てられるとは。それに本当は分かっているのだろう?」
「・・・・・何の、事を言っている」
「彼奴が一体誰を一番に思っているか。そしてお前はもう彼奴に見限られたのだという事に」
「・・・・・・・・・・ッ!」
「もう彼奴にとって、お前は用なしなんだろう。それだけではない。もうお前を誰も必要としていない」

誰も必要としていない、という台詞にリシャールの肩が揺れる。それは自覚があったからか。

「国には、お前が居らずとも、次の国王候補がいる。親友二人にも母親にもとっくに捨てられている」
「・・・・・・・・・やめろ」
「国民とは勝手なものだ。自分さえ生きていられれば誰が王になろうと構いやしないのだから」
「・・・・・・・黙れ!」
「お前は確かに王の器に足る者かもしれん。しかし、いつ死んでもおかしくないと分かれば話は別だ」
「・・・・・・やめっ・・・・ッ・・・・」
「今となってはお前はただの邪魔者。誰もお前など要らない。しかし儂ならお前を拾ってやるぞ・・・・?」

予想していたとはいえ、散々に自分を否定する言葉の後に告げられた勧誘に一瞬リシャールはぐらつく。
しかしすぐさま持ち直す。それ以上に、そんな言葉で自分を動かせると思っているヴェンツェルが憎かった。
プライドに土足で踏み込まれて。憎悪に滲む瞳で黒衣の老人を睨みつけた。

「誰が、貴様なんぞに・・・・!」
「・・・・・・・交渉、決裂・・・・・・か」

残念だ、とまるで残念がる様子もなく、ヴェンツェルは静かにリシャールへと突きつけていたロッドに念を込める。
淡やかな光が銀の杖を包んだかと思えば、次第にその光は大きくなっていく。それでもリシャールは目を逸らさない。
自分の命よりも、矜持を選んだ、そんな表情でまっすぐ正気の歪んだ老人を見上げている。

「その瞳、失くすのには実に惜しい。しかし、反逆の芽は早めに刈るが吉」
「出来るか?貴様如き老いぼれじじいに・・・・・」
「・・・・・辞世の句はそれで終わりか?では、さらばだ年若き独王よ」

笑って、最後に呪文を唱える。しかし。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
「・・・・・・気が、変わった」
「・・・・・・・何だと?」
「お前にはもう暫し生きていてもらわねば困る。せいぜい、その残り少ない生を味わうがいい」
「なっ・・・・待て、ヴェンツェル!」

リシャールの叫びも虚しく、ヴェンツェルはアーネストたちを転移させた時と同じ魔方陣を出現させるとその真上に立ち、
己の身を彼らを飛ばした場所まで転移させる。激昂をぶつける相手を失ったリシャールはただ、自分の横たわる
ベッドを殴りつけ、嘆きにも似た呟きが漏れた。

「・・・・・・・生きていてもらわねば困る・・・だと・・・・私を生かしてやったつもり・・・・・か・・・・」

不自然な笑みが零れる。あまりにも悔しすぎて。ベッドを何度も殴りつける。だがそれは不意に止まった。
踏み躙られた矜持に対する激しい憎悪の果てに一つの救いにも似た復讐が思い浮かんで。

「・・・・・私を生かした事、後悔させてくれる」

厳粛な誓いのように一言一言を声に出すと、最早孤独となった少年王は蒼の瞳に復讐の焔を乗せていた。
僅かに寂寥の涙を浮かべて―――





◆◇◇◆





「カーマイン、大丈夫なの・・・?」

今まで見た事もないような、石畳で築かれた薄暗く何もない室内に恐々と何処か怯えたような少女の声が響く。
ぐったりとした華奢な青年を腕に抱えている長身の男が何とも言えぬ表情で小さく首を振った。それは否定にも
分からないとも取れる仕種。少女はより男に近づいて問う。

「・・・・ねえ、どうなの?!」
「・・・・・・まだ、何とも言えん。強いて言えば、今は、死んでいる」
「今は死んでるって・・・・どういう事!?ねえ、ライエルさん!」

少女に大声で問い詰められて、カーマインを腕に抱くアーネストは微かに鉄面皮の面へ途惑いを乗せる。
それから、少しでも落ち着きを取り戻そうとでもするかのように、ピクリとも動かぬカーマインを抱く腕に力を込め、
華奢な肢体を己へとすり寄せた。甘い香が鼻腔を擽る。その香りに癒されつつもアーネストは自身の横を
ひらひらと飛び交う少女―ティピへと紅い眼差しを向けた。

「・・・・・これ以上、臓器の腐敗を防ぐためにこの身体は仮死状態に保たせている」
「仮死状態・・・・・」
「生きているわけでも死んでいるわけでもない。このまま何もしなければ死んでいるに等しいが、な」

言って、色の失せた、まるで精巧な人形のようなカーマインの冷たい頬をアーネストの硬い指先が辿る。
口元をなぞっても呼気は感じられない。手首を握っても、胸に耳を当てても血脈は完全に停止し、鼓動もまた
聞こえては来なかった。それでも、絶望はしない。再び色違いの眼差しを開いて、桜色の唇で微笑んでくれるその時が
戻ってくると信じて。恋焦がれた姫君を想う、それこそ王子か騎士のように。そんなアーネストを横目に見遣って
ふとティピは思う。

「・・・・・ライエルさんって・・・・カーマインの事好きなの?」
「・・・・・・・・・・・・何故、だ・・・・・・・・」
「だってライエルさん、アタシとカーマインとじゃ見る瞳が違うもん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・そんなに分かり易いか」

アーネストの口から苦笑が漏れた。アーネストの想いは悉く、カーマイン本人を除いて周囲に露呈しているから。
それがとても滑稽な気がした。けれどアーネストに視線を注ぐティピの大きな碧眼は真剣そのもの。決して、
自分をからかうつもりでも茶化すつもりないと分かり、アーネストは微かに緋眼を緩める。重い息を吐いた。

「・・・・・・お前が、思う通りだ」
「・・・・言わないの?」
「何をだ」
「カーマインが好きだって・・・・」

告白はしないのかというティピの言葉に大きな肩がビクリと震える。それはまるで触れては欲しくなかったとでも
言うかのように。アーネストの何とも言えぬ表情がゆっくりとティピに向けられる。それから、とても痛々しい苦味を
携えた笑みが零れ落ちた。

「・・・・言える筈が、ないだろう」

唇を噛み締めながらの言葉は常のアーネストにはない、怯えが含まれている。必死でうわずるのを堪えたかのような
切ない声音に、ティピは聞いてはいけない事を訊いてしまった気になった。ぎゅっと自分の服の裾を握り締める。
そんなティピを一瞥してからアーネストは目下でただ静かに永遠に近しい眠りについているカーマインを見下ろす。

「・・・・・俺は、彼の願いを踏み躙った。傷つけた。そしてまた彼の望まぬ事をしようとしている・・・・」
「・・・・・・・・ライエルさん。そうじゃないよ、だってコイツは・・・・」
「何が違うと言う?彼は望んでいないのに俺は無理にでも彼を生かそうとしている。更にこの手を血に汚そうとしている」
「でもそれはライエルさんが、コイツを・・・・!」
「好きなら、何をしてもいいと言うのか?」

そんな理屈、通りはしないだろうと呟くアーネストの横顔は何もかもを拒絶する色を乗せている。
自分の我侭を正当化して欲しくはない、そう告げていた。

「・・・・間違いに気づいていながら、その道を突き進む事は・・・・最も愚かな事だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「世界を、蹂躙しようとするヴェンツェルよりも、奴に従おうとする俺の方が愚かだ」
「・・・・・・・・・・でも、アタシは、アタシだって間違っててもカーマインに生きてて欲しいんだよ・・・・・」

小さな手で、アーネストの服を引っ張る。独りで、何処か遠くに行かないでと言うように。儚くか弱い力。
けれどもとても力強いとも感じる。アーネストにはティピにほんの少し、カーマインの姿が重なって見えた。

「・・・・・お前たちは似た者同士だな」
「・・・・・・・・・・・え?」
「お前と、カーマインだ」
「・・・・・だったら、ライエルさんとコイツだってよく似てると思うよ」
「・・・・・・・・・・似てない」
「・・・・・・・似てるよ、すごく・・・・・」

言い聞かせるようなティピの言葉。嘘ではない、本当だと、慰めなんかじゃないと。聞いてるアーネストにも
それは伝わる。伝わったけれどもただ胸が痛くなるだけ。苦しげに眉間に皺を寄せる。

「・・・・・もう、何も言わないでくれ」
「・・・・・・・・・ライエルさん・・・・」
「何を言われても、辛くなるだけだ・・・・・」

過ちを自覚している中で、優しい言葉を掛けられても、どうする事も出来ない。むしろ、却って良心を責め立てられるだけ。
その呵責を払拭するかのように一度アーネストは目を閉じ、開く。そしてその瞬間、室内に黒い疾風が巻き起こり、
魔方陣が出現したかと思えば中心に人影が現れる。それが誰だか分かっているアーネストはカーマインを抱えたまま
立ち上がった。ティピはその様子を戸惑いながら見つめる。ティピの様子には構わず、アーネストは魔方陣の中心部に
現れた人影へと近寄った。

「・・・・待っていた。彼は、どうすれば助けられる」
「フン、戻った早々か。若造はせっかちだな」
「・・・・・・あ、・・・・・ヴェンツェル・・・・・!」

アーネストの言葉に笑いながら返したヴェンツェルは、リシャールとの会話で釣餌と称した青年を見遣る。
己が施した仮死状態の保存を確認し、それからカーマインの指先に嵌っているパワーストーンの指輪へ視線を留めた。
一瞬憎らしげに目を細めたものの、軽く髭を弄り、それからアーネストを真っ直ぐに見据える。

「今一度問う。この者を生かせばお前は儂のために働くのだな」
「・・・・・・ああ、二言はない」
「ならば、彼奴を救う手立てを教えてやろう。但し、お前にもリスクが伴うぞ」
「・・・・・構わない」
「リスクが何かも知らずにか?」
「私が失って困るものなど何もない」

きっぱりと言い放つ。紅い眼は淀みなく、試すかのような老人の鋭い瞳を見据える。傍で聞いているティピの方が
狼狽するくらいだった。それに対しヴェンツェルは不敵に笑む。

「・・・・・なかなか、豪胆な若造よな」
「能書きはいい、彼を・・・・カーマインを救う手立てとやらを早く教えてくれ」
「本当にせっかちだな」

言い差し、ヴェンツェルはカーマインの指先の指輪をロッドで指す。アーネストの目がそれを追った。それから
不思議そうに首を傾いだ。視線で説明を求める。

「・・・・どういう事だ」
「その者を救うには、そのパワーストーンを使う」
「パワーストーン・・・・?」
「そう、何百ものグローシアンの念を凝縮させた奇跡を生み出す石だ」
「奇跡を・・・・・生み出す・・・・・」
「その代り何が起きるか分からない。下手をすれば世界を崩壊させるほどの力を持つ」
「・・・・・・・そんなものを使えと言うのか?」

リスクを背負うといっても、自分以外の人間まで巻き込むのは流石に躊躇われ、アーネストは口を挟んだ。
けれどヴェンツェルは予想していた事なのか、特に表情を変える事なく言葉を繋げる。

「案ずるな。あくまでその石は生命エネルギー供給の媒介として使う」
「・・・・生命エネルギー供給の媒介・・・」
「彼奴は魔導生命体なのだろう?ならば身体を動かす動力源さえあれば死ぬ事はない」
「しかし、彼は臓器の殆どをやられている」
「だからパワーストーンを媒介として使うのだ。その石に込められた膨大な力を治癒力に還元してやればいい」

そうすれば、元の通りとは行かずとも少なくとも延命してやる事は出来ると妙に自信の篭もった声音で告げられ、
アーネストは信じていいものか多少疑う。しかし、自分にはヴェンツェルが言う方法以外の手段が思い浮かばない。
ゆっくりと頷いた。

「分かった、言う通りにする。しかし、それではリスクとは何なんだ・・・・?」
「リスクか。それはお前の生命エネルギーを彼奴に分ける事・・・・つまりお前の寿命を消費するという事だ」
「寿命を、消費・・・・」
「儂もこれは初めてだからな。一体幾らお前の寿命を消費するのか見当がつかない。もしかすれば
生命エネルギーを譲渡する事でお前自身が死ぬ事になるかもしれん。それでも良いか?」

ヴェンツェルの言い分にアーネストは悩む事なく頷く。

「元より、私は死ぬ運命だった。今更死期が早まったところで後悔はない」
「・・・・・ちょ、ライエルさん、いいの!?」

即答するアーネストに溜まらずティピは口を挟むが、アーネスト自身によりそれは制される。

「・・・・それよりもいいのか?私が死ぬ事になった場合、貴殿が私を拾った事が無意味となる」
「そうなったら、お前の代わりを探すまでだ。儂自身に差したるリスクはない」
「なら、私としては問題はない。彼さえ生きられるなら、それでいいのだから・・・・・」
「見上げた自己犠牲だな。そんなに彼奴が愛しいか」
「答える義理はない」

そうアーネストが返すのにヴェンツェルただ愉快そうにするだけ。第一、こんな行動に出ている時点で答えを聞かずとも
アーネストのカーマインに注ぐ想いの深さは歴然としている。並大抵のものではない。真に仕え続けた主君よりも優先する
くらいなのだから。

「・・・・・ここまで来ると、捨てられたリシャールが哀れだな」
「・・・・・・・・・捨てたつもりはない」
「・・・・・・ほう?では何故リシャールの延命ではなく彼奴の延命を望んだ?」
「カーマインの方が、より危険な状態にあった。それに・・・リシャール様は俺が救わずともアイツがどうにかするだろう」
「アイツ、とはリーヴス家の若造の事か?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

アーネストは思わず黙すが、それは肯定しているに等しかった。確信したようにヴェンツェルは目を光らせる。

「お前たちがどれだけ信頼しあっているか知らんが、果たしてあの若造は戦線に帰って来れるかな?」
「!・・・・・・・オスカーに、何をした・・・・・」
「奴に傷を負わせたお前がそれを訊くか。まあいい。儂はただ、欲しいものを手に入れただけ。
その際に彼奴が邪魔をしおったから、灸を据えてやったに過ぎない」
「・・・・・欲しい・・・・もの?」
「・・・・皆既日食のグローシアンの力だ」
「!ルイセちゃん・・・・!!」

ティピが叫ぶ。その声でアーネストは朧げに桃色髪の大人しそうな少女の姿を脳裏に浮かべる。今は眠っている
カーマインの大事にしている血の繋がらない妹を。

「・・・・・・彼女は、どうしている・・・・」
「体内に眠るグローシュを吸い取っただけだ。ただ、グローシアンにとってグローシュは己の身体の一部みたいなものだが」
「それで何か影響はないのか?」
「さあ・・・・?者によっては錯乱状態に陥ったりするようだが、命に別状はないのだから良いだろう・・・・?」
「そんな、ルイセちゃんに何て事すんのよ!!」

アーネストは不機嫌そうに眉間に皺寄せるだけに留まったが、ルイセの事を本当の姉妹のように思っているティピは
それだけでは済まない。込み上げる怒りのままに激昂する。しかし、ヴェンツェルの残虐性を目の当たりにしていた男の方は
そんな小さな少女を慌てて止めた。ヴェンツェルの逆鱗に触れて、自分を逃がそうとしたがためにまるで虫けらのように
殺された自分の部下のようにさせないために。

「・・・・・止めろ、ティピ。下手に口答えするな・・・・・」
「・・・・・・・だって・・・・・・!」
「・・・・・ティピ、お前はもう仲間の元に戻れ・・・・・・・・・」
「・・・・何で!?」
「彼の妹が心配なのだろう?それに恐らくお前はここにいてはいつかヴェンツェルに殺される」
「嫌よ!カーマインもライエルさんも心配だもの!」
「俺は平気だ。カーマインも絶対に死なせない!だからお前は戻れ!ルイセの傍についててやれ!」

カーマインだったら、必ずそう言う筈だ!とアーネストは半ば必死にティピへと言い聞かせる。そして最後に、ヴェンツェルの
耳へと入らぬよう細心の注意を払ってこう言い添えた。

「戻って、あいつらに此方で起きた事の全てを話せ。そしてお前たちでヴェンツェルを討て」
「・・・・・・・・・・・・え?」
「俺は出来る限り、奴の部下として奴を抑え、目的を探る。あの男を野放しにしてはならない。分かったな」

言いたい事全てを言い終えるとアーネストはティピの返事を待たずに宙を舞う小さな身体を後方へと押しやる。
紅蓮の瞳が「もう戻ってくるな」と告げている。ティピは途惑った。カーマインとアーネストを何度も見比べ、やがて
唇をぎゅっと噛み締めると、薄暗い室内に僅かに光を運んでくる小さな窓からひらりと外へと出て行った。

「・・・・・・・・・・逃がしたな」
「何の事だ」
「恍けるか。それもいい。障害の一つもなければ世界を冠する愉しみがない」
「・・・・・小虫と見誤って足元を掬われねばいいがな・・・」
「見誤ったところで儂には何の問題もない。それよりも話が途中だったな」

コホンと咳払いを挟んでヴェンツェルは途切れた話を繋ぐ。

「ともかく儂はあの小娘のグローシュを得て、以前の力を取り戻した。後は駒を揃え、計画に移るだけ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「では、生命エネルギーをどうやって彼奴に供給するか、という話に移ろうか」
「・・・・・・・・・・・ああ」
「至極簡単な事だ。お前が彼奴を慕っているのなら尚更の事」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・?」

淡々としつつ、何処か勿体ぶるような言い方にアーネストの細い眉は吊り上る。カーマインを抱く腕にも自然と力が篭もった。
そんなアーネストの苛立ちに気づいていながらもヴェンツェルは自分のペースを崩さずに言う。

「先ずはパワーストーンを彼奴の胸に当てる。その際、お前もパワーストーンから手を離すな」
「・・・・・・・・・・それで?」
「後はただお前の生命エネルギーを分けてやればいい」
「・・・・・・・・?だから、どうやってだ」
「簡単な事。口寄せ、つまり口から移してやればいい」
「・・・・・・・・・・・?!」

カーマインに口接けて、己の寿命を分ける。アーネストは困惑した。勿論、嫌ではない。むしろ心の奥底では
ずっと望んでいた事とも言える。しかし、最早失いかけている良心が、痛む。ただ純粋に命を救うためにというだけならば
それは構わない事だろうが、どんなに抑えても抑えきれない邪心がアーネストの心の内に存在している。
だから迷う。それが善意による行為なのか、それとも隠しきれない己の欲がただ形として現れているのか、分からなくなって。
もし、欲が勝ってしまったら、カーマインを傷つけはしないかと。そう考えるだけで身体が震える。
一番信用ならないのは、他でもない自分自身だと断言出来るからこそ、アーネストは身を強張らせた。

「どうした?何も今ここでと言っているわけではない。向こうに部屋を用意してある。そこに休ませればいい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「目覚めた時が気まずいか?心配せずとも目覚めるのには一日、二日は要する」
「・・・・・・・・・それは、何故だ」
「損傷し腐敗した臓器の修復に時間が掛かる。その間は麻酔でも掛けられてるように目覚める事はない」

今し方言われた事に僅かながらも安堵している自分に気がついて、真っ直ぐな瞳をした男は自己嫌悪に陥った。
けれども、自分にどんな感情があろうとも自分がそれをしなければカーマインは助からないというのもまた事実。
苦悶の表情を浮かべつつも、腹は決まったのかヴェンツェルが指し示す部屋へと足を踏み出す。

「・・・・・・・・・・・・・・」

用意されていたという、やはり石造りの何処か薄暗い室内に備え付けられていたベッドへとカーマインを横たえた。
それからゆっくりと、冷たく硬くなった指先から指輪を外す。青み掛かった碧色の石を感慨深げに眺めてから、
そっとカーマインの平たい、今は何の鼓動も感じられない胸へと当てる。深く深呼吸をして、罪悪感に揺れる自分を
押さえつけながらも身を屈めた。青白く、生気の欠片も感じられない美貌に目を留める。

「カーマイン・・・・・・」

名を呼んだところで応えはしないのは知っている。それでも、込み上げる切なさと愛おしさが捌け口を求めるように
その名を呼ばせ、熱の一つも感じられない頬へと己の指先を導く。常ならばこうして触れれば恥じらいに朱色へと
色づく頬が、今は柔らかさもなく、色味もない。等しく、死んでいる状態。それがどうか、以前のように戻るように、と。
変わらない笑顔を再びこの瞳に捉えられるように、と祈るような気持ちで身を寄せる。

「・・・・・・・許せ・・・・・・・・・・」

懺悔の言の葉を吐息と共に零すと、アーネストはカーマインの氷のような唇を薄く開かせ、対となるように熱を帯びた己の
唇を重ね合わせた。複雑な想いが自分の胸に渦巻いていく。けれどもこうしているとそれら全てを凌駕する愛しさが込み上げて、
自分を浸していくのが分かる。ずっと抱えていた罪悪感が徐々に薄れていく。そうして残るのはたった一つの想いだけ。
その瞬間を待ちわびていたとでもいうように手にしたパワーストーンが淡く光り、熱を発する。アーネストの指先から
胸を通り、喉を突き抜け、口を介してカーマインの内へとパワーストーンから溢れ出す何かが移っていく。同時に、少しずつ
アーネストの意識が霞んでいった。これが、ヴェンツェルの言う寿命の譲渡という事だろう。身体が重くなる。どっと疲れが
全身に行き渡り、抗い難い眠気が押し寄せた。何とか堪えようと気を張っても、無気力になっていく。身体が寒い。
自身も死に掛けている。それでも構わない、とアーネストは口元を仄かに歪め、カーマインに殺されるのなら本望だと
はっきりと笑った瞬間、多大な疲労に耐え切れなくなり、やがて果てた。ずるりとカーマインの細身の上に倒れ込む。
白いベッドの上に折り重なるようにして二色の対となる影が深い深い眠りについていた―――







声が聞こえる。

凍りついた思考では思い出せないけれど。

それでもとても大切だった事は覚えている誰かの声。

目を覚ませと。

何度も、何度も呼びかけてくる声。

だから、瞼に何度も何度も力を込める。

目を開いた時、その人がどんな顔をするか知りたいから。



―――茨姫の目覚めは近い。







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今までで最長のような気が致します、今回。
そしてまた中途半端なところで切りました。本当はもう少し書く
つもりだったんですが疲れたので切りました(コノヤロウ)
今回の見どころは・・・・寝こみを襲われる(?)カーマイン氏という事で。
あーでも本当は書きたかった部分が書ききれてないのが悔しい・・・・!
次回頑張りましょう。でもこれいつ終わるんだ・・・・?(聞くな)

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