茨姫の棺 時間がない。 そう呟いた彼は儚すぎて。 幾重にも連なる疑問を口に出す事は出来なかった。 ―――お前は今、一体何を思っている? Act:2 花乞う月、月仰ぐ花 月も出ぬ闇夜に閃く銀の輝き。 風に煽られ梢は喚き、静寂な夜闇の中に微かに響いた呻き声が掻き消された。 足元の荒れた大地に沈んだ屍からは紅い川が流れ、じわじわと侵食するかのように地面を濡らしていく。 そんな殺伐とした光景の中、不釣合いに佇む青年―カーマインの手には血塗れた剣が握られ、 闇に溶け込む黒装束は深紅に染まっていた。ぞっとするような、不気味とすら思える様であるというのに。 彼の後方で腕組むもう一人の男―アーネストの目にはそれが酷く艶やかなものに映っていた。 「・・・・・また、随分と派手にやったな」 呆れとも感嘆とも取れる呟き。ジャリと音を立て数歩前に足を運ぶと、アーネストはカーマインへと白いタオルを 放り投げる。それをカーマインは難なく受け取り、少し躊躇するものの、素直に渡されたそれで体躯に纏わりつく 返り血を丁寧に拭っていく。 「・・・・これだけ力を見せておけば刃向かおうなんて・・・・・・思わないだろう?」 言って、自らが斬り伏せたローランディア兵たちを見遣る。 その誰もがたった一太刀で仕留められ、青白く固まった面に浮かぶのは目前の敵への純粋な恐怖。 アーネスト=ライエルの副官として城外の警備に当たっていたカーマインは、バーンシュタインへの斥候として 送り出されたのであろう彼らを見つけ、アーネストが手を下すよりも前に屠ってしまったのだ。 ただ、泣きながら命乞いをしてきたたった一人を除いて。 「・・・・・一人逃がしたのはわざとか」 「・・・・・・・今頃、こちらには鬼がいるだとか化け物がいるだとか色々言ってくれてるだろうさ」 「まあ、複数の兵を相手にこれだけ綺麗に斬り伏してしまえばな」 言葉と共にアーネストもカーマインの足元に転がっている、というべき兵士へと目を落とす。その数はざっと七人。 逃げた一人を入れれば八人を同時に相手をした事になる。しかしその誰もが争った形跡など伺えない。 一方的な殺戮に遭ったとしか思えぬほど、綺麗に一つしか傷が残されておらず。その傷を作ったカーマインはといえば 全くの無傷。返り血以外に自分の血を流す事もなく、息を乱す事もなく、ただそこに立っている。 「・・・・・戦った、というよりは殺したように見える死体だな」 「それでいい。アルカディウス王は無闇に犠牲者を増やす真似はしない。・・・力の差を知れば下手に動かなくなる」 「・・・・・・・・・なるほど」 カーマインの監視を兼ねた形ばかりの上官であるアーネストは思案気に頷く。 実を言えば彼はもう、カーマインがかつての仲間の元を離れてから一週間は行動を共にしている。 その間、カーマインはリシャールに言ったようにリシャールに仇名す者は、自国の民であろうと容赦なく斬り伏してきた。 初めは信用を得るために仕方なくそうしているのかと思っていたアーネストだったが、今の言葉を聞き、そうではない事に気づく。 彼・・・・カーマインはきっと・・・・・・・・ 「お前、先ほど『アルカディウス王は』と言っていたが、本当はお前もそうなのだろう?」 「・・・・・・・・・何が」 「お前も無闇に犠牲者を出したくないのだろう。 わざと派手に、容赦なく戦う事で力の差を見せつけ、向こうが抵抗せず屈してくれる事を願っている」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ふわり、風が舞い、木々が騒ぐ。 アーネストの服の裾が翻り、カーマインの漆黒の髪が宙に靡いた。 「お前のその考え方には俺も賛同するが・・・・それではお前が傷つくだけだぞ、カーマイン」 「・・・・・・・・別に、俺はそんなお人好しじゃない」 「嘘をつけ。お前、今自分がどんな顔をしているか分かっているのか?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・?」 「捨てられた犬のような・・・・・・そんな顔をしている」 悪ぶりたいのならせめてその面を何とかしろ、と特に抑揚もつけず淡々と言い放つアーネスト。 対するカーマインはただただ彼のその言葉に瞠目するばかりで。 ジジッと周囲の外灯の光がブレるのとほぼ同時、自身の心も軽くではあるが、揺すぶられるのを感じた。 「・・・・・貴方が俺を監視しているのは知っているが・・・・、俺がどんな顔をしようと貴方に関係ないだろう」 内心の動揺を悟られぬよう、なるべく突き放す言い方をしたカーマインだったが、アーネストはその程度で 引くほど控えめな性格ではなく。 「馬鹿を言え。関係ならある。お前にそんな顔をされては少なくとも俺の士気に関わる」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・ッ」 「しかし履き違えるな。俺はお前に何も弱さを見せるなと言ってる訳ではない。言動を一致させろと言っているんだ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」 「・・・・・その表情じゃ、分かっていないな」 はあっ、と深い溜息を吐いてアーネストが更に歩み寄る。 相対距離およそ一歩半といったところで足を止め、ゆっくり手を伸ばし、カーマインの両頬を包む。 月明かりがないとはいえ、それだけ近い距離ならば良く見える互いの顔。カーマインは不審そうに、アーネストは 意志の強い眼光で互いを見て。もう一度、息を吐きアーネストは口を開く。 「・・・・・・言動を一致させろというのはな、辛い時は辛いと言えという事だ」 「・・・・・・・・・・な、に」 「お前が俺を完全に信用している訳ではないのは知っている。俺もそうだ。 だが、お前が俺を信じるならば俺も、・・・・・何があってもお前だけは信じ続けよう」 至極真面目に。どこか取引めいた響き。でもそれは放った本人の紛れもない本音であり、虚偽はない。 聡いカーマインでなくとも・・・・きっと誰にでもそれは分かってしまう。それほどまでにまっすぐで強い発声。 誰にも折り曲げる事は出来なそうな。それこそ反射反応のように信じてしまいたくなるような。 「・・・・・・・・・嫌な・・・・言い方をするな」 「・・・・・・・そうか?」 「そんな言い方をされたら、それこそ貴方を・・・貴方だけを信じてしまいそうになる」 ふうっと、諦めたように少し幼げな吐息を漏らしつつカーマインは言う。その表情は先ほどと違い、困ったような 微笑で。そっと、拒絶ではないと言い聞かせるように優しい動作で頬に添えられた手を剥がしていく。 「・・・・・・正直な気持ちを言えば、俺は貴方を信じたいと・・・・・そう思う」 「なら、そうすればいい」 「・・・・・・・・でも、そうしたら俺が抱える何もかもを話せと貴方なら言うだろう。それはきっと俺の荷は軽くなる・・・・でも」 それでは重荷が貴方に移動するだけだ、と自嘲にも似た笑みを湛えてカーマインは首を振った。 ぱさぱさと首の動きに合わせ髪が鳴る。その乾いた音が妙に痛々しく響く。アーネストは物憂げに目を伏せた。 この青年は優しすぎるのだと痛感して。自分の痛みを誰にも味合わせたくない。だから、一人になる道をひたすらに 突き進んでいるのだと思い知って。 「・・・・・・だから、信じられない、と。そういう事か?」 「・・・・平たく言えば、そうなる」 「ならば信じなくてもいい。だが、俺はお前を信じよう」 あまりにも意外な一言に、ふと顔を下げていたカーマインは反射的に上向く。ヘテロクロミアがこれ以上ないほどに 大きく見開かれていた。それは信じられないものを見るような、そんな瞳で。 「・・・・・・・信じられないとでも言いそうな顔だな」 「だって・・・・そうだろう。貴方は一体何を言ってるんだ」 「・・・・・それはお前が、何者をも傷つける事を厭う奴だと分かったから、だ」 ふぅわりと今まで殆ど表情を変えなかったアーネストが柔らかく微笑み、目下に広がる滑らかな漆黒を一度くしゃりと 犬猫にするように撫ぜる。カーマインは今度はぽかんと口を開き、随分と早い間隔で瞬きを繰り返した。 一瞬、本当に目の前の長身の男が何を言ったのか分からなかったほどに驚いている。 「・・・・お前は好きに動けばいい。その代り、俺も勝手にお前の助力をさせてもらう」 「・・・・・・・・・・・・・は?」 「お前が明らかに間違った事をせぬ限り、俺はお前の手となり足となり、お前のしたい事を実現させてみせよう」 「は!?・・・・な・・・・なっ!?」 立て続けに理解不能な言葉の羅列が続き、カーマインは混乱の挙句、舌足らずになっている。 信じるだとか、助力するだとか、手足になるだとか、何故そんな何の得にもならぬ事をしようとするのか。本当に理解が 出来ない。食い入るようにカーマインはアーネストを見遣るが、彼の表情は嬉々とし、そしてやはり至極真面目。 本気で言っているのだと解したカーマインはある意味で眩暈を覚えた。 「ちょ、ちょっと待て。あ、貴方は・・・・馬鹿か!?」 「・・・・・・失礼な事を言う奴だな」 「だ、だってなぁ。そんな何の得にもならない事をして・・・・むしろ貴方が傷つく。貴方にとって損でしかない事だぞ!?」 しかも、ずっと行動を共にした仲間を裏切るような奴のためだぞ!?と今まで静まり返っていた闇の中に困惑と焦りを交えた 驚声が響き渡る。もう既に、人を斬った事への痛みに嘆いてもいられない。何もかもが真っ白になっていくようだった。 「・・・・・何が俺の損得になるかは俺が決める事だ。それこそお前の言を借りれば『お前に関係ない』事だろう」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・ッ!」 「信じたいと思うから信じる。力になってやりたいと思うから手を貸す・・・・・これの何がおかしい」 「・・・・・・・・・・ッ、ならその理由は何だ!?信じたいと何故思う!?」 本当に分からなくて、思わずカーマインは声を荒げるが、アーネストは特に答えに窮する事もなく、静かにそして 今度ばかりはほんの少しの抑揚を付け、口を開いた。 「・・・・正直、俺は今のリシャール様は好きではない。あの方は変わられてしまった。 だが、俺はあの方を前にすると従属する事しか出来なくなってしまう。あの方が間違っていると知っていても」 「・・・・・・・・それが俺と何か関係があるのか?」 「・・・・・・お前はあの方と同じ立場にありながら、他者を思いやり、自らを傷つける。以前のあの方以上に輝いている。 だから、その輝きを曇らせたくない。望みが果たされず一人悔い入るような思いをさせたくはない。ただ、それだけだ」 「・・・・・・・・・・・それだけでか?」 「・・・・・ああ、それと。何の事かは知らんが『時間がない』と言っていたろう。その事も含めてだ」 時間がないなら一人でも多くの手があった方が楽だろう、と。何の疑いもなく言ってのけるものだから。 本当に、動揺が激しくて、意図するでもなく、自然に、カーマインの白い頬をつうと生暖かな雫が下っていく。 それは彼が初めて人前で流すもの。涙、というもので。真正面でそれを見つめるアーネストよりも、流している当人、 カーマインの方が衝撃が大きかった。 「・・・・・あ、貴方は本当に・・・・・馬鹿だ・・・・・・」 「カーマイン・・・・・・」 「でも、そんな貴方に・・・・縋ってしまいそうな俺は・・・・もっと馬鹿だ」 「縋ればいい、利用すればいい。俺は俺で自分勝手なエゴを通す。お互い、勝手でいいんだ」 顔を両手で押さえつけて、声を殺しながら涙を流す不器用な青年にアーネストは再び手を伸ばし、一度 抱きしめようとするが、それをカーマインが制止する。 「・・・・・だめだ、汚れる」 「・・・・・・・・・・・・?」 「血、拭いきれなかったのがあるから・・・・それに、これ以上俺を弱くしないでくれ・・・・・・」 「お前は充分、強いだろう」 「・・・・・貴方ほどじゃない。むしろ俺は弱い・・・・。貴方の強さが羨ましい」 純粋に思った事をカーマインは口にするが、アーネストの表情は憮然とする。どうやら、褒められるのは苦手らしい。 何だか微笑ましくて、カーマインは瞳に浮かぶ涙を強く手の甲で擦って拭うと、小さく笑った。 「・・・・・・・有難う、ライエル卿」 「何がだ」 「・・・・・色々。それから、俺も貴方を信じるよ・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・いいのか?」 「ああ。でも、全ては話せない。でも、少しなら話そう・・・・今日はもう無理だけど」 「・・・・・・・・・・・・・・?」 「あれ?珍しいな、仕事熱心な貴方が。今は警備中なんだ、いつまでもこうしてる訳にいかないだろう?」 やや首を傾いで告げられた言葉にああ、とアーネストは今気が付いたように目を瞬いた。 それから、一度足元に築かれた屍の山に一度目を留めて。 「取り合えず、兵を呼んで来なければな。それから今回のような事はもう、お前の単独でするな」 「・・・・・・・・・・・・・え」 「形だけとはいえ、お前は俺の副官なんだ。率先して剣を振るわんでいい。どうしても戦わなければならない時は俺も戦う」 「・・・・・・・・・あ、ああ」 「何をするにも一人より二人の方がいいのだからな」 それはきっと彼なりに、お前は一人じゃない、と。そう言ってくれてるのだろうとカーマインは再びジンと胸が鳴るのを感じた。 とても優しくて、強くて憧れる。カーマインはただただ瞳を伏せて心中で深く、礼を言う。 「・・・・・・・明日。明日になればきっと話すよ」 「!・・・・・・・別に無理はしなくていいが?」 「ああ、だから全てじゃない。でも俺が話していいと、貴方には聞いて欲しいと思う事は全て包み隠さず話そう」 「・・・・・・それは明日が楽しみだな」 悪戯に笑って。ついと身を翻し、今回の件の清算をするために憲兵を呼びに行くアーネストに続いてカーマインも歩き出す。 その途中、すれ違う、自身が斬り伏せたローランディア兵に一度悔いるように頭を下げて。深紅と漆黒。二色の映える 色合いの後姿に向けて風が吹く。それは血臭が紛れていながらも、そんなに悪いものに思えなかった。 そうしてゆっくりと、ただゆっくりと二色は歩き続ける。押しやる風が今までと違う明日に向けての導のようであった。 ゆらゆら淡い光彩を放つ月。 その月は自身の輝きを反射し、それ以上に輝く花を見つめて。 月光を受けて輝く花は、自身が輝いている事すら知らず、ただ月を見上げる。 そうしてゆっくりと視線は交わり。 ―――運命は、廻り始める それはとても早く、気づかぬうちに・・・・・。 ≪BACK TOP NEXT≫ 思ったより早く仲良くなってしまいました(爆) でもお互いにまだ恋愛感情などはなく、ただ視線が合い始めた感じです。 次回は少しだけカーマインの抱えてる問題が明かされる・・・・ような気がします(うぉい!?) 今回で既にかなり仲良しになってますから次回はもっと仲良くなってそうです・・・・アレ?? |
Back |