茨姫の棺







聞いて欲しい事がある。

聞かないでいて欲しい事がある。

全てを話してしまえば、貴方が苦しむのは分かりきっているから。

それでも、それでも。

貴方を巻き込まずには、何も始まらない。



だから。

この重荷を、痛みを貴方に。




―――代価は、貴方の望むが侭に―――









Act.3:痛みの代価













『・・・・・・・明日。明日になればきっと話すよ』

その言葉通り。新月の夜が明け、室内に陽光が差し始めた頃。つまりは翌朝。
引かれていた遮光カーテンを開け放ち、小鳥の囀りが間近に聴こえる窓枠に腰掛ける男の姿があり。
その視線は、窓から数メートルほど離れた白く大きな寝台へと注がれ。否、正確にはその寝台に
横たわっている青年に注がれている。漆黒の髪を縦横無尽に広げながら、枕を抱くようにして
健やかに眠っている彼は、暫く起きそうにない。早朝に部屋主の断りなく入り込んだ男としては
無理に起こす事も叶わず。先ほどからじっと青年が自然に目覚めるのを待っていた。

「・・・・・・・・・・ふう」

別に、朝から聞かずとも良いとは思うがやはり気になる事を残していては仕事にも身が入らない。
オスカー、ジュリアンとが抜けて政務の量は増える一方のアーネストとしては気になる事は
なるべく早く消化してしまいたいものがあったため、こうして朝早くから青年の目覚めを待っている。
それでなくとも昨夜の彼―カーマインは、どこか儚げで頼りなくて。自分に出来る事ならば
何だってしてやりたい、と。手助けしてやりたいと思うのも必至なわけで。アーネストはどこか
落ち着かず小さく身じろぎつつも、息を吐いては黙り込む事を繰り返している。

ふと、今まで朧げに見遣っていたカーマインの、今は閉じられた美貌に目を留める。
起きている時は強い採光を放つ瞳が見えないと案外にその顔は幼く。子供のようだと思ったアーネストは
自身の思考の異常に気づく。そう、ようだではなく、カーマインはまだ齢十七のれっきとした子供で。
いつの間にか彼を自身と同じくらいに、要は大人だと思い込んでいた。よく見れば、その表情も
体つきも華奢であどけなく、幼い。寝顔だけ見れば無垢な子供そのもの。そんな彼に今更気がつくとは
おかしなものだとアーネストは低く笑う。

「・・・・その小さな身体で何を抱えているんだお前は」

吐息と共に吐かれた呟きに返るのは寝返りを打つ際に上げられる微かな呻きくらい。
何やら思いついてアーネストは窓枠から立ち上がると、眠るカーマインのすぐ傍らまで歩み寄る。
スッと長い前髪を指先で掻き分けて、頭をゆっくりと撫で上げていく。特に意味はなかった。
ただ、細い身体で、小さな肢体で、様々な重いものを抱え込む子供が哀れで、同時に可愛らしくて。
気がつけば頭を撫でてやりたいと思ってしまったというだけ。その欲求の侭に行動に移したというだけ。
だから何故、と問われても答えようがない。

「・・・・・ぅん・・・・?」

突然訪れた優しい感触に気がついたのか、カーマインは掠れた呻きと共に双眸をちらと開く。
開いた途端、金銀妖瞳に映るのは紅い瞳の白い騎士。しかもその彼の腕は自身の黒髪へと伸びていて。
寝起きの働かない頭で取り合えず二つの事を考える。一つ、何故アーネストが自分の部屋にいるのか。
そしてもう一つ、彼は一体何をしているのか。それを探ろうと色違いの双眸を忙しなく動かせば、
パッとアーネストはカーマインから離れてしまう。

「・・・・・ライエル卿・・・・・?」
「す、すまない。起こすつもりではなかったんだが・・・・」

いや、だが起きてくれてよかった、と少し慌てた様子で矢継ぎ早に告げる男にカーマインは首を傾ぐ。
しかし傾いだところでやはり頭は上手く働かず、まあいいかと内心で吐息を吐き、ゆっくりとだが寝台から
身を起こす。それからじっとアーネストを見遣り、むしろ観察し、あぁと一人納得した。

「・・・・話、聞きに来たのか」

まだどこか夢心地なとろんとした表情で、口を開くカーマイン。それを真向かいで見ているアーネストは
初めて見るその表情に僅かばかり、動揺していた。いつもの、凛としたそれと違い、どこか甘さの残る
その表情はきっとある程度は気を許して貰わねば見れないだろうものだから。つまり自分はそれなりに
気を許して貰えているという事。まあ、昨夜の時点で『信じる』と言っていたのだから当然なのかも
しれないが。それでも、アーネストにとってそれは喜ぶべき事であって。自然、口元が綻ぶ。

「・・・・・・?」
「何でもない。それより、昨日言っていた事は有効か?」

それは冒頭での台詞。『・・・・・・・明日。明日になればきっと話すよ』という言葉を指す。
多少、気分屋の傾向にあるカーマインが一晩経って考えを変えないとも言い切れなかったので、
アーネストは多少疑り深いかなどと思いつつも問うた。それには白く細い首が縦に振られる事で
答えられる。つまりは是、という事。アーネストは小さく安堵の息を漏らした。

「まあ、今すぐとは言わないが・・・出来れば早めに聞きたい」
「そう、だな。却って早めに来てもらってよかった。時間を置けば気が変わってたかもしれないし」
「それで?お前は何を一体隠している」

一言一句、聞き漏らすまいと。真摯な態度のアーネスト。ピシリと伸びた背筋、きゅと引き結ばれた唇。
本当に根っからの真面目振りを披露する彼にカーマインは内心で笑う。そんな彼に救われている。
一途で真面目で強くて。貫く信念は鋼より硬いのに、誰かを受け止めようとする心は不器用で柔らか。
そんな彼だから話す気になったのだとカーマインは自らに言い聞かせる。そうでもしなければ
自身の抱える問題に押し潰されてしまいそうになるから。そんなとても大きく重いものを、他人にも
背負わせねばならない。考えようによっては自分一人で抱え込むより辛い。不幸になる人間が
一人から二人に増えてしまう。それでも目前の緋眼は揺るぎないから。不幸にする事が分かっていても
寄りかかりたくなってしまう。

「・・・・・何から、話せば良いんだろうな」

本当に皆目見当つかず、といった風に紡がれるカーマインの言葉。曖昧に微笑みながら急いで整理する。
話して良い事、悪い事。聞いて欲しい事、聞かないで欲しい事。言うべき事、言ってはならない事、全て。
ある程度整理されるとカーマインは自身の指先に埋まる、指輪を眺めた。それはまるで整理した内容の
確認を指輪に問うように。

「・・・・・・・カーマイン?」
「・・・・一つ、訊きたい。貴方は真に護りたい者のためならば・・・全てを斬れるか?」

全て―つまり自国の民や、親友、両親、そういった類の者。自身にとって一番大事な者のために
それらを斬れるか、否か。アーネストは考え、「あぁ」と完結に答える。それを受けてカーマインは
得も云えぬ、それこそ蕩けそうな微笑を浮かべ。

「それを聞いて安心した」

言う。しかし、何故かアーネストはその微笑に背筋が凍るような気がした。
とても柔らかく優しく幸せそうな表情であるのに。それはきっとその先に紡がれる言葉を
本能的に察してしまったから。そしてその予想に違わぬ言葉が数瞬後に降ってきた。

「万が一の時、貴方なら・・・・俺を殺してくれる」
「・・・・・・・・ッ!」
「これは過程の話だよ。もし、ね。俺もリシャールのように自我を失くしたら貴方が俺を殺して」
「・・・・・・何故」
「・・・・・それが皆を護るためだから」

俺がこちらに来た意味の一つにね、貴方なら俺を殺してくれると思ったからというのもあるんだよ、と。
酷く穏やかに、まるで当たり前の事を告げるさり気なさで、滔々と言の葉を並べ立てるカーマインに
アーネストは思わず彼の口を塞いでしまいたい衝動に駆られる。そんな痛々しい台詞を聞きたかった
わけではない。彼の苦しみが少しでも減ってくれる事を願っていただけなのに。

「貴方は、何故俺がリシャールと違って自我を失くさないか分かるか?」
「・・・・・・・・いや。あのグローシアンの少女が関係している事くらいしか」
「そう。一つはルイセのグローシュによってゲヴェルの気が遮断されていた事ともう一つ」

ふわり、また笑う。その笑顔が無性に痛々しく映る。

「・・・・俺が、明らかな欠陥品だから、だよ」
「・・・・・・っ、そんな、物みたいな言い方は止めろ」
「・・・・俺はね、一番最初に作られた主の私兵だから。きっと加減が利かなかったんだろう。
人間の、成長するという能力を一身に継いだ。だから最終的に得られる力は成長する分、誰より上。
多分リシャールよりも。でもその反面、人間の部分が多すぎた。俺は誰より人間に近い」

淡々と、むしろ歌うようにすらすら紡がれていく言葉。それらから伺えるのは濃い自虐。

「この身体は、殆ど人間と変わらない。だから、自我を保っていられる。
それは嬉しいけど、でもそのおかげで身体が上手く動かせなくなってきている。
人間の身体には主の気は毒でしかないから、体内で拒絶反応を起こしていく」
「・・・・・・拒絶反応?」
「そう、ありとあらゆる神経を冒し、狂わせる。人間の身で主の気に触れているというのは
かなり悪性な病原菌を体内に取り込んでいるのに等しい。現に俺の身体は既に病み始めている。
死蝋症といったか。身体の自由は奪われ、いつの日か、指一本ですら動かせずに死に至るだろう」
「・・・・・・・・・・・ッ」

何もかも諦めたような、辛さも苦しさも微塵に窺えない響きに、それを紡ぐカーマインよりも
聞いているアーネストの方が辛くなってくる。話を聞く限り、この目の前の青年は遠くない未来、
指一本動かす事も侭ならず死んでいくと。しかもそれは抗えない事態で、必ずやってくる未来だと、
そういう事だ。そしてもし、自然と死に向かう身体がゲヴェルによって操られる事があれば
この手で殺せと、彼はそう言った。そんな事、そんな残酷な事をしてみせろと。実に穏やかで
晴れやかな表情で言う。アーネストは心臓を踏み躙られる思いだった。

「・・・・・・何て顔するんだ」
「・・・・お前は・・・・ッ・・・・・・・!!」
「・・・だから言ったのに。貴方は優しいから聞いただけでも・・・・苦しむ事は分かってた」

今度は表情に痛ましさを加えて。あくまで他人の事にしか、胸を痛ませない彼。
自分の方がよほど辛いはずなのに、他人の心配ばかり。いっそ泣いてしまえれば良いと思う。
わなわな拳を、唇を震わせてアーネストは俯く。そんな項垂れる銀髪をカーマインは切なげに、
そして優しい眼差しで見下ろす。

「・・・・でも貴方が胸を痛める必要は、何一つない」
「自分が、死ぬのに・・・・何故お前は他人の心配ばかりするんだ」
「・・・・自分が、死ぬからだ。生きてる内しか心配出来ないじゃないか」
「・・・・・・・ッ、馬鹿者が!」

グッと強い力で、アーネストはカーマインの元から細い、しかし今し方聞いた拒絶反応によって
であろう、益々細くなっていく肢体を抱きしめる。あとほんの少し力を加えれば折れてしまいそう、
そんな気さえ起こさせる弱っている身体。誰かに代わってやりたいと思うのはアーネストにとって
生まれて初めての感情だった。

「・・・お前のような馬鹿は見た事がない!」
「・・・・・ああ、知ってる」
「お前は愚かだ!愚かで、愚か過ぎて・・・・・ッ!」

その加減ない愚かさが愛おしいと、思わず口走ってしまいそうになりアーネストは慌てて口内で
それを噛み砕く。馬鹿な子ほど可愛いとはよく言ったもの。あまりに愚かで拙くて不器用で、
そして誰よりも優しい青年がこんなにも愛おしく思えるとは思わなかった。ギリと、骨の軋む音
すら聴こえそうなほど、強く深く抱き竦める。

「お前は愚かで優しすぎて・・・・誰より残酷だ」
「・・・・アーネ・・・・ライエル卿?」
「アーネストでいい。それより、何故お前は俺にお前を殺せと言う?」

狂ったら、という前提つきであってもこんな哀れな青年を、きっと純粋に、幸せそうに殺められるであろう
カーマインを殺せと言う。それは自分が死ねと言われるよりも苦しいと、この腕の中の存在は
分かっているのだろうかとアーネストは心中で喚き立てる。

「・・・最初は、ずっと仲間の元にいようと思った。一番近くで護りたかった。何より
大事な彼らから離れたくなかった。でも、貴方とリーヴス卿を見ていて、離れる事も愛情だと
思った。だから、離れた。傷つける前に、狂う前に。きっと彼らの傍で狂ったら、
彼らは俺を殺してくれなかったと思う。それじゃ、ダメなんだ。意味がない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「貴方か、リーヴス卿ならきっと俺を殺してくれると思った。特に貴方は、優しいから。
俺が他人を傷つける事で傷ついていくのを目の当たりにすればきっと、それ以上苦しまぬよう
殺してくれるだろうって・・・・。それは貴方を酷く傷つける事でしかないのは分かっているけど」

ごめんと小さく、消え入りそうな声で告げるカーマインにアーネストは二の句を紡げない。
元来、話す事を得手としない口下手な性であるのも手伝って。もしもここにいるのがオスカーで
あったのなら、この傷だらけの青年に何か気の利いた事を言えるのかもしれないと、そう思うだけで
胸が潰される。何の役にも立てない自分がこれほど憎らしく思えるものかと眉根に皺寄せて。

「こんな事聞くのは・・・いけない事なんだろうけど。
もしも、俺が狂ったら貴方は俺を殺してくれる・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・」

何だか無性に拙く幼い囁きで問われた内容に、アーネストは暫し黙り込んで。しかしゆっくりと。
じわじわ、溶け出す氷のように重い口を開いていく。

「・・・・・・・もしも、本当に何の手立てもなく、それしかお前を救う方法がないのであれば」
「・・・・・・・・・・有難う」

胸からくぐもった声が届く。それは本当に嬉しそうな響き。甘い吐息を交えたそれ。
見えはしないけれど、きっと本当に満ち足りたような、安堵するような表情で微笑んでいるであろう
カーマインにアーネストはただ、腕に込める力を強める事しか出来ず。見る者が見れば、白い
仏頂面なその面は泣いているように見えたかもしれない。

「・・・・・・嫌な思いを、要らない痛みを与えてしまって・・・・すまない」
「・・・・・・・・一番痛いのは、お前だろうが」
「・・・・貴方は本当に優しいな。・・・・なあ、何か貴方が俺に望む事はあるか?」
「・・・・・・・・・・?」

痛みの代価、俺が支払えるものなら何でも払おう、そう言うカーマインにアーネストは
たった一つしか願いはなかった。

「代価は・・・・・・お前が幸せになる事。それしか、要らない」
「・・・・・・・・・・え」
「お前が何でもいい、幸せになるのであれば、俺はお前のためにいくらでも手を尽くそう」

例えそれがその命を奪う事であっても。痛みに、苦痛に生きる彼が幸せになるのなら。自らが
痛みを肩代わりしようと。血に穢れようと、そう思う。それは一種の自己満足でエゴでしか
ないのかもしれないが。それでもそれしかアーネストの頭には浮かばない。

「・・・・・自ら、不幸に片足突っ込むような真似だけはするな、カーマイン」
「・・・・・・・・・アーネスト」
「そうでなければ、俺は・・・お前が命を賭して護ろうとする仲間の命をすべて狩る」
「・・・・・・・肝に、命じておこう」

言いながら、カーマインは自分が不幸になる事などないと確信する。例えば、この自分を
強く抱きしめてくれる腕があるから。例えば自分の痛みを少しでも代わろうとしてくれる優しい人が
いるから。例えば、自分が狂った時、罪を犯してでも止めてくれるという約束があるから。
貴方がいる限り、自分が不幸になる事など有り得ないと、カーマインは内心で呟く。
それは整理した中で言えば、『言ってはならない事』に含まれる。そしてもう一つ。
『聞いて欲しくない事』はこれより後、明らかになる。ただ、今だけは強く強く抱きしめて
くれる腕にカーマインは身を委ね、あまりに儚い命を感じ取るように、失わぬようにアーネストは
その存在を掻き抱いていた。








急速に、堕ちていく花弁。

拾っても掬っても、もう手遅れだと知っているのに。

それでも拾い続けようと血塗れた手を捧げても。

するり、するりと抜け堕ちていく。

花が散り終えるのと、この涙が枯れ果てるのはどちらが先か。

尋ねたところで答えは返らない。



―――救いは誰のために在る・・・・・?







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旧茨姫より進みが断然早いですね(爆)
一応Act1で足が縺れたり、指輪を取り落としていたりの理由が解明されました。
しかも何だかいつの間にかアー→主的な流れになって参りました。アレ?
もう少し徐々になっていく予定だったんですが・・・・。まあ、いいか(いいの!?)
次回はローランディアサイドに飛ぶか、リシャールに飛ぶか、と言った感じです。アバウトね(痛)

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