茨姫の棺








どうか誰も同じ轍を踏む事がないように。

そう願って、祈って、苦しみもがいていたのに。

どうして君までそこへ向かってしまうのか、と。

問う事すら出来ないで。

離れ行く君に手を伸ばしても、きっと君は振り返らない。

知っているのに。

この腕は必死に君へと伸びて行く―――









Act4:繰り返される轍












「・・・・・・・さて、困った事になりましたねぇ」

ローランディア王城に程近い、王都一の広さを誇る屋敷の中、一人の男の声が響く。
翡翠を宿した碧眼に、エメラルドのピアス、ラベンダー色の髪、苦笑を浮かべる面は言うなれば優男を思わせる。
数日前までは肩に痛々しく包帯を巻いていたのだが、一週間の時を経て漸く完治したらしく今は取り払われていた。
由緒正しき至高の騎士を意味する紫紺の制服を身に纏いながら、手袋に覆われた指先は顎元へと添えられ、もう片方の
腕は顎へと伸びるそれを軽く支えている。そのままの姿勢で首を傾ぎつつ、周囲を見遣った。この一週間ずっと身を
置かして貰っている、隣国の宮廷魔術師、サンドラ邸のリビングに集っている面々の顔色を確認するように。

「今までは僕の傷の回復を待っていた訳ですが、あれからもう一週間も経ってしまった。そろそろ次の行動に移さねば」
「・・・・・・・・それはつまり、王位奪還を優先するか、それともアイツをどうするか、って事かリーヴス?」
「まぁ、平たく言ってしまえばそんなところですよウォレス殿」

にっこり、人好きする笑みを浮かべながら、リーヴスは自分の斜め前、ソファにどっかりと座り込んでいる巨漢を
見下ろしながら答える。まあ、笑んだところで彼に表情を判別する術はないのだが。世に一つしかないであろう義眼が
ちらとリーヴスを見遣るが、すぐに正面へと戻され大きな溜息と共にウォレスは口を開く。

「お前さんの立場から言っちまえば、王位奪還を優先したいところなんだろうが・・・・オレたちはそうもいかない」
「・・・・・・・そうでしょうね」
「ただでさえアイツに怪我させられたんだし、いい感情を持っちゃいないのも分かるが・・・・」
「・・・・・・誰がそんな事を言いました?」
「あ?何だお前さん、アイツに怪我を負わされた事怒ってねえのか?」

再び義眼が紫髪へと視線を向ける。表情はやはり分からない。しかし、気配で相手が何を思っているか位は判別出来る。
ジッと義眼の奥で傷の残る目が細められるが、リーヴスからはウォレスが思うような負の感情は伺えない。ただ飄々と
そこに立っている姿だけがあって。真意が汲み取れずウォレスの眉間に深い皺が刻まれた。

「・・・・そう、警戒しなくても。騎士の身の上なんですから一太刀受けたくらいで恨みなんて持ちませんよ」
「そうかな?確かに騎士なら・・・いや戦場に身を置く者なら誰だって傷一つなら安いものと思うだろう。
だが、お前さんは一度自分の懐に納まった『仲間』とまでは思ってないとしても『同志』に裏切られたんだ。
多少なりに悪感情を抱くのが普通なんじゃねえのか?」
「・・・・・もし、彼が初めから僕を・・・僕たちを騙していたというのなら或いはそうだったかもしれません」

一度目を伏せ、開き。口元の笑みを消し去りながらリーヴスは告げる。翡翠の瞳は会話を交わしているウォレスへと
向けられているものの、実際は彼を突き抜け、遥か彼方―隣国の、自らが仕えていた王城を見据えていた。
チリと肌で感じたその視線に気づいたウォレスはリーヴスの変化に多少、眉根の皺を緩める。

「・・・・・・だったかも、という事はやっぱり今は憎んだりしてねえのか」
「はい。彼はリシャール様の目前に来て急に態度が変わりました。初めから人間に対し、悪意を抱いていたなら
少しくらい普段の言動にそれが現れる筈なのに彼にはその素振りがなかった。むしろとても慈愛に満ちていたでしょう。
そんなもの、演技でどうにかなるものではありません。だから・・・・何か事情があったのだと思います」

それに本気で憎しみを抱いていたなら彼は僕を殺しているでしょうし、そう苦笑気味に呟き、ウォレスとの会話中、
ずっとその場にいながら口を開けず、大きな碧眼を縋るようにリーヴスへと向けていたルイセへと今度は微笑む。
それは、心配しないでと言っているような優しい視線。きっとウォレスよりもリーヴスよりも誰よりもルイセがカーマインの
事を気にしているであろうから。この怪我が治るまでの一週間、彼女はかいがいしくリーヴスの世話をしていた。
ごめんなさいと何度も何度も彼女はリーヴスに頭を下げたが、リーヴスにはそうして彼女が頭を下げる度に、彼女が
遠く離れた兄を想って泣いているかのように見えて。どうしたらこの少女を慰めてやれるだろうか、と肩口の傷を
見遣りながらリーヴスはいつも悩んでいた。結局どうする事も出来なかったのだが。

何か、カーマインを取り戻す方法を考えようにも情報量が少ない。無理やりに連れ帰ったところで彼はきっとまたいなくなる。
情報がなければ説得は出来ない。そんな無限ともいえる思考の鬩ぎ合いを一人で続けていたが、それももはや限界で。
一人でうだうだ考えるよりは、三人集えば文殊の知恵、とまでは言わないが、それでも一人で考え続けるよりは少しはマシで
あろうと今この場で意見を集っている。しかし、リーヴスはここでふと首を傾ぐ。それにつられてルイセも不思議そうに瞳を
瞬いた。

「リーヴスさん、どうしたの?」
「・・・・・ん、どうしたリーヴス?」

ルイセの発した問いに、ウォレスも重ねて問いかければリーヴスはぐるりと部屋を見渡して一言。

「そういえばティピ君は何処に?」

言われて初めて気が付いたかのようにルイセとウォレスは部屋中を見渡した。小さな姿を求めて。しかし、どれだけ
頭と視線を動かしても、圧倒的な存在感を誇示するホムンクルスの姿を発見出来ない。そう、今思えば随分と部屋が
静かだった。普段ならば例えどんなに深刻な内容の話をしていても確実に明るく身体の割には随分と大きな声が
響き渡る筈なのに。今はそれがない。無音といっても差支えがないくらい静か。

「え、ティピー?何処にいるのー!?」
「おい、何処行った羽虫?」
「・・・・・今更ですが、随分前から彼女の姿を見てない気がするんですが」
「そんなわけ・・・・あれ?でも私もそういえば最近ティピの姿見てないかも・・・・・」
「・・・・・サンドラ様のトコにはいねえのか?」
「ううん、ティピは何処に居てもお母さんと連絡取れるからそんな事はないと思う・・・・」
「・・・・・では、何処に」

三人揃って暫し思考に没頭する。彼女、ティピは暢気な性格だがあれでなかなか責任感が強い。ふらふらと自分勝手に
何処かへ行くとは思えない。もし、何処かに行くなら必ずルイセにでも託をするだろう。それをせず、彼女が姿を消した。
それが意味するところは―――

「・・・・・・まさか、ティピ君・・・・・・」
「え、何!?何か分かったのリーヴスさん」
「いや、確証はないけど・・・・彼のところへ行ったんじゃないだろうか」
「彼っていうと・・・・カーマインか?」
「ええ!?」

リーヴスが思いついたように言った台詞にルイセは驚き、ウォレスはふむと一言声を漏らす。確かに確証なんてものはない。
しかし口にしてからはそれ以外に考えられない、とリーヴスは確信を深めた。

「よく、考えて下さい。ティピ君が何も言わずに消えたという事は、目的地を言えばきっと止められると思ったからでは・・・?」
「・・・・・・・そして言われてオレたちが止めそうなところといえば・・・・アイツのところくらいしかねえ。ま、理屈は通るな」
「で、でもぉ・・・・・何で、そんな・・・・・・・・・」

リーヴスの後付に講義しようとしたルイセだったが、息が詰まったかのように一度言葉を切る。それに二人分の視線が集まった。
そんな事には気づかず、ルイセは項垂れつつ思考を巡らし、何かしら答えが出たのか不意に顔を上げる。

「・・・・・・・そういえば。前に話した事あった」
「何の話だ、ルイセ」
「ウォレスさん、覚えてない?ゼノスさんがアンジェラ様を襲いに来た時に言ってた事」
「・・・・・・・・・・・・!」
「え、話が見えないけれど・・・・何かあったんですか?」

ルイセとウォレスの会話の内容が分からず、リーヴスは頭上に疑問符を浮かべる。当のルイセたちは今から少し前の
出来事を思い返していた。それは王母アンジェラと散歩をしていた時に話した内容。その時はただの例え話として言った事で、
まさか実際に起こり得るとは思いもしなかった事。その内容といえば。

「前に、アンジェラ様と話したんです。リシャールさんとエリオット君の事を。その時にウォレスさんが例えでティピに言ったんです」
「『もしもカーマインが自分たちと対立するような事があれば、お前はどちらに付くんだ』ってな」
「・・・・・・それでティピ君は何て答えたんですか?」
「そんなの・・・・・分からないって言ってました。でも、ティピはいつもお兄ちゃんといたから・・・・ひょっとしたら・・・・・・」
「・・・・・・・カーマイン君に付いた、かもしれないと」
「・・・・・・・・・・・・・・・・はい」

そう言う、ルイセの表情はとても複雑だった。悲しそうな寂しそうな、そしてどこか羨ましそうなそんな顔。きっと彼女も
本当はすぐさま兄の元へ駆け寄りたい筈。彼女は傍目から見ても血の繋がらない兄に対して並ならぬ想いを抱いているのは
明らかだから。それこそ盲目的な愛情をカーマインに注いでいる。きっと彼女にとって裏切られるより何より兄と離れた、
その事が一番の苦痛であろう。もし、ティピがカーマインのところへと行ったとしたらそれはきっと羨ましい以外の何物でも
ないのであろう事も容易く読み取れる。

「・・・・・・まあ、今は全て推測にしかならないですね。彼女からの連絡を待つしか・・・・・・」
「んな悠長な事言ってたら、いつバーンシュタインに攻められるか分かったもんじゃねえぞ?」
「・・・・しかし確証はありませんし。仕方ありませんね、ここはカーマイン君のところへ僕らも行った方が早そうです」
「・・・・・・・・!?え、リーヴスさん!??」
「ルイセ君、君のテレポートだけが頼りだ。・・・・・・・行ってくれるかい?」

がしり、とルイセの細く頼りない肩を掴みながら翡翠の瞳は問う。それはとても優しい口調であったけれど、
目に篭もる強い力は、否定を許さないと言っているようだった。ルイセは一度ビクンと肩を竦め、俯くが、やがてゆっくりと
面を上げコクリと頷く。不安が多い。カーマインの元へ行っても、以前のようにばっさりと切り捨てられるかもしれない。
何の精彩もない、人形のような無機質な瞳を向けられるかもしれない、拒絶されるかもしれない。それらを思うと震えが
走って止まらないほど恐ろしい。それでも、それでも。僅かに逢いたいという気持ちが上回る。帰ってきて欲しいと思う心が
先走る。泣き叫んででも連れ帰りたいと思う衝動が全身を動かす。

「私、行きます!お兄ちゃん、連れ戻します!!」
「うん。僕も彼には戻ってきて欲しい。彼は『仲間』だから」
「・・・・・・・・話は纏まったみてえだな」
「はい。こうなったら腕の一本でも折るつもりで連れ帰りましょう」
「!!だ、だめえそんな事しちゃあ!!」
「・・・・・・ちょ、言葉の綾だよ?まさか本当に腕を折ったりなんてしませんって」

冗談のつもりで言った言葉に本気で返されて慌ててリーヴスは手を振る。そうして宥めつつ、内心ではとても無責任な
事を言っているなと自分を嘲笑う。先ほども悩んでいたではないか。無理に連れ帰ったところで、説得し切れなければ
何度だって彼は姿を消すだろうと。それが分かっていながらも、前向きな、裏を返せば後の事を全く考えていない言葉を
紡ぐ事しか出来ない。微かな希望はそれが裏切られた時、より深い絶望になる事などとうに体感しているのに。
それでも、いずれ嘘になるであろう言葉をいたいけな少女へと捧げる事しか出来ないで。胸は、きりきりと壊れるように痛む。

「ね、リーヴスさん早く行きましょう!?」
「え・・・・・ああ、でも一日待とう。ティピ君から何か連絡もあるかもしれないし」
「・・・・・・・・・・・え」
「・・・・・・・そうだな。それにサンドラ様や、他の連中にも連絡はつけといた方がいいし、一日くらいは待つんだな、ルイセ」
「・・・・・・・・・・・・はぁい」

がっくりと項垂れるルイセに、リーヴスは苦笑し。そしてきっと自分の考えている事などお見通しであろう年長の男へと
感謝するような眼差しを向け、小さく会釈した。せめて胸に沸いた小さな小さな希望の芽が摘み取られる事などないように
心中で祈りながら―――











微かな、微かな希望の灯。

いつかきっと、潰えるであろう事を知っているのに。

それでもそれに全てを賭けてしまう。

同じ轍を踏まぬよう、言葉を隠していたのに。

知らず知らずのうちに轍は繰り返されて。

繰り返されてしまった轍を踏んだ事に気づいた時、きっと絶望が押し寄せる。



―――絶望に食い破られるのはいつ・・・・?








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ローランディアSideという事で書きました。ティピ不在なので
かなり内容はシリアス目ですね。次回はリシャールに行こうと思ってましたが
この分じゃティピ編に行くのが妥当ですよね!??と言う訳で次回はいなくなった
ティピの話で行きたいと思います!!(行き当たりばったり!!)
ちなみに初めのモノローグっぽいのはオスカーがカーマインに向けたものです。
ティピにではありません(笑)

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