胸壊 −ambivalence−





あれから数日が経つ。二度に渡り近寄るなと釘を刺された故、出来る限り彼から離れるようにした。
それでも、どうやら仲間達と馴染めていないらしい彼が気になり、少し離れたところから様子を窺ってしまうのだが。
まあ、そういう気質は『彼』にもあった。一匹狼と言うわけではないが、あまり率先して他人に関わろうとはしない。
何でも幼少時の心的要因が原因らしい。詳しく聞いたわけではないが・・・恐らく彼の独特な容姿のせい、だろう。
髪から眉、睫まで白く色素の薄い肌。そしてその中で強すぎるほど浮き立つ紅い瞳。白皮症−アルビノ−という
本来在ってはならない色合い。それを異端と言い切り恐れる者が少なくはないことを俺は知っている。

「・・・・綺麗だと思うんだけどな・・・」

真っ白で真っ赤。兎みたいな色。背が高くて如何にも男らしい体格だけに余計に可愛らしく感じるのは欲目という
ものなのか。大切で愛おしくて、ついつい依存してしまいたくなるような。『彼』の隣にいると、『彼』はあまりにも
自分のことを大切にしてくれるから・・・甘えてしまう。いつか自分の足では立てなくなってしまうのではないかと
心配になってしまうくらいに。

「・・・・・・・・」

今頃『彼』はどうしているんだろうか。相変わらず多忙を極めているのか。自分のいない内に倒れでも
していたらと考えても栓のない、取り留めのないことばかりに思いを馳せる。
逢いたい、逢わなければ。踏み込んではならない、深い深い深淵に足を踏み入れてしまいそうで。
一度踏み入ればきっと這い上がることは出来ない、奈落の底に通じるだろう、その場所に。

ふと、空気が変わった気がして俯きかけていた顔を上げる。よほど思考に耽っていたのか、
随分と時間が経っていたらしい。日の昇降がないので時計でしか時の経過を計る術はないが。
確か最後に時計を見た時は昼過ぎくらいだったはずだが、指針は16時を指している。
エントランスにはいつの間にか誰もいなくなっていた。時間の経過から思えば当然なのかもしれないが。
別にこのままここにいてもいいのだが、そろそろ夕食の準備を当番の者が始める頃合。
いつも任せきりも悪いので手伝いを申し出るため、奥の厨房へと移動する。

部屋と部屋を仕切るドアを開けば、やはり本日の夕食当番・・・というか今日もミュウが
兵真やリィンたちの手伝いの下、腕を振るっているようだった。食材を切り分ける軽やかな音色が響く。
何やら楽しげな空気に割り入るのも拙い気がしたが、声を掛ける。すると即座に振り返る面々。

「あれ、カーマインじゃん」
「夕食の準備だろう?何か手伝おう」
「だとよミュウ。どうすんだよ」

兵真に問われてミュウは少し首を傾ぐ。材料が少ないので手の込んだ料理は中々作れないらしく、
元々手伝えることがあまりないのだろう。悩むそぶりを見せる彼女に何だか申し訳なくなってくる。
ないならいいと断ろうとした瞬間、届く声。

「あ、じゃあちょっと火種が足りなくなってきたから小枝を集めて来てくれる〜?」
「あ、ああ・・・分かった」
「あ、ついでに何か美味しそうな木の実があったら獲って来てくれると嬉し〜」

彼女特有の少し間延びした喋り方。頼まれたことに素直に頷いて基地の外へと向かう。
周囲を森で囲まれているので木の枝を集めるのは容易いだろう。木の実も裏庭に生っていると他ならぬ
彼――ライエルに聞いた。そう時間は掛からないだろうと特に急ぐこともなく、裏庭を探索する。
やはり思った通り至る所に落ちている枝。数分と掛からず、取り敢えず必要な分は確保出来た。
後は木の実だが・・・異世界ともなるとどれが美味いだとかそういうことはよく分からない。

「・・・・とにかく熟してればいいのか?」

何種類か持ち帰って適当に選んでもらうか。そう結論付けて、見たこともない変わった木の実を少しずつ
収穫していく。赤、青、黄、白、ピンク。色とりどりの実を用意してきた袋に詰め肩に背負い、
集めた木々を腕に抱え込む。両手を取られてよくよく考えれば無防備の状態。
それに気づいたのは、背後に魔物の気配を感じた瞬間だった。

「・・・ッ!」

リング=ウェポンならば瞬時に呼び出せる。けれどここは自分のいた世界とは違う。リング=ウェポンは機能しない。
つい、クセで武器を所持してくるのを忘れた。ならば逃げなければ。反射的に駆け出す、ものの。
獣の形態をした魔物と人間の形態をした模倣物では、足の速さが違う。切れる息の合間、追ってくる影と呼吸は
己に覆い被さろうとしていた。

「伏せろ」

鋭い一喝が鼓膜を打つ。その声に従い身を伏せれば、頭上を風が切る。次いで上がる何とも痛々しい悲鳴。
振り返って目に入るのは、見覚えのある武器に貫かれた魔物の姿。口から腹部にかけて突き刺さった剣は
どろりとした血に濡れている。その角度から、上から狙ったのが見て取れた。もう一度振り返り、上を探す。

「・・・・・、・・・ライエル」

軽く周囲を見渡すと、一本の木の上に彼は座っていた。皆から隠れるようにひっそりと。
黒衣が風に揺れてぱたぱたと小さな音を立てる。暫し互い見詰め合うが彼の方が先に目を逸らした。
面倒そうに息を吐いて、ひらり。軽い身のこなしで地上から数メートルはあろう位置から飛び降りた。
態勢を崩しもせず着地する様は流石と言うべきか。

「・・・・お使いくらい、ちゃんとしろ」
「お使いって・・・」

あまりの言い様につい眉間に皺が寄る。

「この界隈を出歩くなら、武器くらい持て。食われても知らんぞ」
「・・・・・・・・・」
「・・・・それとも」

喰われたいのか、と耳元に囁かれて背筋にぞくりと悪寒にも似た何かが奔る。近い距離。
何故か魔物の気配を感じた時よりも逃げなければならない気がした。気がしたけれどぴくりとも躯が動かない。
拘束されたわけでも何でもないのに拘わらず。気配が動き、その身に緊張が走る。

強張っている間に息が切迫するほどに強く、両腕に囲まれる。ギシリと骨が軋んだ。抱擁と呼ぶには随分と強い力。
重なる鼓動が、自分を冷静でいさせてくれない。気が狂いそうになる。縋りつきそうになる指先を拳を握ることで
必死に堪えようとするのに。首筋に掛かる吐息に跳ねる躯。驚いて、弾みで目前の広い背に腕を回した。

「ライ、エル・・・ッ」
「・・・・・、無事で・・・良かった」
「・・・・?」

安寧に満ちた声。ほっとしたように落ちる肩。頬を掠める銀の髪。全てがくすぐったい。
嗚呼、この人は自分を心配してくれていたのだと。自覚して申し訳なくなる。
どうして俺はこの人に倖せをあげられないのだろうと。

「・・・死ぬな。何が遭っても・・・死なないでくれ。三度目は流石に・・・無理だ」
「・・・・・三度目・・・」

切願が胸にも耳にも痛い。ぽつり、少しだけ不可解なその言葉を鸚鵡のように繰り返す。
とても小さな声のはずだったが、彼には届いたらしい。やや思案した後、悲しげに口を開く。

「・・・・・友を失い、想い人を失い・・・もう次はないと思っていた矢先、お前が現れた。
お前を見ていると失った者たちを思い出す。だから辛かった、・・・だから遠ざけた。
お前はお前と言い聞かせても・・・お前が『彼』に見えてくる。『彼』だと思い込もうとしてしまう。
お前を代わりにしてしまう。お前も『彼』も冒涜する行為だ。許されはしないと・・・分かっている」

それでも・・・。

続く酷く掠れた低音。軋む、痛みも忘れて聞き入ってしまう。この人もそうなのか、と。
重ねてしまう、最愛の人。惹かれて、否定して、離れて、寂寥に襲われる。何度も巡り、何度も想う。
同じことを繰り返し繰り返し、考えて考えすぎて・・・やがて何も分からなくなっていく。
黒く侵食されていく思考。飲み込まれる精神。そうして頭が使い物にならなくなると、途端に
まるで封印でも解かれたように、勝手に動き出す躯。それを本能とでも言うのだろうか。
人の身でありながら・・・それに準じる者でありながら・・・獣の如く。

「・・・アーネスト・・・」
「・・・・。その呼び名は『お前の世界の俺』を呼ぶものだろう・・・?」
「え・・・・・」

思わず口にしていた呼び名を指摘され、ハッとする。俺は今、何を口走った。

「俺を・・・その名で呼ぶな。それとも・・・成り代わってやろうか」
「成り・・・代わる・・・?」
「俺が、お前の言う『アーネスト』に・・・」

意味を、考えて硬直する。

「・・・何考えて・・・」
「お前に愛されてみたくなった」

耳元に囁かれた。吹き込まれた吐息に震えたのか言葉そのものに震えたのか。それは定かではない。
筋一つ動かせない、なんて状態になったのは初めてのことだ。自分が今呼吸をしているのかどうかも
分からぬほど何も出来ない。ついさっきまで様々なことが頭の中を巡っていたのに。死んでゆく思考力。

「・・・カーマイン」
「・・・ッ」

今になって彼が呼ぶなと言った意味が分かった気がする。その声で、その顔で呼ばれてしまうと抗えない。
引力に引かれるように。引き寄せられる。駄目だとか考える暇も、踏み止まろうと言う意志も掻き消されるように。
視高を合わせた彼の燃えるような紅い瞳から目が離せない。戸惑う自分の姿が小さく映っているのも
すぐに意識から消え、紅だけに、縛られる。熱を持った強い瞳に。

「カーマイン。お前の瞳はもう・・・俺を見ている」
「・・・・・ッ」
「俺は・・・身代わりでも、構わない。ただ・・・」

一度、切られた言葉の先に我知らず背筋が凍る。彼の言うとおり、俺の目は今、彼を見ている。
その事実からも、もう目を逸らせない。彼の口が開かれる。

「ただ・・・。俺はお前を手に入れたら・・・もう元の世界に帰してやりはしないが」

時が止まって見えるほどにゆっくりと落とされた言の葉は、まるで死の宣告のようだと。
まだ僅かに残っていた理性の片隅でそんなことを思った―――



BACK TOP NEXT

この話、何回彼って出てきてんだ(訊かれても)
一応中盤、ですかね。長いな・・・。

Back